2020年1月のチラ見♪(予告)です。其の参(グランディディエライト、ルーベライト(ピンクトルマリン)、オウロヴェルデ、レモンクォーツ、アリゾナターコイス、シーブルーカルセドニー、クリソコラ、ペリドット、アクアオーラ、アゼツライト、2012クリスタル、センティエントプラズマクリスタル)

2020年01月27日 (月) 00 : 00
こちらは、2015年に「AWAKE」というカップリングをお作りしていたことがあったんですが、その時のカップリング石に少し近いかな。
今回そこに、グランディディエライトが入りました。



誰もが潜在的に持っている、美しい女神性の発揮、開花、のような意図のカップリングですよ。と、当時もお伝えしていたのですが、「この地球上で、生き生き活き活き楽しく自信持って、あなたらしさを表現する」その目覚めのサポートをする石たちとなります。



潜在的に持っている…というか、誰もが「高次元の姿」はとびきり美しい(笑)のです。

これは本当なんです。

ただ地球上ではその部分に関しては全面的に表面に出てこないこともあるペンディング状態になっているだけです。

そこが残念と言えば残念ではありますが(笑)。

「この地球上で、生き生き活き活き楽しく自信持って、あなたらしさを表現する」ことだけが「目的」というわけでもないから。

なのだろうと感じます。

なら、こんなカップリング、必要ないよね(笑)と言ってしまえばそこで終わっちゃいそうですがw

言わば「この地球上で、生き生き活き活き楽しく自信持って、あなたらしさを表現する」ということは、より、「自分の本質とのパイプをつくる、こっちでの地ならし活動」のようなもので、「人が生きる目的」とは違います。

「そうやって生きられればいいね」というだけで、これを人間存在の目的としてしまうと、そこは少し違うかも知れません。

霊的下準備というか、それでこそ、高次との連携が良くなるところがあるので、ある意味この状態も「ツール」なのです。

(他にも、絶体絶命状態(笑)なども、ゾーン状態をつくる、別次元に身を置く高次パイプを広げる状態だったりもしますよw 必ずしも、「楽しく充実した幸福」だけとは限りませんぞ。それは、こちらでの、人間にとっての感情的価値観としての良い悪い判断なところもあります。)

囚われも生きるツールだとお伝えしていましたが、「生き生き活き活き活動する」そのツールを使うことで「感謝という感覚」も自然に育まれていくところがありまして。

これは、単に「肉体の活動」というだけではなく、「霊的活動、精神的活動」という内面活動の充実、が呼び水となります。

石は、肉体的側面にはたらくこともありますが、ここが大きな石のギフトなのですが、「霊的活動、精神的活動」を活性化させていくれるのです。(「神氣の物質」なので。人はその影響を受けるのです)
そして、それが人間を育て、内側に眠る潜在的要素を表に出していくカギにもなってきます。

そこから、私は「当たり前のちいさなこと」に感謝が湧いてくるようになりました。

で、この感謝というのが、霊的下準備としてわりと有効なはたらきをするところはあるにはある、とわかってきたわけです。

極論ですが、やっぱりわりと何に対しても感謝なのだと(笑)いうことですね。

(なので「ありがとう連呼」の願望実現法みたいなものもあるわけで、一応それはそれで理にかなっていると思います)


私個人の話で恐縮なのですが、

とにかく、大昔の子供時代に「感謝」が耳タコで育ってしまった経緯がありまして(スピ親の躾です)。

子供の頃「「感謝しろ」とかふだん親に言われていない、わざわざいちいち感謝なんかしてそうにない、先祖供養もしてない、神様に毎日手を合わせていない、ガッコの友達の家のほうがずっと幸せそうだよ」とか(笑)よく思っていました。

そうなのです、人間というのは、「感謝しなければいけない」とそれが「当然の義務」「命令」の強要のようになってしまうと…

閉ざすのですよ。

おかげで(笑)感謝が薄くて(ヲイ)なんというか、へそ曲がりで大変な体質になりました(爆笑)。

感謝なんてとてもできないよな、という状況でも、感謝感謝とバカみたい、とも思うようになりました。

そして大人になり、結果的に、生きることがとても大変で苦痛な「感謝できない現実世界を展開している」自分がいました。

とんでもない「囚われ」を(笑)持ったがゆえですw。

(なので、幼少期トラウマというか、幼少期に形成される精神性の多側面には、確かに親の関与率ものすごく高いので、「親のせい」にしたい人、「親の育て方のせい」にしたい人、「生まれ育った環境のせい」にしたい人、いらっしゃると思いますが、そのお気持ちはわかりますよ。子供は特に、親の影響下から物理的に離れて自立し生きるには、困難な生き物ですから。いわば肉体存在として自分を生かしてくれる、小さいうちは「親がこの世の神」とも言える絶対的存在ですのでね。そして、人は「肉体を超えた存在」でもありますので、単に、「肉体レベルで生かしてくれること」だけが、子の情緒、精神を左右するわけではありませんから)


でも、もっともっといい大人になってから、こういう石たちに石に出会って、わかったんです。

自分が生き生き活き活き、活性化されている状態、「生きてる存在しているのが嬉しい」というのか、そういう感じの状態でいることで、言われなくても自然と、感謝ってこみあげてくるのです。

感謝って「しなければならない」わけじゃなくて、「自分らしく心に嘘をつかずに生きていると自然に出てくる」ものなんだ!! ってわかりました。

もちろん、おそらく「ありがとう連呼」の言霊パワーなんかも、効果はあるんじゃないでしょうか(やったことはありませんけれど)。

どっちが先でも、いいのだと思います。

感謝が先か、感謝できるエネルギー状態が先か。相関関係あるわけですから、どっちから創り上げ、どっちからスパイラルを起こしてもかまわないと感じます。

私の場合は、「石たちに、自分の中から感謝が湧いてくる状態」を先に仕掛けてもらうことで、感謝が湧いてくる心境や、感謝できる現実展開を、創造する、経験していくスパイラルに入ることができました。

(「感謝」もそうなんですが、「苦労」もちょっと近いと言うか。「人は、苦労してこそ」的に、苦労から得るものを美化するんです。だから、「苦労そのものに感謝しようと」したり「苦労があること前提」で何かを得られるものだとしがちなんですが、実際は、苦労と感謝や、苦労とものごとの達成度に相関関係はある場合もありますが、ぜんぜんまったくない場合も多いです。なので、「これだけ苦労したんだから」と忍耐の質量を条件にして、色々な場面で引き合いに出してしまうこともあります。けれどその場合、「自分が本当は好んではいない自分の意志じゃない忍耐、努力」は実らないことも多く虚しさを作ることがあります。苦労フェチ(笑)になってしまうと、感謝できない現実創造となることが多いです)


ところで、

では、子供の頃に教えられてきたことは、大間違いだったのかというと、本質的にはそこそこ間違ってはいなかったと思います。

私の場合は、「人間の義務感」的に植え付けられたから、抵抗することになってしまっただけで、結局、概ね大外れ的外れなことではなかったと思います。
「真理」も伝え方、教え方、だなと感じます(とくに、小さい子供~10代には)。親はそこ大事(笑)ですよ。

子供に「勉強しなさい」って命令しちゃ逆効果、っていう(笑)そういうのと同じですよ。

私は、親に勉強しろと言われたことがおそらくほとんどなかったので(そこらへんはノーマーク)、小さい頃はよく勉強する(暗記する)とりあえず学校の勉強はソコソコできる優秀というかテストはできる要領のいい学童(笑)ではあったのです。
義務教育レベルの時期の学校の勉強は、優秀さというよりも、なんとなく「要領」だけだと感じます。
(学校の勉強というものには、否定的な論調もスピ世界にはありますし、学校のありかたも問われるところはあるようです。ただまぁ、「要領」というものを覚える、経験するには、ああいう世界もまったく必要ないかと言えばそんなこともなく。学校が子供の人格を育てる、までのポジションでもないですしね。要領の良さも、この世では生きるツールとしてはソコソコ使える利点はあるので、無駄ではないから続いているのかもしれません。おそらく、子供の教育に熱心な親ばかりではないと思うので、義務教育レベルの学校体制がまったくなくなってしまったら、「子供を学校に行かさない親」も増えてしまうかもしれませんので、最低限の「要領」を身につけるという点では、軍隊教育とも言われますけど(笑)まぁ、あれもあっていいんじゃないでしょうか。「本人のいいところを伸ばす教育」なども聞こえはいいですが、その「いいところ」を、本人の意志とかやりたいことの尊重と言いつつも、実際は子供にとってそこまで決定的でもないことを、逆に「この子のために」と大人の目線で決めつけて縛ってしまう視野を狭くしてしまう危険性もあるし、いいところがとくに伸びなかった場合(笑)も想定に入れていないと、先の人生を早め早めに限定していくのもどうなのかなとも感じますし。やりたいことが見つかるタイミングは人それぞれで、必ずしも10代とは限りませんし、10代に描いた夢の想像図どおりの人生を実現する人ももちろんいるわけですが、一生とおしてそれだけ実現できていれば御の字(笑)なんてこともないと思いますからね)
ちなみに、なんで口うるさく「勉強しろ」と言われなかったのかというと、父親は古い人間で「女の子は嫁に行くから学は必要ない」…という(笑)今の時代でしたら「化石」のような、とんでも系のものすごい固定観念(囚われ)持っていてくれたからです(笑)。
結果的に、勉強しろと言われなかった女子2名のほうが、勉強アタマという意味では成績優秀でしたが、「オトコなんだから勉強しろ」とスパルタ恐怖教育を受けた男子のほうは、学童のうちはガッコの成績が悪い子になり、がっつり親を悩ませました。そんなものです。逆効果なのです、命令って。(ただ、大人になってからの「地アタマがいちばんいい」のはこの男子ですね)

でも、私は中途半端に、自分に都合よく楽をしたいがためにw「オンナに学は必要ない」を途中から受け入れてしまっていたので(笑)思春期からまったく勉強に興味を持てなくなり、そこも少し、過去に私の囚われてしまったところでもあったかな、と感じています。
学は、必要だと思います。
結局、人間は一生、勉強だし、死んでも勉強、みたいじゃないですか(笑)。(これは、ひつくの神様も言ってますね。「死ぬまで勉強、死んでも勉強、死んだら終わりじゃないぞ」と)
そして「学ぶことが自分を、他者を、豊かにすること」という意味での、学ぶ姿勢、そして知識を得ることはとても大事なものなのだと、今は理解しています。

まぁ、多かれ少なかれ、昭和では「女子社員は結婚までの腰掛け」とか言われていた時代だったわけですから、時代的に父親のアタマの硬い化石的囚われなんかもまぁ、いたしかたなかったとは思いますけれどね。
それでもね、普通の家庭なら、それもいたしかたないかもしれませんけど、
人間は肉体存在というだけではない霊的世界を多少知り目覚めた生き方をしているつもりの、普段「人様の、社会のお役に立てること、他のために生きることが、生きている人間の役割、仕事」的なことをずっと言う親でありつつ、「オンナは嫁に行って、夫を立てて夫に従え、子を産み育て、夫の家系を継承する」がオンナとして生まれた場合の”仕事枠として限定”(笑)というような、「やることが役割がソレだからオンナに学は必要ない」という「男社会特有のものすごい決めつけ」の匂いは昔はどっかにありましたよね…

「どこか、自分でも言ってることが、変」だなと(笑)気づかなかったんでしょうかねぇ?
だいたい、嫁に行って、家事の一切を引き受ける、そこに「学がいらない」と思えてしまうことじたいが、早とちりというか、かなりナメていた気がします。
結果的に、「実は家事が嫌いで苦痛な妙齢女子」も(笑)わりと今、世の中に多いのは、こういう無言のナメた昭和の価値観が背景にあったりで、家事が「学のいらない程度の低い仕事で、女であればできるはずのこと」くらいに思われていた「社会的囚われ」も長く存在していたからかと感じます。

でもこれらも、令和になり、どんどん変わっていきますし、実際変わってきていると思いますよ。
今は家事嫌いな方も(笑)これからその感覚も変化する時が来るかもしれません。
家族からの評価のためじゃなく、「自分のため」に家事をしてみてください。
「それは我よしではないのか?」と思うかもしれませんが、家族から”評価されたり絶賛されなくてもいい”だけです。いらないでしょ? それ。それが欲しくて(認めてほしくて)それが叶わない不満足な現実創造から、いったん離れるといいのです。
自分がどうあれば満足だろうか? からスタートしていくと、家事省エネ案の工夫も(笑)自分が受け入れられるし、結果的に、家族もそこそこそれでいい感じであることに、気づくと思います。
どうしてもきちんとしたいです、大変だけど時間をかけて料理もいつもちゃんとしたものを家族のためにつくりたいです、ということなど、それがどこらへんの意図からきているのかなど、しっかり再確認して、それを自分発の意図、意志としてやっていくのがいいですよ。(人に良い人立派な人と認められたい、だめな人に思われたくない恐れや不安や依存ではなく。「自分がしたいからそうすること」へやっていることはすべて置き換えていくのが良いです)

(さすがに父は、霊界に行っている今は(笑)昔の偏った囚われからは解放されている、というか、たぶん生きているうちにちょっとずつ囚われが解放されてあの世に行ったかとは思います。オンナ二人が結局、自分の思い通りの女性像にはならず、いずれも独立自営業の仕事に生きる女性になっちゃってるんで(笑)。まったく想像していなかった望んだわけじゃない姿でしょうからね、現実を受け入れるのに必死だったんじゃないでしょうか、爺さんになってからw でも死ぬ前日に、自分はとても幸せな人生だったから満足で思い残すことはない、って言ってたようだし、特にもう「こう生きろ」みたいな決めつけお小言(笑)は言ってなかったようだから、きっと色々納得してたんじゃないかなと思われます。こういう、「今世持っていた囚われを持ち越さないで死ぬ」というのが、あの世へ旅立つまでにできていると、霊界へ行ったあともソコソコスムーズなようですよ)

今、嫁に行くことだけがこの世に生まれてきた女の最終目的という限定ロードのような、こんなことを言ってそれが良かれと女の子育てていたら(でも今でもそういう言い方はしないかもしれませんが、どっかでその手のニュアンス持ってる場合もあるのかも)その子の潜在能力の発揮の足かせになると思いますよ^^しばらくは。
いや、そうでもないかな。むしろ、結果的には逞しく自分の道を見つけていくように育つのかもしれませんね(笑)。
石に出会ったりして(笑)。


…という、「私個人の話で恐縮なのですが」以降は、あまり本題に関係ない(笑)長話ですので、こちらの石アクセサリの説明文には当然のごとく割愛箇所となります^^



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カテゴリ :  チラ見♪
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