前回に引き続き
石の仕事一本で生きていくことになってから
仙人生活だった私が日々やっていることと言えば
石アクセサリづくりに没頭
これは傍目から見れば(そんなことに興味のない人から見れば)
まったくもってつまらない人生に(笑)見えたと思います
ところが当人にとって
なぜに? という充実度
人生が肯定感に溢れている状態って、「今を生きる」ってこういうことを言うんだなという体感(笑)
実際、常に常に「今」だけを生きていました(笑)
「毎月、月末」敷いて言えば、日付として、目安として、区切りとして、存在していた「決まった時間」はそこだけ
(笑。これもなかったら、ほんっとうに、この世に存在しない人同様(笑)ですよね、きっと)
先のこととか、考えて不安になるとか悩むとか、それらが霧散、そういう部分を一切悩むことがなくなった
「自分が自分である」ということを、肯定というか、存在していることがものすごくそれだけで「感謝」というのでしょうか
そんな感覚


もちろんですが、「優れているものを人にご提供したい」という部分での欲はゼロではなく(笑)ここはこの世で言う「向上心」それは捨てていない
でも「他者にそういうものを提供できなければ意味がない」的な「よそとの比較」も不思議とまったく出てこない
そういうタイプのコンプレックスというのでしょうか、不思議と、その手の焦りのようなものも、ぜんぜんなかったんです
なぜかそこには根拠なく自信があった(笑)というか(それこそが「石たちのちから」の影響でもあると^^思います)
「たぶん過去生でもこういう仕事をしていたのでは」と思っていました(笑)
あまりにも、スンナリできるので
もちろん、石アクセがこういう仕事をしてくれた!! っていうご報告をいただけることは嬉しいことは嬉しいのですが
「私はそのために頑張ってきました」みたいな(笑)わけでもなかった
なんでしょうか、そういう、「見返り」をあんまり求めていない感覚がずっとありましたかね…自分にできる「当たり前」のことをしているというか…もちろんですが、お役には立ちたいのですが、それを必ず褒められたいとか、そこが目的じゃなくて
(よく「ありがとう」って言ってもらうと励みになるとか言いますが、そこはとくに励みにしていなかったです。御礼とかとくにいらないっていうのか。「お金(エネルギー)」という対価はもういただいているその時点でじゅうぶん御礼ってしていただいてる、ってことじゃないですか^^。ソレ以上、いったい何を欲しがるのだ…というね。だから、わざわざ、それ以上に御礼までいただくと、むしろ恐縮してしまうというのか)
もちろん褒められれば嬉しいことは嬉しいんですけれど(笑)でもね、
「わたしの力であなたを幸せにします」のような世界ではなく、
人は、その人の、高次ガイダンスとの二人三脚を生きるようになると、「放っておいても充実する」その方向へしか行かないこと
(他のスピリチュアル表現でいうと「あなたのブループリントを生きる」とか「あなたの使命を生きる」とか「あなたのカルマ(囚われ)を克服する」とか、色々に言われますが、まぁ、そんなところ)
それが、「石とのコミット」により、可能なこと
自分の場合は、そう確信ができていたから…なのかなと思います
世にいう、「あなたの好きなことをしましょうよ、それがあなたの成功につながる」の世界は、ほんとう、って
そう実感がありましたので、私も、そうお伝えもしていたこともあったと思いますが
これは前哨戦というのが、必ずありまして
どんな「今は好きなことをしている」人も、必ず「今まで好きなことだけをしてきた」人生ではなかった時期が(笑)あるはずでして
これが実は「まったく無駄ではない」という
むしろ「必要だった」という
その理解が、いわば「癒やし」であったりするわけなのです
石の仕事一本で生きていくことになってから
仙人生活だった私が日々やっていることと言えば
石アクセサリづくりに没頭
これは傍目から見れば(そんなことに興味のない人から見れば)
まったくもってつまらない人生に(笑)見えたと思います
ところが当人にとって
なぜに? という充実度
人生が肯定感に溢れている状態って、「今を生きる」ってこういうことを言うんだなという体感(笑)
実際、常に常に「今」だけを生きていました(笑)
「毎月、月末」敷いて言えば、日付として、目安として、区切りとして、存在していた「決まった時間」はそこだけ
(笑。これもなかったら、ほんっとうに、この世に存在しない人同様(笑)ですよね、きっと)
先のこととか、考えて不安になるとか悩むとか、それらが霧散、そういう部分を一切悩むことがなくなった
「自分が自分である」ということを、肯定というか、存在していることがものすごくそれだけで「感謝」というのでしょうか
そんな感覚


もちろんですが、「優れているものを人にご提供したい」という部分での欲はゼロではなく(笑)ここはこの世で言う「向上心」それは捨てていない
でも「他者にそういうものを提供できなければ意味がない」的な「よそとの比較」も不思議とまったく出てこない
そういうタイプのコンプレックスというのでしょうか、不思議と、その手の焦りのようなものも、ぜんぜんなかったんです
なぜかそこには根拠なく自信があった(笑)というか(それこそが「石たちのちから」の影響でもあると^^思います)
「たぶん過去生でもこういう仕事をしていたのでは」と思っていました(笑)
あまりにも、スンナリできるので
もちろん、石アクセがこういう仕事をしてくれた!! っていうご報告をいただけることは嬉しいことは嬉しいのですが
「私はそのために頑張ってきました」みたいな(笑)わけでもなかった
なんでしょうか、そういう、「見返り」をあんまり求めていない感覚がずっとありましたかね…自分にできる「当たり前」のことをしているというか…もちろんですが、お役には立ちたいのですが、それを必ず褒められたいとか、そこが目的じゃなくて
(よく「ありがとう」って言ってもらうと励みになるとか言いますが、そこはとくに励みにしていなかったです。御礼とかとくにいらないっていうのか。「お金(エネルギー)」という対価はもういただいているその時点でじゅうぶん御礼ってしていただいてる、ってことじゃないですか^^。ソレ以上、いったい何を欲しがるのだ…というね。だから、わざわざ、それ以上に御礼までいただくと、むしろ恐縮してしまうというのか)
もちろん褒められれば嬉しいことは嬉しいんですけれど(笑)でもね、
「わたしの力であなたを幸せにします」のような世界ではなく、
人は、その人の、高次ガイダンスとの二人三脚を生きるようになると、「放っておいても充実する」その方向へしか行かないこと
(他のスピリチュアル表現でいうと「あなたのブループリントを生きる」とか「あなたの使命を生きる」とか「あなたのカルマ(囚われ)を克服する」とか、色々に言われますが、まぁ、そんなところ)
それが、「石とのコミット」により、可能なこと
自分の場合は、そう確信ができていたから…なのかなと思います
世にいう、「あなたの好きなことをしましょうよ、それがあなたの成功につながる」の世界は、ほんとう、って
そう実感がありましたので、私も、そうお伝えもしていたこともあったと思いますが
これは前哨戦というのが、必ずありまして
どんな「今は好きなことをしている」人も、必ず「今まで好きなことだけをしてきた」人生ではなかった時期が(笑)あるはずでして
これが実は「まったく無駄ではない」という
むしろ「必要だった」という
その理解が、いわば「癒やし」であったりするわけなのです

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カテゴリ : チラ見♪
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