エゴサーチ

2021年08月19日 (木) 00 : 00
私はエゴサーチはしない人なんですが(笑。してもとくに何も出てきませんし)

昨日なんとなく、YouTUBEで過去に作詞家時代に書いた楽曲名をなんとか色々思い出して(自分でも忘れてるんですよw)

YouTUBE検索をしてみたら、「へえ、アップされとるわぁ」と複数見つけて

ちょっと嬉しかったのはあるんですが(自己満足)

忘れてるんですよねw歌詞全体は(タイトルだって全部を思い出せるわけじゃないし…)

で、こんな歌詞だったけ? というのを見つけました

まるで、他人が書いたもののようだわ(笑)というくらい忘れてるものだなぁ、と(サビの「さよならじゃない」だけは憶えていたけど)

これはAIKOというペンネーム時代のもので、動画中、ステージで歌っているアイドルみたいなお嬢さんは、声優さんの櫻井智さんという方
(ライブのようですが…アニヲタ男子がステージの周りを埋め尽くす様子に苦笑…この当時は、声優さんがアイドル化していて、何かとCD出していた時代)
ライブ動画リンク先はこちら
  • 『その夢は何色?』


  • アップ主さんがわざわざ歌詞を書き起こししてくださっていたのでwwwありがたくコピペしました


    こっちは音盤をアップしている動画(一曲めは私じゃないですw「スーパードールリカちゃんエンディングテーマ」なぜか2曲パッケージで^^)CDレコーディング音源なので、こちらのほうが「歌が上手い」ので聴きやすいです(笑)→
  • 『その夢は何色?』

  • こちらはコメント欄を見ると、「2曲めのほうが好き♬」「2曲めは東京FMラジオ番組にリクエストしたい!」とか古いコメントがあって、「ヨシヨシ」とwそれが嬉しかったですが(自己満足)なんとなく、メロディーとしては1曲めのほうがいい曲な気がしました。サビにフックがあるというか。たぶん、歌詞が2曲めのワタシのほうがいいのです(大自慢げの鼻持ちならぬ態度w)

    音楽業界ではアーティストさんも業界体質じたいも、「メロディ優先」のようなところがあって、歌詞は軽んじられている(私がいた時代は)ところがあって、それも「なんか寂しい、違和感」の要因あったかな~、と、今思うと、と感じますが。
    リスナーはメロディのほうも聴いてるけど、「わりと歌詞も聴いてる」から、歌詞のいい曲は「いい曲に聞こえてくる」っていう効果があるんですよ。
    なので、「いい歌詞に恵まれる」ということは、アーティストにとってとても大事なことです。

    この曲ではなくて、他のアーティストさんに歌詞提供の楽曲なんかでも、「これ好きだった~」とか「今でも聞いてる」のような、そのアーティストさんのファンの方々のコメントを見ると、別に私に向けてというわけではないんですがwwwやっぱり、なんとなく嬉しいものですね(自己満足)
    やはりそういう楽曲も、「メロディというより(メロディはけっこう平凡)歌詞だな」っぽい楽曲が多い印象ありました。

    音楽創作には、こういうのがあるんですよね~
    昔、ネットがなかった頃って、あんまりこういうのを直接知ることがなかったので。
    「テレビで流れてるんだけど。ほんとに、人が聴いてるのだろうか?」と、思ってましたけど。
    人が聴いてくれてたんだなぁ、って知りました(20年?後にwww)

    今まであんまり考えたことなかったんですが(自分にはあまりない感情なので)
    「人が、この世に、何かを残したい」とか、そういう感情
    後世に名を残したい、とか(笑)なんかそういうの、ある人にはあるみたいじゃないですかwww
    私はそれはないのですが、たしかに、時を経ても、自分がつくったものを、自分の知らない人が知っていて
    「誰かが気に入ってくれていて、聴いて嬉しいとか思ってる」「誰かが好んで今も聴いてくれている」みたいなことがある
    こういうのはたしかに、なんとなくいいものかもしれませんね、とは思いました

    (ミュージシャン、アーティストの人々は、やっぱりそういう意味で、「人に知ってもらいたい」だから「売れたい」はそりゃあっただろうね…そりゃ魂売っちゃう人は売っちゃうかもしれんね…って、それを今頃実感したんかい?! とw言われそうwwwいやあたしも売れたかったんだけど(笑)どちらかというと、「売れて早く金持ちになりたい、早く底辺から抜け出したい」という感情のほうがw優勢な、カバル根性みたいなヤツだったからwwwだからね、心底ほんとうに音楽を愛していたのか? っていうと、どうなのかな~というのもありますよね。そういう意味では、のちに出会った「石」のほうが純粋な気持ちがあったわけですよ。貧乏がぜんぜん気にならなかった(笑)心の豊かさってこういうことなのか、って感じられたから)



    『その夢は何色?』

    世界地図から はみ出した
    心の中探す ユートピア

    オレンジ色の あの星に
    名前つけたら 私だけの空

    どこか淋しくて もの足りないのナゼ?
    友達といても わからないこともある

    サヨナラじゃない
    胸の奥しまってた
    その夢が どんな色か 見つけたい
    サヨナラじゃない
    強くなれる練習
    私は私を 試してみたいから

    光の中に 誘われて
    見飽きていたはずの パノラマも

    瞳を閉じて あのメロディー
    思い出したら 宇宙へトリップ

    ずっと臆病で 気持ちを言えなくて
    友達の前で 笑ってごまかしてた

    サヨナラじゃない
    夢だけを追いかけて
    どんなこと 待っていても 叶えるの
    サヨナラじゃない
    未来は自分次第
    誰にもわからない 決められるはずない

    サヨナラじゃない
    胸の奥しまってた
    その夢が どんな色か 見つけたい
    サヨナラじゃない
    強くなれる練習
    私は私を 試してみたいから



    なんか、「星」とか「宇宙」とか、この頃の私は、ぜんぜんそういうタマではなかったはずなんですが(汗。今もそうですけどね)

    スピ人間というわけではありませんでしたので「めいそう」とか(笑)言われたら、「やだ。宗教みたいだわ」とか言ってそうなwそういう人でしたよwww
    (宗教嫌いでしたんでwwwただ、だからといって、宗教を持つ人々を否定はしていませんでしたけれどね。「目に見えない世界」を否定していたわけではないので。ただそれが「宗教カテ」となり、「教義」「お作法」や「団体」になると、苦手感があったわけで、それは今も心のどこかでそうかな)

    わりとなかなか多次元感というのか、そういうのが出ていたんだなぁと

    よく、スピリチュアル系の人が

    「なんで、私、地球に来ちゃったのだろう」と(笑)地球に馴染めず、星の記憶を思い出してwww

    自分の星に帰りたいよぅ…みたいな話、聞きませんか?

    地球は私の故郷ではない…というホームシック、辛さ、しんどさ

    そういう、ここにいる、違和感みたいな

    それが表現されていたんだなぁと、感心しました(ヲイ)

    なんか自分に向けていたのだろうか? というか、こういうのが「ガイドメッセージ」でもあったりするわけです



    この頃は、そうなんですよ~普段こういうこと考えていなかったし(今もそうだけど)

    でも、「歌詞を書く」という「仕事」になると、その「仕事を始める」と

    私じゃないところから、出てくるというか、降りてくるような感覚があって

    すらすらすら~、っと、歌詞になっていくのでした(私はとくに、作詞をするための「勉強」はしていません)

    私には、最初から、これがあったので(笑)

    「石アクセ」なんかも(笑)この「ノリ」で

    「作ろう」とすると、すらすらすら~、っと完成する(但し、作ろうとしないと完成しません(笑)当たり前の話w)

    18日の記事でお伝えしていたようなお話

    あなたがあなたになる方法

    「なんかできてしまうこと(苦もなく)」というのは、「過去生でもやっていたから」という説もあるのですが

    それだけじゃなく、青写真で

    本人が今生で、それをやろうとチャレンジしようと行動するようになると

    指導霊のご加勢が始まる(笑)そういうのって、あると思います、なんとなくですが

    そういう、好きなこと、できてしまう得意なこととか、他者にとっては、難しそう…みたいなことでも

    あなたには、やってみたらわりとできてしまう、けっこうイケるんじゃね? のようなこと

    これも「それを実際にやってみないとわからない」ことなので(笑)

    やりたいこと、やってみたいことには尻込みしないでね

    失敗してもいいのですよ、必ず失敗したなら失敗したで、そこから学び取っていけるものがあり

    それが「過程」「布石」だったと気付けることが、人間の生きる過程の中にはある

    高次は、そういうふうにしか、「あなたの未来を予定していない」という信頼感は

    行動していてこそ、わかってきます



    「サヨナラじゃない 強くなれる練習 私は私を 試してみたいから」

    地球上では、私達は、練習を繰り返し、トライ&エラーを繰り返し

    いつか私達は、地球からサヨナラをするときに

    その地球経験をデータとして高次にすべて持ち帰るのです

    経験は、今までの経験の中で、こんなことがあったんだっけ? という「あなたがすっかり忘れている小さなこと」も

    もらさず、データとして、すべて、持ち帰ります

    そのため、「おめぇ、生前このカルマつくってきてた」みたいな囚われ
    それが次へ持ち越されていくので「今生苦労は過去生のカルマの報い」どうこうがw言われるわけですよwww

    だから「はぁあああ? これがそうなん? そうだったん?!」というwww死後の気づき漏れはあんまりないほうがいいよね(笑)

    でも、そのカルマの尻拭いは、「今度は、別の未来生の私」がすることになるので
    (今の自分じゃありませんので、厳密には「同じ自分がまた生まれ変わる」というわけではありません)

    カルマは尻拭いだけではなく、その「次の、別の、私」へと、受け継がれる「才能」だったり、次世代のその人を有利に(笑)運んであげられる「貢献」ともなりますので、あなたのどんな経験も努力も「あなたがトライしうまくいかなかったことさえも」何一つ、無駄はないのです

    すべて「未来に繋がる材料」ですから
    (だから、カルマは「負」だけではないのよ。負の要素というのは「高次元にはない」ので、人間目線という、現世を生きている人間の感情レベルだと「ものすごいハンデ」がある人もいる、っていうのは、それはハンデというわけではなく、必ず、その人を活かすための「きっかけ」や「動機」をつくる原動力となっていたり、負の要素をひっくりかえしていける経験ができる予定のための演出であったりしますから。これに「気付けるセンス」それが、「高次に繋がること」ではあります)

    これを日本人は「先祖代々うんちゃらほい」でうまく表現しています(笑)
    宇宙の仕組みは、あなたの先祖家系という狭い範囲ではなく、もっともっと「広範囲」を網羅していますが、まぁ、先祖と言っておいたほうが、人間には実感ありますから、段階的学びとしてはDNA繋がりにおける教育はあっていいと思います

    人生は一度キリですから

    なので、やってみたいことはしといてください、ということです
    それができる時代にいますし、これから、もっとそうなっていくわけですからね



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    カテゴリ :  高次ガイダンス
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