運命の人

2019年04月06日 (土) 20 : 32
私が、私の独り相撲なのかな…

の虚しさの要因として、ず~っとず~っとどこかで解消されていなかった、自信が持てなかった「疑い」のひとつとして。
今回の『数秘術』で人生大枠を聞いてみよう…に思い至った、最大の理由。
それは。

だいたい、もっとも変わらなきゃおかしいはずの人(笑)それが変わってくれてないと感じてしまう、そういう自分がいました。

人様の「変容」のお手伝いをしているのが自分であり。
それを正業としている身でありながら。
正直なところ「もっとも近い人が、変わってくれない」ように観えていることへの焦りがず~~~っと。あったことはあったのです(笑)。

夫婦仲良しパートナーマンセーなスピリチュアル系(笑)ってあるでしょう?(爆笑)
まぁ、羨ましいっちゃ、羨ましいわよね。
旦那が協力的(笑)であったら、つか、ほんと目指すものが同じ同士でやれている仕事は、それだけ支えが合って楽だと思うし、張り合いもきっと生まれるのでしょう。
(「子供」まで^^そこに巻き込むスピ家族というのもいますが、私は、子供を親の仕事に利用するスピ家族は個人的には「どうかな」と思うところはあるのですが、まぁそれは置いておいて)
もう、絶対、うちはそれですよ~素敵な魂の双子だののスピリチュアルライフとか、そういう嘘はつけない(笑)、「私たちはいつでも理解し合うこんな素敵な運命のツインレイ」のようなホラは吹けませんので^^、その嘘演出はやってきてはいないんですけど^^。
(だけどね…こういう系統もね、「どっかでそれをオーバーに素敵にそう見せようと演出している」面はやっぱりあると思うよ。そうやって羨ましがらせるように見せておかないと「魂のツインと生きていくって素敵、私もこういう風に生きたい、私もそうなりたい」っていうお客さんが来ないじゃない?(笑)まぁ、見抜いてください、それらは個別に。たぶん、みなさんとそんなに違わないのよ。ほんの、ちょっとの違いなのよ)

私に恋愛相談が少ないのも、たぶん、こういう見た目現象なところもあるから、それもあるかもしれませんけれど。
迷える子羊は、とにかく、この世には多いみたいなんだけど、うちにはソレ系迷える子羊があんまり寄って来ないんですよね。
スピリチュアル市場的には、確実に「客層」として(笑)いちばんそういうタイプの人種が多いハズで(ある種のいい「カモ」扱いされる人々)、石業界でもね…その手のケースの石依存タイプの人の話は同業とかにもね、聞くことは聞くんですよ。
でもなんかそういうの聞くたびに、「うちにはいないよ出会ったことがないそういう感じのお客さん」って(笑)思うことが多いんです。
それはおそらく、前々回の記事でもお伝えしていますけれど。
「お客様の、霊的レベルが、洗練されている人が多い」から(笑)だと思います。
迷える恋愛子羊系のスピ系タイプの運命的ラブに夢持つタイプの人は、たぶん、うちのブログを読んでも、「意味わかんない」「長文難しい」って思うのかもしれません(笑)。
こう言うとアレですけど知的霊的リテラシーがもうちょっとの人たちなのだろうから、寄って来ない寄りつけないんですよね。

まぁ、相談しなくていいです^^。
そういうものは、もっとも「他人に未来なんか聞かないほうがいい」タイプのイベントですから。
悩む気持ちはわかるんだけど、恋愛は、ただ相手を好きならそれを正直に。かけひきとかくだらん小技は不要です。
「あなたがうまくいく相手」は、万人にとってうまくいく夢を見させられているモデルケースの王子様とは違うこともあるのですから、それを人から決めてもらう必要はないのよ。
つか、それこそですね…「相談相手自身のものさし」がどのようなスピリチュアルカウンセラーであろうと、必ず入ります。
なので、仮に、そういったことをそういう人に相談するのであれば、必ずその人の観点が入っていることを前提に、「自分で気づける」ようにしてください。
たとえば「彼は私のことを好きなんでしょうか?」レベルの話でも、この「好き」の感情には「こうじゃないと」の定義はないのです。ものすご~く一般的に女性好みではないのであろう(笑)希薄な感情レベルでしかそれを感じない表現できない男性なんかもいますが、だからってそれが「冷たい」「好きじゃない」とかではないのですよ。
でもそのへん、占い師の方の「経験値目線」がほぼほぼ絶対に入って伝えられます。へたするとそうじゃないのに「気がないね、この人」になっちゃう場合だってあると思うよ。
それ聞いたくらいで、やめちゃうの?(笑)ってことです、結局。自分で確かめればいいじゃないですか。ってことになるのです。
どれだけ「未来が透視できます」系であっても(笑)その未来は限定的視野のものであること、そして、もっとも大切なのは「今、何ができるか」なので、ここをおざなりにして未来先取りできませんから。
言いなりとか、これじゃ駄目なんだ、とか、これでいいのだ、とか、それらを持ち帰るのはすべて、貴方様にかかっていますので。
なので、人に聞くのもいいのですけれど、「自身の霊的感性を磨くこと」「当事者意識」が大切ですよ。
そうじゃないと、結局どんなことを聞いても教わっても「理解できない」「結局なにも実行できない」「活かせない」ということにもなりかねませんから。(これは、恋愛だけの話ではないですけれどね)


話が大きくそれましたので、戻しますが(笑)。

もっとも近い人が、変わってくれない。
この場合の「変わってくれない」というのは、私の「人間目線の、エゴ目線の、いい風に、いい感じに」であったこと。
そうじゃない部分で、ずっと観続けてきたつもりだったし、わずか~にわずか~に、登ってるかなという良い感じに変化してきていることもあることはあって。そこをわかりつつ、認めつつ。
けれど、やっぱり、それでも私の表面的な人間的「私の思ういい感じ」目線だったこと。浅かったこと。自分基準だったこと。
これが、今回のリマさんの『数秘術』で、はっきりと、わかりました。

実は、このセッションに申し込んでみようと決めた時から、「ガイド支援」は始まっていました。
こういうセッションを受けに行くことについて、ふたりは大喧嘩になりそうになりました。
内緒で行くつもりだったのに(笑)バレまして^^。
「そういう、他人の意見にオマエはいちいち影響される。そうやって何かを聞いてきては人を振り回す。自分のことを人に聞くのはやめてくれないか。気分が悪い」と(笑)。
大波乱に^^なりそうでした。
が。ここで落ち着いて、私は、「私は私のことが知りたいだけで、決して、あなたを変えようとか、そんなことは何も考えていない。それを強制強要するためじゃないし、そのつもりもない。あくまで自分のために、自分の数秘の運命全容なんて今まで聞いたこともなかったから、あらためてそれを知りたいだけ」ということだけを伝えました。
実際、そうでしたから。

その話をするうちに、話の流れが変わり。
そこから、彼自身の、現在の心境、今までひとつも話してくれなかったこと…そういうことを、聞くことができたのでした。

そしてその時に、私は、実は、「ハートが納得できた」のでした。
どう言えばいいのかわかりませんが、すでにもうその時に、わかったのです。
「この人はちゃんと変容することができてきている…魂の道を歩いている…私がそれを信用していなかっただけ、わかろうとしていなかっただけだ…これでいいんだ」と悟り、もう、申し込んだセッションそのものも、とくに必要ないのかな、というくらいに、何かが腑に落ちたのです。

ふか~い、ハートの癒やしを、私自身が感じていました。
そして、彼がどうあろうと。これからもどうあろうと。受け入れていくこと、認めていくこと。
彼については、私は、もうこれでじゅうぶんではないか、と思えたのです。あとは、私の問題だ、と。
…このアクションがなければ、こういう展開にはならなかった…むしろこれが必要だったのかもしれない…。
申し込みしたから、あったことでしたので。
そういう気持ちで迎えたセッションでしたので、さらに、私と私たちの運命が「数字が示すもの」が腑に落ちることになったのでした。

そして、私こそ、この人がいないと生きてこれなかった人間そのもの(笑)だったのでした。
これは自分でもよぉくわかっていたことですが、「この人といっしょにやってきていなければ今の自分は確実にありえなかった」というのが事実です。まず、天職と言える、今の状態は確実になかったと思います。
ここはひっくりかえせないし、そういう意味でも、いわゆる感謝の存在であり欠かせなかった存在です。
でもそれは、私が勝手に見つけた、私がやりたいと言い出し進んだ、私の道です。
そこにとくに、双方の同意はありません。
ただ、「こういうことをやりたい私」に対して何も反対しないでいてくれた、それだけでも考えてみると、常識知らずでいてくれて(笑)大変ありがたい存在なのです。

で。私はまぁ、それで、いいのよ? でも、彼は?…近年、こっちへ気持ちが行くようになりました。
自分だけが幸せっぽい、充実っぽい、みたいなのって、ものすごく気持ちが悪いのです(笑)。本当に居心地良くないのです。
でも結局これも、自己本位といえば自己本位。
私がハートを生きることが幸福なんだから、あなたもそうなってほしい…。
よく考えると、こういうのって、人への押し付けで、そして「決めつけ」もいいところです。
つまり、「あなたは幸福じゃない」「ハートで生きていない」って、私が勝手に決めつけてその眼鏡で見ていたことが、彼と話していて、わかったのです。
私がふか~くハートで感じたのは、「この人、これで、今、いいんだ」という、とても暖かい感覚だったのです。

そう考えると、できれば全人類に、幸福になっていただきたいのは、「自分もそのほうが確実に幸福だから」というエゴとも^^言えますね。
「おまえの言う幸福なんかに死んでもなるものか」って思ってる人だって、中にはきっといるはずなので。
「おまえの言う高次ガイドなんかに死んでも繋がってたまるものか」っていう人だって、絶対にいるはず(笑)です。
それがたんなる強がりだとしても、死んでも救われたくない人、っているんじゃないでしょうか(だから死んでも救われてなかったりするんだけど^^)。
救われるとか、本当の自分とか、気持ち悪い、なんなのそれ、みたいに思う人もいるんじゃないかと思いますよ。
きっとそういう人にとっては、「本質を生きるとうまくいくんだよ」とか「運命を受け入れる」なんていうのは、なんかばからしくてもう、ヘドが出そうな話かもしれないです(笑)。
その段階で無理やり聞かせていいことがあるわけがありません。”嫌われる新興宗教”みたいなもの(笑)と一緒ですよね。

人類が、時間をかけて変化してきている意味も、結局そういうことですね。
いくら「このままでは間に合わん」と、何かに気づいている人が、警告を発信したところで、大半が間に合わない人生を選び続ける選択をしている中で、それでもみずから気づき、ちゃんと高次ガイダンスの流れに乗っていく人もいるので、まだこの世はこの感じでいけている、という面もあるのだと思います。

私が感じていた罪悪感、「この人、私に出会わないほうが、本当は良かったんじゃないだろうか」という、実際的に彼の人生から、私が介在することで奪ってしまっていたように感じられていたことの数々…そういったことへの後悔や申し訳無さや、もう取り戻せないことの数々。そしてもう、これからでは、できないことの数々。霊的無知で低レベルであったことの代償。
それらが、どうしてそうあったかの意味。

私よりもずっとずっと色々な意味で、才能を持ち、能力的に優れている人なのに、魅力があって人にも好かれる人なのに、純粋で、人を陥れるような狡さもなく、弱いものを気遣うリベラルさ、優しさや思いやりを人にも動物にも生きるもの全体へ持っていて、我良しじゃないけど自分の好きなことがちゃんとわかっていて、直感力に優れていて真実を見抜く目を持っていて、つまり、本当に世の中で人になにか良いものを、価値のあることを人に提供できるのは、どちらかというと私じゃなくて、この人なんだけど。この人にそういう人生をやってもらいたいとずっと思っていました。そして本人にもそのやる気がなかったわけではなく。なのにどうしてか、必ずといっていい程、その運命の途上で、「なぜ上空に手が届いているここで」と…ポキっと梯子を折られる意味。

私なんかよりも、この人のほうが、どうして? レベルの難易度強と言えるテーマを持ってきていること(でもそれはもちろん「私から見て」です。違う人から見ればまた違うのでしょう)。
普通の人はまずあわない目に合う、本人に責任のない不可抗力の受け入れがたいことのオンパレード人生であればあるほど、それは一見不遇とも言えるのですが。「これは…きついよね」の課題オンパの人は、「それ、普通だろ?」レベルの課題の人よりも、きっとその過酷さを乗り越え受け入れられる予定だからそうなっている…わけなのです。
ですけれど。きついと思います。
今回クリアできたら人間卒業昇進かもしれない古い魂なのは(笑)きっと私ではなく、こっちなのでしょう。私のほうがずっとずっと幼い魂だと思います。
普通のこの世においてのわかりやすい成功とか幸せとかでは、きっともう魂じたいはそれらは知っていて、それじゃ満足しないぬるいテーマなんですよ、たぶんこういう人は(笑)。なんとなくそういう感じがします。

その難易度強とこれまでずっと一緒にいてもらえたからこそ、たぶん、自分は「飛び級」なのかもしれないし、自分の「テーマ」を「やらざるを得ない」ところへ(笑)もう、肚を決めてやるしかなくなり、それこそが私の潜在能力の発揮と、猛スピードの各種この世的スキル形成突貫工事に繋がって、「私の魂がやりたかったこと」に繋がっているのです。
それはわかっていたことではありましたが、もっと緻密と言える、計画でした。
それは、あまりに見事な展開でした。

囚われまで計算に入れている、囚われを持たせるよう仕向けている(笑)かのような。
そして私の経験においてはですが、たぶん、普通の人ならおそらく、大きな囚われとなりそうな常識的にはネガティブ経験が、むしろ本当は、その囚われの解放となっていたことや。
実はわたしはこういう経験をする動機となった彼に対し、愛憎半ばする悲観期間、恨んでいる時期、もあったのよ。自分で選んだ人生とわかっていてもね。常識的な男女の愛というような視点では「私はこの人に女性として大切にされなかった、犠牲にされたんだ」っていう悲しみみたいなもの、こういうものを積もらせる期間もあったしね。
その「解放されているのに、常識的ではない経験」への”常識のものさし”が自分にくすぶっていて。
でもこういうのをね、「石が解放してくれた」というのももちろんあります。
石はね、持ち主が持っている囚われを解放するための”きっかけ”となるような現実現象との遭遇もそうなのですが、この世にちりばめられている、解放のためのあらゆるヒントに遭遇させてくれるのです。
亡くなった樹木希林さんと内田裕也さんの関係性とかを昔観ていて。「なんか、自分とこはこれにちょっと似てなくないか?」と(笑)。
もちろん当事者じゃないので、そっくりそのままではないのだけど、昔、「希林さんのように、そうか、私はこう生きればいいんだ」って(笑)少しお手本にさせてもらったのよ^^。
娘さんの、先日行われたらしき裕也さん葬儀の弔事で、希林さんは生前「あの人はこんな私と出会ってしまったばっかりに」ってよく「申し訳ない」って言ってたようなんですが、時を経た今の自分は「まさにその気持がわかる、その希林さんの言いたい苦しさがわかる」って思いながら、私はまさにそれニュースで見たその日に『数秘術』リーディングへ向かったのです…。

(裕也さんは希林さんが迎えに来たんだなぁ、ってほんとにそうとしか思えない死期でしたよね。これ、昔、台湾の占い師さんだかが、当てていたよなってこと思い出しました。「二人一緒に死ぬらしいよ」ってことだったんだけど(笑)ほぼそのとおりだったな、と。これは母が癌で亡くなることもそうなんですがそれにより「あの父親を置いていかれるのが対処に困る」という娘さんの悲痛(笑)から、当たると言われている占い師に占ってもらったら、そう言われた、という話を何かで偶然見たんじゃなかったかしら…「人の寿命」ってほんとに決まってるし、それがわかる人もいるので、知ろうと思えばわかる手段もあるということです…道義的には教えちゃいけないこととして、わかっても伝えない占い師さんがほとんどでしょうが、それは相手によりけりで、教えてくれる人もいると思いますよ。まるの日さんもそうだけど(笑)私は他にもその正確な死期がわかる能力持っている占い師さんを知っているので、本当に大真面目に自分の本当の正確な死期を知っておこうと思ったら、その人に聞こうとは思っています)

だけど、すべて、段階であり必然であり運命だったのか…と。
そういう、ひとつひとつの「必然」を経てこなければ、こういうことだったのか、ってわからなかったのかもしれませんので。
(ちなみにこれはひとつも本人には伝えていません。聞きたいって思っていない人に無理やり聞かせても、というのがあるので。私にそれがわかった認識したということが大切なことで、結局ソレはエネルギー的に伝わっていくことで、それが僅かでも癒やしにもなるように思いますから。私はこれからも、「自分自身の祓い」と「自分の魂の青写真」に邁進します。それが直接的にではなくてもやはり彼の助けになっていることも得心できたので)

ムダに存在している人間など、一人もいない。ほんとうに、いない。
どれだけ孤独であろうと、この世的に役立たずであったり何もできていない運が悪いと本人や他人が思っていようと、です。
どれだけ本人自身が、自分の価値に気がついていなくても。
自分なんていなくなればいい、と思っていても。
こんなにつらいのに、どうして生きていなきゃいけないんだろうと思っていても。
必ず、その存在の深い意味があります。
そして、必要とされて、今そこに、います。

また、存在感や存在意義を常に自身において自信をもって感じているような人が、他者のことを「存在価値のないものとして見ている」のであれば、その人は、それがそうではないことを、いずれ知ると思います。

それでも。ここまで、わかっていても。
「他者を変える」ことは誰にもできません。
その人自身が、変わろうと、意図しない限り。
人は操作はできません。
「この人をこう変えたい」といくら思っても、それはできません。
「あの人が変わってくれたら、自分は変われるのに」というのは、やっぱり「自分が変わりたくない(テーマから逃げたい)言い訳」なんだな…ってことですね。

それでも、「人、ひとりが、まず、その人がちゃんとその人自身の青写真を実現することに精進し、自分であることを否定していない正直な生き方」をすることが…次第に、やっぱり、周囲、他者への影響を、与えています。

「な~んにも変わってくれない」なんて、自分勝手に思っていた相手が、「その相手の人の人生テーマを消化していくことを、スムーズにしていくこと」の、助力を必ずしています。
(ただこれも、「人間目線の自分の好みではない変容」だったりもするから^^とってもわかりづらいだけなのです。高次的には「よくできました」ハンコがもらえてるのに(笑)自分がそこに気づくセンスがないだけだったりします)。

「人を変えたいなら自分が変わろう」っていうスピリチュアルがありますが、これはやっぱり真実なのです。
変えたい人がいるなら、「あなたから変わる」やはりこれが最短の道だと思いました。
(でもその最短の結果は自分好みの最短の結果ではない、ってこともあるから。気長にね。このへんは、気付きとしてなかな~か難易度高い場合もあるけれど。あと、たとえば「人にもそう言われているのにピンとこない」ということもありますし、とにかく、とにかく、「自分がかけてる色眼鏡を外していく」ことのほうがずっと大切。つまり、やっぱり「あなたのありかたが大切」へ戻ってきちゃうのです(笑))


それとね…
この世には、「依存」は良くない、と、近年になって、より、「自立することが善い生き方、うまくいく生き方」的に言われる風潮ってありますでしょ?
何物にも依存せず、一人でも生きていける状態こそ、よろしいこと、のように。それが空気としてあります。
まぁ、いたしかたないですね。この世では社会人として当たり前に自立をまず求められますしね。

ようやく、男尊女卑の呪縛から(笑)脱していることが定番化してきた世の中なので、それはそれでいいと思います。
もちろん、自立ができている、それはそれで、実際に自立することは、いいですよ。お薦めです。何かと便利です。

しかし、人間は、本当に心底、「誰の力も借りずに生きている人」など(笑)この世にあっては皆無です。それは奢りです。

そして、正確には、「ただひたすら他者に依存することだけで生きていける人」というのも、皆無です。
この虫の良さそうな路線、これを当然のごとくに本気でやろうとすると、その人の人生はあんまりいい軌道には乗らないはずです。

(この、女性も自立がしやすくなっている良い時代ながらに、その反動からなのか、等の女子勢の中でそこに乗りたがらない^^「結婚して専業主婦になって、働かないで暮らしたい」という理由からの、永久就職おかかえ結婚をしたがるタイプの結婚願望を持つ人も一定数いらっしゃるようです。生活の安定保証が欲しい誰かに食わしてもらいたい、という甘えですね(笑)。わかりますよ。私だって(笑)過去にはできればそれが良かったなと思っていました^^。いっときだけそれを経験した時期もあるのですが、超パラダイスに思えましたし至福感満載の日々で、今でもその時の満たされた感謝感覚を憶えています。「平凡な毎日って最高だな」って思っていました。なので仕事したくない、仕事しないでいい専業主婦って素敵、って見える気持ちもわかります。でもそれは、主婦を甘く見ているからです。だいたいは子供を生むのが当然という風潮がありますでしょ。当たり前に。遊んで暮らせるわけじゃないのです。ほんとうに家事育児などもそうですし当たり前に家族仲良くの構造を構築する共同創造が好きな人じゃないと、人によっては地獄かもしれませんよ。それを支える主婦の仕事って、本気できちんとやろうとすると…実際は、けっこうタイヘンなものですよ。そして専業主婦の場合は「それが仕事」って多くの場合みなされちゃいますので、ちゃんとやっていてもそれが当たり前のことだと思われて特に誰からも感謝もされないことが多いです。旦那様を心から信頼でき尊敬できなければ、旦那様に見向きもされなくなれば、アウトですよ。孤独といえば孤独だと思います(だから孤独に堪えられる人のほうがむしろ向きのような気がします)。まぁそこで子供を手玉に取り旦那をハブるケース(笑)のようなあるある定番家族も構築できることもありますけれど、いずれ子は離れ旦那様とはどっかで向き合うわけですよ。「仕事するのが嫌だから結婚して楽したい」が根底にあると、主婦の仕事は…もっとも過酷になってしまうかもしれませんよ? 契約としては生涯契約ですからね(離婚という解消の方法もありますけど)。旦那様のことを本当は嫌いながら、キャッシュディスペンサーだと思って生きていくために仕方なく我慢している、という考え方になっちゃって我慢のつらい日々になっている人も、わりと数多く世の中にはいたりします。そしてそれは相手にも伝わるのか夫婦間が冷え切った関係性になりやすいです。「食わせてもらいたい」が主だとその同類になりかねませんが、それらをわかって「専業主婦になりたい」って思ってるのかな? 家事が大好きで家族が欲しくてあったかい家庭がつくりたくてそれを実現できるパパママ像として経済力と包容力のあるこの人!! くらいの感じで、「自分も素晴らしい家庭づくりに、一生懸命貢献します♪ そういうのが私に合っていてそれがハートの望み、喜びなの。それをこの人とつくりたいからなの! それを実現できるには専業じゃないと!」と本当に言えるのかな? って、「結婚=楽、幸せ」の考えの人は、自分の胸によぉく聞いて、もしまだそこには足りていない何かが自分にある、もしくは、自分の望みは厳密にはそれじゃない、自分を鍛えるが先とわかればそのほうが、その人に合った理想の結婚が近づく気がします)

そういう、「我良し生存のためのズルいっぽい依存」というのではなくて。
結果として、依存状態になってしまっている人もいると思います。
世に言うニートとか。ニートができるということは、誰かがきっとその人の人生を支えているわけですが。

感情としても物理的にも「この人が生きていない世界では生きていけないかも」という、実質、そういう精神依存状態であることを卑下する必要はないですし、それは赤の他人とか傍目から見れば、依存とか自立できていない人なのかもしれないけど、依存ではありません。プロセスです。

その見た目の状態を、依存だと決めつけ、自分や他者を固定の呼び方で縛ることから、解放してあげてくださいね。
それを「プロセス」にしていくのがテーマの人生の人は、無理せずに、そして常識に左右されずに、それが誰相手であろうと、家族愛なら家族愛、恋愛であるなら恋愛で、そのまま潔くラブラブどっぷり共依存関係を楽しんで肯定してみてください。
そうやっていくうちに、自律とはなんぞや? が互いに、能動的にわかってくるできてくると思います。

良くないのは自分や相手を型にはめ、自分たちは常識的な水準ではないとレッテルをつけて、負の現象に振り分けてしまい、相手は私を幸せにしてくれない人、であったり、私は相手を幸せにできない人、であったり、何かを失敗している…って決めつけちゃって、そこでとどまろうとしてしまうことかなと思います。

この世では、自分や他者から見ての同意が得られそうな好ましいバランスがある状態を「愛」と呼び、そうではない状態を「依存」や「執着」や「くされ縁」や「お荷物」などと振り分けますが(笑)、実際はどれも似たり寄ったり紙一重で、ほんのちょっとの違いだと感じます。

また、依存することは、当然の「権利」でもありません。誰しもそれを依存したい対象に、それを強制することはできません。
それは、父母や配偶者などの、「扶養者」に対してであってもそうです。
(「子供の頃に親の愛がなかった」などと親のせいにするスピリチュアル系にいっときハマっても、必ず気づくと思いますよ^^)
その逆に、父母や配偶者などの立場でも、厳密には、相手の人生に責任を追うことができないです。
(結婚制度は、その「強制力」を生む制度なので、誤解しがちですが、誰にも誰かを縛る、生き方感じ方を義務付ける権利は本当はありません、というよりできないですし、「責任を取る」義務もこの世では家族制度においては法律なので表面的にはありますけれど、「誰かの人生の責任を追う」ことは、実は誰にもできないのですから)

まぁ、依存の合意が、この世の「愛の変形」とも言えるかなと。
そうしたいなら好きにくっついてていいというか、それも心底認めようと思いました(笑)。
それはそれで、この世で「いたしかたなく離れられない人がいる」なんて、経験としては悪くはない話です。
(一般的にはこういうのを運命とか愛だとかいうのでしょうけれど…個人的には、ええとそういうラブロマンス系ではない感じ(笑)なんですよ。ええ。説明が難しいですけれど。でも今思っていることは、「いちばん近くになんとなくそばにいたのに、いちばん遠かった人」にはならないように、いちばんの理解者である努力はこれからもしようかなと思っています。そうですね、ガイドに過去に言われた「ワンコなら掛け値なしで愛せる」そのように(笑)。)


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すべては決まっている

2019年04月05日 (金) 22 : 35
スピをかじるとぼんやり知ることなのですが、「すべては決まっている」ので「運命は変えられない」という話があります。

連日続いていたリマさんの「数秘術」の話から繋がるのですが。
(この、「人生全体からの俯瞰」が可能な数秘術は、ちょっと他の占いとはわけが違う点があります。ちみちみと、なにか事あるごとに占いに走っている人なら(笑)むしろ、さっさとこっちを知るほうがスッキリするかもですよ)

私はこの「すべては決まっている」について、漠然とそうなのだろうなと思いつつ、「そうじゃなかった可能性の生き方もある」のも事実ですし、選択によってはだいぶ違ったことになっているはずなので、そのあたりが、「?」でもありました。





これは… 

確かに「すべては決まっている」に軍配かなぁ、と実感がありました。

ですが、「運命は変えられない」ではなく、「運命は変えられる」のが事実です。

正確には、「すべては決まっているのだが、仮にどこかで「運命は変えられる」とその人が知り、行動して、運命チェンジするであろう流れ、そこまで綿密に計画されている」…ような感じがしました。

なので、「運命は変えられない」も「運命は変えられる」も、どっちも正しいです。

「生まれる前に決めてきた運命の青写真も変えられます」「カルマは存在しない」という話もあるような気がしますが、それはたぶん「生まれる前に決めてきた青写真を途中変更することまで決めてきた」「カルマフリーの道を選ぶとどうなるかの人生を選ぶと決めてきた」ということではないかと思います。

変えられないのかもしれないな、と感じたのは、その人の「人生のテーマ」ですね(笑)。ここの変更は難しいのかもしれません。
魂の約束は、自分がわかっているので^^、きっと、この部分をどんなかたちであれ、果たしていない状態でいる、実現しようとしていない状態でいると、人はモヤモヤするんじゃないかな、って気がします。

それは、「今回の人生で挑戦しようと決めてきた、ちょっとその人にとって、チャレンジなこと」である場合も、やっぱり多いのかもしれません。
基本、この部分には、必ず多かれ少なかれ、未知のチャレンジ要素があると思います。





そして、実は人の運命とは、

「あの時、あれを選択しなければ…」「あの時の自分がああじゃなかったら」や、「あの時、あの人に出会わなければ」「あの時のこの人がああじゃなかったら」…的な後悔、失敗、的な「取り返せない」から悩む、運命を分けた岐路のようなものがある人にはあると思いますが…。

今回思ったことですが。

仮に、その後悔していることをセレクトしなかったとしても。
今とはぜんぜん違っていた”はず”なのに、と後悔しても。

たぶん、それならそれで、だいたい似たり寄ったりの(笑)課題そのものに誘導される、事案はあったかもしれないです。
なんとなく、どう生きようと、ここは避けられないもの。だと思います。

これは、自分だけではなく、「自分にかかわる人」も同様です。

他者を自分の運命に巻き込んでしまっていること。
自分が他者の運命に巻き込まれてしまっていること。
私じゃなければ…この人じゃなければ…の世界ですが、これは、究極「そのせい」ではないのね…と言えると思います。

誰のせいでも、ないです。

たとえば、病気などで。家族に迷惑をかけてしまっている。物理的に大変な思いと労力などの負荷をかけてしまっている、など。
自分の過失、失敗、それにより、周囲に大損失を与えてしまった、など。
申し訳ない思い。こんな自分、いなければ良かった、というようなことなど。

この逆に、家族にどうしようもない者がいて、それが自分の人生の負担になっている、身動きができない、など。
他者の過失、失敗、それにより、多大な迷惑とそこからの巻き返しをやむなくされてしまっている、など。
しかし場合によっては、こういった当事者に責任意識すら、謝罪すらない。
しかし、自分は、大きく人生を狂わせているのに…相手は、へたをすると、幸福になっていたり。

少し、極端な例をお出ししましたが。

こういうもののひとつひとつが…

誰のせいでも、ないのです。

もし、こういったものに、あなた様が心を煩わせているのであれば、「びっくりするくらい、それが不要」である。と言えます。

自分のせいだと気に病まないでください。

そして、誰かのせいだ、と誰かを責めないでください。





あらゆる意味での「後悔」「もし~たら」に囚われる必要がないのです。

なぜなら、起こっていることは起こるべくして起こっている…「あなたが、誰もが、青写真を、生きるため」の演出と言えるので。

でね。
どうせ決まっているなら。
流されていったら、いいんじゃないの? そのままでも、いいんじゃないの?
変えられないんだもん。…なのですが^^。
まぁ、それでいいなら、いいんです。
すべてを受け入れられる、ハッピーな人生を邁進できている人は、それでいいのです。

で、その決まってるイベント。これはどうあっても、そこへ流れます。
これに対する、自身の「反応」をどうするか、だけなんですよ(笑)人生。

そこで、「高次に繋がると何がいいんだい」っていう、ここが彼らの出番なのですけれど(笑)。

ただし彼らはですね…なんと、「人生の過程でその人がつくる囚われ」まで(笑)計算に入れているとしか思えない…というか、この世目線では「ネガティブな囚われ」すら、その人が人生テーマに進むための必要要素として、設定している気がします。この観点から「毒親」も説明できますし「不遇」も説明できるところはあります。「なんでこうしちゃったんだろう」もそうだし「なんでこうできたんだろう」のすべてが^^下手すると、ある程度、予測済み的なところもあるのかもしれないな…と、思います。

へんな話、どれだけ不良っぽさに憧れてああいうふうに自由な人になりたい…って不良になろうと真似しても(笑)それがテーマにない人は、グレることさえできません。
(外側要因などで子供が不良化したらどうしようと、親は恐れるようですが、ほぼほぼそれはないです。親から見てそう見えることもあるかもしれないんですけど、「その予定」にない人は、朱の中にいても、朱に交わることそのものが(笑)できませんから。不遇な条件で生きてきても、たとえ親が毒親であってもその毒に染まらない方も、多いでしょ? そういうものです)
そして、もともと他人から見てもそうだし自分から見ても、ソコソコ幸福と言える人生なんだけど、なんかそれが退屈な感じもあって、満足のいかない人生脱却のために、あれこれやってみるんだけどしっくりいかない…自分が成功する道がわからない…みたいなのも、尺度をどこに置いているか? その軸がぶれている限り、「幸福になる」ことはないのですけれど、実はへたするとそういう人は、「今のママで流れの中でそれを見出していくことが可能なのに外側変えようともがいている」いわゆる幸福の青い鳥系であることもじゅうぶんあります。





どのみち、人はそれぞれ「テーマを進む」ことは決まっています。
(これを自分で決めてきた、と表現するスピリチュアルもありますが、正確には、ハイアーセルフとの協議の上、決めてきていると思います。でも「できる?」って聞かれて「やります!」って決めているのはたぶん、生まれてくる本人です^^)

高次ロードに入ると、そこへの、その人の「当事者意識がスムーズになる」のです。

わかりますかね?

これがあると、「やらされている人生」から、「自分が人生を切り開いている」的(実際はすべてがそうではありませんけど)な、スムーズな流れに乗っていくことができるようになるので、仮に、「タイヘン」である現実は変わらなくても、それが「まぁ、これで、いいんだろうな」ということになっていくし、そういったタイヘンに見えることを「ものともしない精神」「おもしろがれる精神」が鍛えられたり(笑)そこから本人にとっての、また、周囲にとっての意味のあることを見出したり、見出させる助けになったり。

そういうものを経て、気づけば、現実がとても楽に感じられるものになっていきます。
(経験が何もムダになっていない、ことがわかってくるのです)

私は、今回、リマさんの『数秘術』のセッションを受けて、この「自分においては、そうだと言える」部分が、他者にとっても同様に「本当にそうだと言えるのだろうか?」という点において…もしかすると、本当には自信はなかったかもしれません。

つまり、「自分のやっている仕事」についても、どこかの部分で「これで本当にいいのだろうか?」という疑いも(笑)なかったかといえばきっと嘘になります。

こんなもの高いお金出して買ってみたけれど、たいして現実なんて変わらない。ばかみたい。
お客様に、そういう印象しか与えられないのかもしれない。
そんな価値の無いことやってる、独り相撲で、自己満足なのかもしれない。
無駄なことを繰り返しているだけなのかもしれない。

そういう「疑い」をも晴れるという、おまけ付きでした(笑)。

そしてまるの日さんのところのアファメーション、
「私と私にかかわるすべての存在がもっとも良い状態になりますように」が、ほんとの意味で、「お題目じゃない」のだと、そう思いました。
(これ、どっかの部分で、時々、氣が抜けた(笑)綺麗事のお題目になるところがあったんですよ、正直ね。ほんとに思ってないのに繰り返す呪文のように。でもこれがやはりこの世においての(というより宇宙、その先含めて)遠い先の実現目的としても、人の「縁」「存在理由」はこの調和のためにあるものだと思います。あ、この「良い」は必ずしもあなたにとっての都合の良い、とは限りませんぞ^^。高次目線です。すぐには理解できないかもしれないけれど、それでも、です。だけど、高次に繋がると、必ずそれは理解できる日が来ます。ちゃんとそれを素直に本人が求めれば「わかりやすいように」高次がナビしてくれますので)



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カテゴリ :  高次ガイダンス
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万象我師

2019年04月04日 (木) 20 : 53
万象、我が師。
その人を取り巻く環境、縁、これらすべてが「師」ですね。
今日はつくづくこういうことを感じていました。





私は、今の仕事を続けてきて、日頃これは常に感じていることではあったのですが、改めて感じ入っておりました。

「私は、お客様に、恵まれすぎている。」

ほんとうに、ずっと、そうでした。

昔のブログ記事にしたこともありましたけれど。

「なんか…石、必要なくないですか?」と(笑)私から見て、どうしようもないレベルの欠陥商品のような(笑)人間的に崩壊したタイプのお客様に、出会ったことがないです。

石がなくても、じゅうぶん人生イケてますでしょう? なのに、なんで買ってくださるのかしら? なんで?
みたいに、この世的にちゃんと歩んできている、自律し、問題なく、生きてこられていらっしゃいますよね?
変な突飛な我良し欲もあんまりなくて、淡々と、ご自身を生きておられながらも「もやっとした」浄化されていない感情そのものは、あることをわかっていて、苦しんでいらっしゃるのだろうな…と察しが付く感じというのか。
それでも、なんとかそこに振り回されずに、ご自身のやるべきことは責任持ってなんとか成そうとしている。
…という、どちらかというと、尊敬できる方のほうが多い気がします。
この世的に見ると、どう見ても、尊敬できるレベルのみなさまが、ほとんどです。

「うわ~…この人ちょう偏ってるな…こりゃ、石以前だろ…お手上げだな…」のような、そうですね…自分が出会っていないので例えられるものがないんだけど、しいて言えば「ちょっと考えられないレベルの、おかしすぎるママ友」だとか(笑)いわゆる、妬み嫉み僻みから本当におかしな価値観持ってしまった、自分さえ良ければそれでいい、的な行動しかできなくなっているタイプの、そういう系統の人がいないです。(こういうおかしいのに縁を持ってしまい、疲弊しているお客様ならいますが、そのお客様ご自身がまさにこのタイプだろ、みたいな方であることは、まずないです)

スピリチュアル仕事をしていると、とんでもないのに出くわす苦労話みたいなものも、耳にしたり目にしますが。
私も、もちろん、ゼロではなく、「こんな人もいるんだ」に遭遇したことがなかった、というわけではないのですが。
見事に、速攻離れていってくださっています。煩わされたのうちに入らないレベルかと(「モリオンすげ~!!」の話とか^^ありましたが。速攻の「祓い」に驚いた…って事件などがありましたが。まぁ、数えるほどです、そういうのも)。

だから、出会うお客様に翻弄され、もうスピ仕事が苦痛になってしまった…のような、キャパを超えて疲弊するヒーラーさんのような、いわゆる、「相手の負荷、ネガティブなお荷物を自分が引き受ける」的なものへの抵抗感から、自分がつらくなってしまう自己犠牲感を持ったことが、ありません。





こんなことをつらつら考えていたら、空に祝福のUFOが(笑)。

私はクレアボヤンス能力は結局イマイチのままなのですが(笑)ほんとに、いっつも、こういうの肉眼で見せてもらえる(笑)「わかるように、示してもらえる」という…大変ありがた~い現実をいただいております。
(まるの日さんとかクレアボヤンス業界(業界ってなんだよ^^)の先端を行ってるような方は、逆に肉眼で「UFO見ない」らしいですので、おそらくUFOには懐疑的な方のようですが(笑)私はもう、これぞ、たびたび本当に見ちゃっているので^^どうも否定できません。三次元時空間でも物質化したUFOは存在しなんとかうっすらですが写真にも撮れたりします。まぁ、だからそれがなんなのだ、と言えばそこで終わりですけど。私がUFOを見るタイミングは、だいたい傾向として、「超えたね」「よく頑張ったね」という内的外的一仕事が、とりあえず一段落して、ほっとした時、解放時です。みなさまにも、きっとこういう「高次プレゼント」的な「しるし」のパターンってあると思いますので、ご自身のそれを探してみてください)

自分にとって「なんて恵まれているんだろう」と思えること。
これは、どんな人にも、必ず、あると思います。
他者との比較でも、かまいません(笑)。
ご自身のそれを探してみてください。必ずあります。あるはずです。
(スピリチュアル的には、「他者比較の必要のなさ」というのはありますが、それは、自身を見出す過程においては無理しなくていいことです。利用しましょう。但し、ここで、自分の恵まれている点を他との比較において「優越感」や「劣等感」へ持っていくことは避けてください。どちらも意味のないことですし、これを持つことは、あなたを遠回りさせます)

私だって、「自分はお客様にとっても恵まれている…なんで?」というのは、普通なら、とんでもないお客様に翻弄されて疲弊するスピ系仕事の人も、わりとざらにいるみたい…っていうこととの比較においての「なんで?」でもありますから。
私はこういう系統の不満というか、ままならなさを、経験してないのです。
なぜなら、すばらしい人しか(笑)その方の本質方向をその方自身が見出していけるような見込みのある人しか、うちの石アクセサリを欲しいと思って買ってくださる方はいないから、です。
そういう方が、うちの石アクセサリを、買ってくださいます。
これは…凄いことだと思います。
狙ってそうしているわけではありませんけれど、現実がそうです。

たぶんそれは、私自身思うことなのですが、「よっぽどの人以外はほとんど許せるし、認められるな…なぜなら、自分だって最低の歩みだったのを赦されているんだから」という(笑)もう、消せない汚点を持っているから(笑)というのもあるかと思います。
自分自身がそうなので、あまりにも、みなさまが素晴らしく観えます。
そして、私にできたんだから、確実に人は浮上できますし、そもそも「あなたの魂の望み、本質を生きれば、絶対に駄目な人なんていない」と思えますし、「今までがどうであろうと、大丈夫、イケますよ」と言えます。
そして、はからずもですが^^「常識的観点からの呪縛」という(笑)そもそもが、もともと、この世で人に自慢できるようなものを、持たされていなかったですし…そこからの勝負を生きてきての、経験値というのもあります。
(なので、申し訳ないけれど^^うちの石アクセサリは、一般的な意味で言う、その人の表面的なエゴ観点からの満足を得るラッキーや出会いなど、「この石を持ったら絶対に幸福になります」的な、人間の依存心を掻き立て絵に書いたような我欲をそそる幸福像へと牽引できるかどうかについては「?」です(笑)。ですが、必ずや、「これで~いいのだ~」へ連れて行ってくれる、その人にとっての幸福というのか、高次ロードの気付き、段階を踏んでいくことを手伝ってくれる、そういう石アクセサリです)
私は人間のそういう部分を、自分の経験上信じているので、「大丈夫、もう、ぜんっぜんイケてるじゃないですかぁ!!」という「石という、あなたのための心強い味方」を得れば、その後押しでイケてしまう、そういうお客様とのご縁がつながりやすいのかもしれない、と思います。





そういう意味でも、人生すべってきて、本当に良かったのです^^。
正直なところ、世の中でわ~わ~批判されているような類の話(コカインで捕まったピエールさんだとか、清原さんだとかその手合い)など、いったいどこが罪人なのか、って思いますよ。
ただ、薬物依存のようなものとかは、その本人はそれでいいのでしょうけれど(アル中なんかもそうですね)、そうしなくても、自分を解放できる方法はあります。
本人が心底求めれば、必ず、高次の手引きが始まります。
それを知らない、仮に知っても理解したくない、受け入れたくないだけですね。
誰しもそうですが、「否定されること」ってどんなかたちであっても(否定されているわけではなくても)受け入れがたい、それが当たり前ですから。
そういうタイミングは、人によっては「今世」ではないのかもしれません…。
そのくらい、気長とも言える、「全人類アセンション」を受け入れます(笑)けど、いずれ遠い未来には、人類全体はちゃんと意識進化した存在となる日は来ます。そこは信じることはできます。なんとなくですが。
石も、高次の手引き、そういう中のひとつです。”石じゃなきゃ”っていうことではありません。あまたのスピリチュアルメソッドなども、その手引きの中のひとつであり、極論ですが「スピリチュアルでなきゃ」というわけでもないです。
生きてるんだし、この世にもうそれらは存在しているのだから、それを「知らない」で「本人がなにもしない」ままでいるのはもったいないかな、って思うだけです。
(自分がなにも求めず、なにも良くなっていかない、って文句を言い続ける、おかしな運命に翻弄され、果ては諦める…本当の諦めの境地に至れば、実際のところ「納得できる」はずなのですが、その納得ができないからもがいている…のであれば、苦しくても「そこからできることを、一歩一歩」やるしかないので)
でもそれは誰にも”強要”することはできません。
すべては「その人次第」であることも、実際、この世で(あの世でも)「平等」と言える点かな、って思います。

私が思う「よっぽど」の人は、前に記事にも書いたことがありますが、その人の欲望のためや快楽で人を陥れて他人の人生を全否定し、破壊する、快楽殺人のような理解を超えた世界を自分の楽しみとして、現実に当たり前に行えるようなタイプかな。
仮に殺人そのものは現実に起こしていなくても、それに等しいことを、なんら接点のない相手にも当たり前にできてしまえる神経を「本人みずからがその本人である状態を完全肯定している人」を、どうにかできる、と言い難いところはあります。
(でも稀と言えるこういう存在も、高次的に見てしまうと意味はゼロではないのですが。ここまでではないとしても、「ぷちレベル」ならザラにいそうですしね、今の世の中は…。個人的感情としてはまだその理解はできないところですね…って、だからって、そういう人に遭遇したいわけじゃありません^^。たまたま、現段階ではそういう度を超えた人には遭遇していない、つまりそれは自分にそのキャパシティがないからですが。遭遇したらしたで、きっとわかることはあるとは思いますけれど。映画とかを見ていると、スプラッター系って多いですよね。ゲームなども擬似殺人みたいなのって多いですが、ああいうものは、多くの人にとってたぶん無意識に「祓い」の役割をしているのかもしれません。現実でそれを起こしてしまわないように、仮想空間でその無意識の欲を解放している、そういう役割あって、残虐なタイプの映画やドラマやゲームが、まだきっとこの世にあるんだと思います。とんでもないことなんですけれど、おそらく人間の中には、「私には絶対にそんな要素はない!」と言ってしまえる人ほど(笑)実はそういう要素を持っていたり、っていうのは、あるあるですから。私にだって綺麗事を言いつつこの要素はゼロじゃないのかもしれない、って思います。弱い者いじめをする人、人の苦しむ姿を喜ぶ人、人を蹴落としたい人、人を批判したい人、人をなきものにしたい人は、その人自身が弱いものであり不幸であり人に蹴落とされ批判されなきものにされたい、そういう苦しい人生をみずから望んでいることと同じ意味になってしまうことをきっとまだ知らないでいるのです…そう感じます)



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