お客様とメールのやりとりをしていて、「なるほど」とあらためて気がついたこと。
等価交換発想というのは、「アトランティス(人氣)発想」
これは「〇〇をしたから得られる(〇〇を得るために△△を捨てる、○○を得るために努力、苦労する、など)」という、犠牲や痛みなどとの引き換えに、望むものを得ていく方法。

高次に丸投げ発想というのは、「レムリア(神氣)発想」
ものごとの実現に「○○をしたから」という、犠牲、努力、苦労、何かを捨てる、的な、実際の「引き換え」対象がありません。
どちらかというと何も失うものがなく「得るばっかり」のお得な(笑)感じなところがあります。
失う時は、「奪われる」「犠牲を伴う」というよりは、「自然にいらなくなる、自分にもう必要ないとわかる」というタイミングで、手放すようなサイクルに乗る、という感覚です。

アトランティス的な「等価交換」の感覚は、今までの世の中を、ずっと支配してきているため、
この発想でものを考える人は、やっぱり今でも多いのではないかしらと思います。
私も、昔はこの、「〇〇をしたから△△を得られる」の極みとも言える、
「何かを捨てなければ、望むものは得られない」
この究極法で(笑)「作詞家になるために、会社を辞める」という選択をしました。
会社を辞めた時は、実は(笑)自分が作詞家になれるかどうかなんて、まったくの「白紙」だったんですよ。
ありゃ…若さゆえの暴走っていうのかw
たいして若くもなかったんですが、ぎりぎりまだ”冒険可能”年代という感じもあって、
どちらかというと「冒険がただしてみたかった」みたいなところも、あったかもしれません。
”私は平凡なつまらないどこにでもいるオーエルのままで終わりたくない”のような感情とかね。

ただ、冒険と暴走、これは違うものなのです。
石に出会って、この仕事を始めた私は、「冒険をたくさん」することになりましたが、「暴走」はしていないです(笑)。
昨日の記事でも、独立時の話をお伝えしていましたが、「何かを成そうとするために、先に何かを捨てなければ得られない」ということはありません。
私は一見、独立するために、「会社員として定収入を得る道」を捨てたことにはなるのですが、どちらかというと、「不可抗力の流れでそうなっちゃいました」のような、結果論というか
自分で辞めたくて辞めたというよりは、「そうか…もう私には必要ない世界なのか…カイシャイン、それはそれでけっこう楽しくできたんだけどな」という、名残惜しさもあったくらいです(笑)
だけど、その名残惜しさもあったのですが、「独立してもなんとかやっていけるんじゃないかな」という、手応えをもう持っていた段階に"派遣切り”という世の中イベントに遭遇することになり、私にとっては「これは独立を促されているタイミングなのだ」という捉え方ができました。
それができたのは、地味に(笑)丸3年、一歩一歩、実績を創造してきていた(「石の上にも3年」と言いますが)からです。
「もう自分にはカイシャインでの定収入は不要ということなのかしら」という、高次のうながし、「次の冒険への旅立ち、卒業」という感じでした。
(ちなみに、このあたりの感じは、かのまるの日さんがご経験されてきた道程とソックリですよ(笑)。昔、まるの日さんブログを見つけた時に、最初から感じていたことなのですが「なんかこの人自分の歩み方にソックリな人だな」という^^、「人間の中身の個性が似ている」とかではなく、たどっている道程がよく似ていたため、そして、スピリチュアル方面でこういう道程をたどっている人が他にあまり見受けられないこともあったので(宇宙におまかせだの(笑)なんかやたらに変容を今すぐ急がせる「集まって」「煽る」「あなたもすぐにできる」風味スピリチュアルが多かったんですよね…要するにアトランティスっぽい(笑)んですけど^^)最初は、「なんか似ている」という部分で、不思議な感じがあって、これはどういうことなのかな…と注目するようになったのですよ)

高次が促しているのか、自分のエゴ(感情)の欲求なのか。
これが、「冒険」と「暴走」の違い。
アトランティスが推奨している冒険は、時に、暴走のニュアンスを含むこともあるので、ご注意を(笑)。
感情が盛り上がって、自分の好きなこと、ワクワクすること、とか、「感情のちからで暴走しやすい」のが、等価交換のアトランティス的願望実現のやりかたです。
レムリア的冒険は、「失うものがない」そして、「あなたがそうしたからといって、あなた自身を含め、誰もとくに困らない」それどころか、あなたがやりたいことをすることによって、それが「縁のある人々への奉仕へ繋がる」そんな感じの冒険であることが多いです。

このあたりの「違い」は、それぞれ、経験してみると(笑)より実感できますがw
(まぁ、それも、長い人生のうちには、あっていいと思うし)
事前に、その違いがわかっていると便利(笑)かもしれませんので。自分の覚書としても、記事にしてみました。
ちなみに、等価交換発想(アトランティス(人氣)発想)が何も実現しない…というわけではなく、これはこれで実現します。
私も、昔「プロの作詞家になるぶんにはなれた(しかもものすごくスピーディーに)」わけなので(笑)
カタチとして実現しないというわけでもありませんが、等価交換願望実現の場合、えんえん、等価交換で生きていく世界が展開し続けるので、正直、しんどい…とても、しんどかったな…というのも、経験してそれをやってきたから言える感想でしょうか(笑)。
高次に丸投げ発想(レムリア(神氣)発想)との違いが、はっきりわかる今は、とくに感じます。(こっちは「自分に無理がない」「自分に正直でいていい」ので、とても楽なのです)

何か「冒険がしたい」方は、まず、「今、目の前の、自分が手をつけられること」の中から、その冒険に繋がることが、必ずあるはずですので。
そういう「今、できること、今、したいこと」という、小さなことから始めて、続けてみるのがいいです。
イキナリ、飛躍しようとせずに。
時々、なんらかの願望実現法などでも、この類は言われていることですが。
ほんとに、「小さなトライ、小さな改善」それが「毎日」になってくると、冒険が冒険じゃなくなりますので。
イキナリやろうとするから、「怖い」のです。
コツコツやっていくうちに、気づいたら、過去には遠く見上げていた、山の中腹あたりにいます。気づくと、立っています。
それもぐるぐると山の円周を回ってきた(なだらかな道を上がってきた)状態ですので、急勾配を必死で上る経験ナシに、実現していきます。
「高次に丸投げ発想(レムリア(神氣)発想)」はやはりお薦めです(笑)。
等価交換発想というのは、「アトランティス(人氣)発想」
これは「〇〇をしたから得られる(〇〇を得るために△△を捨てる、○○を得るために努力、苦労する、など)」という、犠牲や痛みなどとの引き換えに、望むものを得ていく方法。

高次に丸投げ発想というのは、「レムリア(神氣)発想」
ものごとの実現に「○○をしたから」という、犠牲、努力、苦労、何かを捨てる、的な、実際の「引き換え」対象がありません。
どちらかというと何も失うものがなく「得るばっかり」のお得な(笑)感じなところがあります。
失う時は、「奪われる」「犠牲を伴う」というよりは、「自然にいらなくなる、自分にもう必要ないとわかる」というタイミングで、手放すようなサイクルに乗る、という感覚です。

アトランティス的な「等価交換」の感覚は、今までの世の中を、ずっと支配してきているため、
この発想でものを考える人は、やっぱり今でも多いのではないかしらと思います。
私も、昔はこの、「〇〇をしたから△△を得られる」の極みとも言える、
「何かを捨てなければ、望むものは得られない」
この究極法で(笑)「作詞家になるために、会社を辞める」という選択をしました。
会社を辞めた時は、実は(笑)自分が作詞家になれるかどうかなんて、まったくの「白紙」だったんですよ。
ありゃ…若さゆえの暴走っていうのかw
たいして若くもなかったんですが、ぎりぎりまだ”冒険可能”年代という感じもあって、
どちらかというと「冒険がただしてみたかった」みたいなところも、あったかもしれません。
”私は平凡なつまらないどこにでもいるオーエルのままで終わりたくない”のような感情とかね。

ただ、冒険と暴走、これは違うものなのです。
石に出会って、この仕事を始めた私は、「冒険をたくさん」することになりましたが、「暴走」はしていないです(笑)。
昨日の記事でも、独立時の話をお伝えしていましたが、「何かを成そうとするために、先に何かを捨てなければ得られない」ということはありません。
私は一見、独立するために、「会社員として定収入を得る道」を捨てたことにはなるのですが、どちらかというと、「不可抗力の流れでそうなっちゃいました」のような、結果論というか
自分で辞めたくて辞めたというよりは、「そうか…もう私には必要ない世界なのか…カイシャイン、それはそれでけっこう楽しくできたんだけどな」という、名残惜しさもあったくらいです(笑)
だけど、その名残惜しさもあったのですが、「独立してもなんとかやっていけるんじゃないかな」という、手応えをもう持っていた段階に"派遣切り”という世の中イベントに遭遇することになり、私にとっては「これは独立を促されているタイミングなのだ」という捉え方ができました。
それができたのは、地味に(笑)丸3年、一歩一歩、実績を創造してきていた(「石の上にも3年」と言いますが)からです。
「もう自分にはカイシャインでの定収入は不要ということなのかしら」という、高次のうながし、「次の冒険への旅立ち、卒業」という感じでした。
(ちなみに、このあたりの感じは、かのまるの日さんがご経験されてきた道程とソックリですよ(笑)。昔、まるの日さんブログを見つけた時に、最初から感じていたことなのですが「なんかこの人自分の歩み方にソックリな人だな」という^^、「人間の中身の個性が似ている」とかではなく、たどっている道程がよく似ていたため、そして、スピリチュアル方面でこういう道程をたどっている人が他にあまり見受けられないこともあったので(宇宙におまかせだの(笑)なんかやたらに変容を今すぐ急がせる「集まって」「煽る」「あなたもすぐにできる」風味スピリチュアルが多かったんですよね…要するにアトランティスっぽい(笑)んですけど^^)最初は、「なんか似ている」という部分で、不思議な感じがあって、これはどういうことなのかな…と注目するようになったのですよ)

高次が促しているのか、自分のエゴ(感情)の欲求なのか。
これが、「冒険」と「暴走」の違い。
アトランティスが推奨している冒険は、時に、暴走のニュアンスを含むこともあるので、ご注意を(笑)。
感情が盛り上がって、自分の好きなこと、ワクワクすること、とか、「感情のちからで暴走しやすい」のが、等価交換のアトランティス的願望実現のやりかたです。
レムリア的冒険は、「失うものがない」そして、「あなたがそうしたからといって、あなた自身を含め、誰もとくに困らない」それどころか、あなたがやりたいことをすることによって、それが「縁のある人々への奉仕へ繋がる」そんな感じの冒険であることが多いです。

このあたりの「違い」は、それぞれ、経験してみると(笑)より実感できますがw
(まぁ、それも、長い人生のうちには、あっていいと思うし)
事前に、その違いがわかっていると便利(笑)かもしれませんので。自分の覚書としても、記事にしてみました。
ちなみに、等価交換発想(アトランティス(人氣)発想)が何も実現しない…というわけではなく、これはこれで実現します。
私も、昔「プロの作詞家になるぶんにはなれた(しかもものすごくスピーディーに)」わけなので(笑)
カタチとして実現しないというわけでもありませんが、等価交換願望実現の場合、えんえん、等価交換で生きていく世界が展開し続けるので、正直、しんどい…とても、しんどかったな…というのも、経験してそれをやってきたから言える感想でしょうか(笑)。
高次に丸投げ発想(レムリア(神氣)発想)との違いが、はっきりわかる今は、とくに感じます。(こっちは「自分に無理がない」「自分に正直でいていい」ので、とても楽なのです)

何か「冒険がしたい」方は、まず、「今、目の前の、自分が手をつけられること」の中から、その冒険に繋がることが、必ずあるはずですので。
そういう「今、できること、今、したいこと」という、小さなことから始めて、続けてみるのがいいです。
イキナリ、飛躍しようとせずに。
時々、なんらかの願望実現法などでも、この類は言われていることですが。
ほんとに、「小さなトライ、小さな改善」それが「毎日」になってくると、冒険が冒険じゃなくなりますので。
イキナリやろうとするから、「怖い」のです。
コツコツやっていくうちに、気づいたら、過去には遠く見上げていた、山の中腹あたりにいます。気づくと、立っています。
それもぐるぐると山の円周を回ってきた(なだらかな道を上がってきた)状態ですので、急勾配を必死で上る経験ナシに、実現していきます。
「高次に丸投げ発想(レムリア(神氣)発想)」はやはりお薦めです(笑)。

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カテゴリ : 高次ガイダンス
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