昨日の追記(「経験」の意味)

2020年08月14日 (金) 00 : 00
野球の話なんてw 石ブログで興味ない方もいらっしゃるかもしれませんが^^(すみません)

なんとなく色々思い出したことがあるので

そうそう、守備がかったるくて、土日が練習試合で潰れるのが憂鬱だったという歯医者の先生は

甲子園に出たこともある名門校(笑)の野球部員w

学校名を聞けばちょっとでも高校野球を知ってれば(過去の)名前を知っている学校

そんなところの野球部のレギュラーだった人でも、渦中では複雑な思いを持ちながら、単に「野球が大好き」ってわけでもなくやっていたりするわけですよ

そういうガッコは日本全国から実力がある凄い人をスカウトで集めるw(これはみなさんもなんとなくご存知ですよね)

他県の実力ある本気のプロ志願みたいな人もいたりしながら、ジモティの「守備かったるい」みたいな人も混じりながら

やってるわけです(笑)

でもですね「星の下」っていうのがあって、かったるくても、才能がある人って一定水準以上くらいのことはできるんです

なのでやる気満々じゃなくても実力があるはずの人々が集まる名門校でその中でも一応レギュラー

野球って、けっこう、そういうのが出やすいスポーツだったような気がします



一方で私がいたのは名もなきただの都立高校でしたので、普通にやってれば普通w

まぁ、いわゆる全国大会など、予選初戦敗退、よくて2回戦進めるかレベル…そんなのが「都立高の相場」と言える時代でした

でも色々な縁が重なって

たまたまですが私の同級生の代が、「まぁまぁな実力あるんじゃね」の人々が集まっていたため

2年がかりで最終的に都立の強豪扱いされるようなチームとなっていった様子でした

(「様子でした」ってw他人事なのは3年間つきっきりでお世話したわけではなく、マネージャーは風習として3年生の段階ではメイン業務を下に譲っているため、あんまり3年目の様子は知らないのですw 当時は、私は自分で志願してやっていた部活動ではなく、やって欲しいと先輩に押し切られて引き受けるという…なんていうのでしょう、「縁」「流れ」でやらなきゃいけなくなっちゃった、みたいな感じでやってたので、思い入れがあるようであんまりないのですw)

色んな縁が重なって、というのは、たまたま実力がある人達が集まり、それを「見出し」「認める」タイプの監督が就任したからでもあり
都立高の野球部なんて通常でしたら年功序列、順繰りに、当たり前に3年生がレギュラー、そうやって毎年繰り返しする

それを就任した監督が「そこそこイケそうなこいつらを2年かけて育てる」のような発想をする人でしたので、早い段階から下級生がスタメンだったわけです

上級生の先輩方との感情的摩擦はきっと当然あったのだろうと思いますが、実力の世界、という部分を直視すれば、そのほうが「チームとして強くなる」という点で、まぁ妥当なことなわけなんですよね

でもそれを見抜き、それを実行する監督さんの出現がなければ、実現しなかったことだと思います

(確か、ヤンキースの松井さんも星陵高校では一年生の時からキャプテンでしたよね・・・そういう「星の元」「縁」っていうか、あるんですよ、人間には)



私がお手伝いしていたのは、強豪ではない(笑)それを目指すための過渡期、過程でしたからw

いわゆる成長するための段取りのサポート

可能性のステージ作りのサポート

誰もちやほやしてもくれない(笑)段階でのサポートの立場

なので「練習試合」などもマネージャーが、まさに「テレアポ」の世界で^^掴み取るわけですが、ほんとにね…

あれって何だろう、営業力、交渉力(笑)というよりも諦めない「粘り」なんですかね

諦めたら終わりっていうか、「どうせうちみたいな名前のないへぼ学校と、私立の甲子園出場レベルの名門学校が、練習試合なんてしてくれるわけがないよね」というふうに思っていたら、アウトなんです

「万が一にも、イケるかも」という可能性、それを捨てたら、もうそこで名門校に「電話してお願いしてみる」気力がなくなります(笑)

断られるのって、嫌なものですw
「はぁ? オタクどこ?」と、電話の向こうで、完全にナメられている空気(笑)わかるわけですよ

でも、監督もチームも、「強い相手と練習試合がしたい」わけなので、自分たちが勝てるところとばかり、練習試合を重ねても、実力は伸びませんから

もちろん数字というのは正直なので、「勝てるところに勝つ」数字を増やすことも大事です
なので、勝てるところに全勝する経験じたいは大事なので、とにかくひたすら土日は全部練習試合(笑)
その中で、時々、「実力レベルがすごく上であろうと想定される相手が出てくる」ことが、大事だったのだろうと思います

なのでなるべくいわゆる「強豪」的な相手とのアポ取りにトライしていくことが基本でした
たいていは断られるので(笑)ほとんど「運」でしたよね

でもね・・・諦めずに電話をしていると、たまたま日程が空いていたのか、たまにはぬるい相手と試合でもやって骨休めしようって話なのか、「え? なんで?」と(笑)そういう奇跡のアポ取りが成功することはあったんです^^
それらは「手柄」として、褒められることはありました(笑)
自分でも、そういうのはちょっと「得意」っぽい感覚も持っていたところありましたが。
でもまぁ、今思うと、そういうのって全部「たまたま」です(高次の手柄wです。「偶然」っていうのはすべてそういうものかと感じます)



私は、なんとなくそういうのを「引く」タイプのエネルギー媒体だったのでしょうか

なので2年生のときでしょうか

私がくじを引いたんだけ? と記憶している(いや、違うかな・・・記憶は曖昧です)大会では、2回戦だったか3回戦だったか忘れましたが、そこでいわゆるシード校、私立の名門強豪、甲子園常連校で当時は予選の優勝候補(笑)とぶちあたるくじだったりで(笑)その時は、ものすごく嫌がられたようなw
なんか、そういうチャレンジ感あるめぐり合わせ^^を引いてくるやつ、っていうことで、こいつに引かせてはいけないと、私が引いたわけじゃなかったのかな?

「強いものと勝負してこそ実力が磨かれる」と普段は言いながら、それは「練習」だと都合がいいわけで、「本番の大会では、楽にコマを進めてベスト8に残りたい」というのがw 人間の本音ということですな
(天はそういうのは許さない(笑)わけですよ)

でもその時の大会は、その考えられない「強豪」に、結局「奇跡的に勝った」のですw
(正直、ほっとしました・・・しかし名もなき都立高などに予選の早い段階で敗退したその名門校のその時の代の人たちにとっては、おそらく代々のその学校の野球部の歴史の中では黒歴史になってしまったのかもしれないですけれど、人生にはそういうこともあるわけですよ・・・油断は禁物ということかと。そういう番狂わせが人生にはあるわけなので)

翌日の新聞では、うちのガッコの名前ではなく、一面に「○○が(都立校なんかに)敗れる」というwネームバリューのある、負けた名門相手のガッコの名前が、でかでかと(笑)「信じられない残念な奇跡」のように紙面に飾られていたことを、憶えています(笑)

負けても、世間にフィーチャーされるのは”ブランド”のほうなわけですよ(笑)

世の中(メディア)がそういうものなのだ、っていうことは、10代から学んでいたということですな

あれ、夏は朝日新聞でしたっけ? あいつらほんと「こっちが言ってもないことを」書くんですよ…私もやられましたからね…「○○を倒した都立高」として4回戦までコマを進めた頃には、新聞記者のインタビューとかやってくるんですが、

なんかね、「甲子園に行きたい」って(笑)どうしても言わせたいみたいなんですよ。
でも別に、甲子園に行きたいというよりは、まず「都立の強豪」という、当時としては「異例」の存在になること、それがチームの目標でしたので、監督も主将も、そんなこと言わないわけです。

なので私も言わなかったんです。
でも「誘導尋問」のように、「でも、行きたいですよね?」と何度も聞かれたので、「まぁそりゃ、そうなんじゃないでしょうか」と答えたら、翌日の新聞には、監督→「まずはベスト8、都立の強豪へ」主将→「まずはベスト8、都立の星へ」マネージャー(私)→「甲子園に行きたい」ってなっていて。
なんだこのアホマネージャー風味w

「メディアの嘘」は、高校生の時に(笑)実体験しましたよ。

「高校球児は、甲子園に行きたい、出場したい、って思っているもの。甲子園大会に出ることが最終的ステイタス」と観ているものに常に思わせたいんでしょうなw(そりゃそうやって夏の全国高校野球甲子園大会をブランド化すれば、新聞の部数が伸びるからです)

すごい演出感まるだしで
勘弁してほしいと、当時思いました

当時、チアガールやってくれてた女子も(笑)新聞記者にインタビューされてたみたいで、「な、こと言ってないよ」なw「○○のファン(同級生のチームメイトの名前)」とか書かれてw 憤慨していましたがwww

みなさんもメディアに何かを聞かれた時は、相手の誘導にのせられて、そこだけ切り取られないように注意してくださいね。



いわゆる成長するための段取りのサポート

可能性のステージ作りのサポート

誰もちやほやしてもくれない(笑)段階でのサポートの立場

今も

自分が人にお手伝いできる要素

人の未来の可能性を引き出す

人のアセンションのお手伝い

そういう仕事をしているんだな(好む好まないに関わらず)

という自分に驚愕します

なので「土日が練習試合で潰れた」一般的には”10代の楽しい盛り”に(笑)けっこう大事なことやってたw

それを将来やるための訓練

(こういうのも「高次の誘導」ですよ。必ずしも、本人が好きなやりたいことばかりが、のちのちのその人にとって大事な重要な素養を決めていくわけではないです)

そして、好む好まないにかかわらず

「それが私に出来ること(お役目のひとつ)である」ということを経験していた

こういうふうに

「その人の経験にはひとつも無駄がない」

そう言えるのです

みなさんも、なんとな~く、配役的に

自分のタイプというのか

経験してきていることの中にある、その中で

「自分を含めた全体がそれで良くなっていったような感じの役回り」というのが

あるかもしれませんが

わりとそれはキーポイントなところがあります

自分ではそれを「得意なこと」としては認めていなかったけれど
(本人にとっては「自分にそれができてしまうこと」は自分でそれが得意だとは気づいていないこともあります)

そういうのを、探してみるのも、いいかもしれません

一般の世の中で価値があるスキルとみなされるもの

そういうものではない、何気なくやっていた経験の中にも

「その人ならでは」のスキルは、経験済みで、埋もれているものなのです



そして最後に

昨日は、「応援団の人たちの落胆のほうが凄い」という話でしたが

これは、いわば、例えて言うなら

子供を支援する側の立場である、親御さんたちの心境にも通じるものがあるのかもしれません

子供が試練や、抗えない現実にぶつかっている時

もっと落胆する当事者なのは、親ではなく、子供なのですから(笑)落胆している場合でもなく

高校野球の晴れの舞台がなくなったことで、この世の不条理を感じている当事者たちは、「無言」でそれを噛み締めている人たちもいるでしょう(本当に悲しいとむしろ表に出せない騒げない、ということもあるので)

だけど試練は人を育てます、という一面があり、歴代の高校野球で初の春夏大会の中止、それを味わった人たちは
必ず、そこに見出すものがあるはずです

かつての就職氷河期と言われた世代の人たちも

その中で、大きな飛躍、成功をされている方々(昭和のぬるい世代にはできなかったような)も数多くいらっしゃいます

「氷河期だからダメだった」と環境のせいにすればできたかもしれない、その中で、自分の道を可能性を見出していき、成功している人々もいるのです

人の明暗を分けるものは、外側ではなく、内側にあります

「すべてはあなた次第」

あなたが現実世界を、その持ち場で、自分の強みを発見しながら、創造していく

それがこの世の修行(笑)、試練(に見えるもの)の正体は、あなたの成長のためのステージなのです






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カテゴリ :  高次ガイダンス
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