高次のコマーシャル

2022年03月05日 (土) 00 : 00
お客様のメールで、そう気が付きました(笑)

たまにはスピリチュアルブログらしいwお話を(考えてみると、以前は、どちらかというとこういう話ばっかりwwwだった気がする)

ガイドメッセージというのは要するに、私がお話してきた、この世でもやってる「広告」「コマーシャル」とも言えなくもない(笑)

ただ、メディア・ニュースやテレビなどの仕掛けとの違いは

不特定多数への感情へうったえる、潜在意識に刷り込む仕掛けというよりも、「あなたがそれに気がつくように向けられたパーソナルなもの」であること

そこでしょうかね

だから、本人が気が付かなければ、それは広告の意味をなさない

ガイドからすると徒労、広告費の無駄(笑)ではありますね

(気がつくためには、直感、ハート、そして全チャクラのスムーズな連携…やはりそこが肝なところはありますかねぇ…基本はリラックス状態、無我夢中(何も余計なこと考えていない集中)状態、という、ノーマインド(マインドがないのではなく左脳思考判断が優先していない感じ)な状態…というのがガイドメッセージに繋がりやすい状態でしょうかね。なので、半覚醒状態、夢の状態でもガイドには遭遇することもあります)



「洗脳」という意味では、この世では、テレビ・メディアの電波光線のほうが、人間には伝播力が高いです
今はネットも近いところはあるかな
(YouTUBEとか動画はやや中毒性がありますでしょ。彼らが「定期的に動画をアップする」チャンネル登録をしてもらいたい定期縛りをしたいのは、それはやっぱり形を変えた洗脳(笑)ワールドでもありますwテレビ手法と近いものではあるよね。「次回」を常に楽しみにさせないと、動画は人がついてこないじゃないですか。今は個人がメディアになれる時代。それが悪いということではないのよ。だからあなたも情報発信できるし、してほしいです(笑)。「カバールや特定組織に飼われていない個人」の情報が、このくらいカバール包囲網のある世の中においては、かなりマシで他者に有益なOneToOneであることは確かなのです。ただ、「個人」を気取りながらぁやしいケツモチがいる人も、けっこう散見はされるので、そこは気をつけて)

テレビはそういう光線wwwですから、あんまり「つけとかない」のが本当はよろしいのです
(観ていなくても、その電磁波が、居空間に漂ってることじたいがまぁ、ほんとうはやめられるんならやめたら? って感じ)

私が20年くらいテレビを観る習慣というのがそもそもないのも
きっかけは、確か、カバールのことを知ってからだったとは思いますが

(シオン議定書の3S政策だったかなw古っっ(笑)今思うと、昔は、情報もすごく少なかったよね…ちなみに、「電通の社訓」って知ってる? シオン議定書(笑)ソックリよ。我々一般人は彼らにとってゴイム(家畜奴隷で生殺与奪は奪われた存在)ということなのです。だから「クライアントの指示通り嘘八百垂れ流す」そこに良心の呵責とかwそんなものはないということ。ゴイム相手だから。彼らにとっての「人間」というのは、おそらく上級国民とかカバール系の人々のことだけなので、別にいいってことです。なので基本、メディアのつくるものというのは、「民衆のため」ではなく「ゴイムをどこか向かわせる目的へ向けた、洗脳のため」と捉えているくらいでちょうどいいかなという気はします。映画もそう。映画好きには申し訳ないけど。「感動物語」もたくさんあるけれど…(笑)でもやっぱり創作ですし、まぁ、なんかしら狙いは必ずありますね。だから日本人の単純思考の人って、薄っぺらい「努力」「和」「絆」「繋がり」をカンタンにクチにするじゃん(笑)。「綺麗事」「お涙頂戴物語」はほんっと「ゴイム誘導素材」として使いやすいからね。但し、制作会社とか、それを創っている現場の人々は、そういうことはぜんぜん知らないで、ただ純粋に仕事をしているだけですよ。自分が音楽業界にいた時も、私はてっきり聞く耳を持たない感性の鈍い「大衆がアホ」なのかと(笑)勘違いしていましたけれどwそうではなく、「大衆はそうさせられている」ということ。売れるものや地位が確保され継続されていく人々は最初から決まってる、大きいところではすべて出来レースで仕掛けられてきたものだったんだな~、と、この56騒ぎで「ほんとうの裏」を知ることでわかりましたから。音楽なんかは「大衆ガス抜き」マッチポンプ要員ですよね。だからうちのほんわり567脳が好きな拓郎なんかも(笑)アウトでしょう、ってことなわけよ。「スター」みたいな感じの人々はみんなそうよ。中にはほんとに何も知らないで天然な人もいるのかもしれないけど、少ないでしょうね)

そういうの知ると、「テレビってそうなんだ…」っていう嫌悪感、やっぱり生まれるでしょう?
当時はそういう嫌悪感から、観るのやめてみたんだけど

テレビを観ないほうが、ものすごく、なんとなく気持ちが落ち着いているというか「いい感じ」であることに気が付き

そして、そうなってからかなと思いますよ

ほんとうになんでだったんだろう? 「石」にものすごく目が向くようになって

気がついたら、次から次へと、石を買うように(笑)なりました(どうしても欲しいから)

そうやっているうちに、ほんと、突然というか

石のエネルギーがわかるようになって、「石に話しかけられている」感じ、というのかしら? 石がこちらに伝えていることがわかるようになったんです



石は、高次との通信機の役割もするので、石そのものが話す、というよりは、高次メッセージを受け取っていたのだろうと思いますよ

私にとっては、この世のテレビメディアだとか、当時はもうインターネットもあったかな? でもそんなネット情報なんか以上に

石からやってくるエネルギー、石とコミュニケーションをどっぷりしているほうが

人間と会話するよりも(笑)この世的娯楽みたいな類のことよりも、ずっと充実感があって、実がある、満たされ感覚があって、なんだろう、人生でそれまで感じることのなかったタイプのかけがえのないエネルギー感覚というのかしら? そういうものを感じるようになっていきました

これはね、そういうのがわかるようになる「準備」を私はその前にしてきているの

石鹸や洗剤を、合成石鹸合成洗剤からすべて、せっけんに切り替えたり、化粧もしなくなり

食を玄米菜食に切り替えたり(肉を食べなくなった)

そして、テレビを見なくなった

もともと「この世的な欲」は「一般人が平均的に望むようなものはあまり持っていない(結婚して家庭持って子供生んで家建てて…的なファミリー形成へのこだわりのような)」ところはあったけれど、それでも、例の音楽での成功という自己顕示欲、それはまだあったのだけど、残り火のような(笑)ものだったかな…

もうほぼほぼ、「ダメだろう」と長年やってきて、わかりかけてたけどわかりたくない…まぁ、そんな精神状態ではあったかな
(”チャンス”で大失敗するというw波に乗れない状態を、自分で作ってしまった失意からはもう立ち直ってはいたかもしれないけれど「心はからっぽ」というかね。だから特にもうそんなに情熱もなくて。惰性でやってたし、もう作詞の仕事じたいだんだん来なくなり、親しかったディレクターさんが事務所辞めちゃったり…そんな感じだったかなぁ…だから変な話、いつ死んでもいいwじゃないけど、「積極的に生きていたい要素」は何もなくて、私をこの世につなぎとめていたのは「わんこの存在」だけだったのよ。主の責任として、この仔がいるのに死んじゃうわけにはいかない…という、そういう感じ。だから、生きている喜びなんて、ひとつもなかったし、そのまま行けば、石に出会わなければ、別にもう毒ちん関係なくwその前に病気になってたと思うよwww)

これらは、今思うと、石に出会うための、石のエネルギーがわかるようになるための準備だったと思うよ
(高次というのは、そうやって「予定」へとw仕向けていくのです。なのである意味、この世の人間というのは、へんな話いずれにしても「誰かには誘導されている」というところはあるのよwwwただ、「選択」「意志の決定権」これは人間に個人に持たされているよ。そこはあっちも無理強いはしない。「無理強いしてもらったほうが、遠回りにならなくて楽だったのに! 先に言ってよ!」と、遠回りしてきたこっちはw言いたくなるようなところも実際あるんだけど、その「遠回りじたいが無駄じゃない」のよ。今アタシが、567でこういう話がみなさんにできるのも、お綺麗ロード、順風満帆ロードだけを歩いてきたわけじゃないからこそ、できるということなんだしねwww)



石に出会ってから、「息してるだけで生きてるだけで自分が存在しているだけで嬉しい」みたいな世界がだんだん展開し始めて(笑)

あまり、「この世の話題」を話さなくなったというか、自分が会ったこともない芸能人だの(笑)の話って…

よ~く考えてね

それは芸能人だけじゃなくて、政治家とかもそうだし、いわゆるこの世の知名度というものがある人々など

自分がその人に直接かかわってるなら別だけど、自分の世界に、直接はいないような人たちのことなどに

なんで自分は関心持ってたのかな?

そう思うようになったのよね

だから、小説とかも読まなくなったし、なんか人が創作したストーリー的なものに興味がぜんぜんなくなっちゃって(笑)

ひたすら、石だけに、夢中になっていきました

つまりね

「自分の外側の世界」に左右されなくてもいいんだな、という(笑)「自分の内側の世界」があることに

それの何が自分は不満だったんだろう? のようなことや

「高次ガイドからの、私に向けての、コマーシャル(笑)」があることに…

ようやく気がついた…

それを、私に気づかせてくれたのが、石たちの世界だったということです



みなさんも、テレビを消して(笑)

「自分の内側の世界」の人の声

石といっしょに楽しんでみてくださいね

ガイドメッセージは、この世の雑音の中では、小さくて聞こえない、あなたのためだけに放送されている

コマーシャルのようなもので

それは必ずしも、あなたのシュミじゃないかもしれないし

その時は、特に男女の性愛の恋のようなトキメキも湧かないかもしれないけれど(笑)

ものすご~く、あなたにとって、大切なタイムリーな広告を

いつも用意してくれているテレビみたいなところがありますからねwww

(時々、「テレビを使う」「ネットを使う」こともあるんだけど(笑)。よくテレビ観る人だったら向こうもそうするしかないじゃない? ネットもそうなんだけどwその場合はね、「ほんの、ワンセンテンス」とか、なんかそんな感じ。ネットもそうかな。その人の求めていた情報、きっかけになることとか。テレビやネット配信側の意図とはあんまり関係ない部分だったりね)

スポンサーはハイアーセルフ

潤沢な資金で(笑)つきることのない広告をwあなたがこの世の予定を終える時まで流し続けています

それを一度も聞かないで知らないで

あの世へは行かないように(笑)してください

(「それを聞きながらもあの世へ行く選択をする」ような人々もいるみたいだけどね(笑)…これほんと不思議wだわぁ…わりとスピ人、昨今死んでるよね…今も死にそうな人、見つけてるし…肉体生命と霊的生命は別、といえばまぁ別だから、「それが予定」ということなのだろうな…とは思うけれど…一応、共通しているのは、この世での肉体維持として旧カバールタイプを受け入れてる人だと、やっぱり肉体は維持しづらくなってるのかな? みたいなのは、今のところは顕著にあるよ。論より証拠、って感じ。がんになって抗がん剤治療(治療じゃなくて生命力を奪う殺人)をしているとかね。でも、当事者は、そういう抗がん剤殺人を「風説(陰謀論)」として嫌う様子はあるよね。で、この世の人のアドバイスを受け付けない、拒否します。まるの日さんがそうだったよね、奥さんの癌。まぁだいたい「手遅れ」風味の段階になってきて、もう他者のアドバイスの意味をなさなくなってから、そういう人たちは公表するから、知った側もかわいそうで言えないっていうか、同情しかない、そうなるよね。毒ちんは関係ないけれど、亡くなった精神世界の鉄人さんも、なんとなくだけど、見てるとあんまり食とかには気を使っている風味の様子はなかったでしょう? (ただこれも病的に(笑)気を使いすぎるのも逆効果ではあるんだけどねwww「怒り」の食事、カバール被害をこうむってる迷惑な食事、めんどくさい食事、体に良い食材ってすべてスーパーとかで売ってるものよりも全般的に高いからお金もかかるしっていうネガティブな思いを持ちながら、私は身体に気を使って身体に悪いものを避けて、良い食材を取り入れてる人です、ってなっちゃうのはNGかなぁと思う。ほんとに美味しいから食べたい、って思えていれば、そのほうがより良い、ということ)鉄人さんは、もしかするとなんらかの霊的肉体的攻撃対象となった可能性もあるかもしれないけれど。ケツ持ちのいない個人は(笑)ちょっとそこがねwww気をつけないと。あたしなんかもそういう意味では、いつどうなるかわかんないところはあるのかもね。いませんから、特にこの世のケツ持ちは。さらなる覚悟が必要だな。だから、最初の頃は、カバール話、毒ちん話をしている人がものすごく少なかったから、「勇気がある…」ってお褒め(?)のメールなんかもいただいたりしていましたけれど。こんなのが勇気になっちゃってる…そう観えることじたいが、カバールゴイム化政策が大成功している、ということなんですよ。そこに気がついて欲しいな。それでも今はもうようやく、普通に、「その分野」はちゃんとできてきているからw毒ちん話をしているだけだったら、悪党に命を狙われるなんてことはありませんから(笑)みなさんどうか勇気を出して(なんども言うけど勇気なんかじゃないよ、こんなの。人として「当たり前」でしょう?)、ネット使って声を上げる、情報メディアとなれる人はなってくださいね。黙ってちゃ、行動しなくちゃあなたの世界は変えられませんよ。毒ちんに関して言えば、今はね、「営業かけられている」のは、二度打った人たちだけ。まぢよ。これ三回目赤紙だけじゃなく、営業電話がwwwかかってくるみたいね、自治体によっては。でも打ってない気づいている人には一切その勧誘はないでしょ(笑)。気づいている人にいくら営業かけても効率悪いからです。そしてたぶんね、打ってない人への直接勧誘は、電話の会話内容録音されたり論破されたりの可能性大(笑)で、毒ちん勧誘側の悪事のしっぽ掴まれるリスクのほうが上回る対象、向こうからすると警戒要な相手なわけ。詐欺にひっかかった鴨リストに掲載されている2度打ちの人は3回目だけじゃなく4回目も予定されてる様子。たとえば、毒ちん打った家族の話とかそういうの、それは私にはいないので「私はできない経験」だからw話せないの。こういうのもツィッター情報だから。だからね、職場の同調圧力で打ってしまった、とか。で、こういう毒出ししてるところ、とか。周囲の567脳はこんな人たちで、自分はこういうふうに思うんだけど、とか。そのネタはその人オリジナルなの。そういうのでいいのよ。そこを掘り下げられるのは経験者なの。そして、そういうのが、同じ経験をしている人にとっての何らかの気づきなど他者貢献に繋がることもあるし、語る本人自身のさらなる覚醒や囚われているものの「祓い」になっていくことがあるわけ。言葉を使って発信することは、人に発信しているようで、自分に発信しているから、その経験が可能なのよ。「私なんて詳しくないし…」とか、必要ないのよ。「アナタはあなたにいちばん詳しい」はずだから、あなたの経験して知っていること、感じていることを、飾らずに表現すればいいだけ。知らないことを背伸びしたり、うまくやれている(ように観える)人の真似をしようと頑張ったりするから力が削がれるのです)

「精神」の世界と「肉体」の世界とのバランス配分、どっちも必要な世界だからね、ここは。精神と肉体、どちらも仲良くどちらかが無理したり我慢することなく大事にしていきましょう






  • 「ピンク×5」




  • 「モンドクォーツ(タンザニアマスタークォーツ)」




  • 「分岐点」




  • 「フェナカイト」




  • 「ハートのアセンション」




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    カテゴリ :  高次ガイダンス
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