絶対的な正義もない世界ですが
絶対的な愛というのも”この世にはない”というか、「これが私からあなたにとっての愛」だと仮に思っていても
相手にはそう映らない(そう受け取れない)ことも往々にしてある
当事者間においては、すれ違いエネルギー、なにひとつ報われないエネルギー
それも、この世の「愛」のエネルギーかもしれません

昨日、偶然に、昔ファンだった作家の山川健一さんの電子書籍版の小説を見つけて
彼はわりと私小説的なところもある小説家だったんだけど
お父様が3年前に亡くなったみたいで
そのことを、「初の完全私小説」みたいに書かれてる、というのを見て、どれどれとさわりだけ立ち読みしてみて
ちょっと驚愕(笑)
「うわ、山ちゃん、こういう生い立ちだったか…」と

彼のお父さんって、…私が当時勤めてた同じ会社の人(笑)だったのでした
自分が20代の頃オーエルしてたその会社名、当時、山ちゃんに告げた時に、「偶然だね。それ、僕のおとうさんの会社だよ。僕は君の会社からミルク代をもらって育ったということだよ」と、小説の文章口調のまま(笑。この方は、普段口から出てくるしゃべるセンテンスと、小説の文体がほぼ同じなw方なのです)おっしゃっておられて
でもソレ以上は「父」について、彼が語ることはありませんでしたし、「仲が良くないんだよね」ということは知っていましたけれど
そりゃ「あの会社の父(バリバリの3次元的価値観であろうと拝察される)エリート、非エリートの完全学歴ヒエラルキー、ピラミッド社会の中を生きた人」が父、その人が、自分の息子が小説家…そして山ちゃんがやってきたような感じの人生は、そういう人にはどのように映るのだろう? という感じは
今思うと、そうですね…あったのでしょうね、相当、そのバトルは
ちなみにですね…「え、でも小説家として名前が世に出て、何冊も何十冊も毎年毎年本が出る人、それが職業で食べていけてる人って、そっちのほうが価値があると思うし凄いんじゃないの?」って、たぶん普通の人は思う人は思うだろうし
(今は出版不況、小説不況もあるだろうから、彼も小説では食っていない様子ですが、昔は、ひとたび小説家デビューすれば、その後は「やりかたが上手い」人であるなら(笑)彼のように、年間何冊かの本は出せたし、一定部数売れる固定ファンもできてくるわけだから、作家は印税生活可能な世界があったんですよ)
たとえばですよ…これは実際に私が本人から直接聞いた別の人の話ですが
私がいた会社はノンプロからプロ野球選手を輩出するような、そういうこともありました
一見、読○○○軍の選手になるほうが、凄いじゃないですか(笑)見た目^^まず普通は無理でしょ? どんな確率だよ、と
でね、ドラフトでそこへ入団した人なんだけど、その人の兄も、同じ会社のリーマンでしたの…兄は要するに普通のホワイトカラー
ドラフトでこれからプロ選手デビュー決まった、一見栄光の道へ進もうという彼でしたが、「なんでそんな冷静なんだよ」と(笑)当時も思ったんだけどさ、「そっちの道(プロ野球選手)と、お兄さんのようにうちの会社に定年までいて出世するかもしれない人生と、どっちのほうがいいと言えるのか」と、当時私がその人に質問してみたらですよ、「そりゃ、この会社にいて出世するほうだよ」って抜かした(笑)んですよ(社会的な立ち位置としてはあのプロ野球団の選手になることよりも、組織の持つ力としては、こっちの大企業のほうが上、という言い方をしていました…その時も「なんと夢のないちいさい話…」と言いましたがw)
私は、たしかに大企業ではあるけど、「そこまでのものなのか?」と常に思っていたのだけど
この社会においての、ヒエラルキー意識としては、当時はですね…男たちにとっては、「ものすごい刷り込み」の世界であること
「社会的地位」というのでしょうか、そういう部分において
「個人が個人の能力、才能を花開かせ、独立して生きる価値」など、大きな組織力の中で権力を持つことに比べれば、虫けらのようなもの、と言ってしまうとアレなんですが
そういう意識が、男性たちに「当然のもの」として育ってしまっていることは、感じましたよね
(30年前ですよ…なので、今は「はっきり、時代は変わった」って言えます。今、こんな化石の意識の人は、当時に比べれば少なくなってきているのだと思いたい^^…どうなんだろう…日本人…今こんな意識を持っていたら、この先、生きられませんよw)

その前提での
そんな社会の持つ価値観を生きることになってしまった親と
自由を求めて生きる息子
そこでは、相容れるはずのないバトルは、約束の世界ですよね
当然ですし、「赦す」必要もない
(最後は相手がボケちゃったから、老人ホームにぶちこみ、終戦となってしまった、的には、さわりでは書かれていましたが)
なぜなら「それが親の愛」と呼ぶには…
これは、子供には、「愛」って呼べないんだよね…
暴力は、ひとつも「愛」にはならない、ただの「支配」であり、「愛の逆のベクトル」に相当するエネルギー
という、いわゆる今で言う、DV親父
こんな強烈なDV親だったのかと
小説読んで、なんとも言えない気持ちに(さわりだけなのにw)なりましたが
なんとなく、どうして私が、20代の頃(から30代の途中までにかけて)山ちゃんに縁があったのか
その理由もわかったような気がしました

DV親を親として子供時代に遭遇しオトナになった、そんな山ちゃんは、小説家という意味では、一流ではなかったけれど
(過去ファンだった人が^^これを言うか、なのですが^^…でもまぁ、客観的に見て、一流という感じではないと思う。コアな「文芸」的な小説を高等芸術的に捉えるような人々から見れば、たぶん三文小説家というか、「売文業」の人という感じでしょうかね)
私が、20代、30代の途中まで
なんとな~く、人として大好きだった、「愛」を持つ人でした
(それは、「まわりのリーマン、エリートたちの世界に、そういう人がいなかったから」というのもありました)
これは「接した人」にしかわからないと思います(笑。「ちゃら男」ぽいというか、あんまり好きじゃない、と思う人も多いと思う)
彼は「自分にかかわる人」いわゆる私のような「ファン」だったり、でもですけれど
愛を持って大事にしてくれるようなタイプの人だったと思う
私がどうにもならないトラブルを抱えたときにも
「こっちへ戻ってこれて良かったよ」と
説得や説教ではなく
(今思うと、これは女性性的な愛のエネルギーでもありますね)
そして、ずっとずっと昔から、スピリチュアルなんてブームでもなんでもない頃から、これは宗教じみたところではなくて、「僕には僕の神様がいるから(外部の神を崇拝する必要はないでしょ)」ということを、言っていた人でした
(彼はのちにヘミシンクの坂本氏がなんと高校の同級生ということで(笑)アクアビジョンアカデミーにも通いヘミシンク体験をし、ヘミシンク体験の本なども書いています。まさに「僕の神」につながってるというか^^そういう感じの「これ山川の小説じゃん」というガイドの話を書いてました。ヘミ前にも「オーラが見えるようになった」とかwそんなこと言っててそういう本もあるので、いっときスピリチュアルブームにとりこまれてそっち行くのかなと思ってましたが、そうなりませんでしたけどね。ちなみにヘミシンクの坂本氏という人は日本におけるモンロー研究所の公認ヘミ代理店ということでアクアビジョンを立ち上げ、元祖ヘミシンクを日本に紹介、拡げたという感じの人です)
「自分で見出すんだよ」ということ
それが他者を自分の影響力に染めよう従わせようというようなタイプの感情支配のエネルギーではなかったこと
(だから、そもそも「この世の小説家としては不向き」とも(笑)言えるというか、どちらかというと「救いのない沼」をそのまま持って読者と共有できる、そっちの人のほうが小説としては「魅力的」なんだろうと思います)
それが、こういう「不条理な暴力の経験」からくる(それが、存在のベースにある)ものだったのか…と
どこかで納得

弱いものへの暴力はちっとも「愛」ではない
それじたいは、あってはならない、あってはおかしい、ほんとうに一ミリも正当性のない不条理なもの
しかし、この世では、それが「その人の運命の高次のスパルタ教育」となる(なってしまう)ことがある
その人が、「愛の人」となるために
イルミナティの教育は、暴力の支配の教育、ヒエラルキー教育
イルミは実子にさえ、最高の暴力儀式を、通過させるのだそうです
(まさに血で血を洗う、狂気の儀式を、子供時代に受けさせられて、愛の感情を喪失させる目的)
しかし、究極の暴力の先にあるものに、必ず「気づく、見出す」のも人間
自分が受けた大きな傷があるからこそ
他者への愛の拡大の世界を持てる人もいた(これは「悪魔の誤算」だったのかも)
それが今までの時代
今はようやく、私達は、そんな教育は卒業できる「愛のレベル」に至ってきているからこそ
暴力のエネルギーの勢力は衰退していく時代となってきた
そのように感じます

もちろん、暴力は、まったく「愛」ではない
しかし不思議と、「親」という立場が、それを「愛」とすり替えてしまう場合がある
親である正当性としての、暴力を行使することを、親の愛と言い出す
これらはおそらく、高次から見れば
その人で終わらない、長い長い、人類の連綿と続く歴史の織物の中では
アクの所業でさえ「そうさせられている役割」があったことなのかと
「感情レベル」では到底納得できませんけれど(また、それでいいと思う)
まさかの、高次の愛の高等教育だった、という
いやいや、心優しい私達には(笑)納得いきませんけれどね
でも
「それを上回る愛の世界」を創造していくための
通過儀礼だったのかもしれない
というのは、あるかもしれません
(ちなみに、オチとして…そんな人が生きてきた「出版」というメディア…これだって(笑)実際のところは「権力」という構造はあるし、彼が友人で協力関係にあった○○舎さん代表なんかも、ぁゃしい人物とは囁かれますが。虎○○リストなどに載るようなタイプではないだろうか。あ、名誉毀損になっちゃうな、こんな事言うと。これ○○リストというのがありますがアレですよ、一般人にダダ漏れ軍事機密などあるわけない気がしますので、どうよ、とは思うけれど、根も葉もない話ではないとは思う。だからね、この世では、ほんとうの正義なんてものは、なかなか生きられない構造じたい、そういう骨組みがつくられてきてしまっているわけなのよ。その骨組みが解体される、そういうところに来ている…ということですが、時間はかかって当たり前だろうと思います)
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相手にはそう映らない(そう受け取れない)ことも往々にしてある
当事者間においては、すれ違いエネルギー、なにひとつ報われないエネルギー
それも、この世の「愛」のエネルギーかもしれません

昨日、偶然に、昔ファンだった作家の山川健一さんの電子書籍版の小説を見つけて
彼はわりと私小説的なところもある小説家だったんだけど
お父様が3年前に亡くなったみたいで
そのことを、「初の完全私小説」みたいに書かれてる、というのを見て、どれどれとさわりだけ立ち読みしてみて
ちょっと驚愕(笑)
「うわ、山ちゃん、こういう生い立ちだったか…」と

彼のお父さんって、…私が当時勤めてた同じ会社の人(笑)だったのでした
自分が20代の頃オーエルしてたその会社名、当時、山ちゃんに告げた時に、「偶然だね。それ、僕のおとうさんの会社だよ。僕は君の会社からミルク代をもらって育ったということだよ」と、小説の文章口調のまま(笑。この方は、普段口から出てくるしゃべるセンテンスと、小説の文体がほぼ同じなw方なのです)おっしゃっておられて
でもソレ以上は「父」について、彼が語ることはありませんでしたし、「仲が良くないんだよね」ということは知っていましたけれど
そりゃ「あの会社の父(バリバリの3次元的価値観であろうと拝察される)エリート、非エリートの完全学歴ヒエラルキー、ピラミッド社会の中を生きた人」が父、その人が、自分の息子が小説家…そして山ちゃんがやってきたような感じの人生は、そういう人にはどのように映るのだろう? という感じは
今思うと、そうですね…あったのでしょうね、相当、そのバトルは
ちなみにですね…「え、でも小説家として名前が世に出て、何冊も何十冊も毎年毎年本が出る人、それが職業で食べていけてる人って、そっちのほうが価値があると思うし凄いんじゃないの?」って、たぶん普通の人は思う人は思うだろうし
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私がいた会社はノンプロからプロ野球選手を輩出するような、そういうこともありました
一見、読○○○軍の選手になるほうが、凄いじゃないですか(笑)見た目^^まず普通は無理でしょ? どんな確率だよ、と
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ドラフトでこれからプロ選手デビュー決まった、一見栄光の道へ進もうという彼でしたが、「なんでそんな冷静なんだよ」と(笑)当時も思ったんだけどさ、「そっちの道(プロ野球選手)と、お兄さんのようにうちの会社に定年までいて出世するかもしれない人生と、どっちのほうがいいと言えるのか」と、当時私がその人に質問してみたらですよ、「そりゃ、この会社にいて出世するほうだよ」って抜かした(笑)んですよ(社会的な立ち位置としてはあのプロ野球団の選手になることよりも、組織の持つ力としては、こっちの大企業のほうが上、という言い方をしていました…その時も「なんと夢のないちいさい話…」と言いましたがw)
私は、たしかに大企業ではあるけど、「そこまでのものなのか?」と常に思っていたのだけど
この社会においての、ヒエラルキー意識としては、当時はですね…男たちにとっては、「ものすごい刷り込み」の世界であること
「社会的地位」というのでしょうか、そういう部分において
「個人が個人の能力、才能を花開かせ、独立して生きる価値」など、大きな組織力の中で権力を持つことに比べれば、虫けらのようなもの、と言ってしまうとアレなんですが
そういう意識が、男性たちに「当然のもの」として育ってしまっていることは、感じましたよね
(30年前ですよ…なので、今は「はっきり、時代は変わった」って言えます。今、こんな化石の意識の人は、当時に比べれば少なくなってきているのだと思いたい^^…どうなんだろう…日本人…今こんな意識を持っていたら、この先、生きられませんよw)

その前提での
そんな社会の持つ価値観を生きることになってしまった親と
自由を求めて生きる息子
そこでは、相容れるはずのないバトルは、約束の世界ですよね
当然ですし、「赦す」必要もない
(最後は相手がボケちゃったから、老人ホームにぶちこみ、終戦となってしまった、的には、さわりでは書かれていましたが)
なぜなら「それが親の愛」と呼ぶには…
これは、子供には、「愛」って呼べないんだよね…
暴力は、ひとつも「愛」にはならない、ただの「支配」であり、「愛の逆のベクトル」に相当するエネルギー
という、いわゆる今で言う、DV親父
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(過去ファンだった人が^^これを言うか、なのですが^^…でもまぁ、客観的に見て、一流という感じではないと思う。コアな「文芸」的な小説を高等芸術的に捉えるような人々から見れば、たぶん三文小説家というか、「売文業」の人という感じでしょうかね)
私が、20代、30代の途中まで
なんとな~く、人として大好きだった、「愛」を持つ人でした
(それは、「まわりのリーマン、エリートたちの世界に、そういう人がいなかったから」というのもありました)
これは「接した人」にしかわからないと思います(笑。「ちゃら男」ぽいというか、あんまり好きじゃない、と思う人も多いと思う)
彼は「自分にかかわる人」いわゆる私のような「ファン」だったり、でもですけれど
愛を持って大事にしてくれるようなタイプの人だったと思う
私がどうにもならないトラブルを抱えたときにも
「こっちへ戻ってこれて良かったよ」と
説得や説教ではなく
(今思うと、これは女性性的な愛のエネルギーでもありますね)
そして、ずっとずっと昔から、スピリチュアルなんてブームでもなんでもない頃から、これは宗教じみたところではなくて、「僕には僕の神様がいるから(外部の神を崇拝する必要はないでしょ)」ということを、言っていた人でした
(彼はのちにヘミシンクの坂本氏がなんと高校の同級生ということで(笑)アクアビジョンアカデミーにも通いヘミシンク体験をし、ヘミシンク体験の本なども書いています。まさに「僕の神」につながってるというか^^そういう感じの「これ山川の小説じゃん」というガイドの話を書いてました。ヘミ前にも「オーラが見えるようになった」とかwそんなこと言っててそういう本もあるので、いっときスピリチュアルブームにとりこまれてそっち行くのかなと思ってましたが、そうなりませんでしたけどね。ちなみにヘミシンクの坂本氏という人は日本におけるモンロー研究所の公認ヘミ代理店ということでアクアビジョンを立ち上げ、元祖ヘミシンクを日本に紹介、拡げたという感じの人です)
「自分で見出すんだよ」ということ
それが他者を自分の影響力に染めよう従わせようというようなタイプの感情支配のエネルギーではなかったこと
(だから、そもそも「この世の小説家としては不向き」とも(笑)言えるというか、どちらかというと「救いのない沼」をそのまま持って読者と共有できる、そっちの人のほうが小説としては「魅力的」なんだろうと思います)
それが、こういう「不条理な暴力の経験」からくる(それが、存在のベースにある)ものだったのか…と
どこかで納得

弱いものへの暴力はちっとも「愛」ではない
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しかし、この世では、それが「その人の運命の高次のスパルタ教育」となる(なってしまう)ことがある
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暴力のエネルギーの勢力は衰退していく時代となってきた
そのように感じます

もちろん、暴力は、まったく「愛」ではない
しかし不思議と、「親」という立場が、それを「愛」とすり替えてしまう場合がある
親である正当性としての、暴力を行使することを、親の愛と言い出す
これらはおそらく、高次から見れば
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アクの所業でさえ「そうさせられている役割」があったことなのかと
「感情レベル」では到底納得できませんけれど(また、それでいいと思う)
まさかの、高次の愛の高等教育だった、という
いやいや、心優しい私達には(笑)納得いきませんけれどね
でも
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カテゴリ : パワーストーンアクセサリ
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