神氣エネルギーと人氣エネルギーの違いは、ここではご説明しませんw
専門外wというか、それは本を書いてるまるの日さんの本を読んでください。
…と言いつつ、
神氣影響下=その人の、高次的影響力の関与の影響力が高くなる
人氣影響下=その人の、高次的影響力の関与を実現するために人氣影響力が高くなる
という、私からすると、
「いずれも、高次目的」
に、最終的には繋がってくる、と解釈できます(笑) ものは考えようというのか^^
(でもこの目的そのものは最終的にそうですが、「人氣私物化私用化独善使用」となりやすいのが人間なので、そこがよろしくないというか注意が必要なところなのだと感じます)
ただ、昨日もお伝えしていましたが、人氣影響下にある状態が強いエネルギー環境状態の場合は、その人の直感ややりかた、やることが仮にその人にとって正道であり且つ間違っていないとしても、(これは高次見地からという意味でもあり、この世ではそれが「事実」であってもです)その現実的実現状態がいささか乱気流状態になることもあると思います。
これは、世の中を見ていても、そうですよね。
どう見ても、人道的にもそうですが、もし公正な神様がいて、その高次采配がこの世に大きく関与できるのだとしたら、こんなはずはないだろうということも多いですよね。
ちょっとおかしいんじゃないだろうか? というようなことも、たくさんこの世ではまかり通っています。
「結界アイテム」ブレスレット「1」
◆スペック 内寸約16センチ
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最近知ったのですが、過去に和歌山の毒入りカレー事件というのがありました。それで死刑囚宣告されている林ますみさんという方は、おそらくですが、限りなく冤罪の可能性のほうが高いと思います。客観的事実から見て、ほぼそうだろうと思います(詳しくは興味があればお調べください)。
またそういった冤罪で罪人として仕立て上げられるケースは、この世ではそんなに少なくないように思います。
(この人がこんな風にこのまま死刑執行されてしまったら、日本の中でこんなことが起こるのかと、その嘘の世界をつくりあげることがぜんぜん平気な関与した日本人の人々がいることにがっくりします。できればなんとかならないものか、とは思いますが。閉塞のアトランティス社会を象徴する、最後の生贄の象徴なんだろうかと…、そんな色合いも感じます)
「人氣影響下」の世の中だからこそ、この世では、ひとことで言うと「理不尽」がまかり通る、そういうこともあるわけです。
…と、「人氣ってこわい」
と思わせてしまう(笑)あなたにこの世を憂いて厭世観をお持ちいただく、人間否定していただくのが目的ではありません。
そんなこの世では、私も、あなたも、「人」である以上、「人氣」の存在なのですから。
高次の世界を知ると、「この世とのギャップ」に(笑)時にそれが「厭世観」や、「人間である自分や他者の存在を否定する理由」になってしまう場合もあるのです。
(端的にそれが顕れているのが、世界の宗教間の争いもそうですが、「うちだけがこの世の真実」と言い出して人を扇動するタイプの宗教などでもありますし…個々人レベルでの「私が正しい、そっちが間違ってる」の世界まで含めて、だいたいがそうなんですけれど「私が正しい」同士の争い、摩擦なんですよね…)
人を見抜ける人や、人を疑わない純粋な面がある人ほど、大変な思いをしてしまう、自他を虐げてしまうところもあるのも、この世所以です。
人間の悪い面だけにスポットを当てると、人間はここまで残忍にも狡くもなれるのか…という世界もありますが、
人間はここまで神様になれるのか…という世界もあります。
どっちも混在するのが、「この世劇場」です。
そして、どちらを選ぶのかも、私次第、あなた次第なのです。
ちなみに…
上述の和歌山カレー事件には、個人的に感じたオチがあります。
冤罪で塀の人、死刑宣告される、その心中やいかに…と思っていたのですが、彼女の息子さんが今現在、本を出版したり、ご自身でツイッターを立ち上げたり、You TUBEなどで山口麟太郎氏とのコラボで事件のおかしな点について語っていたりなど、声を上げています。
で、その麟太郎氏との対談の中で息子さんが、母である林ますみさんについて語っていたのですが、
「権力の決めたことは覆らない性質の世界を知っている」人なのだそうです。
シロをクロにできる、その逆に、クロをシロにできる、このお母さん自身が、幼少期はわりとそういった権力側の恩恵のようなものでどちらかというと「いい目」も見てきた経験を持っている方なのだそうで、だから、息子さんにこう言われているそうなのです。
「あなたたち(お子さん、夫)が色々頑張ってしてくれてるのはありがたいんだけど、そういうこと(民意や権力のない人達の支援など)だけじゃ、いったん権力の決めたことは覆らないのよ」と、言っているのだそうです。
つまり、権力には権力を(もっとその上の、ということでしょうか)持ってこないと、ちょっとむずかしい…という認識を持っているということでしょうか。
うまく言えないんですけれど、本人もちろんご自身の無実の罪をかぶされた現実に納得はされていない受け入れてはいないとは思うものの…
「どこかで無意識に納得していなくても受け入れている(別の意味で)」
ところがあるんだ…
ということを感じました。
「こうなることもある」という、そこで実際にご自身が経験してきたことで得ている「人間の世の中とはこういうもの」という固定観念が、ご本人にあるということです。
なので、「罪をおかしてはいない人が裁かれる」ということが、この世にまったくない、それはおかしいことだ、と、本人自身が100%そう思ってはいない、ということでもあります。
もちろん。もちろんですが、
だからといって、「彼女が、この現実創造を望んでたわけではない」ですよ。
「自分が、権力によって、いい目に合う」ことは「お得」で望むかもしれませんが、「ひどい目に合う」損する方は、望まないでしょうから。
けれど、「権力が事実を無視した現実創造をすることができる世界」というものを「認めている人」である、ことは事実。
この「認めている」の意味は、わかりますよね?
なので、すっごい極論なのですが。
こういった理不尽な現実創造の一端を担う性質そのものじたいは、本人の中にあることはあり、普通の、そういうことを知らない人よりはそこに「こなれている」、ということなのです。
ある種の「引き寄せ」とも運命の共犯とも、言える部分はあったのか…と感じました。
権力のちからなどで、他人を犠牲にすることができる(過去にそうしたことでご自身が「得」をした経験をその時は特に「おかしなこと」と思ってはいなかったのだと思われます)のであれば、権力のちからで誰かの犠牲になる、罪をかぶる、そういう世界を、自分に招くことがあったとしても、それは、観えない世界的には、因果応報でもあり、起こり得ることで、その人の学習の機会でもありますので。
確かに、「人の声」は無駄かもしれません。
そういうものを「認めている」人の現実創造にとっては、無駄かもしれません。
(実際には、それこそが「カルマ」と呼ばれるものの持つ性質、「囚われ」でして。本人がそう認めてしまっている、そういうものだと手放さないもの。ここなのです。)
仮にこういったことで善意の署名運動なんかしたって、実際、何も変わりませんよね、この世では、他のことでも。
そういうことを知っている私達は、確かに無力感あります。
何も変わらないんだな、って、思えてしまいます。
きっと、大勢の人間が共通で、この世でもっているタイプの無力感(囚われ)とはこういう性質のものなのだろう、と感じます。
(であれば、やっぱり強固ですよね。ひとり、ふたりが、声をあげたところで、問題提起したところで、どうになるものでもない、の話かもしれないです。)
でも、私はひとりの「人の声」として、これを知らないみなさんにも、知っていただきたい話だな、と感じましたので、こうして記事にしました。
息子さんもおそらく、想像を絶するような周囲からのイジメ、偏見等の過酷な目にあってきたことじたいはやはり免れなかったようなのですが、「もうそういうことを語るお涙頂戴の段階じゃないんですよねぇ」と、自分自身の経験したそのイジメ問題のような部分にスポットを当てられてしまい、だからイジメはやめましょうの題材にされてしまうことを望んでいるのではなく、「なぜこんなことになっているのか」のほうへ目を向けて活動されています。
(でもメディアなどの取材などでは、その真実の追求部分に関しては、どうしてもカットされてしまうのだそうです。テレビなどは絵的に使いたい苦労したイジメなどにあって来た部分だけを利用し、そこへは絶対に踏み込まない、もっとも踏み込んで欲しい部分は伝えてはくれないそうです。今に始まったことではありませんけど、まぁそういうものですよね。メディアにまさに翻弄された子供時代から現在に至るまで、その部分を知っているからこそ、とても慎重に発言されていることも伺えます)
この世を憂い絶望しグレてしまうこともできたのだろうけど、ご自身そうならなかった、そこを恨まなかった。
それは「こうなってしまった背景と事実の追求」のほうへ、冷静に目が向けられているから、だと思います。
もちろん、お母さんを救いたい、という子としての無条件の愛もそこにはあるようですが、だからといって、自分は、母は悪くない、と、声高に人を巻き込む、善悪だけの闘いにはしていない、俯瞰する目を持って語っているところがあります。
それは、この世のルール的に必要な冤罪だという確定的な決め手がない(同様に犯人だという確定的証拠もまったくないのですが)という部分を、しっかり受け止めてもいるためだと思います。
なので、冤罪の可能性がある母を信じて事件追求することだけは、せめて自分に許してはもらえないだろうか? という論調です。
正直、凄い精神力をお持ちだと思うし、自分の運命の被害者意識と感情論でまったく語ってはいらっしゃらないところがあります。
メディアに創り上げられた世界の「偏見」とはいかに人の目を曇らせるのか…ということが、よくわかります。
(なんとなく、ここの親子の感じを見ていると、一般的な親の愛とか子への情愛がどうこう、というようななまっちょろいタイプの世界をちょっと超えているところがあり、なんだか凄いな…とも思わされるところがあります。…こういう人じゃないと、こんな過酷な運命を受け入れる必要のあるところへは生まれてこれなかったんだろうな…という感じがしました。これはおそらく、その「母」じたいも、冤罪での刑務所暮らしに関して「自分は普通より少し早く老人ホームに入ってしまったのかな、とも思ってるよ」という台詞が出てくる人のようなので(単にお子さんに心配かけないように、そう言っているのかもしれませんけれど)、いい意味で物事を違った目で観ることができる部分もある点がDNAで受け継がれているのかもしれません)
乱気流の中に巻き込まれてしまっている人達を、かわいそうに、と気の毒がる、というのとも違いますし、自分はオッケーだから、と、まったくの他人事にしてしまうことはできませんが、直接どうにかしてさしあげられることもできません。
ですが、こういう現実があることを知ることというのは、無駄ではないと思います。
そして 「今、自分自身が(あなた自身が)」
どこにいるのか? どんな固定観念を持っているのか? どういう世界を望んで選んでいるのか。
何を見ても聞いても、人は皆、その人自身のここへ戻ると思います。
(それがその人の現実となって発芽していく可能性を常に持つ「種」なので)
そんな「人氣」の世界での、それでも、私達が高次へ向かう方法というのが。
この世においては、やはりですが、「人も、自分も、かかわるすべてがよくなる」なのですね。
(この世だけではなく、霊界なども含め、宇宙全体レベルで、繋がっている別宇宙まで^^含まれてきます。「人のために」の、その向こう側にある目的、それがあります。かかわる「人」だけ、ではなく。「人だけの目的」で「人だけのため」に、ということが、人の苦しみの世界を生んでいる…善悪、都合不都合、犠牲や敵対、損得、嘘、欺瞞、その闘いを生み出していくので)
権力による操作、支配の構造、これがこの世の多くのことのベースにあるのは実際のところだと思います。
そしてそういう側面においての、「この世の”人氣”を、常に、常に、再製造してきた」のが、人間の歴史ではあり、そこで人間が持ってきた囚われたものを、少しずつクリアにしていこうと脈々と繰り返されてきたのが、輪廻転生でもあり、今もソレは続いているのですが、私達が今いる世界は、そろそろようやく、本当に、”生きている一人ずつ”が、意識的に変容を遂げることができる、変わっていくことが可能になっている時代、です。
(レムリアへと転換されている今…というのは、このくらいのこれからの世界形成の大偉業の中にいる、今を生きる人間はその最先端を走っているランナーということです。でも一年二年では無理です。今は私達が生きているあいだに自分の囚われをひとつでも外し、自分が囚われをこの世に残さない、後世へと残せる資産はそれでもあると思います)
その人その人の高次目的は、最終的には同じ源へと繋がっていますから。
…という、今日は、ちょっとヘヴィめなお話にもなってしまいましたが。
あ、「結界アイテム」は、お写真のブレスが、現在残っております。
今回は、結界アイテムが、なぜか「人氣」でございました(笑)。
みなさん、時代の何かを察しておられるのでしょうか^^。
最近、地震も増えてきましたしね。
「な~んにも悪いことなんかしてないのに、自分」と言いたくても、大地震とかありますしね…
こういうの、「報い」ということではないですし(そういう場合もあるけれど)…
ただ、強いて言うのであれば、「これまずかったかな」的な、自分自身がやってしまった過ぎた行いにおける反省点というのでしょうか。
上記の話であれば、「権力のおかげで、うっしっし♪」っていう部分とか、本当は、その時点で、「それはうっしっし、じゃねえぞ。それは、不当に誰かを犠牲にしていることよ」みたいなことを、「自分で気づいて、反省」できていたりすると、いいんじゃないかと思います。
そのときには幼くてわからなくて、誰かを傷つけていたり。
わりと、悪氣はなくやってしまっていたけど、あれはやっちゃいけなかったことだったんだな、ごめんなさい…という、自分の霊的無知に、自分が大人になってそのことに本当に気がついた時には、やっぱり、人間は素直に深く反省して、そこからは「もうやらない」というのは大事なのかな、って思います。
それが「変容」とも言います。
それが常日頃できていると、「来るぜ、しっぺがえし」は起こらないのです。
小さなしっぺがえしならあるかもしれませんけど、それこそ、「大難を小難に」していただいたようなものです。
そういう「気づき」はとても大事ですよ。
そして、その気付きのサポートをしてくれるのが、高次ガイドであり、高次ご推奨の(笑)石たちですよ。
今回売れてませんが(笑)「高次コンセント」とかw 昨日の「New Consciousness~2020~」とか。
宣伝しときます。
それと、守られる人は実際守られるけれど、
「災いから守られなかったから、自分はイケナイダメな人」
ということでもないですから。
(イケナイダメな自分なんだなとわかるサインなこともあるので。基本、パーフェクトな人間なんてこの世には存在していませんから。生まれてきている時点で必ずやらかすし、改善点(囚われ外し)の命題持ってるから生きてるところはあるのです)
明日はライトな、「神氣的な成功体験」と「人氣的な成功体験」のお話にする予定です。
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…と言いつつ、
神氣影響下=その人の、高次的影響力の関与の影響力が高くなる
人氣影響下=その人の、高次的影響力の関与を実現するために人氣影響力が高くなる
という、私からすると、
「いずれも、高次目的」
に、最終的には繋がってくる、と解釈できます(笑) ものは考えようというのか^^
(でもこの目的そのものは最終的にそうですが、「人氣私物化私用化独善使用」となりやすいのが人間なので、そこがよろしくないというか注意が必要なところなのだと感じます)
ただ、昨日もお伝えしていましたが、人氣影響下にある状態が強いエネルギー環境状態の場合は、その人の直感ややりかた、やることが仮にその人にとって正道であり且つ間違っていないとしても、(これは高次見地からという意味でもあり、この世ではそれが「事実」であってもです)その現実的実現状態がいささか乱気流状態になることもあると思います。
これは、世の中を見ていても、そうですよね。
どう見ても、人道的にもそうですが、もし公正な神様がいて、その高次采配がこの世に大きく関与できるのだとしたら、こんなはずはないだろうということも多いですよね。
ちょっとおかしいんじゃないだろうか? というようなことも、たくさんこの世ではまかり通っています。
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最近知ったのですが、過去に和歌山の毒入りカレー事件というのがありました。それで死刑囚宣告されている林ますみさんという方は、おそらくですが、限りなく冤罪の可能性のほうが高いと思います。客観的事実から見て、ほぼそうだろうと思います(詳しくは興味があればお調べください)。
またそういった冤罪で罪人として仕立て上げられるケースは、この世ではそんなに少なくないように思います。
(この人がこんな風にこのまま死刑執行されてしまったら、日本の中でこんなことが起こるのかと、その嘘の世界をつくりあげることがぜんぜん平気な関与した日本人の人々がいることにがっくりします。できればなんとかならないものか、とは思いますが。閉塞のアトランティス社会を象徴する、最後の生贄の象徴なんだろうかと…、そんな色合いも感じます)
「人氣影響下」の世の中だからこそ、この世では、ひとことで言うと「理不尽」がまかり通る、そういうこともあるわけです。
…と、「人氣ってこわい」
と思わせてしまう(笑)あなたにこの世を憂いて厭世観をお持ちいただく、人間否定していただくのが目的ではありません。
そんなこの世では、私も、あなたも、「人」である以上、「人氣」の存在なのですから。
高次の世界を知ると、「この世とのギャップ」に(笑)時にそれが「厭世観」や、「人間である自分や他者の存在を否定する理由」になってしまう場合もあるのです。
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人を見抜ける人や、人を疑わない純粋な面がある人ほど、大変な思いをしてしまう、自他を虐げてしまうところもあるのも、この世所以です。
人間の悪い面だけにスポットを当てると、人間はここまで残忍にも狡くもなれるのか…という世界もありますが、
人間はここまで神様になれるのか…という世界もあります。
どっちも混在するのが、「この世劇場」です。
そして、どちらを選ぶのかも、私次第、あなた次第なのです。
ちなみに…
上述の和歌山カレー事件には、個人的に感じたオチがあります。
冤罪で塀の人、死刑宣告される、その心中やいかに…と思っていたのですが、彼女の息子さんが今現在、本を出版したり、ご自身でツイッターを立ち上げたり、You TUBEなどで山口麟太郎氏とのコラボで事件のおかしな点について語っていたりなど、声を上げています。
で、その麟太郎氏との対談の中で息子さんが、母である林ますみさんについて語っていたのですが、
「権力の決めたことは覆らない性質の世界を知っている」人なのだそうです。
シロをクロにできる、その逆に、クロをシロにできる、このお母さん自身が、幼少期はわりとそういった権力側の恩恵のようなものでどちらかというと「いい目」も見てきた経験を持っている方なのだそうで、だから、息子さんにこう言われているそうなのです。
「あなたたち(お子さん、夫)が色々頑張ってしてくれてるのはありがたいんだけど、そういうこと(民意や権力のない人達の支援など)だけじゃ、いったん権力の決めたことは覆らないのよ」と、言っているのだそうです。
つまり、権力には権力を(もっとその上の、ということでしょうか)持ってこないと、ちょっとむずかしい…という認識を持っているということでしょうか。
うまく言えないんですけれど、本人もちろんご自身の無実の罪をかぶされた現実に納得はされていない受け入れてはいないとは思うものの…
「どこかで無意識に納得していなくても受け入れている(別の意味で)」
ところがあるんだ…
ということを感じました。
「こうなることもある」という、そこで実際にご自身が経験してきたことで得ている「人間の世の中とはこういうもの」という固定観念が、ご本人にあるということです。
なので、「罪をおかしてはいない人が裁かれる」ということが、この世にまったくない、それはおかしいことだ、と、本人自身が100%そう思ってはいない、ということでもあります。
もちろん。もちろんですが、
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この「認めている」の意味は、わかりますよね?
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確かに、「人の声」は無駄かもしれません。
そういうものを「認めている」人の現実創造にとっては、無駄かもしれません。
(実際には、それこそが「カルマ」と呼ばれるものの持つ性質、「囚われ」でして。本人がそう認めてしまっている、そういうものだと手放さないもの。ここなのです。)
仮にこういったことで善意の署名運動なんかしたって、実際、何も変わりませんよね、この世では、他のことでも。
そういうことを知っている私達は、確かに無力感あります。
何も変わらないんだな、って、思えてしまいます。
きっと、大勢の人間が共通で、この世でもっているタイプの無力感(囚われ)とはこういう性質のものなのだろう、と感じます。
(であれば、やっぱり強固ですよね。ひとり、ふたりが、声をあげたところで、問題提起したところで、どうになるものでもない、の話かもしれないです。)
でも、私はひとりの「人の声」として、これを知らないみなさんにも、知っていただきたい話だな、と感じましたので、こうして記事にしました。
息子さんもおそらく、想像を絶するような周囲からのイジメ、偏見等の過酷な目にあってきたことじたいはやはり免れなかったようなのですが、「もうそういうことを語るお涙頂戴の段階じゃないんですよねぇ」と、自分自身の経験したそのイジメ問題のような部分にスポットを当てられてしまい、だからイジメはやめましょうの題材にされてしまうことを望んでいるのではなく、「なぜこんなことになっているのか」のほうへ目を向けて活動されています。
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この世を憂い絶望しグレてしまうこともできたのだろうけど、ご自身そうならなかった、そこを恨まなかった。
それは「こうなってしまった背景と事実の追求」のほうへ、冷静に目が向けられているから、だと思います。
もちろん、お母さんを救いたい、という子としての無条件の愛もそこにはあるようですが、だからといって、自分は、母は悪くない、と、声高に人を巻き込む、善悪だけの闘いにはしていない、俯瞰する目を持って語っているところがあります。
それは、この世のルール的に必要な冤罪だという確定的な決め手がない(同様に犯人だという確定的証拠もまったくないのですが)という部分を、しっかり受け止めてもいるためだと思います。
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乱気流の中に巻き込まれてしまっている人達を、かわいそうに、と気の毒がる、というのとも違いますし、自分はオッケーだから、と、まったくの他人事にしてしまうことはできませんが、直接どうにかしてさしあげられることもできません。
ですが、こういう現実があることを知ることというのは、無駄ではないと思います。
そして 「今、自分自身が(あなた自身が)」
どこにいるのか? どんな固定観念を持っているのか? どういう世界を望んで選んでいるのか。
何を見ても聞いても、人は皆、その人自身のここへ戻ると思います。
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この世においては、やはりですが、「人も、自分も、かかわるすべてがよくなる」なのですね。
(この世だけではなく、霊界なども含め、宇宙全体レベルで、繋がっている別宇宙まで^^含まれてきます。「人のために」の、その向こう側にある目的、それがあります。かかわる「人」だけ、ではなく。「人だけの目的」で「人だけのため」に、ということが、人の苦しみの世界を生んでいる…善悪、都合不都合、犠牲や敵対、損得、嘘、欺瞞、その闘いを生み出していくので)
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ただ、強いて言うのであれば、「これまずかったかな」的な、自分自身がやってしまった過ぎた行いにおける反省点というのでしょうか。
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わりと、悪氣はなくやってしまっていたけど、あれはやっちゃいけなかったことだったんだな、ごめんなさい…という、自分の霊的無知に、自分が大人になってそのことに本当に気がついた時には、やっぱり、人間は素直に深く反省して、そこからは「もうやらない」というのは大事なのかな、って思います。
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カテゴリ : パワーストーンアクセサリ
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