「神経質な人は嫌われる」それがこの世の方程式でした
「おおざっぱ、モノを考えない人」=「おおらかな人」=「おおらかな人が好かれる」というその誤解から
どれだけの人が、自分をごまかしてきたのでしょう?
そんなふうに、思い込まされてきたのも、私たち日本人だと思います
「疑問を持つ人」「自分の考えを持って行動する人」は、周囲に同調できない「面倒な人」として、扱われる
これもお客様宛にメールをして気がついたことなので、まんまコピペをしたいところなんですが(笑)
プライベートな事項も含まれますので
ざっくりと伏せ字にしたり、公表できるところを転載します

さて、本来の性質として、要するに「神経質」というのは文字通り「神」のエネルギーの「経路」を備えている性質のこと
神経が細やかだからこそ、氣付けることや、注意深くあれる、氣付ける部分
それらの特性は、どちらかというと
「奴隷を奴隷のままにしておきたい」という(笑)そちら(悪魔)にとっては都合の良くない性質ですので
日本では、神経質な人は嫌がられますが、「人への気遣い」それだけは「すりかえられた美徳」とされていきます
そこだけは、「神経を使うこと」を強要され
それができない人は「気を使えない人」として嫌われますwww
もう、なんなのだ、という話なわけよ
この「気遣い」も、どちらかというと、「相手の気分を良くさせる」範疇のこと「のみ」なので
それが「よいしょ文化」そして、日本人が一年半かけて常識にした「迎合マスク」にも(笑)発展していくわけですwww

さて、やっかいなことに、私たちは、残念ですがほぼほぼの人が
人類史的「奴隷DNA」を継承しています
人類のほぼほぼが、この経験を積み重ね、虐げられる経験を、仮に今生ではしていなくても、どこかで経験してきている
そして、今この時代に生きる人々は、ほぼほぼもれなく、その渦中に生きています
そのため奴隷的性質である「恐れ、不安」これを、「根拠なく、多分に持っている」
程度の差はありますけれど、恐れ、不安、これがゼロです、の人は、ほとんどいないと思いますよ
奴隷が恐れることは、常に「生命の危機」殺されること、虐げられ生きられなくなること、なので「病気」を恐れます
その生命の根幹的な本能欲求が維持されない状態を知覚したり経験することが、現代は大変少なくなった、文明の発展したありがたい社会生活においては、普通に生きていれば、殺されることじたいは少ない世界です(とくに日本はそうです)けれど
日本の場合は、「真綿でクビを締める」社会なので(笑)
直接、相手を殴ったり銃殺したり、腕力で殺されることはほとんどありませんけれど
「じわじわ」「ねちねち」これが常套手段として、定番化しているような社会であり
「言葉で人を殺す」そういう社会でもあります
「病名の流布、流行」なども、上述にもありますが、そんな「狙い」もあるわけですよ
(しかもそれを、「ゴイムのあいだで、ゴイム同士の相互理解のために、いいことのように」流行らせていきますが、もともとそれを最初から「ポジティブエネルギー」として扱ってはいない、だから「病気」と最初から言われるので、どれだけ「病名」がスタンダードになって市民権を得ても、それがポジティブになることはないのです)
「日本語にはその力がある」ことも事実なので
直接手をくださなくても、人を殺せることを先方(悪魔)もよくご存知
日本人DNAは、「摩擦を嫌う」こともよくわかっているので
「じわじわ」「ねちねち」真綿でクビを締める戦法、これが大変「よく効く」ことを知っています
そのため、「神経質」体質は、「自分自身を攻撃する」という、行き場のないエネルギーを自分自身へと向けるようになり
(他人に向かう人もいますが、自身に向けているのとそれも同じです)
「恐れ、不安」の出どころを知らないままに、「表面的な自身の感情」により、どんどん「知覚過敏」となっていきます

こういう話だけなら聞ける人でも
その「根幹、大元」となっている世界の成り立ち、陰謀論のような、今回の世界的詐欺劇場のチンコロの実状のような話になってしまうと
それじたいが、その人の、「恐れ、不安」を掻き立てる話に映り
無意識に、情報遮断をしたくなる人もいると思います
つまり、「知っても、対策をしない」「知っても、素通りしてしまう」という、それを知ること、受け付けることで
自身の「奴隷意識」を認識するということにつながるため
「自分にある決定的恐れ」を「欠陥、都合の悪いもの」と認識し認めたくない、という無意識行動に出てしまうことがあるのです
そして、笑顔で、ソフィスティケイトされた言葉、それこそがあなたを守り人間社会を守る選択肢でもあるかのように誘導されている
「社会のために、他者のために、ワクチソを打ちましょう!」というような
その、人体に未知の治験中ワクチソを打つことが、さも「勇敢な選択」でもあるかのような
人の言葉の誘導に乗せられていきます
(安全じゃないかもしれない、と知りつつ、打つことは、おそらく「なんらかの未知への好奇心、冒険心」でも掻き立てられるんじゃないの? 普段、自分で冒険したことがない人に(笑)そんな疑似体験までさせてくれる、というわけですよwwwそもそも「冒険です」って提供されてる「パック旅行」とか遊園地のジェットコースターのノリみたいなもんじゃないですかwww大衆の「感動するツボ」を抑えて普段エンタメ娯楽提供している広告マーケティングの得意なカバールさんの得意分野だよね。パック旅行やジェットコースターなら安全かもしれないけど(笑)「こいつはわけが違うかも」というのは、松果体が石灰化してるとわかんないんでしょう。ちなみにこの人類の「松果体破壊攻撃」これもカバールは地道に(笑)やってきています。それが歯磨き粉に使われたり調理器具コーティングに使われるフッ素です。この4月から日本でも水道水にご丁寧に提供されとりますよ。カバールは幼児の松果体は大好物のくせにw、奴隷パンピーたちの松果体はw機能されると困るので死滅させたいわけですよ)
そうやって、中身がなんなのかを知ろうともせずに、その「たったひとつの流れ、選択肢しかない」という「誤認」を、自分の意図でもあるかのように共鳴し、「綺麗事」という、本当の目的を隠した二枚舌カバール定番の(笑)常套手段を受け入れていく人もいるのです
奴隷は「自分の意思決定をすることが苦手」です。人に決めてもらうほうがその時は楽、そう感じるのは、「自分の人生の責任は自分にあること」それじたいを認めたくない、誰かのせいにしているほうが、「自分自身を見つめなくて済む」ため楽だからです
ちなみになんで「カバールの綺麗事」って言えるのか?
それは、そういう綺麗事の世界が、「この世で実現していったことがありませんよね」ということを、「注意深く」ちゃんと見ていれば、誰にでもわかることです。
消費税は年々うなぎのぼりですけれど、当初言ってた目的には使われていませんし。「国」みたいな存在の言うことが、本当に、一般的日本人の生活のため、社会実現していくことは、「一般パンピー」たちの実感としてあるのでしょうか? というところでじゅうぶんわかると思います。
挙げ句のはてには国民一人頭の借金がどうこう言い出しますがw「税金払ってる側で、こっちは別にソレ自分で使ったわけじゃない」のになぜか肩代わりさせられている…などなど。
これ、「一般人同士がやったら」それこそ、地獄の沙汰だと(笑)誰もが身に降りかかれば多少はわかることなのに、それが相手が「国」だと距離が遠いから、身勝手さが実感できないわけですよ。
このへんはもう将来ゲサラでなくなりますけどね。
だから、はやくみなさん気づいたほうが(笑)いいんですよ。
カバールのやろうとしていたNWOのガラガラポンは日本人の財産全部ねこそぎ持っていこうとしていたガラガラポンでしたが、そっちではないので。
なんで多くの日本人は、どこまでも悪魔に貢ぎたいと(笑)そういうカバール支持の行動ばかりを選ぶのかwそのへんがもう、ワケワカメですよね。
(また、こういうことを言うと、「感情的に、逆上する」人も多いと思います^^。まぁ、カバールから見ても、「あまりに騙しやすくて言いなりでカンタン過ぎて手応えのない奴隷民族だった…」と(笑)ある意味がっかりしてもいるかも^^それが今の多くの日本人の姿ですよね。キャッチフレーズ的に使いたくない台詞ですがw「目を覚まそう~♪」ってあのロン毛の「ゲートが閉まる商法おじさん」みたいに言いたい気持ちもわかりますよ(笑)。実際に、チンコロ枠は、ゲートというか「分かれ道」でもあると思いますよ。だって、「わざわざ、コロ枠打つって選ばなければ引き受けなかった、面倒くさそうなビョーキになるの確定なトリガーを選ぶ」それですからねwww)

これは、チンコロに限った話ではなく
人間はそうやって、人生の過程において、多くの「囚われた感情」を造成し、それをホールドしていますので
その価値観で、物事を選択し、自分自身にその表面的な感情理由で納得させて進んでいきます
本質から逸れれば逸れるほど、なんかしっくりいかない、自分の人生ってなんなのだろう、という現実展開を創造していく「沼」に入っていくこともあります
(但し、氣付ける人は、そこでようやく気づけます)
私がお伝えしたり、ず~っとず~っとみなさんにオススメしていることというのは
そこに「あなた自身(ハイアーセルフ意図)」を、滑り込ませることはできないんですかね?
ということ(笑)なのです
「気づく」というのは、そのきっかけです
直接に高次と会話をすることはなかなか困難かもしれません
ですが、そのひとつの糸口として、「誰もが気づける」方法として
「なんで、あなたは、そういう性質の人なんでしょう?」という、その人がその人の「性質として、ず~っと人生において持っているものを否定している」部分
そこに鍵はあります
というのは、まずそこを、尊重する、認めること
これをすっとばして(笑)「私、高次脳の人だもん」なんてwwwなれませんので
この世的には、「他者との比較」や「常識」などで、ダメ出しされてきている性質や性格など
それは、ほんとうに、ダメなものなのでしょうか? ということ
「愛だ愛だ」と(笑)言いますけれども、それは、「ほんとうに、愛と言えるのでしょうか? ”フリ”してませんか?」であったり(過去のスピブームは、こんなんばっかwだったと言えるよね)
他者の言う、社会の言う、常識像の理想像を、ひたすら追いかけてやしませんかね? という
幾重にも、「曇った眼鏡のレンズ」にくっついた囚われた思考で、いつもモノ考えてはいませんかね?
というような
「大変、面倒くさい作業」そこへの気づきを要しながら、気づきながら
私たちは、「自分の本質(ハイアーセルフ意図)」にちかづいていきます
だからむしろ、「神経質」なんていうのは、ものすご~くすばらしい「高次ギフト」の性質ということ
あなたがそれを否定しなくなれば、「恐れによる知覚過敏」は鳴りを潜め
淡々と、あなたを生きる、高次ロード方向への分かれ道の選択を、いつしか歩き始めている自分に気づくと思います

コロ枠打って病気になっても面倒くさいですけれど(笑)
いずれにせよ、人生は、あなたにだけカンタンでラッキー、みたいな話は(笑)まずほぼありませんから
高次ロードならすっごい楽!! と言いたいわけではありませんよ
コロ枠推進じゃないほうの「真実を語る人々」なんて、世間じゃキチガイ扱いでしょう? それでわかるじゃん
ですが、自分の心に正直な道を生きる人々は、どこかの部分で、必ず「助けが入る実感」や「胸アツのギフト経験」増えますので
段違いに、嘘ついて生きてた、それにさえ気づいてなかった、観えていなかった自分よりも、どんどん観えてくるものが出てくる自分の人生がだんだん好きになり、結局「なんか使命を生きてるんだろうな」というところに運ばれますから
「自分の感情を肯定しているつもり」で生きている状態とは、ぜんぜんそれは違うのです
ぜひ生きているのなら、そっちのロードへ行きましょうと
個人的には思います
「おおざっぱ、モノを考えない人」=「おおらかな人」=「おおらかな人が好かれる」というその誤解から
どれだけの人が、自分をごまかしてきたのでしょう?
そんなふうに、思い込まされてきたのも、私たち日本人だと思います
「疑問を持つ人」「自分の考えを持って行動する人」は、周囲に同調できない「面倒な人」として、扱われる
これもお客様宛にメールをして気がついたことなので、まんまコピペをしたいところなんですが(笑)
プライベートな事項も含まれますので
ざっくりと伏せ字にしたり、公表できるところを転載します

「◯◯◯」「◯◯」
たしかに、こういった「病名」に「理由を押し付けると楽になる」納得できる、
というのも、実際は、この世の心理操作なのです。
「病名というものが顕れると、その病気になる人が増える」
そのエネルギー場が顕れます。
名前というのは、エネルギー場をつくるための、「術」とも言えるのです。
現代医療の世界では、こういった「病名」そのものを、広く世間に認知させる
ことで、その病気になる人を増やすことにも成功しています。
実際に、お伝えしてもいるように、日本人は「病気になるように」仕込まれて
きていること(笑)これも事実ではあります。
ですが、多くの割合で、「その方が持っている抵抗力(免疫力)」のちからで、
排毒できている方々も多いので、全員が全員、「目立った病気を発症せずに」
それが、更年期ですとか老後あたりになってから、出てくる方が多いのが現状です。
そこに「病名」が最後の仕上げという、トリガーともなるわけです。
実際に、「鬱になる人が現代は多い」と言われ始めてから、うつ患者はうなぎ
のぼりに増え、「鬱であることが市民権を得る」ようになりました。
そして、「更年期障害」に至っては、当たり前のように受け入れる人が増えた
ため、なんらかの不具合症状を持った人は、「とりあえず更年期障害」である
ご自身を、肯定する、認めるようになってきておりますので(笑)更年期障害
の方は、年々、増えているようです。
「もともと◯◯◯◯障害的」ということも、ネガティブに捉えずに、
だからこそ、今まで成功してきている(注意深い人である)という、DNA利点
があるはずです。
それは、「障害」ではありません、ということです。
「細やかである」という、むしろ、「利点」でございます。
その人が持っている性質を、否定するエネルギー、それが「病名確定」の術
なのです。
むしろ、細かいことを氣にすることができない人は、微細な高次ガイダンスに
気づく性質、機会を持つことができません。
細かいことに注意深くなれる性質の人でないと、たとえば、今現在日本人に仕
掛けられているような、職場接種、団体接種の話などについても、「ざっくり
流されて受けいれてしまう」というような顛末になるということなのです。
「おおらか、おおざっぱ」=「考えないようにすること」がまるで日本人的性
質であるかのような、「誤解」をさせてきたのも、近代史における、「戦略」
です。
おそらくですが、「考えてしまう人=病気になる」というような「刷り込み」
も、持っていらっしゃると思います(笑)
昔から、「バカは風邪引かない」のようにw バカで能天気な人のほうが、む
しろ健康…のような刷り込みもありますので、「バカじゃないのにバカになろ
うとしてしまう」そういう方も、けっこう多いのではないかしらと思いますが。
これからの時代、残念ながら、バカだと生きられない時代になります(笑)。
「そういう能天気で考えない楽しい人のほうが生きやすそう…」と、お笑い芸
人さんや、面白い人々などが、日本人を笑わせて、脳内白痴化を進めてきたの
もwやはり、これも時間をかけた戦略だったのです。
考えてしまう、注意深く、脳を使える人である、そのDNAを、むしろ感謝しま
しょうwwwということです。良かったですね。
さて、本来の性質として、要するに「神経質」というのは文字通り「神」のエネルギーの「経路」を備えている性質のこと
神経が細やかだからこそ、氣付けることや、注意深くあれる、氣付ける部分
それらの特性は、どちらかというと
「奴隷を奴隷のままにしておきたい」という(笑)そちら(悪魔)にとっては都合の良くない性質ですので
日本では、神経質な人は嫌がられますが、「人への気遣い」それだけは「すりかえられた美徳」とされていきます
そこだけは、「神経を使うこと」を強要され
それができない人は「気を使えない人」として嫌われますwww
もう、なんなのだ、という話なわけよ
この「気遣い」も、どちらかというと、「相手の気分を良くさせる」範疇のこと「のみ」なので
それが「よいしょ文化」そして、日本人が一年半かけて常識にした「迎合マスク」にも(笑)発展していくわけですwww

さて、やっかいなことに、私たちは、残念ですがほぼほぼの人が
人類史的「奴隷DNA」を継承しています
人類のほぼほぼが、この経験を積み重ね、虐げられる経験を、仮に今生ではしていなくても、どこかで経験してきている
そして、今この時代に生きる人々は、ほぼほぼもれなく、その渦中に生きています
そのため奴隷的性質である「恐れ、不安」これを、「根拠なく、多分に持っている」
程度の差はありますけれど、恐れ、不安、これがゼロです、の人は、ほとんどいないと思いますよ
奴隷が恐れることは、常に「生命の危機」殺されること、虐げられ生きられなくなること、なので「病気」を恐れます
その生命の根幹的な本能欲求が維持されない状態を知覚したり経験することが、現代は大変少なくなった、文明の発展したありがたい社会生活においては、普通に生きていれば、殺されることじたいは少ない世界です(とくに日本はそうです)けれど
日本の場合は、「真綿でクビを締める」社会なので(笑)
直接、相手を殴ったり銃殺したり、腕力で殺されることはほとんどありませんけれど
「じわじわ」「ねちねち」これが常套手段として、定番化しているような社会であり
「言葉で人を殺す」そういう社会でもあります
「病名の流布、流行」なども、上述にもありますが、そんな「狙い」もあるわけですよ
(しかもそれを、「ゴイムのあいだで、ゴイム同士の相互理解のために、いいことのように」流行らせていきますが、もともとそれを最初から「ポジティブエネルギー」として扱ってはいない、だから「病気」と最初から言われるので、どれだけ「病名」がスタンダードになって市民権を得ても、それがポジティブになることはないのです)
「日本語にはその力がある」ことも事実なので
直接手をくださなくても、人を殺せることを先方(悪魔)もよくご存知
日本人DNAは、「摩擦を嫌う」こともよくわかっているので
「じわじわ」「ねちねち」真綿でクビを締める戦法、これが大変「よく効く」ことを知っています
そのため、「神経質」体質は、「自分自身を攻撃する」という、行き場のないエネルギーを自分自身へと向けるようになり
(他人に向かう人もいますが、自身に向けているのとそれも同じです)
「恐れ、不安」の出どころを知らないままに、「表面的な自身の感情」により、どんどん「知覚過敏」となっていきます

こういう話だけなら聞ける人でも
その「根幹、大元」となっている世界の成り立ち、陰謀論のような、今回の世界的詐欺劇場のチンコロの実状のような話になってしまうと
それじたいが、その人の、「恐れ、不安」を掻き立てる話に映り
無意識に、情報遮断をしたくなる人もいると思います
つまり、「知っても、対策をしない」「知っても、素通りしてしまう」という、それを知ること、受け付けることで
自身の「奴隷意識」を認識するということにつながるため
「自分にある決定的恐れ」を「欠陥、都合の悪いもの」と認識し認めたくない、という無意識行動に出てしまうことがあるのです
そして、笑顔で、ソフィスティケイトされた言葉、それこそがあなたを守り人間社会を守る選択肢でもあるかのように誘導されている
「社会のために、他者のために、ワクチソを打ちましょう!」というような
その、人体に未知の治験中ワクチソを打つことが、さも「勇敢な選択」でもあるかのような
人の言葉の誘導に乗せられていきます
(安全じゃないかもしれない、と知りつつ、打つことは、おそらく「なんらかの未知への好奇心、冒険心」でも掻き立てられるんじゃないの? 普段、自分で冒険したことがない人に(笑)そんな疑似体験までさせてくれる、というわけですよwwwそもそも「冒険です」って提供されてる「パック旅行」とか遊園地のジェットコースターのノリみたいなもんじゃないですかwww大衆の「感動するツボ」を抑えて普段エンタメ娯楽提供している広告マーケティングの得意なカバールさんの得意分野だよね。パック旅行やジェットコースターなら安全かもしれないけど(笑)「こいつはわけが違うかも」というのは、松果体が石灰化してるとわかんないんでしょう。ちなみにこの人類の「松果体破壊攻撃」これもカバールは地道に(笑)やってきています。それが歯磨き粉に使われたり調理器具コーティングに使われるフッ素です。この4月から日本でも水道水にご丁寧に提供されとりますよ。カバールは幼児の松果体は大好物のくせにw、奴隷パンピーたちの松果体はw機能されると困るので死滅させたいわけですよ)
そうやって、中身がなんなのかを知ろうともせずに、その「たったひとつの流れ、選択肢しかない」という「誤認」を、自分の意図でもあるかのように共鳴し、「綺麗事」という、本当の目的を隠した二枚舌カバール定番の(笑)常套手段を受け入れていく人もいるのです
奴隷は「自分の意思決定をすることが苦手」です。人に決めてもらうほうがその時は楽、そう感じるのは、「自分の人生の責任は自分にあること」それじたいを認めたくない、誰かのせいにしているほうが、「自分自身を見つめなくて済む」ため楽だからです
ちなみになんで「カバールの綺麗事」って言えるのか?
それは、そういう綺麗事の世界が、「この世で実現していったことがありませんよね」ということを、「注意深く」ちゃんと見ていれば、誰にでもわかることです。
消費税は年々うなぎのぼりですけれど、当初言ってた目的には使われていませんし。「国」みたいな存在の言うことが、本当に、一般的日本人の生活のため、社会実現していくことは、「一般パンピー」たちの実感としてあるのでしょうか? というところでじゅうぶんわかると思います。
挙げ句のはてには国民一人頭の借金がどうこう言い出しますがw「税金払ってる側で、こっちは別にソレ自分で使ったわけじゃない」のになぜか肩代わりさせられている…などなど。
これ、「一般人同士がやったら」それこそ、地獄の沙汰だと(笑)誰もが身に降りかかれば多少はわかることなのに、それが相手が「国」だと距離が遠いから、身勝手さが実感できないわけですよ。
このへんはもう将来ゲサラでなくなりますけどね。
だから、はやくみなさん気づいたほうが(笑)いいんですよ。
カバールのやろうとしていたNWOのガラガラポンは日本人の財産全部ねこそぎ持っていこうとしていたガラガラポンでしたが、そっちではないので。
なんで多くの日本人は、どこまでも悪魔に貢ぎたいと(笑)そういうカバール支持の行動ばかりを選ぶのかwそのへんがもう、ワケワカメですよね。
(また、こういうことを言うと、「感情的に、逆上する」人も多いと思います^^。まぁ、カバールから見ても、「あまりに騙しやすくて言いなりでカンタン過ぎて手応えのない奴隷民族だった…」と(笑)ある意味がっかりしてもいるかも^^それが今の多くの日本人の姿ですよね。キャッチフレーズ的に使いたくない台詞ですがw「目を覚まそう~♪」ってあのロン毛の「ゲートが閉まる商法おじさん」みたいに言いたい気持ちもわかりますよ(笑)。実際に、チンコロ枠は、ゲートというか「分かれ道」でもあると思いますよ。だって、「わざわざ、コロ枠打つって選ばなければ引き受けなかった、面倒くさそうなビョーキになるの確定なトリガーを選ぶ」それですからねwww)

これは、チンコロに限った話ではなく
人間はそうやって、人生の過程において、多くの「囚われた感情」を造成し、それをホールドしていますので
その価値観で、物事を選択し、自分自身にその表面的な感情理由で納得させて進んでいきます
本質から逸れれば逸れるほど、なんかしっくりいかない、自分の人生ってなんなのだろう、という現実展開を創造していく「沼」に入っていくこともあります
(但し、氣付ける人は、そこでようやく気づけます)
私がお伝えしたり、ず~っとず~っとみなさんにオススメしていることというのは
そこに「あなた自身(ハイアーセルフ意図)」を、滑り込ませることはできないんですかね?
ということ(笑)なのです
「気づく」というのは、そのきっかけです
直接に高次と会話をすることはなかなか困難かもしれません
ですが、そのひとつの糸口として、「誰もが気づける」方法として
「なんで、あなたは、そういう性質の人なんでしょう?」という、その人がその人の「性質として、ず~っと人生において持っているものを否定している」部分
そこに鍵はあります
というのは、まずそこを、尊重する、認めること
これをすっとばして(笑)「私、高次脳の人だもん」なんてwwwなれませんので
この世的には、「他者との比較」や「常識」などで、ダメ出しされてきている性質や性格など
それは、ほんとうに、ダメなものなのでしょうか? ということ
「愛だ愛だ」と(笑)言いますけれども、それは、「ほんとうに、愛と言えるのでしょうか? ”フリ”してませんか?」であったり(過去のスピブームは、こんなんばっかwだったと言えるよね)
他者の言う、社会の言う、常識像の理想像を、ひたすら追いかけてやしませんかね? という
幾重にも、「曇った眼鏡のレンズ」にくっついた囚われた思考で、いつもモノ考えてはいませんかね?
というような
「大変、面倒くさい作業」そこへの気づきを要しながら、気づきながら
私たちは、「自分の本質(ハイアーセルフ意図)」にちかづいていきます
だからむしろ、「神経質」なんていうのは、ものすご~くすばらしい「高次ギフト」の性質ということ
あなたがそれを否定しなくなれば、「恐れによる知覚過敏」は鳴りを潜め
淡々と、あなたを生きる、高次ロード方向への分かれ道の選択を、いつしか歩き始めている自分に気づくと思います

コロ枠打って病気になっても面倒くさいですけれど(笑)
いずれにせよ、人生は、あなたにだけカンタンでラッキー、みたいな話は(笑)まずほぼありませんから
高次ロードならすっごい楽!! と言いたいわけではありませんよ
コロ枠推進じゃないほうの「真実を語る人々」なんて、世間じゃキチガイ扱いでしょう? それでわかるじゃん
ですが、自分の心に正直な道を生きる人々は、どこかの部分で、必ず「助けが入る実感」や「胸アツのギフト経験」増えますので
段違いに、嘘ついて生きてた、それにさえ気づいてなかった、観えていなかった自分よりも、どんどん観えてくるものが出てくる自分の人生がだんだん好きになり、結局「なんか使命を生きてるんだろうな」というところに運ばれますから
「自分の感情を肯定しているつもり」で生きている状態とは、ぜんぜんそれは違うのです
ぜひ生きているのなら、そっちのロードへ行きましょうと
個人的には思います

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カテゴリ : PSW制作室
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