「泣いて生まれてきたけれど」さんが、せっせと毎日ピックアップされておられる、56枠打った人の情報、56枠打った本人に現れる状態などの「声」という、事実情報のツィート、これを見ていると
私の予想だと、少なく見積もっても、日本人300万人程度の、本年の56枠珍死は、なんとなく確定かな~という感じはします
でも、それでも300万人ですと、1億2,500万人の中ではやっぱり「一部」でございます
これが1千万人に増えても、10人に一人
人口の半分6千万人レベルにならないと(笑)コロナ脳全部は目覚めないのかもしれませんから、それは無理ゲーでしょう
なので、昨日言ってた、なぜか売れない(しかもタダなのに)引き合いのない、相手にとって「旨味のない情報」「都合の悪い情報」「気持ちの悪い情報」「聞いたこともない情報」つまり、「あなたしか、言っていない情報」
…という、「あなたがマイノリティであること」じたい、それでも変わらない(笑)でしょう
ですから、まず、「あなたがマイノリティであることにおける劣等意識」があるならば
それを手放してください(笑)投げ捨ててくださいwww
「”みんな”がわかってくれない…」ことに不満だったり傷ついたりしているなら、それは「”みんな”そうだよ」と言っている、”みんな”に自分の判断を委ねるコロナ脳と、同じ視座の土俵にいることになります
数で勝負しているうちは、目くそ鼻くそですから

ただまぁ、さすがに、10人に一人のレベルになってくれば、「何かがおかしい」ということくらいは(笑)コロナ脳たちも気が付き始めるとは思いますが
テレビコロナ脳は、それでも…「567枠珍の殺意」は認めないのではないだろうか(笑)という予測はつきます
「デルタ株」だの「打たない人たちが拡大してる」だのの、それこそ「政府の、テレビの言うデマ」にあやつられる可能性もあります
どうしてそういう脳構造なのか?
それは、人間というのは、どんな人間であれ「自分を肯定したい」という生き物だから
「自分をたいして信じていない」わりには、「自分を肯定したい」という生き物だから、です
56枠を打った人たちは、56枠を打った自分や、56枠を「言いつけどおりに守り、従順に打った人」同士を、肯定したいはずですので
なのでよく言われますけれども、「被害者の会」的なものというのも、この世ではあんまりそれも機能しませんのは
被害者意識を持つことの中にも、それぞれ別バージョンの感覚もあり
そもそも「自分が被害者であることを認めたくない」という(笑)人間には、そういうややこしい感情が満載だからです
「被害者=愚か者」であったことを、認めることにもなるからです
(被害者は、「他人のせい」にします。今現在でも、「主治医に薦められたから」とか、そう言ってる遺族もいます。でも、「主治医に薦められて、決めた」のはその人なので。「選択は本人にある」というのは、そういうことなのです。どれだけ国が煽ろうと、マスメディアが煽ろうと、周囲の人々があたりまえに受け入れようと、医者が言ってようと、「決めるのは、一人、一人」であり、「最終判断は自分」であることを、心底わかっていなければ、延々と、「人のせい」「社会のせい」「現実世界のありかたのせい」にし続けることになり、「自分自身のありかた」「自分が意思決定するから、その結果としての現実が創造される」ということへは目が向かないことになります。)

とくに今回の56枠は、厚労省ではご親切にも「あなたの自己責任です」を、最初から、明言していますから
国が4千万円保証します、みたいなことも言っていましたけれど(笑)誰にも因果関係は認められておらず支払われていません
(そんなのも、「最初から、読めた」ことだと思います)
そもそも「因果関係を証明し、国にそれを認めさせ、支払わせる」のに、受け取るのと同じくらい費用がかかるでしょうwww勝ち目の少ない長期戦になるのですから
死後、解剖しても、結局、凡人は医療は「専門外」ですから、「因果関係はありませんでした」と、仮に因果関係が死体に見られたとしても、「ない」と言われれば終わり
そして「因果関係あり」だとしても、それを「国に認めさせる」こととは、また、別の話となるわけです
弁護士たてて裁判を起こし、それを凡人が勝ち取るには、途方もなく時間もお金もかかります
また、その因果関係がそもそも、死体に顕著に顕れる状態での死因とならないように設計されているのが、56枠なのかもしれないのです
(それが死体を解剖すればサクサクわかるレベルの「ヘマ」を、カバールはしないんじゃないかな、って思います。そのくらいに、ずる賢い(笑)存在、それがカバールであり、それが医療利権であることくらいwわかるじゃないですかwwwだから、多くの医療者たちというのは、「バレない詐欺」だからこそ、「医療産業」として、長きに渡り金儲けできてきたわけですよ。医療の分野で、のちに、間違っていた、ということが公にされていくことなど、無数にあるではないですか。歯科医療の虫歯治療などもそうですよね。まだ常識にはなっていませんが。私は、胃がんの摘出手術で「過去にはついでに脾臓も取ってしまっていた」という驚愕の事実(笑)に、「西洋医療、ダメだこりゃ」をしみじみ納得しましたwwwでもこういうことを、あとからさらっと「医学がそこまで発展していませんでした」の逃げ口上で通用してしまう、西洋医療産業の構造そのものがおかしいことに、パンピーたちがまったく気がついていないので、彼らはいつま~でも、殿様商売を続けることができるのです)
国あげてグルなんだ、とわかっていなければ、ひたすらに、「真相究明」に血道を上げても、「巻かれて言いくるめられて終わり」という、最初から、戦意を喪失させられるように動かされるのが、凡人です
そして、早々に荼毘に付されれば「証拠隠滅」完了
麻生さんの親族が株式増資したニュースが半年くらい前に流れていた、計画通り「葬儀社大手が大繁盛」
完全犯罪の終了です
ちなみにこれも、保険会社が早々に発表していたことですが
「56枠は治験中のワクチソ」のため、薬害や医療ミスが原因での死亡保険金も降りません
「治験中というリスクをわかっていてワクチソを打った、その本人の落ち度」として、みなされるということです
なるべく加入者に保険金を支払いたくない保険会社は、大変シビアですし、だからこそ、そこに「真実」が観えることがあります。「彼らはよく知っている」ということです(笑)
こういった話は、56枠が出現し始めた頃に、すでにひっそりとニュースになっています(当然大手メディアでは報道はされておりません)
会社の職場接種で死んでも(笑)同じことですが、重篤な副反応で働けなくなっても、会社は何も保証しませんし、退職金も当然、満額出るどころか、「自己都合退職」でしょうから減額
その後は無職の保証なし、という、同調圧力で56枠打った人がもっとも恐れていた、「社会保障のない人」となって、絶望の中で生きていくことになります
なので、「被害者」その総勢も、実際にはわからないままに、時間は経過していくと思います
(「あとからの、被害者運動」の虚しさ、徒労、それが読めるので、そもそも「被害者にならないこと」を選んでいただきたいので、私は、そういう意味でも「56枠は打たないほうがいい」ことを、ずっとお伝えしています)

56枠を、どういう理由であれ(同調圧力とか、周囲の影響、テレビ洗脳で)打った人は
56枠を打った自分が、「正しくないことをした」「間違った判断をした」ということは
認めたくないので
56枠を打った自分を、否定したくないので
「自分は、ワクチソ否定派とか、淫棒論者じゃないから…」と、死ぬまで(笑)言い続けたいwww(たぶん死んでもそうだと思います)
そういう脳構造を持っていますので
「打った人が身近にいる」場合には、取り扱い注意な事案でもあり、それこそが、その人の学びですよね

今は、まだ毒牙にかかっていない「ファジーな日和見菌」を、どうやったら「善玉菌」へと
この「日和見菌」たちを(笑)いったいどうやったら「善玉菌」へと持っていけるのかwww
この7月8月で、そこが決していく分かれ道と思いますので
日本人総勢における、56枠戦争(笑)腸内細菌の割合のようなものですよね
今は「日和見菌」の奪い合い合戦のような感じかもしれません

ちなみに、超ドライな言い方になりますが
「この世でもう自分はやることはないな」くらいの、諦めた人、なんの希望もない、自分の力で生きていたくない人や
もう精一杯この世で一生懸命に生きて、自身の生の努めを果たしてきたな…と思えているお年寄りなどは
56枠打ってゆるい自殺に向かう、というのも、私は、悪くないんじゃないかなとは思います
もっと安楽死な「眠るように死ねる」感じにしてくれたら、尚良かったんじゃないかとは思いますけどね(笑)
でもおそらくですが、脳梗塞や発作などを起こしている状態は、そんなに本人じたいはもう肉体的にはだんだん苦しくないはずです
(エーテル体が肉体から離れ始めている状態では、肉体の痛みは感じていないということ)
だからそういう意味では、打ってすぐに死ねる人は、むしろ幸福ですし、ある種の安楽死ではあると思います
私は、日本の多くのお年寄りたちの、「コロナ枠珍受け入れ率の高さ」というのは、まぁ、テレビ脳というのもありますけれども(笑)
高次元的には、その意図も少しあるような気がします(つまりそれが寿命ということ)
闘病期間ナシの、ある意味での、それも、ピンピンコロリ
「昨日まで元気だったのに…」から一転しての突然死
それがそんなに不幸な死に方なのかというと、よく考えれば、別にそうでもないでしょ?
「長く生きちゃうことそのものがリスク」だと思っているような人や、「ただ生きてるだけ」で、いつお迎え来てもいいと思っていた余生感で生きていた人にとっては、いずれにせよ「遅かれ早かれ」な話でもあり
同じお年寄りでも、おそらくですが、「自分はまだこの世でやることがある」と思っているお年寄りは、56枠がどんなものなのか
自分で調べる(笑)そして、気がついていると思いますし
そういう方はそもそも、「マスク」の段階で、メディアの煽りの段階で、「これはあの昭和の戦争の時にそっくりだな」という感覚、そこに気がついているのです
人間には「差」がありますので
(優劣だの、平等だの、言わないでくださいね(笑)。与えられた命、一回きりの人生、という点では、全員平等ですが、「それをどうその人自身が、その人自身を、自分を取り扱うか」には、「差」がある、それがこの世では、優劣があるように観えるだけです)

「自分は、何をしたくて、この世に生きているのだろう?」
「自分は、どうして、肉体を持って、生きていたいのだろう?」
という、根本的な命題を
私たちそれぞれが、自分に見直す、問いただす
この「56枠への流れ」というのは、私たちひとりひとりに、その機会を与えられているということです
最後は、「自分の問題」なのです
最後は、「相手の問題」なのです
これが「ない」人は、やはりカンタンに、「同調圧力」に同調していきます
「そのほうが、直近は、楽だから」「あたりまえだから」という選択へと、流されていきます
その、「当たり前を選んだ結果」を「受け取る」ことも、その人の責任ではあります

たとえば大学などで、56枠打たないと単位がもらえない(笑)話ですとかwww
ちょっと「信じがたい」話ですが(笑)医学部など、そうみたいです
「そこまでして、西洋医療の医者に、将来どうしてもなりたい、それは自分の本心なのか」とか
職場での56枠強要、職場接種もそうですが
その「おかしな世界に自分が居続けることで、自分は何を得ようとしているのか」という
そこを離れることは、「直近はリスク」です
学生が単位をもらえないことや、仕事をしている人がその職場を離れることは、病気にならなくても、直面するのはいずれにせよ、どこかの部分で、「生きる希望を断たれること」にも、感情的に繋がり、そこに直面させられます
社会人でしたら、次の仕事が見つけられないかもしれない…収入がなくなる…収入が下がる…
扶養家族がいれば、深刻な死活問題に直面させられる
そんなことになるなら、56枠打つくらい、「大丈夫なんじゃないか」
打ってる人たちも、全員が全員、亡くなったり副反応起きてないし…「大丈夫なんじゃないか」
そんな、「無理くり、大丈夫なんじゃないか」という、「危険性を訴える人々の言うことはデマ」という(笑)ほい、「ワクチン大臣が公言してる、それこそ、デマ」をよりどころに(笑)
「安全パイは、56枠を打つこと」のほうにあると「信じたい」となるのでしょうwww
でも、ほんとうに、そうなのでしょうか? ということです
ワクチン打たなきゃ単位がもらえない、ワクチン打たなきゃ職場やめてもらう、もう「そんな話がある時点で」
「これはおかしい」と思える、その異常な世界を察知できることが、正常な(笑)高等な脳みそですよwww
正常な人間のほうが少ないのです
56枠の凄いところは(笑)、いずれにせよ、将来その「あなたが今の段階の、自分の想定する未来を守るために、同調圧力に流されても、得ようとした、その将来図」を、いずれ、ねこそぎ奪われる…という部分です
不健康になり、どうせ、辞めることになる、希望の未来は実現できなくなることは56枠打てば確定しています
でも、「打たなければ、未来は、白紙」として、まだ希望はあり
その白紙の未来に、あなた独自の未来を創造していくことができる、という希望の選択肢は残されているのです

こういう話に関しては
私自身が、「過去から、綿々と、経験者であり続けてきた」その話をし続けていますから(笑)短くお話しますが
私は、「自分のハートの判断」に従い、自分の意に沿わないクソな会社などは、サクサク辞めてきましたwww
つまり、自分の感覚優先です
「収入が断たれる」「生活に困る」かもしれないとわかっていても、会社を辞める、高収入からいきなり無職、その後も、年収半分…そういうこともたくさん経験しながら
今に至りますので
あなたがあなたの真実を生きようとする過程で、とらなければならないリスク
それを上回るのが
あなた本来の、「あなたの高次ロード」である、ということです(あなたの直感、感覚、それがあなたを導きます)
ここを本当に信頼できた時
あなたは、あなたの、本来使命へと向かって、後押しされていく
その実感の現実を生きることになっていきます
こっちのほうが、ずっと「生きていて楽しい」ので(笑)
私はこれを、「567以前から」、人様におすすめする立場でございますwww
人間は、身の安全を脅かされる「危機にならないと動かない、重い腰を上げない人」も多いのでwww
むしろ、「56枠打たない」ことが転機となって、その人の本当の清々しい人生が動き出す人
そういう人も、私は、今後、確実に増えることを、感じているところです
(人数は少ないと思いますけど。「天国の道に入るのは、らくだが針の穴を通るより難しい」これはイエスの言葉ですが。そのくらい、高次ロードに行ける人、本質ロードへ行ける、「自分を信じられる」勇気のある人は、この世では少ないからです)
私の予想だと、少なく見積もっても、日本人300万人程度の、本年の56枠珍死は、なんとなく確定かな~という感じはします
でも、それでも300万人ですと、1億2,500万人の中ではやっぱり「一部」でございます
これが1千万人に増えても、10人に一人
人口の半分6千万人レベルにならないと(笑)コロナ脳全部は目覚めないのかもしれませんから、それは無理ゲーでしょう
なので、昨日言ってた、なぜか売れない(しかもタダなのに)引き合いのない、相手にとって「旨味のない情報」「都合の悪い情報」「気持ちの悪い情報」「聞いたこともない情報」つまり、「あなたしか、言っていない情報」
…という、「あなたがマイノリティであること」じたい、それでも変わらない(笑)でしょう
ですから、まず、「あなたがマイノリティであることにおける劣等意識」があるならば
それを手放してください(笑)投げ捨ててくださいwww
「”みんな”がわかってくれない…」ことに不満だったり傷ついたりしているなら、それは「”みんな”そうだよ」と言っている、”みんな”に自分の判断を委ねるコロナ脳と、同じ視座の土俵にいることになります
数で勝負しているうちは、目くそ鼻くそですから

ただまぁ、さすがに、10人に一人のレベルになってくれば、「何かがおかしい」ということくらいは(笑)コロナ脳たちも気が付き始めるとは思いますが
テレビコロナ脳は、それでも…「567枠珍の殺意」は認めないのではないだろうか(笑)という予測はつきます
「デルタ株」だの「打たない人たちが拡大してる」だのの、それこそ「政府の、テレビの言うデマ」にあやつられる可能性もあります
どうしてそういう脳構造なのか?
それは、人間というのは、どんな人間であれ「自分を肯定したい」という生き物だから
「自分をたいして信じていない」わりには、「自分を肯定したい」という生き物だから、です
56枠を打った人たちは、56枠を打った自分や、56枠を「言いつけどおりに守り、従順に打った人」同士を、肯定したいはずですので
なのでよく言われますけれども、「被害者の会」的なものというのも、この世ではあんまりそれも機能しませんのは
被害者意識を持つことの中にも、それぞれ別バージョンの感覚もあり
そもそも「自分が被害者であることを認めたくない」という(笑)人間には、そういうややこしい感情が満載だからです
「被害者=愚か者」であったことを、認めることにもなるからです
(被害者は、「他人のせい」にします。今現在でも、「主治医に薦められたから」とか、そう言ってる遺族もいます。でも、「主治医に薦められて、決めた」のはその人なので。「選択は本人にある」というのは、そういうことなのです。どれだけ国が煽ろうと、マスメディアが煽ろうと、周囲の人々があたりまえに受け入れようと、医者が言ってようと、「決めるのは、一人、一人」であり、「最終判断は自分」であることを、心底わかっていなければ、延々と、「人のせい」「社会のせい」「現実世界のありかたのせい」にし続けることになり、「自分自身のありかた」「自分が意思決定するから、その結果としての現実が創造される」ということへは目が向かないことになります。)

とくに今回の56枠は、厚労省ではご親切にも「あなたの自己責任です」を、最初から、明言していますから
国が4千万円保証します、みたいなことも言っていましたけれど(笑)誰にも因果関係は認められておらず支払われていません
(そんなのも、「最初から、読めた」ことだと思います)
そもそも「因果関係を証明し、国にそれを認めさせ、支払わせる」のに、受け取るのと同じくらい費用がかかるでしょうwww勝ち目の少ない長期戦になるのですから
死後、解剖しても、結局、凡人は医療は「専門外」ですから、「因果関係はありませんでした」と、仮に因果関係が死体に見られたとしても、「ない」と言われれば終わり
そして「因果関係あり」だとしても、それを「国に認めさせる」こととは、また、別の話となるわけです
弁護士たてて裁判を起こし、それを凡人が勝ち取るには、途方もなく時間もお金もかかります
また、その因果関係がそもそも、死体に顕著に顕れる状態での死因とならないように設計されているのが、56枠なのかもしれないのです
(それが死体を解剖すればサクサクわかるレベルの「ヘマ」を、カバールはしないんじゃないかな、って思います。そのくらいに、ずる賢い(笑)存在、それがカバールであり、それが医療利権であることくらいwわかるじゃないですかwwwだから、多くの医療者たちというのは、「バレない詐欺」だからこそ、「医療産業」として、長きに渡り金儲けできてきたわけですよ。医療の分野で、のちに、間違っていた、ということが公にされていくことなど、無数にあるではないですか。歯科医療の虫歯治療などもそうですよね。まだ常識にはなっていませんが。私は、胃がんの摘出手術で「過去にはついでに脾臓も取ってしまっていた」という驚愕の事実(笑)に、「西洋医療、ダメだこりゃ」をしみじみ納得しましたwwwでもこういうことを、あとからさらっと「医学がそこまで発展していませんでした」の逃げ口上で通用してしまう、西洋医療産業の構造そのものがおかしいことに、パンピーたちがまったく気がついていないので、彼らはいつま~でも、殿様商売を続けることができるのです)
国あげてグルなんだ、とわかっていなければ、ひたすらに、「真相究明」に血道を上げても、「巻かれて言いくるめられて終わり」という、最初から、戦意を喪失させられるように動かされるのが、凡人です
そして、早々に荼毘に付されれば「証拠隠滅」完了
麻生さんの親族が株式増資したニュースが半年くらい前に流れていた、計画通り「葬儀社大手が大繁盛」
完全犯罪の終了です
ちなみにこれも、保険会社が早々に発表していたことですが
「56枠は治験中のワクチソ」のため、薬害や医療ミスが原因での死亡保険金も降りません
「治験中というリスクをわかっていてワクチソを打った、その本人の落ち度」として、みなされるということです
なるべく加入者に保険金を支払いたくない保険会社は、大変シビアですし、だからこそ、そこに「真実」が観えることがあります。「彼らはよく知っている」ということです(笑)
こういった話は、56枠が出現し始めた頃に、すでにひっそりとニュースになっています(当然大手メディアでは報道はされておりません)
会社の職場接種で死んでも(笑)同じことですが、重篤な副反応で働けなくなっても、会社は何も保証しませんし、退職金も当然、満額出るどころか、「自己都合退職」でしょうから減額
その後は無職の保証なし、という、同調圧力で56枠打った人がもっとも恐れていた、「社会保障のない人」となって、絶望の中で生きていくことになります
なので、「被害者」その総勢も、実際にはわからないままに、時間は経過していくと思います
(「あとからの、被害者運動」の虚しさ、徒労、それが読めるので、そもそも「被害者にならないこと」を選んでいただきたいので、私は、そういう意味でも「56枠は打たないほうがいい」ことを、ずっとお伝えしています)

56枠を、どういう理由であれ(同調圧力とか、周囲の影響、テレビ洗脳で)打った人は
56枠を打った自分が、「正しくないことをした」「間違った判断をした」ということは
認めたくないので
56枠を打った自分を、否定したくないので
「自分は、ワクチソ否定派とか、淫棒論者じゃないから…」と、死ぬまで(笑)言い続けたいwww(たぶん死んでもそうだと思います)
そういう脳構造を持っていますので
「打った人が身近にいる」場合には、取り扱い注意な事案でもあり、それこそが、その人の学びですよね

今は、まだ毒牙にかかっていない「ファジーな日和見菌」を、どうやったら「善玉菌」へと
この「日和見菌」たちを(笑)いったいどうやったら「善玉菌」へと持っていけるのかwww
この7月8月で、そこが決していく分かれ道と思いますので
日本人総勢における、56枠戦争(笑)腸内細菌の割合のようなものですよね
今は「日和見菌」の奪い合い合戦のような感じかもしれません

ちなみに、超ドライな言い方になりますが
「この世でもう自分はやることはないな」くらいの、諦めた人、なんの希望もない、自分の力で生きていたくない人や
もう精一杯この世で一生懸命に生きて、自身の生の努めを果たしてきたな…と思えているお年寄りなどは
56枠打ってゆるい自殺に向かう、というのも、私は、悪くないんじゃないかなとは思います
もっと安楽死な「眠るように死ねる」感じにしてくれたら、尚良かったんじゃないかとは思いますけどね(笑)
でもおそらくですが、脳梗塞や発作などを起こしている状態は、そんなに本人じたいはもう肉体的にはだんだん苦しくないはずです
(エーテル体が肉体から離れ始めている状態では、肉体の痛みは感じていないということ)
だからそういう意味では、打ってすぐに死ねる人は、むしろ幸福ですし、ある種の安楽死ではあると思います
私は、日本の多くのお年寄りたちの、「コロナ枠珍受け入れ率の高さ」というのは、まぁ、テレビ脳というのもありますけれども(笑)
高次元的には、その意図も少しあるような気がします(つまりそれが寿命ということ)
闘病期間ナシの、ある意味での、それも、ピンピンコロリ
「昨日まで元気だったのに…」から一転しての突然死
それがそんなに不幸な死に方なのかというと、よく考えれば、別にそうでもないでしょ?
「長く生きちゃうことそのものがリスク」だと思っているような人や、「ただ生きてるだけ」で、いつお迎え来てもいいと思っていた余生感で生きていた人にとっては、いずれにせよ「遅かれ早かれ」な話でもあり
同じお年寄りでも、おそらくですが、「自分はまだこの世でやることがある」と思っているお年寄りは、56枠がどんなものなのか
自分で調べる(笑)そして、気がついていると思いますし
そういう方はそもそも、「マスク」の段階で、メディアの煽りの段階で、「これはあの昭和の戦争の時にそっくりだな」という感覚、そこに気がついているのです
人間には「差」がありますので
(優劣だの、平等だの、言わないでくださいね(笑)。与えられた命、一回きりの人生、という点では、全員平等ですが、「それをどうその人自身が、その人自身を、自分を取り扱うか」には、「差」がある、それがこの世では、優劣があるように観えるだけです)

「自分は、何をしたくて、この世に生きているのだろう?」
「自分は、どうして、肉体を持って、生きていたいのだろう?」
という、根本的な命題を
私たちそれぞれが、自分に見直す、問いただす
この「56枠への流れ」というのは、私たちひとりひとりに、その機会を与えられているということです
最後は、「自分の問題」なのです
最後は、「相手の問題」なのです
これが「ない」人は、やはりカンタンに、「同調圧力」に同調していきます
「そのほうが、直近は、楽だから」「あたりまえだから」という選択へと、流されていきます
その、「当たり前を選んだ結果」を「受け取る」ことも、その人の責任ではあります

たとえば大学などで、56枠打たないと単位がもらえない(笑)話ですとかwww
ちょっと「信じがたい」話ですが(笑)医学部など、そうみたいです
「そこまでして、西洋医療の医者に、将来どうしてもなりたい、それは自分の本心なのか」とか
職場での56枠強要、職場接種もそうですが
その「おかしな世界に自分が居続けることで、自分は何を得ようとしているのか」という
そこを離れることは、「直近はリスク」です
学生が単位をもらえないことや、仕事をしている人がその職場を離れることは、病気にならなくても、直面するのはいずれにせよ、どこかの部分で、「生きる希望を断たれること」にも、感情的に繋がり、そこに直面させられます
社会人でしたら、次の仕事が見つけられないかもしれない…収入がなくなる…収入が下がる…
扶養家族がいれば、深刻な死活問題に直面させられる
そんなことになるなら、56枠打つくらい、「大丈夫なんじゃないか」
打ってる人たちも、全員が全員、亡くなったり副反応起きてないし…「大丈夫なんじゃないか」
そんな、「無理くり、大丈夫なんじゃないか」という、「危険性を訴える人々の言うことはデマ」という(笑)ほい、「ワクチン大臣が公言してる、それこそ、デマ」をよりどころに(笑)
「安全パイは、56枠を打つこと」のほうにあると「信じたい」となるのでしょうwww
でも、ほんとうに、そうなのでしょうか? ということです
ワクチン打たなきゃ単位がもらえない、ワクチン打たなきゃ職場やめてもらう、もう「そんな話がある時点で」
「これはおかしい」と思える、その異常な世界を察知できることが、正常な(笑)高等な脳みそですよwww
正常な人間のほうが少ないのです
56枠の凄いところは(笑)、いずれにせよ、将来その「あなたが今の段階の、自分の想定する未来を守るために、同調圧力に流されても、得ようとした、その将来図」を、いずれ、ねこそぎ奪われる…という部分です
不健康になり、どうせ、辞めることになる、希望の未来は実現できなくなることは56枠打てば確定しています
でも、「打たなければ、未来は、白紙」として、まだ希望はあり
その白紙の未来に、あなた独自の未来を創造していくことができる、という希望の選択肢は残されているのです

こういう話に関しては
私自身が、「過去から、綿々と、経験者であり続けてきた」その話をし続けていますから(笑)短くお話しますが
私は、「自分のハートの判断」に従い、自分の意に沿わないクソな会社などは、サクサク辞めてきましたwww
つまり、自分の感覚優先です
「収入が断たれる」「生活に困る」かもしれないとわかっていても、会社を辞める、高収入からいきなり無職、その後も、年収半分…そういうこともたくさん経験しながら
今に至りますので
あなたがあなたの真実を生きようとする過程で、とらなければならないリスク
それを上回るのが
あなた本来の、「あなたの高次ロード」である、ということです(あなたの直感、感覚、それがあなたを導きます)
ここを本当に信頼できた時
あなたは、あなたの、本来使命へと向かって、後押しされていく
その実感の現実を生きることになっていきます
こっちのほうが、ずっと「生きていて楽しい」ので(笑)
私はこれを、「567以前から」、人様におすすめする立場でございますwww
人間は、身の安全を脅かされる「危機にならないと動かない、重い腰を上げない人」も多いのでwww
むしろ、「56枠打たない」ことが転機となって、その人の本当の清々しい人生が動き出す人
そういう人も、私は、今後、確実に増えることを、感じているところです
(人数は少ないと思いますけど。「天国の道に入るのは、らくだが針の穴を通るより難しい」これはイエスの言葉ですが。そのくらい、高次ロードに行ける人、本質ロードへ行ける、「自分を信じられる」勇気のある人は、この世では少ないからです)

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カテゴリ : PSW制作室
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