自分の好きな世界

2020年07月12日 (日) 00 : 52
これはお客様に宛てたメールの一部です。

話の流れと全容をお伝えしづらいのですが、「人と関わること」の必要性うんちゃらについて、の話。

結論から言うと、必要といえば必要。

これはブログでも度々、端々でお伝えしていたかと思うのですが、

ほら、コロナ自粛の期間に、やたらに

「人と会えなくなったことが、精神的大打撃でストレスになってるような人々」

もいれば

「別にそこは…とくに普段と変わらんし(←あたしみたいなパターン)」

な人もいれば…

でしたでしょ。

この理由についても、記事には多少、してきているのだけど。

あんまりそこは伝わっていないようなので。





ちょっと転載してみますね。メール文。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人と関わることは、この世で「存在」するにあたって、そこそこ必要です。
自分以外の他者に認められること(存在として、いることを、知られること)が、
肉体存在できる基盤のようなところがあるからです。

なので、「少し人と関わる必要があるかな…」の部分は、○○様の「ハートの声」
です。
そして、「でもその反面、煩わしさや、緊張…」と、心配の感情(過去のリンク)
が出てきてしまうのは、それが○○様の、表層の自我の声。

このへんの違い、わかりますか?

でもその「関わる」は、「人に認識される」だけでいいんです。
存在してる、って、観られるとか、その程度でいいんです。
人間と「深く関わろうとする必要」はぜんぜんありません。

なので、その境界線と節度を持って、人と淡々と関われるのが、たとえば「仕事」
の場所であったりするので、むしろ、仕事を持つことというのは、よっぽどうま
くいかない家庭内の人間関係改善などよりも、難易度としては、おそろしく低い
ハードルで済むことなのです。

仕事の場合、最低限、仕事の現場で仕事ができている人であればいいわけです。
で、最低限のマナーというか、「いい人だと思われなくては」とか、自分じゃな
いものになろうと(笑)無理をしなくても、普通にしていれば、まわりも普通に
してくれる(笑)というか、反射鏡として、非常に自分がよく映し出されるのが、
職場かな、と感じます。

ちなみに、
関わる、認めあえる存在というのは、「人」限定ではありません。
動物や、へんな話、石でも(笑)「自分ではない、別の対象」から認められるこ
とが、「存在として認められる磁場」エネルギーのようなものに貢献してくれま
す。だから、それはあらゆる対象に拡がります。「好きな場所」でもいいのです
よ。

これは、お互いがお互いの存在を「認める」ことで存在確定が成立します。

自分は相手を認めたくないんだけど、相手からは認められたい…的な、
よく人間相手に抱きがちな「感情」が錯綜するとややこしくなる(笑)ところが
あるので、人間相手が苦手な人は、人間以外の(笑)対象でもいいのですよ。

近年は、ペット飼い人口も増えていますし、石ブームもいっときの過熱状態は去
りましたが、石好き人口もあいかわらず一定数いらっしゃいますし、わりと「自
分の好きな世界や、趣味のモノ」に関して、夢中になる人も多いです。
きっとそれは、「人間相手のわずらわしさより、ずっと幸せ♪」っていう実感値
の高さもありますし(笑)
スピ的意味合いとしては、こういう「自他の存在確定」のためにも、無意識に、
ちゃんとみなさんそれぞれに、任務をこなしてはたらいているわけです。

一見、「人間じゃないもの」に対して、自分の趣味のものなどを大事にする人は、
わがままにも見えたり、なんか無駄なことをしているようにも見えるのですが
(笑)「宇宙的視点」からだと、かなり必要あって、やっています。

人間は「いるだけ」で、そういう意味では、他者の存在確定をする仕事をしてい
ます。無職の人、無用の人は、残念ながら、いないのです。

「愛」とか言い出すと、また、ややこしくなりますが
そういう、ご自身が、心に正直に好きな、惹かれる、認めあえる対象を、お探し
になられるのも、また、良いかもしれません。

そうそう、だからよく、「トシとっても趣味のある人は若い、生き生きしてる」
などと、一般的にも、趣味持つことが若さ維持だの健康維持だの言われますが、
これは、宇宙目線でも理にかなっている、ということなのですよ。

こう言ってしまうとアレですが…
「無理に、この世界で、望まない人間関係うんちゃら」に関わっていく必要は、
からっきし、ございません(笑)。
最低限、生きるために必要な人と関わる必要はありますし、そこでは「普通にし
ていればいい」それだけで、ぜんぜん大丈夫なんです。

しかしながら、その場合には「自分の好きな世界」はお持ちになられることを、
オススメします。
(これがある人は、人間関係で右往左往しない、一見、その人の自分軸があるよ
うな感じ(笑)になるのです。ようするに、人間以外に認めあえる対象を他に持
つ人は、存在確定がそこによってなされていくところがありまして。別に無駄に
人と関わらなくても寂しくもないし、不安でもないからです。人と関われなくて
寂しくなっちゃう、エネルギーダウンするようなタイプの人は、自身の存在確定
を相当「人間」相手に比重を置いておられるような方かな、ということです)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

という話。





うちは石ブログだし、「石が好きな人」が見に来ているわけだから、ということを前提にお伝えすれば、「ほんとうに心底、石が大好きだし、石といっしょにいると安心する」みたいな感覚を持てる人は、とくに「他人に認めてもらわなくても」そんなに寂しくない(笑)はずです。

石を我が友というか、いっしょに生きる同志的に、愛している、大事にしてる、好き、みたいな感覚で、好きな石たちと「いっしょに生きている、いっしょにやっていってる」ぽい、そういう感覚。

新しい石に出会うわくわく感も、尽きることがない感覚(←これを、もうたくさん持ってるし、とか、今まで持ってた「分量」で測って、ごまかす人もいるけどね。物質だから、そう思っちゃうわけ。)

時に、他人からはさ、

「石に頼っちゃって」とかね(笑)

ただのヲタクにしか見えない場合もあるでしょう。キモい人にも見えることもあるでしょう。

そういうの、「ペット命」の人なんかも、そう見える人には見えるのよ。

ペットがいる人同士のあいだでは、「わかる」ことなんだけど、動物飼いしてない人から見ると、犬猫なんかよりも、人間同士の愛のほうが大事なんじゃない? とも見えたりもすると思う。

そして、それを穴埋めする「代用品」のようにも見える人には見えると思う。

でも、そうじゃないのよ(笑)

むしろ、「人間なんかで代用などできません」なわけなんだから。

他のシュミも、いろんな人が持っている、いろんなシュミも、そうね。

他人のそれも、なので、あたしはそれを「認める」わ(笑)。

クルマが好きとか、カメラが好きとか、服が好きとか、特にそれが好きでもない人にとっては、どうでもいいものなんだけど、そういうのが「好き」「なくてはならない」と思って、それら収集し続けている人にとっては、その人の存在を確定させてくれる「相手」なのです。

もしここ読んでおられる方で、

「シュミに散財する自分(もしくは家族など)」を、責める感情お持ちの方がいたら。

それはむしろ「必要」なことなので。責めるどころか、肯定したほうがいい。その人が「存在するため」とも言えるのですから。

(まぁ…「モノに負けてる自分」ってね(笑)家族がそれをやめてくれない家計を圧迫している…みたいな奥さんとか、いらっしゃるかもしれないけど。「自分よりも、モノが大事なの? 自分より、ペットのほうが大事なの?」って、人が好きなモノやペットにまで嫉妬したり(笑)そんなこともありそうだなぁ…事実、ワンちゃん飼いの奥さんとかね、「旦那が死ぬより、この仔がいなくなるほうが、ずっと悲しい」という(笑)おそろしく正直なこと言う人もいたりしますし、それにそういう人、少なくないのよw 一見、モンダイっぽいけれど、いいんじゃないでしょうかね、それでも。そのくらい、好きな愛する仔に出会えたこと、そういうのがその人の人生をよくしてくれた大切な財産なのよね)





…という感じで、

無理に「人間相手限定」で、ご自身の世界を、決定していかなくてもいいんですよ、っていう話。

この世界に存在することを、あなたがあなたでいることを、心地よく感じる、創造するために、何も「人間関係のみが、その手段、方法」というわけではなく、また、この宇宙は、「人間のもの」「人間だけが存在している」というわけでもありません。ということ。

人間には「役割」はあることはあるけれど、人間がいちばん偉いというわけでもないし。

万物のひとつだし。

ワンネスって…人間同士だけって設定だと、だってなんかそれこそキモいじゃないですか(笑)

この世は、人間が幅を利かせた世界だからね、「人間相手限定」になりがちだけど。

それが、あなたの人生決める、存在理由の決定打、ってわけでもないのよ…ということは、知っておいてもいいと思います。


追記:

「仕事」をする「職場」の人間関係、そういうものでお悩みの方にとっては、「そんなに淡々としたものではない…」という場合もあるかもしれませんが、「前提として」職場という場所は、「仕事をする場所」という、仕事ができる能力があることに注力さえできていればいい、それでコトが運ぶ場所であります。

その場所で、「人への好き嫌い」などの感情を持ち込む人々も一定数いますので(というか多いので)面倒くさい、って思うかもしれないのですが、そういった感情エネルギーからの境界線を引きながら、自身も他人も存在しやすいのが、職場、仕事場なのです。
結果、そのほうが「居心地がいい場所」になったりもします。
どなたも「会社の人間関係に左右される居心地」を選択する必要はないのです。

「え、でもうちの会社は人間関係で決まっていくし…」みたいな人間同士のヨイショ会社で苦労してるなら、そんなところはやめて、そうじゃないところへ移動すればいいだけです。いくらでもあります。

家族関係などは、この世ではもっともその感情エネルギー場をなかなか切り離して、対応することができません。
自分がそうしたくても、自分もまわりの家族も「家族って打ち解けてる愛ある間柄で”なくてはならない”」という、根強い固定観念を、人間は持ちがちです。持っていると思います。
なので、それをしない家族というのは、「冷たい人」とか(笑)非人情な人として扱われたりもしますから、無理して、「家族のために」みたいな感情を想起しようと頑張って疲れている人も多いと思います。

そういう方にとっても、「お好きなら」石は(笑)いいんですよね~
くそな家族(笑)よりも、よっぽどあなたのためになってくれるwそんなこともあるわけですよ
ちなみに、家族がくそだと思うなら、そう思ってるご自分を認めていいんですよ。
そこをキレイめに「私は振動数の高い聖人なのだからそんなことを思うはずがない」と思考をごまかそうとしなくてもいいんです。
で、そのくそだと思う自分が心地よくない残念なのであれば(実際、心地よくないですよね)、「どうなったら最低限そう思わないのかな」という、三方良し方法を見出すしかないです。相手に求めるよりも、そこが「自分が変わる」ところです。
なので、けっこう、家族関係の人間関係改善は、難しいわけなんですよ。



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カテゴリ :  高次ガイダンス
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