こちらはたぶんですが
イジメに合っているような感じとか
被害者意識を持っている人に、いいんじゃないかなと思います
(「イジメ対策」イジメられない自分になる、という意味では若干また違ったカップリングになると思います。昔、そういうのを依頼されて作ったことがありました。イジメられることが辛かったそうですが、そういう自分をイジメてくる相手に毅然と立ち向かえるようになりました! って、当時は、お伝えいただいたことがあったかな…というのを憶えています。)

よくイジメの話では「イジメられるほうにも原因がある」とか言うんですが
私個人として思うことは
「そんなのない」です(笑)
それは、人をイジメる側が、苦肉の策で持ち出す、あとづけ理由のようなものだと思います
確かに、幼い頃を思い出してみると、クラスの中でみんなにイジメられていたタイプの子というのは、どんな感じだっただろう…? って思い出してみると、やや共通していたかな? という部分があったとしたら
少し、他の子よりも、清潔感がなかった、汚れた服や破れた服をいつも着ているとか、要するに、本人のせいというよりは、それを子供にそうさせてしまっているその親が原因であったのではないかな、という、そういう点では確かに、イジメられるほうにも原因がある、といえばそうだったのですが、でも、それ「本人に原因があった」わけではないですよね
それでも、「不潔っぽい」「汚れている」というのは、嫌われてしまうNG要素でした
そういうのは、昔、あったと思います
昭和の時代ですよ(笑)埃っぽい木造家屋の時代…それでも、日本人というのは、相対的に綺麗好き民族なので、多くの人が昔から、貧しくても、貧しいなりに「身なりは整える」ということはやっていたと思います
穴の空いた靴下を繕って履く、穴の空いた服は穴が目立たないように繕う、ボタンが取れたら付け替える、物を大事にしていた、そして、金銭的には貧しかったわけですが、今の時代よりもずっと「心身ストレス」という意味では、オトナも子供も、実際には少なかったんじゃないかな…というふうにも思えます…
何よりも、今では考えられない「省エネルギー」で(笑)実際生きることができた時代だったんですからwww
ある意味、「ステレオパターン、モデルパターン」があった、「選択肢じたいが少なかった」ことは、まぁまぁ、そこそこ「悩まない」という点においては、ストレス少なかったと思うし、そのぶん「自分の好きなことや得意なことを見つけてそに集中する」ことじたいが、それができる人にとっては実はやりやすかった、とも言える時代ではあったのだろうと思いますので。
昨今は、早くにその流れを作れないと、っていう知恵じたいが存在しているので、「子供のうちから差がつくこと」をもうわかってますよね? オトナが。そのぶん、今子供を育てているみなさんの子育て、すごく大変だろうと思います。
(この時代を必死で生きた、今現在のおじいちゃんおばあちゃんたち(笑)は、物を大事にしちゃうあまりに、ヒトによっては「不用品をどんどん溜め込む」「もういらないものなのに捨てられない」というw「捨てられない病」な人々は多い様子です。結局、あとに残された者が、大量のトラックごみとして処分することになるわけなんですが(笑))

今は時代が変わって、物をたくさん持っていること、それだけが豊かさの象徴ではなくなりました
多くのヒトが気が付き始めていることですが
「こういうのが、豊かさなんですよ~」という、右へ倣えの一元モデルというものがない、そういう世界に私達はいるわけです
なので、「物をもたないことが豊かさですよ」っていう事例もあるんですが(断捨離、ミニマムなど)
これも、うっかりやってしまうと(笑)やっぱり、そういうモデルに憧れて、乗せられてやってみたけど…あれれ? に繋がるケースも出てくると思いますwww
今の時代、「色々なヒトが、色々な豊かさ事例を、人にプレゼンしている最中の時代」というのが、しいて言えば、当てはまるかな、という感じですかね
当人にとっては、「これよ! これ!」なんですよ、どれも(笑)
だけど万人に当てはまる「絶対の法則」ではないので
(「石好き」もその中のひとつ、ですよ。石持てば必ず必勝人生wwwとかではないですよ。感化されないようにしてください。というか、石に目覚めて感化されてくれるのは嬉しいけれど(笑。そのケがある人しか、ここ読んでないと思うし)「そのくらい、石が好き、石に惹かれる、石を手にするのが嬉しい」って、本心で思える感じられる人にとっては、その人にとっての必勝を選んでることになる、それだけです。これも、せっかくの必勝パターンに目覚めているのに、そこに水を差す人々もこの世にはたくさんいますので^^。「石なんて嘘」って言う人々のことですが。ほんと、「他人のことは放っておいてくれないかな」なんですが、どうしても「正しい、正しくない」のお墨付きが、答えが人は欲しいんですよね。だから迷子になるのにね。そこに気付けばいいのに。そういう「正しさ、ジョーシキ」に必死になっているうちに、その中で肝心の自分の人生が終了してしまいますよ。正しさ追求の道がどうしてもシュミなら止めはしませんが。たぶんそういう人はそれをやるのが人生テーマで生まれてきているのでしょう。なんとなくですが、スピリチュアル系には(笑)その正しい正しくないジャッジというか即決を欲する欲求(笑)傾向あるんですよね。「科学」とか「難しすぎる」とあんまり向かわないみたいなんだけど。最近よく感じることですが、科学とスピリチュアルは両輪みたいなところがやっぱりあるので、じきに科学のほうがスピリチュアルな世界をどんどん証明というか確定要素として認めだすようにもなってくるんじゃないでしょうか。ただ、現代の科学は、「権威性」の虜になっているところもあるので、そういう存在に利用されてしまっていると思いますから、まだ難しいですね。これはたぶん「医学」などもそうなんでしょうね。本当はそこに情熱と向上心、探究心を持つ医学系の人々も多いのでしょうけれど、もろ「そっち系」の(笑)「産業」になっちゃってる、ドル箱だから、人間の病気を治す、っていう分野って。これらもこの先には、医療に関わる人々の純粋性が活かされる土壌に変化していく時代になるといいね、って思います。まぁ、その前にいっとき「崩壊」もあるのかもしれませんけれど)
豊かさ迷子も増殖中、それが今の時代かもしれません

そんな多様性の時代にあっても
人間のDNAに継承されてきているとしか思えない「自分よりも、弱いものをイジメる」「自分の気に入らない相手をイジメる、陥れる、ダメージを与える」欲求という性質
これを持ち続けている、その要素を発揮する人も、この世にはそこそこいるので、そういう人にかかわってしまうこと、ぶち当たることは、悲劇だと思います
そういう経験が、被害者意識として無意識の中に残り、本人の中で無意識に育ってしまう結果、「性格の傾向」として、持たなくていい、持つべきではないところで、その意識を発揮してしまうことがある
あなた本来ではない、それを邪魔する感情として、あなたをブロックしてしまうことに繋がるから
自分を等身大で見ることができなくさせる感情も、被害者意識
「被害者意識なんてネガティブなもの、私が持っているわけがない」と自分で思ってるような人が(笑)他者イジメをしていたりしますw
「自分は強いから。弱いもの見てると腹が立つ。だからイジメる」くらいに思ってるわけです、表面上

なのでこのカップリングは、「人をいじめてしまう側、人を蔑んでしまう側」でいる方にとっても、有効かもしれません
気づくと思います
「自分の中にあったもの」だったから、なのだと
(こういう解釈をしちゃうと、「双方に原因」みたいなスピリチュアル解釈も出てきてしまい、「イジメられる側に原因なんてありませんよ」説がなくなる、ダブルスタンダードみたいな話になってしまうので、ややこしいのですが。この関係性は、かかわってしまった双方の「どちらかが気づいて、自分を改善する、変容を選んだもの勝ち」ではありませんが、嫌かもしれませんけれど、それが、遠からず、よく言われる「相手を赦す」にまで繋がってしまうわけです。感情的には、別に、赦さなくたっていいんです。赦すというより、そんなくだらない相手を「あなたがあなたじゃなくする原因」として、あなたの世界に後生大事にとっておく、影響され続けることが、益にならないことを、誰よりも、イジメられた経験を持った側が知ること、そして、自分を取り戻すためにその被害者意識を手放すことの価値は、そのためにあります)
「Lilith」

イジメに合っているような感じとか
被害者意識を持っている人に、いいんじゃないかなと思います
(「イジメ対策」イジメられない自分になる、という意味では若干また違ったカップリングになると思います。昔、そういうのを依頼されて作ったことがありました。イジメられることが辛かったそうですが、そういう自分をイジメてくる相手に毅然と立ち向かえるようになりました! って、当時は、お伝えいただいたことがあったかな…というのを憶えています。)

よくイジメの話では「イジメられるほうにも原因がある」とか言うんですが
私個人として思うことは
「そんなのない」です(笑)
それは、人をイジメる側が、苦肉の策で持ち出す、あとづけ理由のようなものだと思います
確かに、幼い頃を思い出してみると、クラスの中でみんなにイジメられていたタイプの子というのは、どんな感じだっただろう…? って思い出してみると、やや共通していたかな? という部分があったとしたら
少し、他の子よりも、清潔感がなかった、汚れた服や破れた服をいつも着ているとか、要するに、本人のせいというよりは、それを子供にそうさせてしまっているその親が原因であったのではないかな、という、そういう点では確かに、イジメられるほうにも原因がある、といえばそうだったのですが、でも、それ「本人に原因があった」わけではないですよね
それでも、「不潔っぽい」「汚れている」というのは、嫌われてしまうNG要素でした
そういうのは、昔、あったと思います
昭和の時代ですよ(笑)埃っぽい木造家屋の時代…それでも、日本人というのは、相対的に綺麗好き民族なので、多くの人が昔から、貧しくても、貧しいなりに「身なりは整える」ということはやっていたと思います
穴の空いた靴下を繕って履く、穴の空いた服は穴が目立たないように繕う、ボタンが取れたら付け替える、物を大事にしていた、そして、金銭的には貧しかったわけですが、今の時代よりもずっと「心身ストレス」という意味では、オトナも子供も、実際には少なかったんじゃないかな…というふうにも思えます…
何よりも、今では考えられない「省エネルギー」で(笑)実際生きることができた時代だったんですからwww
ある意味、「ステレオパターン、モデルパターン」があった、「選択肢じたいが少なかった」ことは、まぁまぁ、そこそこ「悩まない」という点においては、ストレス少なかったと思うし、そのぶん「自分の好きなことや得意なことを見つけてそに集中する」ことじたいが、それができる人にとっては実はやりやすかった、とも言える時代ではあったのだろうと思いますので。
昨今は、早くにその流れを作れないと、っていう知恵じたいが存在しているので、「子供のうちから差がつくこと」をもうわかってますよね? オトナが。そのぶん、今子供を育てているみなさんの子育て、すごく大変だろうと思います。
(この時代を必死で生きた、今現在のおじいちゃんおばあちゃんたち(笑)は、物を大事にしちゃうあまりに、ヒトによっては「不用品をどんどん溜め込む」「もういらないものなのに捨てられない」というw「捨てられない病」な人々は多い様子です。結局、あとに残された者が、大量のトラックごみとして処分することになるわけなんですが(笑))

今は時代が変わって、物をたくさん持っていること、それだけが豊かさの象徴ではなくなりました
多くのヒトが気が付き始めていることですが
「こういうのが、豊かさなんですよ~」という、右へ倣えの一元モデルというものがない、そういう世界に私達はいるわけです
なので、「物をもたないことが豊かさですよ」っていう事例もあるんですが(断捨離、ミニマムなど)
これも、うっかりやってしまうと(笑)やっぱり、そういうモデルに憧れて、乗せられてやってみたけど…あれれ? に繋がるケースも出てくると思いますwww
今の時代、「色々なヒトが、色々な豊かさ事例を、人にプレゼンしている最中の時代」というのが、しいて言えば、当てはまるかな、という感じですかね
当人にとっては、「これよ! これ!」なんですよ、どれも(笑)
だけど万人に当てはまる「絶対の法則」ではないので
(「石好き」もその中のひとつ、ですよ。石持てば必ず必勝人生wwwとかではないですよ。感化されないようにしてください。というか、石に目覚めて感化されてくれるのは嬉しいけれど(笑。そのケがある人しか、ここ読んでないと思うし)「そのくらい、石が好き、石に惹かれる、石を手にするのが嬉しい」って、本心で思える感じられる人にとっては、その人にとっての必勝を選んでることになる、それだけです。これも、せっかくの必勝パターンに目覚めているのに、そこに水を差す人々もこの世にはたくさんいますので^^。「石なんて嘘」って言う人々のことですが。ほんと、「他人のことは放っておいてくれないかな」なんですが、どうしても「正しい、正しくない」のお墨付きが、答えが人は欲しいんですよね。だから迷子になるのにね。そこに気付けばいいのに。そういう「正しさ、ジョーシキ」に必死になっているうちに、その中で肝心の自分の人生が終了してしまいますよ。正しさ追求の道がどうしてもシュミなら止めはしませんが。たぶんそういう人はそれをやるのが人生テーマで生まれてきているのでしょう。なんとなくですが、スピリチュアル系には(笑)その正しい正しくないジャッジというか即決を欲する欲求(笑)傾向あるんですよね。「科学」とか「難しすぎる」とあんまり向かわないみたいなんだけど。最近よく感じることですが、科学とスピリチュアルは両輪みたいなところがやっぱりあるので、じきに科学のほうがスピリチュアルな世界をどんどん証明というか確定要素として認めだすようにもなってくるんじゃないでしょうか。ただ、現代の科学は、「権威性」の虜になっているところもあるので、そういう存在に利用されてしまっていると思いますから、まだ難しいですね。これはたぶん「医学」などもそうなんでしょうね。本当はそこに情熱と向上心、探究心を持つ医学系の人々も多いのでしょうけれど、もろ「そっち系」の(笑)「産業」になっちゃってる、ドル箱だから、人間の病気を治す、っていう分野って。これらもこの先には、医療に関わる人々の純粋性が活かされる土壌に変化していく時代になるといいね、って思います。まぁ、その前にいっとき「崩壊」もあるのかもしれませんけれど)
豊かさ迷子も増殖中、それが今の時代かもしれません

そんな多様性の時代にあっても
人間のDNAに継承されてきているとしか思えない「自分よりも、弱いものをイジメる」「自分の気に入らない相手をイジメる、陥れる、ダメージを与える」欲求という性質
これを持ち続けている、その要素を発揮する人も、この世にはそこそこいるので、そういう人にかかわってしまうこと、ぶち当たることは、悲劇だと思います
そういう経験が、被害者意識として無意識の中に残り、本人の中で無意識に育ってしまう結果、「性格の傾向」として、持たなくていい、持つべきではないところで、その意識を発揮してしまうことがある
あなた本来ではない、それを邪魔する感情として、あなたをブロックしてしまうことに繋がるから
自分を等身大で見ることができなくさせる感情も、被害者意識
「被害者意識なんてネガティブなもの、私が持っているわけがない」と自分で思ってるような人が(笑)他者イジメをしていたりしますw
「自分は強いから。弱いもの見てると腹が立つ。だからイジメる」くらいに思ってるわけです、表面上

なのでこのカップリングは、「人をいじめてしまう側、人を蔑んでしまう側」でいる方にとっても、有効かもしれません
気づくと思います
「自分の中にあったもの」だったから、なのだと
(こういう解釈をしちゃうと、「双方に原因」みたいなスピリチュアル解釈も出てきてしまい、「イジメられる側に原因なんてありませんよ」説がなくなる、ダブルスタンダードみたいな話になってしまうので、ややこしいのですが。この関係性は、かかわってしまった双方の「どちらかが気づいて、自分を改善する、変容を選んだもの勝ち」ではありませんが、嫌かもしれませんけれど、それが、遠からず、よく言われる「相手を赦す」にまで繋がってしまうわけです。感情的には、別に、赦さなくたっていいんです。赦すというより、そんなくだらない相手を「あなたがあなたじゃなくする原因」として、あなたの世界に後生大事にとっておく、影響され続けることが、益にならないことを、誰よりも、イジメられた経験を持った側が知ること、そして、自分を取り戻すためにその被害者意識を手放すことの価値は、そのためにあります)
「Lilith」


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カテゴリ : パワーストーンアクセサリ
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