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今更ながら、ローズクォーツ

2006年04月01日 (土) 08 : 24
ローズクォーツをGoogleイメージで検索

このブログで、石のことをごちゃごちゃと書いているのですが、気がついている方は気がついていると思うのですが、私は「恋愛系統」の石のことはあまり書いておりません。
というか、ロードクロサイトとかアメジストとかピンクオパールのことは書いたけれども、「この石が異性を惹き付けますわよ♪」みたいな書き方をしておりませんので、いったいどの石が、「恋愛にいいのか?」が、非常にわかりづらいパワーストーンブログとなっています。

恋愛っていうのは、私は「霊の修行」のひとつ、じゃないかと思っています。
自分以上に大事な存在と思える対象が存在するのだ、というものを知る経験、心というものは自分ではコントロール不可能なものであることを分かりやすく知る経験、どんな目に合おうと、相手を恨まない出会いそのものを後悔しない、人を赦すことを覚えるための苦行、自分自身のありかたを勉強できる、とてもいい機会、それが恋愛。ですかね。
で、数をこなしたり、たくさんのタイプの異性を知ることがその魂の向上を助けるのかといえば、それは「その人しだい」としか言い様がない話です。
「数は無関係」ではないでしょうかね。たくさん恋愛をしてきた人が、必ずしも人間として鍛錬された精神性の持ち主かと言えば、ただ似たような切った貼ったを繰り返しているだけの場合もあり、何の経験をしようが、学べない人は学べないし、一度経験しただけで、十回それをやってる人を超える人もいますから。

男女の愛で気をつけなければいけないのは、男女の愛というものが、この世でイチバン崇高な愛でもなければ、自分達だけが何か特別な運命に導かれて…とか、そういう「特別な恋愛など、宣伝されているほどにはナイものなのだ」ということを、寂しいけれど、あらかじめわかっといたほうが、いいということだと思います。
傷つくとかつけられたとか、そういうのは、全部自分が演出してやっているだけの話。
(その困った自己演出の「酔い止め」にはアメジストが良いそうですが)

という私のゴタクは置いておいて、ローズクォーツは昔から「恋愛成就の石」とか、「愛の石」「失恋で傷ついた心を癒し新しい出会いを生む石」とか言われてきました。
水晶ファミリーのピンク色のクォーツですが、実はこの「ピンク色」の発色の要因は特定されておりません。こーーーんなに広く出回っている、ありふれたローズクォーツなのに、そうなのです。実はそういったミステリアスな要素があるのです。
ローズクォーツが常に恋愛石の定番の地位でいるのは、単純に、ローズクォーツを身につけると女性らしい空気を身に纏うことになるので、それだけ「自分を女性として、出会う男性に意識させる演出」が出来るから、っていうことなんだと思います。

その女性らしさとはなんじゃらほい、といえば、優しさ、寛容さ、などに代表される、のんび~りとした綿菓子系…と、私は昔はこういうのすっごく毛嫌いしていたんですが、別に恋愛がどーのこーのというような、異性の目など関係なく、ローズクォーツ系の「愛」っていう要素は、人間には必要ですわな。
愛は寛容である、は聖書の言葉ですが、まさにどんな奇麗事を並べてみても、「寛容」の前には勝ち目ないですよ。

ローズクォーツを、そういった恋愛のための石にしているのは、人間側の都合で、実際のローズクォーツさんは、ただただ、私達に「与え受け入れる愛」ってものを実行なさって教えてくださっているだけのようです。
この石に同調できる人は、それだけ人間の器も広がるから、新しい出会いやら何やらが生まれるんじゃないでしょうか。
しっかり「古いもの(自分の「この人しかいない」というような思い込み、後悔、嫉妬、コンプレックスなど)」を握り締めてそれで自分の心を満たしている人には、「新しいもの(新しい出会い、可能性)」は手にすることはできないのですね。
「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」って、イエス様も言ってます。

素敵な思い出づくり、写真に残すためだけの恋愛であれば、それはおそらく相手にとっても同じこと。自分だけに都合のいい恋愛など、それは「自作自演の、自分しか見ていない滑稽な芝居」みたいなものでしょう。
そんなもんいくつもあっても、結局全部いらなくなりますよ、それ。
なぜならば、私自身も遠い遠い昔に、そういう道を多少ですが歩んできた歴史があるからです。経験者は語る、ですな^^。
写真や、どこへ行った、何して遊んだ、なんて記録の中になんて、真に自分にとってこれがホンモノの恋愛だった、などというものは残りませんよ。
そもそも、「恋愛」を「美しい恋愛」のままで凍結するための手段は、「実らぬ恋」にしかないのですから。実っちまったもんは、必ず何かしらの実、種が生まれます。
それがいつまでもスイートな恋愛のまま、っていうのは、夢物語だと思うし、スイートでいたければ、それ相応の努力と美学が必要。
でも、なんとなく疲れそうな人生ですがね。
(もう死んじゃったけど、小説家の森瑶子(こんな字だったっけ?)さんとか、あーんなおばさんになってもあんな気取った恋愛小説だったのかー、って、今から思うと、なんか可愛そうな女の人だったんだなー…と思うもん。)

恋多き女、は見方が変わると惨めなもんですよ。
若い時はそのあざとさ、徒っぽさに惹かれるんですけどね。でもそれは永遠ではないのだな、ということです。
でもそれが悪い、とは申しません。それも人生だし、美しく咲き誇る自分を信じられるのなら、なんでもいいのです。

私自身は、ローズクォーツは昔からアクセサリーとしては大変苦手な石のひとつでしたが、原石は大好きで、時々その美しい桜色に見惚れています。タンブルやビーズなどの磨きがかかっていない、ごつっとした原石のほうが美しい気がしてしまうんですねー。この石に関しては特に。
ローズクォーツのアクセサリーっていうのは、持ってはいても、ほとんど身につけませんが、最近は緑のクリソコラや、ルビーインゾイサイトなどと組み合わせた、緑色とのカップリングものを作ってみて、で、ちょい好きになってきました。
ローズクォーツ単体では、まず身につけないですねー。

そうそう、「恋愛に良い石」ですがね、
それは、「その人らしさを引き出してくれる石」が、何よりの「恋愛石」になるんじゃないでしょうか。決定版などというものはないと思います。
なので、恋愛石を探すのであれば、「自分がなんとなく好きな石」で十分だと思います。あんまり好きじゃないのに無理してそういう系の意味のパステルカラーのパワストアクセなんかしても、どーせ「石に嘘はつけない」ですから。自分に嘘はつけないのと同義語です。

よく、いくつになっても結婚しても「女として見てもらいたい」とか、「女として愛されたい」「女としていつまでも綺麗でいたい」とか言いますが、それは大丈夫ですよ。
性転換手術でもしない限りは、死ぬまで「女と生まれれば女」ですので、女としか見られませんし、女としてしか愛されませんし、女としてしか綺麗でいられません。
女というのはないものねだりなやつらで、女として愛されりゃ「人間として対等に向き合って欲しい、女として見て欲しくない」などと抜かし始めたり、ほんと、しょうもない生き物だと思うことがありますね^^。
自分もその女ですが。


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感謝の石、ジェダイト(硬玉翡翠)

2006年03月04日 (土) 01 : 12
硬玉翡翠をGoogleイメージで検索

ジェダイトをGoogleイメージで検索

 ジェダイトとは、硬玉翡翠のことです。
 ミャンマー産のものが宝飾用として流通していますが、日本でも採れる石です。
 ジェダイトは、パイロクシーン「輝石」グループに属した鉱物で、ネフライト(軟玉)と共に、ジェードという総称で呼ばれています。
 この、「ジェード」という呼び名が曲者で、「〇〇ジェード」という販売名のついた石があまりに多いため、ニュージェードまで翡翠だと思う人もいるんじゃないかしら・・・と、冷や冷やしていますが、頭に何かしらがくっついたジェードは、翡翠とは別のものです。
 石を売る側が、そういう「イメージ戦略」をしているだけの話。
 こじゃれた名前、高級感のありそうな、「翡翠の威厳」を拝借しているだけ。
 巷でも、こういう「虎の衣を借る・・・」は、よくある話ですが、その典型とも言えましょう。

 ジェダイト(硬玉翡翠)というのは、とにかく歴史ある石の中でも特別な石、という立ち位置に常にある石です。特に、東洋での歴史の古い石。
 日本でも、縄文時代に勾玉として使用されていた歴史があり、まだ魂の曇りのなかったこの時代、つまり神界との意思疎通ができていた頃のこの時代に、翡翠を使っていたという意味からも、意味深い石だなー、と思わされます。
 独特の質感を持った石で、そういった歴史的背景の特別な意味を持つわりには誰にでも馴染む石の代表格でもあると思います。
 色々な色があり、代表的なものは緑色ですが、ラベンダーカラー、暗緑色、赤、白、黄、茶などのバリエーションがあります。

 一般的に言われている意味は、強力なお守り石的なものが多いです。
自己を客観視する力を授け、忍耐力を養う。など。
物事が自分にとって上手く運ぶのを手助けしてくれる幸運を呼ぶ、なんていうのもありますし、石売りのお店によっては、「金運」を声高く叫ぶところも。(あ、でもこのショップって、びっくりするくらい、どの石も金運に結び付けてモノを語っているので、そこのサイトの石の説明の記述を読んでるともう可笑しくって笑っちゃいます。サファイアとかタンザナイトとかモルダバイトとか、値段の高い石は全部「金運アップ」なんだもんww
でもその店は、石のグレードを考えると価格的にはかなり抑え目なので、許します。石の意味の説明はともかく、小粒のハーキマー数珠繋ぎネックレスだかブレスレットだか忘れたけど、買っちゃおうかなー、って思うくらいかなり価格的にはサービス感あったし。でも、私はそれをバラして使いますけどね。ハーキマー数珠繋ぎなんて、ふらふらになっちゃいますよ、まぢ。)

 私は、翡翠は「感謝の念を思い出させる石」だな、という感覚です。
 すべてが、ありがたいのだ、という感覚になってきますね。
 まぁ、値段も高いので、必然的にありがたや、って気持ちになってるだけのプラシーボ効果と言われるのかもしれませんが、そうだとしても、それでも翡翠なら、私は「多少高いけど、ちまちましたもんいっぱい買うなら、これひとつでいいんじゃない?」って、限られた予算の中で石を買いたいけど、どれにしよう?って迷っている人がいたとしたら、そうお薦めする石ですね。

アクセサリービーズ加工された石やオブジェは、つるん、となっていますが、原石は河原の石みたいな感じで、東急ハンズの鉱物コーナーなんかで、タンブルなら200円、ちょい大きめの原石は1000円くらいで買えますよ。
ブレスなんかも、自分で作る気があれば、6mm玉40cm連で5~8千円くらいだし、誰かと分ければその半額なので、いいものを求めれば値段は上から下までキリのない石ですが、ちょっと手間かける気になれば、そんなもんで手にすることができます。

 そうそう、翡翠は「人から貰うとパワー倍増の強力なお守り石になる」って話もあるんですが、私、昔OLだった時に、上司に貰ったことあるんですよ。中東へ出張に行ったおみやげに、翡翠のロングネックレスを部署全員の女の子に、買ってきてくれたんですね。その上司は海外出張へ行くたびに、私ら部下の女の子にそういったアクセサリーをいつもおみやげに買ってきてくれる方だったのですが、私はそこが社会人経験始めての会社でしたし、上司ってそういうもんなんだと勘違いしてしまうほど、女性スタッフを戦力として大事にしてくれる方でした。(後になって、そんな至れりつくせりの上司など、そんなに世の中にはいないことを知りましたが)

で、当時の私には、その翡翠がどういうものかよく分からなかったのと、やはり若かったからなのだと思いますが、「翡翠ってババくさ。」という印象でした。当時大先輩だった30代の女性は大喜びしていましたけど、だから翡翠っておばちゃんが喜ぶ石なのだ、って、感じだったのかもしれません(汗)。
その頃の私には、宝石というと、「透明な光る石」で、こういう「光らない石」っていうのは、魅力的に思えなかったのです。
というか、単純にガキだったので、「見た目の綺麗さ派手さ」重視の年代でしたしねーーー。
いいモノがわからない、というのは、恐ろしいことです。
今は、「翡翠は大人の女性に似合う石」だと思ってます。
子供にはいらない石でしょう。身に過ぎたモノを、子供は求めないほうがいいと思います。

当時の自分のそのガキっぷりのためか(というより、本当に感謝の足りない人間でしたね)あんまり愛着が湧かず、その翡翠のロングネックレス、いつの間にか、どっかいってしまったんですよーーー。
人から貰った強力なお守り石が。
まぁ、私の当時の人格が偲ばれる思い出話ですね。
本当に、私って、信じられないくらい「高価な石」「価値があるといわれている石」を、折々で紛失してるんですよね。今までの人生で。
それら紛失の歴史は、その都度、私のエゴをたしなめる天の知らせだったのだなぁ・・・と、ずーっと後になって気がついて、その挽回に必死なのですが。

こういう経験もあるので、翡翠は私にとっては「感謝を思い出させる石」なのかもしれません。


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アベンチュリン

2006年02月18日 (土) 11 : 15
アベンチュリンをGoogleイメージで検索

和名は砂金石と言います。別名インド翡翠とも言われますが、翡翠とは何の関係もありません。
ヘマタイトやゲーサイトという鉱物の細かい結晶のインクルージョンによって、アベンチュリンレッセンスというきらきらと光る効果があります。
昨今、巷で出回っている「アベンチュリンクォーツ」というのは、このアベンチュリンレッセンス効果がフックサイトという鉱物の細かい結晶のものがほとんどのようです。なので、元祖アベンチュリンとは微妙に違う石ですが、アベンチュリンって呼ばれています。確かに、昔買ったアベンチュリンは、なんとなく茶味がかっていて、色が濃い緑だったのですが、近年ものは、薄いものが多いみたいですね。

アベンチュリンは、その緑色が示すように、愛の石。
愛、といっても、ピンクのローズクォーツ的な男女感覚ではなく、懐の深い愛。
この「愛」っちゅう言葉は、男女絡みの場合は使いやすい言葉なんですが、私の私見ですが、男女の愛ってのは、本来の「愛」の意味するところから、いちばん遠く離れたもののように感じますね。

私は作詞家なんで、そういう「オトコとオンナがらみ」の歌詞はたくさん書かされた、いえ、書かせていただいてきたと思うのですが、いっつも心の中で「けっ」みたいなところがありましたね^^^。
不倫の愛を書いてください、とか言われて、「そんなことしてても空しいだけなのにさ、そういう偽モノに酔いしれていても、フェイクは昼間の太陽の下じゃ、石ころなんだよ」という内容の「FakeStone」ちゅう歌詞を、どうだこのやろ、と書いてみたら、なんだか気に入られてそういうのがCD音盤になってたり、いや、分からないものですね。
けっこう「どうだ、このやろ」くらいで書いてるもののほうが、コンペなんかに通ることが多いんですね。
人生、そんなものです。執着を手放すと、付いて(ツイテ)来ます。
私の場合、常にそうです。

とにかく、愛、愛、ってうるさいですね。特にオンナは。
最近の若者は、傷つくのが嫌だから、人を好きにならないようにしている傾向もあるようですが、「好きにならないようにして、好きにならないでいられる」って実際、可能なんですかね? 恋心って、そういうん違う気がするけどなー。

ま、それはともかく、アベンチュリンの愛っていうのは、そういう下世話な愛を遥かに超越した、神様の愛の一部、という感覚を持つ人にもたらすようです。
神様の愛なぞ知らん、って場合は、アベンチュリンは「よくわからない石」になるかも。
この石を人に送ると愛情が倍増して戻る、などという記述を目にした時に、ちょっと実験してみました(人にあげた)けれど、確かに、戻ってきました。
でもこれはそういう「らぶらぶ系」の愛ではありませんので。
じわーーーっとほのぼのとした、実父からの愛でございました。

よく考えてみると、「手放しで自分の幸福を心から喜んでくれる存在」なんて、この世では、親くらいのものです。
オトコとかオンナがらみのものは、その愛情ゆえに、相手の不幸を願うようなことだって少なくありません。自分かわいさに、自分をないがしろにするような相手に対して、ふん、あんたなんか失敗しろ、不幸のどん底に落ちろ、みたいに、邪険にする相手を恨んだりもしたりなんかします。(あ、こんなのって、私だけ?)

アベンチュリンは、そういう「良くない感情」を諌めてくれる石だと思います。
良きも悪しきもみな鏡、自分の心のままが、目の前に現れていることを、静かに伝えてくれている石だと思います。

アベンチュリンは、アクセサリーとして身につける場合、単体でも他の石と組み合わせても、もの静かながら強力に意識を高い所へいざなう作用をしてくれる、寡黙ながらも「芯の強い石」。
価格帯もとてもお手ごろで、はっきり言って「安い」(天然石ビーズ屋さんだと一連40cm600円~800円くらい)ですが、神様は、私たち人間に必要なものは、手を伸ばせば取り放題にしてくれているのだなぁ・・・ということを、実感しますね。産出量が多く、価格帯が安い石というものには、私はとにかく神(親)の愛を感じますよ。

一般的に知られる意味は、高い意識を持続させる、精神面のバランスを保って感情を安定させる、情緒豊かにさせる、実りある人間関係に出会う、チャンスを与える、などなど。
精神面のバランスが保たれると、とてもつまらない、感情の起伏がない、平坦な感覚になってしまうのでは? と、私は、昔考えていた頃がありました。
でも、石たちに接していて、その考えは大間違いだったということを知りました。

いっぱしのアーティスト気取りの人間には、「感情の起伏こそ作品の源泉」のような錯覚があったのでしょう。
それも、一理あることは事実です。
でもそれは、行き止まりの源泉ですね。枯渇します。
音楽のアーティストたちがピークを越えると、とたんにつまらなくなってくるのは、この辺りに起因していると思います。
小説家とか、モノを生み出そうという職業の人全般に言えると思います。

恋愛などで、飽きっぽい、本当に人を好きになれない、本当に人に好きになってもらっている実感がない、という孤独感を抱えやすい人なんかにも、アベンチュリンはいいんじゃないかな、と思います。
そういう日常のさまざまなネガティブ感情が「たいしたことじゃない」って境地はなかなか遠いかもしれませんが、そういう経験こそ、自分の中にある「愛」に気付くための、最高の機会。宝物のような時間だったりするのです。


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