観えている世界の違い

2022年07月13日 (水) 00 : 00
しかしこの567でつくづくわかったことというのは

同じものを見ているはずなのに「こんなにも、人によって、観えている世界が、違うのだ」・・・ということじゃないでしょうか

見えない世界が私は観えているんですよ~」とおっしゃられる、そういう人々でさえ

「いったいどこに目ん玉があるのだ、チミは」状態なんですよ(笑)

それはさんざんお伝えしている、ハゲデブひとりの話ではなくて(この別称もやめないとなw)

ざっくりスピリチュアルランキングを見ただけでもわかります

「あべちゃんの霊がどうなってる」とか(笑。しかも、「普通の人でも想像可能なレベルの綺麗事」程度の内容です。妄想レベルです)

もう、ちょっと頭がイカれてますよwwwww

(ただ実際、「クローンの霊」ってどうなるのか? そこは気になりますねwwwどうして、それを「わかる」霊能者がいないんでしょうかね? 射殺のお芝居、そもそもが、あれはもともとの「本人ではない人」なのが歴然です。もともとの人と「耳の形がまったく違う」の有名ですよね(笑)。かなりわかりやすいんです、あべちゃんの場合。芸能人よりもわかりやすいです。クローン肉体というのはだいたい2年で劣化が始まるらしいので、「頃合いだった」とも言えるわけです(笑)。そしてなんか妙にお年のわりに、「年齢っぽくない肌(胸とか腹とかつるっとしてて)」で何か妙でしたよね。もしかするとクローンでさえないゴム別人の演技だった可能性もあります。倒れている姿の左足にはGPSもついていましたし、自分では判断行動を許されないお人形なんですよ。ホンモノあべちゃん葬儀は、2年前「中曽根さんの3回目葬儀」で終わっている(何度も何度も葬式やってる中曽根)wwwあの「国葬」がそうだったのですから、霊能者はその時に「あべちゃんの霊がどうなってるか」を人々に伝えてほしかったですwwwそんなこと言ってる霊能者など一人もいなかったじゃないですかwwwあの葬儀で飾られていた勲章と同じ勲章を、今回の死でもう一回もらうことになっているようですけどね。一般的には、クローンはハートが機能していない、要するに「人間特有の感情が機能していない」存在とは言われる、創造神が創造した人間ではないのでそういう感じだとは言われます。でもおそらく「霊体」じたいはあるので「霊」にはなるのかもしれません。あべちゃんクローン霊が「心配」してるのは決して「日本人の日本の行く末」ではなく(笑)「カバルがつくりたかった背乗りジャパン」の行く末(笑)だろうと思いますが、そこが観えていないと、いかにも「日本の心配している真の政治家」のように観えてしまうのだろうと思います。いやいやいや。目覚めてください、クレアボヤントさんがた。せっかくの「観えてる機能」が台無しです。まぁ、もともとクレアボヤントって「その人のフィルター(固定観念)」から観る、って言われます。なので「現世価値観どっぷり」で「表面上の世界しかふだん観ていない(そこしか信用していない)テレビ脳な霊能者」からだと、先入観を超えた「まさかの悪党」な場合、「霊になっても」いきなり本性顕わってわけでもなく(笑)人を騙せるのかもしれない。という気もします。霊観る人が「見通せない」つまり、肉体次元の人という「低位次元ならいくらでも騙せる」ってことかな。ここでわかりますよね。「波動をあげよう」の意味が。波動が高い人になる意味はありますよ、あきメクラにされないために)



私の言ってることが正しいのだ~~~~~みたいな独善教祖様になりたいとかではないのですがwww

あまりにも、「滑稽な霊能者気取り」がちょっと多すぎて

日月神示は、本当(未来予言という部分)なところあるにはあるんだよなぁ…なんて(笑)気もしちゃいます

終末感あふれる時代の切り替え(ひっくりかえる)時には、「神懸かりがうようよ顕れるが、九分九里は邪霊ぞ」言うてますが

「ソレほんとやな」と感じますwwwww

ただこれって、聖書にも、似たような記述は、あったはずです

邪霊に神だと名乗られても、人間には、それがわからない

それは有名ですよね

ほんとうに気をつけなくてはいけないと思います



「この人だけは」と盲信しないこと

いい人だろうが(それが最も危険www)優しい人だろうが、「言ってることが当たって」いようが、です

凡人、一般人(霊能者含めて)は、日本人なら、優しいいい人が多いので(笑)より、そうなります

あべちゃん事故現場に「献花」の長蛇の列www

心優しい(つもり)だから、そうなってしまうわけですからね(笑)

国民だまして毒注射を提供してきた(笑)311を当然知っていた首謀者の一人に、感謝を捧げているわけですからwww
(毒チンで自分の親とか親族とか知ってる人とか死んでるのに(笑)567怖いって言いながら何度も毒チン打ってる人たちと同じようなもの。「知らぬが仏」の世界は、たぶん、霊界へ行ってもしばらくは同じです)

でもまぁ、そういう日本人多数の流れが、何を意味し、何を創造していくのか
(何度も打たされる治験中毒チン、マスクに、未だにギモンが湧かない、開票率0%で「当確」がテレビ発表される世界を、何も不思議と思わない(笑)そういう人たちがwww黄金時代ってwwwまぁ、それはそれで、「ず~っとそのままテレビ発表すべて受け入れていくオートマン」そのほうが全体のためにはいいのかも、なんですけどwww)

そこは、興味はありますけどね



そしてそれは、「霊」も同じです

単に、そういった「霊とのコミュニケーションができる人々」に限った話ではなく

「霊的世界が動員されて、誘導される」ということも、あるんです(笑)

「シンクロ」ですとか、昔、スピブームで流行りましたけどwwwww

必ずしもこのシンクロが、善霊は善霊であっても、「先を見通している霊」の誘導であるばかりではない、ということ

人の霊は、生きている時の固定観念の様相に近い世界へ進みますので

「その時の固定観念の世界から、生きている人にサジェスチョンを促す霊」のような、「そういう役者」として使われることがあるのですwww(言ってること、難しい?)

エンジェルナンバーとか、スピブームで、何かとそういった「天使からのサイン」というものが出てきましたが

これを、邪霊だけではなく、そういった善霊というか、普通霊というか(笑。何を持って普通というのかw)も、活用するということがありますよ

固定観念持つ者がその固定観念に響く人に送るサインというのかな

(ただこれも「それがその人の段階」と言ってしまえばそうなんですけどね)

この世と同じ」なんですよ、周波数の世界という

(だから、「波動の高低はクレアにはあんまり関係ない」とか言っていた(笑)ハゲデブさんの言うことは間違いwwwというか、そうですね、間違いではないですけれど、「観える能力そのもの」には無関係ですが、その人間の持つ振動数は、その「相対する世界」と無関係ではないんです。やっぱりその人の「その時の、人間品質、霊性品質それなり」の霊人、霊的世界に相対していく、それが正しいですよ。なので、霊能者は、霊能力だけではなく、「人間力」をしっかり磨いた愛ある人格者であることが絶対条件として、そしてやはりできれば視野が地球レベルにはしっかり広いこと善悪の善を正直に生きられる人(「善も悪もない」という(笑)のは最終そうなのかもなんですがwこれを自分に赦し続けるとカバル同様になりますwww)正邪の正を生きている人善人づらの悪を見抜ける人善人の無知を見抜ける人であることが必要だと感じます。「善人で無知」それも面倒くさい(笑)ことになるのがこの世ですから。霊界などは地球特有のシステムなのですし。「人格者ではなくても「囚われ」を持っていなければOK」と言っているのが悪魔たちですから(笑)。彼らの残酷性、残虐性というのは、そこに「まったく囚われていない」から、それが人間相手に平気でできてしまうので。毒注射と知ってても躊躇なくそれを人間に打つことができる医者なんかもそうです(笑)。だからって霊能にかかわる仕事は無料奉仕であるべき、というのも、ちょっと違うんです。それも「金を払わす=悪人、人格者ではない」的なレッテル、清貧思想も植え付けられてきた囚われではあるんですよ。無料が愛でも奉仕でもないことは無料毒注射でわかりましたでしょ?wwwそれはテレビもインターネットも「無料慣れ」媒体でもあるので、玉石混交、その人が相対するものしか見つけられなくなる、そういうこともありますしね)

そしてなぜカバルが「邪悪な家系図」で代々繋がり続け、それをつかって、血を継承して続いてきた、繁栄してきたのかも
低層霊界のほうが、ずっとずっとこの世では「人間が関与を受けやすい」その仕組みがあるからですね
(この世では、そういうカバル家系を「いいもの」として羨ましいと思う人も多いかもですが。セレブというやつですね。う~ん、それはむしろ「低品位霊界」と常にいっしょというか(笑)そういうのってありますよね。カバルじゃなくても、代々受け継がれるお金持ちに変な難病の方って多いんですけど。この世で得ているものが大きい人々ほど、低層霊界関与されちゃう(家系にこだわるってそういうことですから)ほんとうはちゃんと人格者である必要、ほんとうにあるので、そのぶん試練も多いのかなとも感じます)

なぜこの世に「善霊」が生まれづらいのかwww地に落とされている(笑)傾向があるのか、その理由もなんかわかります
(「スターシード」なんかの話とそれは近いですけれどね。「空き」がないんですよwwwこの世的に条件いい、すなわちそれは家、血に囚われる確率高いから。だから、やっぱり「本人自身が紆余曲折、苦労する」っぽい市井の人のほうへ生まれやすいのかもしれません。黄金時代では、それも変わっていくから。良かったね。苦しみからの学びの惑星地球、それはそろそろフィナーレなのです)



私が「思い出した」と前に記事で言っていた

統一教会になぁんで、足を踏み込むことになっちゃったのか、の話なんですが

これ別に、「教会の中にいる人たちに、誘導されマインドコントロールされて騙されてた」ということでもないのですよ

私はお伝えしていましたが、「尊敬できる人間がいないな~」という子供時代~ティーンを経て20代(笑)

ですから、宗教者など、もっとも尊敬するわけがありません(笑)

特に、「騙されて、連れて行かれ、あげくに、時間をそこに費やしたのちに、宗教だったと知らされる」

そんな最低なモノに(笑)心底心を動かされる、なんてことはwwwまぁ、ありません

ですが、霊能者とか、この世以外のものがわかる人、や、「観えない世界からのサイン」いわゆる「シンクロ現象」など

自分自身が経験するそういうものについては、「どこかで信用してしまう」ところがあったのです

やっぱり、ものすごく長い話になってしまうので、詳細は記しませんけれどwwwww

そういった、霊的世界からの「流れ」「導き」であるかのような、「はっきり、そう思わざるを得ない実体験の意味づけ」の仕方により

「これは、自分は、この世に生まれてきた意味として、その家系のカルマを背負う使命がある人間だと、観念しなければいけないのかな…」という(笑)

観えない世界からの「持っていかれ方」により(決して「悪霊」ではなくwww「亡くなった知ってる人」なんですからwww)

当時はこれって自分の運命なのだ…犠牲の道を行くことが、って思いましたしwww

無駄に(笑)「先祖だの、カルマだの」普通の人よりも「知識があった」ために、よりそこに「確信感」が生まれていたわけです

あの時代はインターネットもありませんでしたし(笑)
何よりも、自分自身の知見、世界が狭かったです

それでも当時でさえ、「カルト」であったことは有名だったんですよwwwそれでも、入り込んでいく人たちはいたのです

(地下鉄サリンのオウムでさえ、今でもアレフ(元オウム)に入る人いるそうですからね。その息のかかるらしき出版社が例の「予言系が好物」らしきヒカルランド(笑)。ほんと予言ができる人に権威性を持ってしまう人々って多いんですよねwwwでも人間の世界は、「予言じゃなくて予定」で動いていってますからね。そしてその「予定」は「いち霊(神霊)存在」に誘導されている霊能者一人にわかるわけがないのです)



自分にこういう経験があったからなのでしょう(そこは無意識だったけど)

昔も、PSW記事で、スピリチュアルブームの中でも、やたらに、シンクロとか導きとか、いわゆるガイドメッセージ関連、そういう「気づきへの誘導」がもてはやされるところもあったんですが

あまりそういう「サインばっかり」追い求めるというか

シンクロはシンクロで、実際に経験すると、確かに凄い! って感覚はあるのですが

「それはそれ」というか、そこに頼らない、こだわらないほうがいいですよ、というようなことも、言っていたような気がします

あ、そうそう、思い出した

石を持って「シンクロ待ち」をしないでくださいね、って言ってたような(笑)気がしますwww

それは「浮ついた世界」を生きることになりますので

「浮ついた霊」wwwwwっていうのかしらwwwwwそれが邪霊ではなくても(笑)なんていうのかな~「固定観念の視野を持つ霊」とでも言いましょうかwwwそういう関わり、できてしまうこともあるという「肌感覚」です(それも、ガイダンスといえばガイダンスなんだけど)

なんでもかんでも霊的現象世界に頼る、それは違います

宗教信者たちというのは、共通傾向として、その宗教を学ぶことで自分が得た「証」という、霊的な実体験談話が大好き(笑)なところがあります

実際に、みなさん、数々、経験してしまうのですwwwww

それはそれで、嘘ではないです

でもそれはやっぱり、「他人の経験」であって、「他人の価値観の装飾がされた導き、霊的経験」でもあるので

そこをあなたの判断基準にする必要はありません
(そして、「亡くなった人からのサジェスチョン」のようなものもそうです。「霊だから偉い」ってわけじゃないですからwww)

石も、そこはそうなんですよ(笑)

石じたいの「本質傾向」というのがあるので、この石は、こういうことをサポートする「傾向がある」という部分は、嘘ではないのですが

「あなた自身が、何を経験するか」そこまで委ねてみても、必ずしも目論見通りな経験となるかどうか(笑)なのですからwww

でも「経験否定」までは必要ないので、それまでも疑うことは必要ないです。どちらかというと、人は「自分が経験していても打ち消す」そっちのタイプのほうが多いですので。もうちょっと「自分を信じてみる」ことじたいは、お薦めします。



…というふうに、注意喚起のようにお伝えしていますけれど

私自身は、そういった、「数々の経験をすることじたいも、織り込み済み」だったとは、認識していますwwwww

つまり「必要あって、してきた、失敗経験から学んだ識別力」というのでしょうかwwwww

今の私は、「犠牲感覚」「生贄感覚」は持っていませんし、ぜんぜん「経験の後悔」もありません
むしろ、「経験しておいて良かった」と思っています

なので「そこも、高次計画のうちだった」という、その感覚じたいは持っています(笑)「審神者力」を身につけるための
そして、経験してきたからこそ、お伝えできる。そのためかな、と

(トランプさんが、「カバルたちの世界との交遊をさんざんしてきた」その経験を山ほどされているのと同じwwwとまで、おこがましくて言えませんけど。でも、「悪党たちの世界」って、中にはいらないと、やっぱり「肌感覚」として、普通の人のままだと、絶対にわからないと思います。なので、スピ人たちも、「凡人以上に綺麗事にだまされたまま」だったりするのです)

それを自分がまさに「中に入って経験していなければ」

週刊誌や、人の又聞き情報で、カルトを語るしかできないし、彼らがどういう流れでどういう思考回路の行動基準に至っているのか、説明もできないじゃないですか
(虎が闘えるのは、「知ってる」からですよね、カバルの人々のメンタルを)

カバル音楽業界も(笑)同じですし、カバル大企業なんかもwwwやっぱりそうですwwwこの世は究極カバルカルトな世界ではあるんですが(笑)

ただ、私たちの日常というものは、常に常にそれだけじゃないですし
こんな世界であっても、「愛」も「光」も見いだせますから(笑)

カルトの中の人たち全員が全員、おどろおどろしい(笑)世界を信じているというよりは
彼らも、愛と光を求めていますし、そうあろうとする心はある、その「やりかた」が植え付けられた固定観念から基づくものになっているだけ、と言えばそうなんですよ
「他者の選択誘導をする」これこそがやはり「カバルのやりかた」そのものですからね(笑)。マーケティングもそうなんですけどwwwただこれも、そうでもしないと、まったく気づいてくれない、動いてくれない、それも人間、というのもあるんですけどね。毒注射選択も、なんかカバルの意のママに動かされる人々多数、そうなっちゃいましたしねwww

宗教信者の人々に気づいて欲しいところがあるとしたら、「教祖に、上に言われる指導どおりのことをしていって、教団が組織が大きくなって、それなのに、「どうして世界は良くなっていないのだろう?」に気づいて欲しい(笑)んですよね。「なんかゴールポストがどんどん動かされていってないか?」というところ。
もともと言ってたことと、ぜんぜん違うよね? というところ。「ず~っっと、一生、やらされてること同じだよね? たぶん死ぬまで」そうなんだ、ってところ。
「毒注射を打てば、567が終わります」の「大嘘」と同じだという(笑)それです。「死ぬまで同じ」どころか、宗教信者の場合は、「死んでも同じ」になる可能性(笑)ありますからwwwほんと、「生きてるうちに気づけ」と思います)

末端は、ほんと、「ただ利用されちゃっているだけ」の人、もう、その中の固定観念の世界による思考しかできなくなっていて「観える世界が限定されてしまっているだけ」の人(「生真面目」な人ほど、そうなります)が、やたらに多いだけというかwww

それは、「567毒注射を人々に当たり前の予防接種だと、”治験中の注射”にもかかわらず、大規模人体実験であることを伝えずに、多くの人に提供してきた、医療業界人」「何も知らずに調べもせずに「あなたの自己責任」の承諾書にサインし、567毒チン打っている人たち」などと同じです

「普通の世界を生きる人たち」と、特に相違がないのです

それは「霊能者」も同じです

(ですが、そういった「あきめくら経験」じたいにも、おそらく意味があるのでしょう。経験により、人によってそれがどんな後悔、積念、痛恨のミスであろうと、生きている限りにおいては、その時はそのタイミングでは「あきめくらのまま経験し通す」その意味はあるのだろうとは思います。毒注射の後遺症の人々とか、そうだろうと思いますしね)

こういう、カバル世界で培ってきた固定観念

あなたを縛ってきた観念、それは誰にでも、あるはずです

自分自身を見つめよう、「手放していこうね」と、お伝えしているのは、そういう、あなたをオートマンに自動的に思考させてそれを現実化してしまう「囚われ」「足かせ」の発見のためです(笑)

しかしそこにある、負の経験を通過してこその「高次計画」も必ずあるはずです
(どんな「負の経験」ひとつもいいことがなかった経験と今は感じていても、それがあるのです)

それをずっと「我慢していてください」という意味ではありませんよ(笑)
むしろその逆です

むしろ「我慢の必要がない」それは我慢ではなかったし犠牲ではなかった、ということに気づけると「通過地点」と納得し、手放せるところ、「あなたをつくってきた、むしろ、あなたを前進させるための、感謝の経験」という認識のアセンション(笑)がありますからね

それと「意味のある我慢」と、囚われているだけの我慢、その違いを知るためにも、我慢経験はさせられることもあります

なので「心に正直に」というのが、大事なのですよ



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カテゴリ :  PSW制作室
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