真実を見抜くプレナイト

2006年02月21日 (火) 00 : 51
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「言われればそんな気が・・・」の典型石、プレナイト。
和名は葡萄石。その名のとおり、マスカットカラーの、一見とても可愛らしいイメージの石。
こういう「見抜く」系の石っていうのは、私の「ソレほんとかいな?」の好奇心をそそるに充分過ぎるくらいの「意味」を付与されて、目の前に登場します。

一般的には、「真実を見抜く石」という触込みがとても有名。
思考を明晰にする、理性と感情のバランスを取る、ブレない意志と信念を持たせる。
この石を触りながら人と接するとその人の本質が見抜ける、などなど。

しかし、真実を見抜く、とか、人の嘘がわかる、っていうのは、実はわりと「キツイ」ことでもあるのです。
私は、営業マンやってた頃に、つくづく人ってのは嘘をつく生き物だということを、徹底して教わり、心身共にやられそうになっていた経験があります。
思考が明晰になればなるほど、経験を積めば積むほど、その傾向というのが、話をしているだけで分かるようになり、とても悲しかった記憶があります。
他人の真実云々っていうものは、「取り扱い要注意」の生き物であることを、身に沁みてわからせてもらえる経験でした。それが分かっても、それをどう取り扱うかの側の自分自身の骨格、芯ができていないと、いちいち翻弄されることになります。

そして、他人の真実云々の前に、「自分の真実」を分かっていなければ、せっかくの「見抜ける」能力も、ブタに真珠なのだ、ということに気がついたのです。
「真実なんて知って君は何をするつもりなの」
というのは、私が大好きなベンジーの楽曲の歌詞の一部ですが、本当に、そのとおり。

なので、私にとってのプレナイトという石の有能さは、まさに「世も人も自分の映し鏡」であることを教えてくれる石、としての位置付けを確保しています。
自分が自分の真実だと固持していたものは、実は変幻自在。
意外と、たわいもないことだったりするのですが、人はそれを「信念」とか「個性」と思い違いしていることが多い。私自身が、まさにそうでしたから、おそらくそのことを知るため、身に沁みて分かるようになるまで、「たわいもない自分の魂の癖を、自分の信念や個性と思い違いしている人々」という自分の映し鏡に、営業マンというカルマ払拭のための最強兵器の職業を通して、知らされたのだと思います。
(どんな仕事にも、その人を成長させるための課題、テーマというものがあるのですが、この「営業職」というものほど、カルマ落しに適した仕事はないんじゃないかなー、って思いますねー。誰にでもできそうで、誰にでもできない仕事の典型、営業。業を営む、と書きますからね・・・。)

自分の信念など、それほど執着する類のことではなかった、ということを知ると、行動が変わり、出会う人も変化していく。
これは本当に不思議なんですけれど、これをやってみると、まさにそのとおりなので、心の中で、「ほんとだー」と、笑ってしまったことがあります。

外の世界を見抜こう、見抜こう、としなくても、実は自分の内側が現れているのが外の世界。
だから、一般的に伝えられているプレナイトの意味というのは、「自己VS他者」としての視点からの「真実を見抜く」の意味のものが多いように感じるのですが、実際は、この石も「自分を知る」きっかけを提供してくれる石、という以外の何者でもないと思います。
人がわからない、というのは、しんどいことです。
だけど、人のことがわかる、というのは、もっとしんどいことです。
なぜなら、それは、自分を知ることだから。

それでも、人を知ろうとし人を愛する、ということは、自分自身の魂を一歩ずつ成長させることでもある、という喜びなのだ、ということを教えてくれる石。
そして、人を知り人を非難する、ということは、自分自身の魂を傷つけていることに他ならないのだ、ということを、プレナイトという石は教えてくれる石だと思います。

頭脳明晰も、意志も信念も、人を見抜く力も、「自分を維持しようとするためだけのもの」という我身の欲からだけでは、自分を苦しめるだけの凶器になってしまうのです。



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カテゴリ :  才能発見stone
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