「会わないと」コミュニケーション、自分、これがそもそもそれほど好きじゃなかった(笑)んだわ、ってことに気が付きましたw
これは大昔のO.L11年時代に培ってしまった、ちょっと間違ったトラウマまでではないけれど、好きじゃなかった経験の積み上げでしょうか。
こういうのが「ブロック」の一因になっていたんだな、とも、多少思います。
おじさんたちの世界の風習では、「会う、会食する(酒飲む)」的な場をつくる、いわゆる「接待飲み会」みたいなものが多かったわけです。
いっしょに飲んで食って、その機会を持つことが、のちの「ビジネスの世界」においても、なんかそれまでよりも”やりやすい(都合聞いてもらいやすいとか)”まぁ、そういう「なぁなぁ関係」つくりやすいっていう幻想があったわけですよ。
で、そういうのに、いっしょに連れて行かれるわけ。
仕事終わったあとの大事なプライベート時間を(笑)そういう「つきあい」に持ってかれるところが、度々あったんですよね。
私が属していた側は、「接待される側」なので、接待する側ではなかったんですけれど、一見「ならいいじゃん」っぽいところはあるでしょう?
美味しいもの食べさせてもらえて(今思うと、自腹では絶対行けないようなタイプの高級店ですとか、けっこう良い場所にある良い店、銀座、青山、六本木、ほうぼうに連れて行ってもらっていましたよ)こっちが気を使う側じゃない、いいご身分で、しかも、「女の子はポジションとして責任ないし」な女子社員は嫁入り前の腰掛け時代(笑)だったんだから、な~~~んの気兼ねもいらないというのか、お気楽にして楽しんでればいい身分でした。
でも苦痛だったんですわ。
だからここ最近の時代、
忘年会とか、上司との飲み会とか、嫌がる、断る、「ゆっくりできる自分の時間が欲しいのに、そんなのつきあってられるか」って(笑)正直にそれを断る人たち、そういう若い子たちが増えてきた、みたいな話は、「そりゃそうだろうよ」って思っていましたよ。
今思うとですが、やはり、なんていうんですかね~、”ビジネスにおける”っていうおじさんたちのああいう壁のはらい方的なものに、子供のあたしはついていけてなかったんだろうな、って気がします。
で、今思うとですが、人間観察っていう意味では、「まったくの無駄」っていうわけでもなかった気がします。
仕事終わったあとの大事なプライベート、っていうほどの(笑)たいそうなプライベートってわけでもなかったんだし(笑)結局ね、「仲のいい人達同士であろうと、会社や仕事の関係の人達同士であろうと」なんか、表面的にコミュニケーション手段としてやることなんて、人間のコミュニケーションって、どのみち実際そんなに変わらない(笑)じゃないですか^^
だから、「経験」として、人のやりかたを学ぶじゃないけれど、「諦らめて」能動的に参加していれば良かったなぁ、っていう感じが、強いて言えば、当時やらずにいて、そこがもったいなかったな、って思うことかもしれません。
(人間は、「今目の前の世界の”諦めるところは諦める”ことが肝心」って、よく言っていますけれど(笑)こういうことなんですよ。同じ時間が過ぎるなら、諦らめて挑む、そうするとアナタを育てる経験になっていきますので)
自分が能動的じゃないと、「あれだけ、ほうぼう連れて行ってもらった」わりにはですね、どこの店のことも、美味しかった料理も、街と店のロケーションも、「何ひとつ、記憶にない」という(笑)あっぱれ現象があるわけです。

私の場合、とにかく、ああいった当時は、自分のイシキとして「ここは自分の居場所じゃない」的イシキが、すごく強かったんですよ。
その前提で生きてるので、「今、目の前のこと」に当事者意識がいつも持てなかったんです。
だからといって、自分のやりたいこととか、何かを見つけてチャレンジするとか、そういう気概もぜんぜん出てこなかった(笑)わけなんですよ。
心のどこかで、「偶然、そういう世界が、展開し始めること」を夢見ていたと思います(笑)。
(ありがちかもしれませんが。これ、絶対に(笑)ないですので。いや、絶対とはいいませんけれど、でも、「あなたにおあつらえの、あなたを満足させる世界」のほうから、自分が何もしないでいて、すり寄ってくる…っていうのは、ただそれを待っているだけでは、「ない」ですよ。自分でそれを「創造する」というのが、どこにいようと大原則です。でも、何もかも自分で創造する必要がないんですよ。ここが面白い部分で、自分の心に嘘がない創造の世界をつくろうと動き始めると、「まるで、そっちから、寄ってくる現象」が、起こることは起こるのです。)

おっさんたちの世界で、私が毛嫌いしていた「会わないと」コミュニケーション。
自分が「会わないと、コミュニケーションにならんのか?」と(笑)なんとな~くそれを、自分の好きじゃないものに位置づけていた、「因」が自分が生きてきた時代の中でやってきたことの中に、まぁ、あることはあるんだな…と、こうして思い出してみると、あるものなんだな、って思いました。
会うことにとくにメリットを感じていない(笑)だけならいいんですが^^、要するに「あなたがたのメリットづくりに利用されるのはゴメン」というような、自分の時間を奪われる被害者意識は、残っていたと思います。
自分のメリットでもあるのに、当事者意識がないと、人間とはこうなるのです。
ここに気づけて良かったです。
(私がヘミシンクのゲートウェイとか長年ずっとパスし続けていた理由に、その「自分の時間を奪われる感」がずっとありました。CD一枚70分なんて、そんなの聴いてられるか、というやつですよ。それ掛ける21枚ですよ。しかも、一回一回聞けばただちに次のステップへ、というわけでもないんですよ(笑)。まぁ、二の足踏みますよね)
なんでこんな昔の、古い時代のことを思い出していたのかというと、
うちの人がなんでそんなこと調べたのかは詳しくは知りませんけれど(ガイド差し金だと思います^^。私のブロックはずしのための)、
「過去に、日本が、良かったらしき時代」
いわゆる世界経済の中で、日本企業が世界のトップ50の中に、30くらい入っていたらしき時代があるそうなんですが、その時代に、私が過去にいた会社も、その世界トップ50の中に入っていたようで、
「ちょうどオマエが23とか24とか、20代中盤のそのあたり。でもそれ以来、そこの会社は一度もないな、そういうの」
っていう、要するに過去のバブル全盛期な話なんですが(笑)それを”思い出させられた”わけです。
(ほんと、ガイド差し金です…よくブログで言ってますが、こういう風に「身近な人を使って」アナタに必要なことをさせるのが高次ガイドのやりかたです。なので身近な人が”なにげなく”言うことやること「そのもの」がガイダンスではなくても、そこから「繋がってくること」の中に、「アナタにとって”今”意味があること」が見つかることは多いのですよ)
まぁ、だからこそ、「腰掛けで、ただ毎日会社に行ってるだけ、毎日不満垂れ流し放題」でも(笑)毎月お給料が入る、そういうレベルの人間でも”ただ社員だから”の理由で会社に食わしてもらえる、夜な夜な接待まで受ける(笑)いいご身分だったわけです。

だけど……
「今のほうが、ずっと、いい」
ですよ(笑)。
ほんとうですよ。
王族のような贅沢、まではいかないかもしれませんけど、今の時代は、人間の歴史の中においては、特殊な人々の特権だったようなことが、「誰でもできる」ようになった時代、っていう側面が、20年30年前から比べれば、遥かにそうなってきた面が、あるにはあると感じられます。
日本も、バブル全盛期よりも、今のほうが、「普通の人」が、ものすごく実は生きやすくなっている時代ですよ。
但しソレは、「本人次第」です。
そこは、景気が良かろうと悪かろうと。
時代がどうあろうと。
同じです。
(時代の雰囲気としては、「あの世1」のブルーアイランドな世界により近づいてきていると思います。それぞれの「良い落ち着きどころ」に、移行がとてもしやすい時代なので、「自分に他人に嘘をつかない、正直に生きる」のがいいんですよ)

バブルの時も、一見、野心のある人は成功街道登り詰めたり、そういう現象はありましたが、結局、落ちていっている人も多いです。でも落ちたままではなく再浮上している方も、落ちたままの方も、色々です。
音楽業界バブルは、実は、日本のバブル景気の10年あとくらいにやってきているのですが(ちょうどその時代に(笑)そのご相伴にあずかっていない作家だったんですよ…いや、そうじゃないな、私のようなものでも作詞家になれてCD音盤出せていた、ということじたい、時代のご相伴にあずかっていた、と言えますね…今はわりとソコソコ知名度があるアーティストさんでさえ、音源としてCDが出せない時代になっているので)その時代の頂点だったような人々も、この前、YouTUBEで見ましたけれど、月光さんとか。
嘘~、今こんななんだ~、と思いました。
かんたんに言うと、人はここまで落ちぶれると言ったらアレなんですが、持っていた人が「なんで?」レベルでここまで失うこともあるのだな、というストーリーにテレビでは仕上がっていたようです。
こう言っちゃうとアレなんですが、あの時代、実はこの人の会社に私はちょっと…な経験もさせられた(笑)っていうのがあったな、ってそういえば当時は思ってた(カンタンに言うと金銭的損失でいい思い出ではない^^)のをもう忘れていて、それを思い出しましたが(今はもうなんとも思ってないですよ)、今は、この人はこうなんだ~…と。
ひとりの人の人生の中でここまでの落差というものも、起こってしまうんだから凄いな…とは思いました。
そして、「能力」というのも、仮に過去と同スペックであっても、時代が変われば、波からはずれれば、かつては「価値」をつけることができていたものが、アルバイト並に成り下がってしまう世界…(月光さんは音楽の才能の人で経営はプロじゃなかったから、こうなったのかな、と。同様に一斉を風靡したビーイングのほうの方などは今大阪で不動産王だそうなので。なんの世界でもトップになる人そうでない人、いるんだな…と)

私はバブル全盛期には、「会わないと」コミュニケーションを避けてる(笑)人でした。
O.L時代もそうでしたが、遅れてきた音楽業界バブルでも(笑)よく考えてみると、行動は似たりよったりだったと思います^^。(でもまぁ、それで良かったんですけど、結果的には)
あの「浮かれた空気」に本当はついていけなかった人間です。
(ついていかなくても良かったんですけれど、結果的には)
そして、スピリチュアル・ブームでも(笑)
とくに「誰かや、時代に、ついていく」というわけでもなく、淡々と、独自街道を走ってきました。
(高次という、「会わないと」コミュニケーションの必要ない上司を(笑)得たからです。と言いながらも、途中までは「アセンション概念」の突飛な実現(笑)の夢と希望も捨ててはいませんでしたけれど。今はスピ業界で実際にお会いする人、学ぶ人は結局「ほうぼうにやたらとアンテナ広げずに」極小です)
過ぎ去ったスピリチュアル・ブームでも、みなさん、ちょっとそういう空気に踊らされていた方もいらっしゃったのでは?
バブルを知るものとしては、スピリチュアル・ブームにも、日本のバブルの時の特有の空気に少し似ているものもあったかな、という感じがします。
で、それが去った今なので、ようやく、
私は「会わないと(高次ガイドに)」コミュニケーションに、ようやく目覚めた(笑)ということなのだろうと思います^^。
会ってもらえるんなら、会いたいわ♪ そう思っています。
これは大昔のO.L11年時代に培ってしまった、ちょっと間違ったトラウマまでではないけれど、好きじゃなかった経験の積み上げでしょうか。
こういうのが「ブロック」の一因になっていたんだな、とも、多少思います。
おじさんたちの世界の風習では、「会う、会食する(酒飲む)」的な場をつくる、いわゆる「接待飲み会」みたいなものが多かったわけです。
いっしょに飲んで食って、その機会を持つことが、のちの「ビジネスの世界」においても、なんかそれまでよりも”やりやすい(都合聞いてもらいやすいとか)”まぁ、そういう「なぁなぁ関係」つくりやすいっていう幻想があったわけですよ。
で、そういうのに、いっしょに連れて行かれるわけ。
仕事終わったあとの大事なプライベート時間を(笑)そういう「つきあい」に持ってかれるところが、度々あったんですよね。
私が属していた側は、「接待される側」なので、接待する側ではなかったんですけれど、一見「ならいいじゃん」っぽいところはあるでしょう?
美味しいもの食べさせてもらえて(今思うと、自腹では絶対行けないようなタイプの高級店ですとか、けっこう良い場所にある良い店、銀座、青山、六本木、ほうぼうに連れて行ってもらっていましたよ)こっちが気を使う側じゃない、いいご身分で、しかも、「女の子はポジションとして責任ないし」な女子社員は嫁入り前の腰掛け時代(笑)だったんだから、な~~~んの気兼ねもいらないというのか、お気楽にして楽しんでればいい身分でした。
でも苦痛だったんですわ。
だからここ最近の時代、
忘年会とか、上司との飲み会とか、嫌がる、断る、「ゆっくりできる自分の時間が欲しいのに、そんなのつきあってられるか」って(笑)正直にそれを断る人たち、そういう若い子たちが増えてきた、みたいな話は、「そりゃそうだろうよ」って思っていましたよ。
今思うとですが、やはり、なんていうんですかね~、”ビジネスにおける”っていうおじさんたちのああいう壁のはらい方的なものに、子供のあたしはついていけてなかったんだろうな、って気がします。
で、今思うとですが、人間観察っていう意味では、「まったくの無駄」っていうわけでもなかった気がします。
仕事終わったあとの大事なプライベート、っていうほどの(笑)たいそうなプライベートってわけでもなかったんだし(笑)結局ね、「仲のいい人達同士であろうと、会社や仕事の関係の人達同士であろうと」なんか、表面的にコミュニケーション手段としてやることなんて、人間のコミュニケーションって、どのみち実際そんなに変わらない(笑)じゃないですか^^
だから、「経験」として、人のやりかたを学ぶじゃないけれど、「諦らめて」能動的に参加していれば良かったなぁ、っていう感じが、強いて言えば、当時やらずにいて、そこがもったいなかったな、って思うことかもしれません。
(人間は、「今目の前の世界の”諦めるところは諦める”ことが肝心」って、よく言っていますけれど(笑)こういうことなんですよ。同じ時間が過ぎるなら、諦らめて挑む、そうするとアナタを育てる経験になっていきますので)
自分が能動的じゃないと、「あれだけ、ほうぼう連れて行ってもらった」わりにはですね、どこの店のことも、美味しかった料理も、街と店のロケーションも、「何ひとつ、記憶にない」という(笑)あっぱれ現象があるわけです。

私の場合、とにかく、ああいった当時は、自分のイシキとして「ここは自分の居場所じゃない」的イシキが、すごく強かったんですよ。
その前提で生きてるので、「今、目の前のこと」に当事者意識がいつも持てなかったんです。
だからといって、自分のやりたいこととか、何かを見つけてチャレンジするとか、そういう気概もぜんぜん出てこなかった(笑)わけなんですよ。
心のどこかで、「偶然、そういう世界が、展開し始めること」を夢見ていたと思います(笑)。
(ありがちかもしれませんが。これ、絶対に(笑)ないですので。いや、絶対とはいいませんけれど、でも、「あなたにおあつらえの、あなたを満足させる世界」のほうから、自分が何もしないでいて、すり寄ってくる…っていうのは、ただそれを待っているだけでは、「ない」ですよ。自分でそれを「創造する」というのが、どこにいようと大原則です。でも、何もかも自分で創造する必要がないんですよ。ここが面白い部分で、自分の心に嘘がない創造の世界をつくろうと動き始めると、「まるで、そっちから、寄ってくる現象」が、起こることは起こるのです。)

おっさんたちの世界で、私が毛嫌いしていた「会わないと」コミュニケーション。
自分が「会わないと、コミュニケーションにならんのか?」と(笑)なんとな~くそれを、自分の好きじゃないものに位置づけていた、「因」が自分が生きてきた時代の中でやってきたことの中に、まぁ、あることはあるんだな…と、こうして思い出してみると、あるものなんだな、って思いました。
会うことにとくにメリットを感じていない(笑)だけならいいんですが^^、要するに「あなたがたのメリットづくりに利用されるのはゴメン」というような、自分の時間を奪われる被害者意識は、残っていたと思います。
自分のメリットでもあるのに、当事者意識がないと、人間とはこうなるのです。
ここに気づけて良かったです。
(私がヘミシンクのゲートウェイとか長年ずっとパスし続けていた理由に、その「自分の時間を奪われる感」がずっとありました。CD一枚70分なんて、そんなの聴いてられるか、というやつですよ。それ掛ける21枚ですよ。しかも、一回一回聞けばただちに次のステップへ、というわけでもないんですよ(笑)。まぁ、二の足踏みますよね)
なんでこんな昔の、古い時代のことを思い出していたのかというと、
うちの人がなんでそんなこと調べたのかは詳しくは知りませんけれど(ガイド差し金だと思います^^。私のブロックはずしのための)、
「過去に、日本が、良かったらしき時代」
いわゆる世界経済の中で、日本企業が世界のトップ50の中に、30くらい入っていたらしき時代があるそうなんですが、その時代に、私が過去にいた会社も、その世界トップ50の中に入っていたようで、
「ちょうどオマエが23とか24とか、20代中盤のそのあたり。でもそれ以来、そこの会社は一度もないな、そういうの」
っていう、要するに過去のバブル全盛期な話なんですが(笑)それを”思い出させられた”わけです。
(ほんと、ガイド差し金です…よくブログで言ってますが、こういう風に「身近な人を使って」アナタに必要なことをさせるのが高次ガイドのやりかたです。なので身近な人が”なにげなく”言うことやること「そのもの」がガイダンスではなくても、そこから「繋がってくること」の中に、「アナタにとって”今”意味があること」が見つかることは多いのですよ)
まぁ、だからこそ、「腰掛けで、ただ毎日会社に行ってるだけ、毎日不満垂れ流し放題」でも(笑)毎月お給料が入る、そういうレベルの人間でも”ただ社員だから”の理由で会社に食わしてもらえる、夜な夜な接待まで受ける(笑)いいご身分だったわけです。

だけど……
「今のほうが、ずっと、いい」
ですよ(笑)。
ほんとうですよ。
王族のような贅沢、まではいかないかもしれませんけど、今の時代は、人間の歴史の中においては、特殊な人々の特権だったようなことが、「誰でもできる」ようになった時代、っていう側面が、20年30年前から比べれば、遥かにそうなってきた面が、あるにはあると感じられます。
日本も、バブル全盛期よりも、今のほうが、「普通の人」が、ものすごく実は生きやすくなっている時代ですよ。
但しソレは、「本人次第」です。
そこは、景気が良かろうと悪かろうと。
時代がどうあろうと。
同じです。
(時代の雰囲気としては、「あの世1」のブルーアイランドな世界により近づいてきていると思います。それぞれの「良い落ち着きどころ」に、移行がとてもしやすい時代なので、「自分に他人に嘘をつかない、正直に生きる」のがいいんですよ)

バブルの時も、一見、野心のある人は成功街道登り詰めたり、そういう現象はありましたが、結局、落ちていっている人も多いです。でも落ちたままではなく再浮上している方も、落ちたままの方も、色々です。
音楽業界バブルは、実は、日本のバブル景気の10年あとくらいにやってきているのですが(ちょうどその時代に(笑)そのご相伴にあずかっていない作家だったんですよ…いや、そうじゃないな、私のようなものでも作詞家になれてCD音盤出せていた、ということじたい、時代のご相伴にあずかっていた、と言えますね…今はわりとソコソコ知名度があるアーティストさんでさえ、音源としてCDが出せない時代になっているので)その時代の頂点だったような人々も、この前、YouTUBEで見ましたけれど、月光さんとか。
嘘~、今こんななんだ~、と思いました。
かんたんに言うと、人はここまで落ちぶれると言ったらアレなんですが、持っていた人が「なんで?」レベルでここまで失うこともあるのだな、というストーリーにテレビでは仕上がっていたようです。
こう言っちゃうとアレなんですが、あの時代、実はこの人の会社に私はちょっと…な経験もさせられた(笑)っていうのがあったな、ってそういえば当時は思ってた(カンタンに言うと金銭的損失でいい思い出ではない^^)のをもう忘れていて、それを思い出しましたが(今はもうなんとも思ってないですよ)、今は、この人はこうなんだ~…と。
ひとりの人の人生の中でここまでの落差というものも、起こってしまうんだから凄いな…とは思いました。
そして、「能力」というのも、仮に過去と同スペックであっても、時代が変われば、波からはずれれば、かつては「価値」をつけることができていたものが、アルバイト並に成り下がってしまう世界…(月光さんは音楽の才能の人で経営はプロじゃなかったから、こうなったのかな、と。同様に一斉を風靡したビーイングのほうの方などは今大阪で不動産王だそうなので。なんの世界でもトップになる人そうでない人、いるんだな…と)

私はバブル全盛期には、「会わないと」コミュニケーションを避けてる(笑)人でした。
O.L時代もそうでしたが、遅れてきた音楽業界バブルでも(笑)よく考えてみると、行動は似たりよったりだったと思います^^。(でもまぁ、それで良かったんですけど、結果的には)
あの「浮かれた空気」に本当はついていけなかった人間です。
(ついていかなくても良かったんですけれど、結果的には)
そして、スピリチュアル・ブームでも(笑)
とくに「誰かや、時代に、ついていく」というわけでもなく、淡々と、独自街道を走ってきました。
(高次という、「会わないと」コミュニケーションの必要ない上司を(笑)得たからです。と言いながらも、途中までは「アセンション概念」の突飛な実現(笑)の夢と希望も捨ててはいませんでしたけれど。今はスピ業界で実際にお会いする人、学ぶ人は結局「ほうぼうにやたらとアンテナ広げずに」極小です)
過ぎ去ったスピリチュアル・ブームでも、みなさん、ちょっとそういう空気に踊らされていた方もいらっしゃったのでは?
バブルを知るものとしては、スピリチュアル・ブームにも、日本のバブルの時の特有の空気に少し似ているものもあったかな、という感じがします。
で、それが去った今なので、ようやく、
私は「会わないと(高次ガイドに)」コミュニケーションに、ようやく目覚めた(笑)ということなのだろうと思います^^。
会ってもらえるんなら、会いたいわ♪ そう思っています。

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カテゴリ : 高次ガイダンス
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