「依存」について
今回、他にも
「石に依存することはなく、石に励ましてもらおうという気持ちで…」
などなど、お客様のふとした言葉の中に
なんとな~くですが
「石を好きだけど、信用ならん、それを頼る自分を否定している(肯定していない)」のような
なんていうんだろうか、「石を信頼信用することは依存につながるから、「いけないこと」として、それ注意しています、私」っぽい
無意識の、石のエネルギーをブロックする感覚
お金を出して買った、ということは、もう、あなたの手元にあなたのモノとして彼らはいるのに(笑)どれだけ信頼信用しても構わないのに
それを要するに、「否定しつつ肯定する」的なね…
そんな感じが見受けられましたので

私の、お客様へのご返信メールを、以下、一部転載させていただきます
(転載ここから)
(転載ここまで)
炊飯器が動かない、作動しなければ、「え! おかしい!!」という話ですよね。
石も、炊飯器レベルに「作動しなければ、おかしい」という作動保証ができる(笑)電化製品のような品物ではないところが惜しいのもあることと、「作動しないんですが」ということに関して、提供側も保証をしてさしあげられない品(そこが悔しいw)
「あなたしだいなんですよ」「人により感じ方、効果に違いがあります」の世界
そこをわかっていて、それでも、そういうこと抜きに「これ欲しいな感」があるから、買う
実際のところ、そんな、「感覚、そして、石の見た目の美しさ」などなど
さまざまな要因で、手にしていただいていると思います
「あんまり期待しすぎないようにしよう」「身を飾るものとして、石は気分を上げるアクセサリとしてのものだよね」
くらいの、かっる~い感じで手にすることがいいよね、というのも、それはそれで事実なのですが

「依存しちゃいけない」という感覚
とくに、「モノへの依存」的なことって、こんにち、わりとより、強固に、人に嫌われつつあります
昔から、とくに「石」は、嫌われる(笑)贅沢品www
人間が余計なものわらわら買って物持ちになって、もったいなくて捨てられない戦争経験者世代の日本人(笑)が物にあふれた生活になった…そういう人々に育てられた戦争を知らない子どもたちが人の親や祖父母となっている時代に、私達はいます。
そんな過程を生きる時分からでも、どちらかというと、石は多くの普通の人にとって「不用品」「あやしげ」系の(笑)、筋金入りの、「敬遠する人は敬遠する、ぁゃしい歴史」と、ほんっと、ただの趣味、贅沢品の範疇を超えてはいない歴史があると思いますからw
(そもそも…「スピカテ」がですね、一般社会においてどれだけマイノリティで寂れていようと(笑)それでも、「なんとか存在が継続して一応続いている」…これだけでも、昔からすると、奇跡的な話なんですよ)
昨今、「人氣世界的」に、モノを持つ罪悪感というか、「モノを欲しいと思うこと」そのものへの罪悪感、そういう人氣領域世界も、つくられはじめてきていますからね
断捨離とか、不必要なモノをあまり持たないミニマムの幸福とか、そういうシンプルな感じのほうが、人はより幸福になる様相を語る人々もいらっしゃいますし
実際、「もう自分に必要のないモノ」を捨てることで、モノに執着していた、投影していた感情を手放すことにもつながることがあり、内面の充実感が出てくる、気付きが生まれてくるところはあるので
(これは、不用品を処分することによる、不要情報の祓いの効果です)

しかしですね、ミニマムと断捨離というのは、違うものでして
断捨離はむしろ、「あなたに本当に必要なモノの効果を増す、活かす」そのために、「不用品を処分することで、観えてくる、ほんとうのあなた」を見つけるための「祓いの行動」ですので
好きなもの、自分にとって必要なもの、信頼するに値するもの、
それらをむしろ肯定している自分を肯定できるような、自分が活性化され、活かされる、そんな感じです
だから、決して、「モノを、ただ減らす、持たない」ことを目指しているわけではなく(それは「ミニマム」のほうです)
人によっては、身の回りに、本当に好きなものが、どんどん増えていくことで、運命が好転していく人もいると思います
(でも、それ以前の、自分の心に正直ではなかった不用品のほうが減っているので、モノが増えるモヤモヤの気持ち悪さは、経験しない増え方をすると思います)
手前味噌で恐縮ですが、過去の自分は(笑)このパターンでw 石まみれになりましたwww
(一極投入を石にしつづけ、石貧乏も経験しましたがw(自分がそれを貧乏だと思ってませんでしたけど)、そんなの「勲章」だと感じられます)

もう、「あなたのモノ」として、あなたのために、あなたの目の前に実体存在している、石ブレス。
もし「なにか好きになれないな」感があるなら、それは、不用品だったのかもしれませんから、そこに「依存」すら(笑)できないでしょう
(妥協して結婚しちゃった相手、自分の心に嘘ついて世間の常識に流されて適齢期だからと結婚しちゃった…だからうまくいかない相手なんだ…みたいな世界は、「モノ選び」も石も、同じなところはあるんですよ…ただ、そんな選び方でも(笑)うまくいくようになる「上級テク」を教えてくれるのも、石ですけどwww)
でも、自分が好きで、気に入っていて
だけど、そうやって出会って、今もう目の前にいるのに「依存しないように…」と身構えて接してしまうのは、非常に惜しいです
(笑。これは、対、人間相手でもちょっと近いところもあったりしますよ。近年は、依存心への戒め的な、誰かやなにかに依存している人へとても厳しい社会の傾向もあるから、「依存=自立できていない」という負のイメージが強まっていますから。その結果、「頼ってもいい相手」まで、遠ざけて接してしまっている…自立できない自分はダメな人間ともがいている…そんな人も増えてきている感じがあります。昔のジャパンは、「妻はオットを頼って当然」という空気、風潮があったので、人前でも堂々とオットに頼り切ってる妻wであっても、それがとくにおかしいこととは言われなかったかもしれませんが。現在は、専業主婦が、「働いていない自立していないのに受け取るずるい人」って(笑)そんな目で見られることもある、叩かれるような時代ですからね)
むしろほんとに、石が好きで好きで共にいたい、身につけていてしっくりする、安心する、ほっとする、気分が良くなると、その存在を認めていて、嬉しくてとっかえひっかえwしてみたくなる、その興味もあって、帯同する、連れ回す(笑)
それを「依存」と呼ぶのであれば
石依存でよくないですか?(笑)
そのくらいの依存は、自分に赦しましょうよ(「石が好きじゃない」なら、話は別ですが)
あなたさまに有益なアイテムとして活かしまくっていただければ、彼らも、本望ですからwww
この世では、「依存」と、「信頼、信用」それは、紙一重
物質世界では、まだまだ、肉体という物質状態のわたしたちにとって、「モノ」である石は、モノゆえに不用品でもないですし
依存(信頼、信用)して使ってはいけない、対象ではありませんから
安心して、いっしょに生きてください
いずれ死ぬ時は、嫌でも、物質世界から離れますから
その時までは、心に正直に
石との世界が楽しいと、あなたの心を満たすのであれば、そこに正直に自分を認めましょう
この世の石生活は、それがスタートで、石のミラクルも、そこから加速しますから
それに、あの世へ行ってもしばらくはw
あなたが生前好きだった世界、それはむしろ継続し、今よりもっと不自由知らずの「三昧状態」にさえなるわけなので
好きなことなら、心に嘘をつかずに、この世で追求(気の済むまで)しておいたほうがいいですよ
それがスムーズに、あの世、そして来世へと連携していきます(…って、今あの世とその先の話してもしょうがないけれどね)
(これは、「他者からの理解」は少ないかも(笑)しれませんけれどねw ヲタクっていうのは、多数決世界ではいつも少数派なので、正しい、正しくないを多数決で決めるルールの中では、マイノリティです。そんな寂しさもありますけれど、だからって、「みんなが正しいって思って大多数がやっている常識」が普遍的に圧倒的に正しかった、という世の中が存在したことは、たぶん一度もないと思いますよ)
現在販売中の石アクセサリです。

「健康ブレスPart1」

「健康ブレスPart2」

「7Chakuraサポート」

「上中下Chakuraサポート」

「アマビエヒーリング~水晶バージョン~」

「Heaven's Protection」

「解放」

「リコネクション」

「ベスト・ポジション(再販リクエスト)」
今回、他にも
「石に依存することはなく、石に励ましてもらおうという気持ちで…」
などなど、お客様のふとした言葉の中に
なんとな~くですが
「石を好きだけど、信用ならん、それを頼る自分を否定している(肯定していない)」のような
なんていうんだろうか、「石を信頼信用することは依存につながるから、「いけないこと」として、それ注意しています、私」っぽい
無意識の、石のエネルギーをブロックする感覚
お金を出して買った、ということは、もう、あなたの手元にあなたのモノとして彼らはいるのに(笑)どれだけ信頼信用しても構わないのに
それを要するに、「否定しつつ肯定する」的なね…
そんな感じが見受けられましたので

私の、お客様へのご返信メールを、以下、一部転載させていただきます
(転載ここから)
> 人や物に依存しない、人の意見に惑わされない
>
> まず自分の本心を意識しています
>
> まだまだですけれどね…
いや、石には依存というか(笑)自分がお金出して手に入れた石は「信用、信頼」したほうがいいですw
これ、他のお客様にも先日伝えたばかりなんですけれどw
どうしてもみなさん、「依存はいけないこと」って感覚あるようなんですが
でもさ、たとえば電化製品とか、買うじゃないですか。
で、それがちゃんと作動する、炊飯器ならご飯が炊ける、そこを信頼するから
対価としてお金出して買ったあと、「信頼して使う」これは当たり前ですよね?
「私は炊飯器に依存しているんだ…いけないことしてるんだ…」って(笑)そこで誰も、思わないですよね^^
石もその感覚です。
これ、ブログ記事にさせてもらっていいでしょうかね?
なんとなくみなさん、こと、石になると、不思議と「身構えている」信用しちゃいけないものだと、無意識にブロックしている感があるので。
(転載ここまで)
炊飯器が動かない、作動しなければ、「え! おかしい!!」という話ですよね。
石も、炊飯器レベルに「作動しなければ、おかしい」という作動保証ができる(笑)電化製品のような品物ではないところが惜しいのもあることと、「作動しないんですが」ということに関して、提供側も保証をしてさしあげられない品(そこが悔しいw)
「あなたしだいなんですよ」「人により感じ方、効果に違いがあります」の世界
そこをわかっていて、それでも、そういうこと抜きに「これ欲しいな感」があるから、買う
実際のところ、そんな、「感覚、そして、石の見た目の美しさ」などなど
さまざまな要因で、手にしていただいていると思います
「あんまり期待しすぎないようにしよう」「身を飾るものとして、石は気分を上げるアクセサリとしてのものだよね」
くらいの、かっる~い感じで手にすることがいいよね、というのも、それはそれで事実なのですが

「依存しちゃいけない」という感覚
とくに、「モノへの依存」的なことって、こんにち、わりとより、強固に、人に嫌われつつあります
昔から、とくに「石」は、嫌われる(笑)贅沢品www
人間が余計なものわらわら買って物持ちになって、もったいなくて捨てられない戦争経験者世代の日本人(笑)が物にあふれた生活になった…そういう人々に育てられた戦争を知らない子どもたちが人の親や祖父母となっている時代に、私達はいます。
そんな過程を生きる時分からでも、どちらかというと、石は多くの普通の人にとって「不用品」「あやしげ」系の(笑)、筋金入りの、「敬遠する人は敬遠する、ぁゃしい歴史」と、ほんっと、ただの趣味、贅沢品の範疇を超えてはいない歴史があると思いますからw
(そもそも…「スピカテ」がですね、一般社会においてどれだけマイノリティで寂れていようと(笑)それでも、「なんとか存在が継続して一応続いている」…これだけでも、昔からすると、奇跡的な話なんですよ)
昨今、「人氣世界的」に、モノを持つ罪悪感というか、「モノを欲しいと思うこと」そのものへの罪悪感、そういう人氣領域世界も、つくられはじめてきていますからね
断捨離とか、不必要なモノをあまり持たないミニマムの幸福とか、そういうシンプルな感じのほうが、人はより幸福になる様相を語る人々もいらっしゃいますし
実際、「もう自分に必要のないモノ」を捨てることで、モノに執着していた、投影していた感情を手放すことにもつながることがあり、内面の充実感が出てくる、気付きが生まれてくるところはあるので
(これは、不用品を処分することによる、不要情報の祓いの効果です)

しかしですね、ミニマムと断捨離というのは、違うものでして
断捨離はむしろ、「あなたに本当に必要なモノの効果を増す、活かす」そのために、「不用品を処分することで、観えてくる、ほんとうのあなた」を見つけるための「祓いの行動」ですので
好きなもの、自分にとって必要なもの、信頼するに値するもの、
それらをむしろ肯定している自分を肯定できるような、自分が活性化され、活かされる、そんな感じです
だから、決して、「モノを、ただ減らす、持たない」ことを目指しているわけではなく(それは「ミニマム」のほうです)
人によっては、身の回りに、本当に好きなものが、どんどん増えていくことで、運命が好転していく人もいると思います
(でも、それ以前の、自分の心に正直ではなかった不用品のほうが減っているので、モノが増えるモヤモヤの気持ち悪さは、経験しない増え方をすると思います)
手前味噌で恐縮ですが、過去の自分は(笑)このパターンでw 石まみれになりましたwww
(一極投入を石にしつづけ、石貧乏も経験しましたがw(自分がそれを貧乏だと思ってませんでしたけど)、そんなの「勲章」だと感じられます)

もう、「あなたのモノ」として、あなたのために、あなたの目の前に実体存在している、石ブレス。
もし「なにか好きになれないな」感があるなら、それは、不用品だったのかもしれませんから、そこに「依存」すら(笑)できないでしょう
(妥協して結婚しちゃった相手、自分の心に嘘ついて世間の常識に流されて適齢期だからと結婚しちゃった…だからうまくいかない相手なんだ…みたいな世界は、「モノ選び」も石も、同じなところはあるんですよ…ただ、そんな選び方でも(笑)うまくいくようになる「上級テク」を教えてくれるのも、石ですけどwww)
でも、自分が好きで、気に入っていて
だけど、そうやって出会って、今もう目の前にいるのに「依存しないように…」と身構えて接してしまうのは、非常に惜しいです
(笑。これは、対、人間相手でもちょっと近いところもあったりしますよ。近年は、依存心への戒め的な、誰かやなにかに依存している人へとても厳しい社会の傾向もあるから、「依存=自立できていない」という負のイメージが強まっていますから。その結果、「頼ってもいい相手」まで、遠ざけて接してしまっている…自立できない自分はダメな人間ともがいている…そんな人も増えてきている感じがあります。昔のジャパンは、「妻はオットを頼って当然」という空気、風潮があったので、人前でも堂々とオットに頼り切ってる妻wであっても、それがとくにおかしいこととは言われなかったかもしれませんが。現在は、専業主婦が、「働いていない自立していないのに受け取るずるい人」って(笑)そんな目で見られることもある、叩かれるような時代ですからね)
むしろほんとに、石が好きで好きで共にいたい、身につけていてしっくりする、安心する、ほっとする、気分が良くなると、その存在を認めていて、嬉しくてとっかえひっかえwしてみたくなる、その興味もあって、帯同する、連れ回す(笑)
それを「依存」と呼ぶのであれば
石依存でよくないですか?(笑)
そのくらいの依存は、自分に赦しましょうよ(「石が好きじゃない」なら、話は別ですが)
あなたさまに有益なアイテムとして活かしまくっていただければ、彼らも、本望ですからwww
この世では、「依存」と、「信頼、信用」それは、紙一重
物質世界では、まだまだ、肉体という物質状態のわたしたちにとって、「モノ」である石は、モノゆえに不用品でもないですし
依存(信頼、信用)して使ってはいけない、対象ではありませんから
安心して、いっしょに生きてください
いずれ死ぬ時は、嫌でも、物質世界から離れますから
その時までは、心に正直に
石との世界が楽しいと、あなたの心を満たすのであれば、そこに正直に自分を認めましょう
この世の石生活は、それがスタートで、石のミラクルも、そこから加速しますから
それに、あの世へ行ってもしばらくはw
あなたが生前好きだった世界、それはむしろ継続し、今よりもっと不自由知らずの「三昧状態」にさえなるわけなので
好きなことなら、心に嘘をつかずに、この世で追求(気の済むまで)しておいたほうがいいですよ
それがスムーズに、あの世、そして来世へと連携していきます(…って、今あの世とその先の話してもしょうがないけれどね)
(これは、「他者からの理解」は少ないかも(笑)しれませんけれどねw ヲタクっていうのは、多数決世界ではいつも少数派なので、正しい、正しくないを多数決で決めるルールの中では、マイノリティです。そんな寂しさもありますけれど、だからって、「みんなが正しいって思って大多数がやっている常識」が普遍的に圧倒的に正しかった、という世の中が存在したことは、たぶん一度もないと思いますよ)
現在販売中の石アクセサリです。

「健康ブレスPart1」

「健康ブレスPart2」

「7Chakuraサポート」

「上中下Chakuraサポート」

「アマビエヒーリング~水晶バージョン~」

「Heaven's Protection」

「解放」

「リコネクション」

「ベスト・ポジション(再販リクエスト)」

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カテゴリ : 高次ガイダンス
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