やはりヘブンさんが紹介する、この世に送り出してきた石って、凄いんだよなと(笑)
もうスピリチュアルブームの終焉とともに、「スピ石ブーム」も終了感があります(笑)。
石業界を牽引してきたスピ石、という側面もありましたが、現在の石業界全体では、それほど過去のスピ石的盛り上がりはないんですよ。
傾向としては、常に、筆頭にくるのは『数が少ない、レアストーン、高品質ストーン(”ハイ・ストーン”って呼ばれてます)』という、物理的に限られているからこそ価値があるこの世常識の目安、ここが有無を言わせぬモノを言うようなところ、そのモノサシ筆頭で常に動いている業界ではあるので、そう思っていると、石選びがしやすくなるんじゃないかなと思います。
なんでしやすくなるのかというと、売ってる側(多くのふつうの石屋)は、どうしてもそのこの世原理の人氣の影響で、石売ってますから。
あなたが求めているのか、売ってる側のその部分の価値観にただ同調し影響されているだけなのか。
その影響を、あなた自身がジャストフィット感で楽しんで求めていれば別にそれでもいいのですけれど(笑)そうではなく、なんか思いつめて石選びをしているようなら(まぁ、イマドキはそんな人じたいが少ないですけれどね)石業界もファッション業界も不動産業界も食品業界もペット業界も…あらゆる業界、人間のやることですから、そこいらへんは「ここだけが崇高」「ここだけがホンモノ」だとか、そんなのないんですよ。
それは、自分で見つけるしかないのです。
というか、「あなたが、それを、自分にとってのホンモノと認識する」しかないのが、この世です(笑)。

そこで話がヘブンに戻りますが(笑)ヘブンの石は、日本で爆発的に過去に売れたんですが、ほぼほぼのそれを買う側の人々は「人氣に左右されて」買っていた(というか石屋が「人氣だから売っていた」)と思います。
これはいたしかたない側面もあるんですよ。
どんな素晴らしい石であっても、「それを受け入れ認める人」がいないと、そしてそれが少数派過ぎると、悲しいかな(笑)石売る人々の生計成り立たなくなってしまいますからw
多勢の勢いに流されるのが、大半のこの世の人間ですのでね。
だからどうしてもこの世では、それをいいと言ってくれる一定数の人々のちからが必要な側面があるので、「人氣が悪いもの良くないもの」と、人氣をシャットアウトし毛嫌いしてしまうのも、選択肢を狭めた観方になってしまいますので、この一長一短をわかっている、で、「自分はどうか」というのが大事です。
だからそうやって、評判めいたものでヘブンの石を過去に手に入れてみた人は、結局あんまり石効果なんて感じていない人がほとんどなんじゃないかと思います(笑)。
昔、「アゼツライト原石をよそで買ってみたんだけど、「?」なんです」って言ってたアゼツの認知度上がってきてた当時のお客様だった人とかもいらっしゃったりwというのを思い出しましたが、そういうの聞くと、「ああ、こうやって、大半の人間は石をまがいものにしていくんだよな」と(笑)、思ったものです^^。
(まぁ「よそで買った石のことを私に言われてもなぁ」という(笑)クソな気持ちもあったので、別にいちいちそこでヘブン擁護なんてしませんでしたけどw そのへんドライなわけですよw 「それは買ったところに言えばいいんでないかい」というのが正直なところではありましたかね。今も基本はそうです。石業界全体を良くしたいな~石買う人みんなに良くなっていって欲しいな~という「大きな目線」はあるんだけど(笑)自分がケアできるのは、自分がかかわる人(=うちでそれを買ってくれてる人)の範疇にとどめておかないと、よそのケアまでしていると大変なことになる、というか、その向こう側にいる石の提供者である他者への過干渉であり侵害にも繋がりますからね。「境界線」というのは、こうやって引いておくわけですw 提供側、受け取り側、それぞれに「囚われ」がある中で、この世に我々存在しますので。それがイキナリ、ワンネスのお花畑をあるがままな私達で目指しても(笑)まぁ、無理なのが道理ですよ。このビミョウな囚われは、人集めが得意なわりと有名な愛と光のスピ石系の人々あたりでも「えっなんじゃそりゃ」っていうような(笑)なんかそういうの持ってますよw)
本人が何も感じられなければ、その人にとっては対象は「別にこれが何なの」のようなモノになり下がっていきますからw
必要以上に「人氣が出る」ことの功罪というのか、まぁ、こういうところにあるわけなんですよ。
(でもこれも「大きな目線」で言えば、「なにも感じられない、損した気分の犠牲者(笑)」がたくさんいてこそ、流通網が拡大し、それでなきゃまず恩恵を受けることがなかった人々も出てくるので。人氣のなせるわざではあるのですが、やっぱり無駄ではないのです、高次見地からすると)

で、今回のこちら。
ヘブンで言うところのニューカンシャスネス(新しい視点、価値観)だったかな、そのカップリングにアゼツとオーラライト-23を加えたもの。
これは自分単独の新しい視点、そこに高次の参加がある、高次と歩調を合わせたタイプの、ニューカンシャスネスです。
本人にとってニューカンシャスネスだと本人が感じること、それじたいに、実際のところは必ず高次ガイドとのコラボがあるから、この世ではそうなってる、というのが真実ではあるのですが(笑)これをより引き出しやすくします。
ニューカンシャスネスだけでもイケるわけなんですけれど、オーラライト-23とアゼツが加わるほうが、よりそれがスムーズかなと思います。
もうひとつは、観えてる世界と観えない世界のあいだにかかるヴェールをとっぱらうカップリング。
そこにある、本人が気づいていないブロック、思い込みに、気づかせるようにサポートするかな、という感じでしょうか。
ヘミシンクなどもそうですが、各種ブロック解除ワークなどされている方や、「なんとかして、現状突破したい」という各種試行錯誤ワーク、瞑想、”祓いアイテム”や、各種浄化アイテム、浄化方法などで、浄化を日々進めている方が、突破口を開いていって、ワンステップ上がっていく、その実感とこれからの行動指針を自ら発見しそれを得るために、いい感じの補助輪になってくれる、いずれもそういう感じかな、と思われるカップリングですね。

ヘブンのロバさんじたいがイエール神学科を出ているような人なので、精神的基本構造が、普通の人とそもそも違います。
(アメリカの一般人にウケるのが「ブレイキング・バッド」なわけですので(笑)そこから察するとwやっぱりアメリカでも、メタフィジカルストーンを支持する層なんて、ごくわずかでしょうというのがわかります)
だから、ヘブンの石というのは、ある程度、そのあたりの研鑽を進めてきたところのあるようなピーポー(アメリカだとエネルギーワークをやっているヒーラーさんたちだとかニューエイジ層だとかクレア発達している人とか)に、これは凄いとウケたわけなのですがw、もともとベースに、「観えない世界があることが前提で生きてる」という部分がある人や、そっちの不具合みたいなものがあることにあたふたしてきた人(笑)などにとって救世主なところのある石のエバンジェリストさんなところがあるので、人生に不具合感じていない、もしくは「認識がそこまで拡大に至っては居ない」ような感じの人々にとっては、やっぱり、ただの石なわけですよ。
しかも「見た目」って意味で(笑)「うわぁ、うっとりなキラキラ透明綺麗な石~素敵~」という身につける乙女の他者や自分にそれを見せる自慢心や満足感、表面エゴの自分自身が綺麗なものがやっぱりどうしても好きだしって部分へのケアは薄め(笑)だったりしますからw やっぱり「キラキラ透明うっとりじゃないと」って感じの人だと最初から対象外でしょうから、本来は狭き門なんですよ。
その本来は狭き門を煽るのが(笑)「人氣、評判、なんか流行ってる」のような(笑)わらわら賑わうその感じです。「乗り遅れてはいけない」と。
アセンションなどもその人間の持つ、乗り遅れたくない焦り、期限を切ることで流れに乗るように、上手に流布されていった概念なんですが、だからといって「嘘」ではないですよ。ここは読み間違えないほうがいいです。人氣に煽られたくないからと、それを自分がアセンションを怠るための言い訳にしてはいけません。
「認識が至っていない」ことに、ずっと甘んじ続けるのか。
そうではないのか。
「ヒトの可能性」ってそこなんですよ。
自分がわかっていないから、可能性であり、伸びしろなんです(笑)。
そしてもうすっかりわかってるつもりの、この世で悟り解脱したつもりのヒトでも、それはあるんです。
人間は、一歩ずつ、成長していきますので。
「昨日までの自分とサヨウナラ」は、一足飛びにはやってこないけれど、意図して行動しないと始まりませんから。
そこをまったく意図しないままの人生を進行していくと、年取ればそりゃさらに苦しいかもしれません。
(それが、「ゲートが閉まった以降は難しい」みたいに表現するスピ・リーダーさん言うところの表現なのですよ、おそらく。ただ単純に考えても、2年先には今より2歳、生きていれば誰もが年とってますからね(笑)。肉体年齢の経過に左右される条件は重ねることになるので。そういう物理的視点から見てみても、それが徒労に終わる無駄に終わる失敗に終わる恐れを超えて、コマ進める、進めよう、っていうのは、諦らめないほうがいいと思います。どちらかというと、「その徒労が嫌で面倒くさくて逃げちゃった」という人が、先の人生で後悔するのが、この世ではほとんどなんじゃないのかな、という気はしますから)
でもまぁ、こんな長文ブログを、好き好んで読んでいる時点で(笑)
あなたは、うちの石アクセからの恩恵なら、受け取れる人です。
買ってお試しください。
”いつもブログ読んでるだけの人”も(笑)時には自腹を切る、自分のお金(エネルギー)を使っていただいて、石アクセサリの現物恩恵を受け取ることも、ぜひご検討くださいね。
厳しいことを言ってしまうと、それがたとえばなんらかのワークショップに参加し実践し何かを得た人と、ブログ読んでるだけの人と、受け取るものの違いを生んでいく部分だと思います(笑)。
写真は写真、ガイダンスはガイダンスだからね。
ワークショップ系も、前フリと実際、確実に違うでしょ? 前フリだけ受け取り続ける情報コレクターもそれはそれでそれが趣味なら止めませんが(笑)。まぁ、そういうことです。
もうスピリチュアルブームの終焉とともに、「スピ石ブーム」も終了感があります(笑)。
石業界を牽引してきたスピ石、という側面もありましたが、現在の石業界全体では、それほど過去のスピ石的盛り上がりはないんですよ。
傾向としては、常に、筆頭にくるのは『数が少ない、レアストーン、高品質ストーン(”ハイ・ストーン”って呼ばれてます)』という、物理的に限られているからこそ価値があるこの世常識の目安、ここが有無を言わせぬモノを言うようなところ、そのモノサシ筆頭で常に動いている業界ではあるので、そう思っていると、石選びがしやすくなるんじゃないかなと思います。
なんでしやすくなるのかというと、売ってる側(多くのふつうの石屋)は、どうしてもそのこの世原理の人氣の影響で、石売ってますから。
あなたが求めているのか、売ってる側のその部分の価値観にただ同調し影響されているだけなのか。
その影響を、あなた自身がジャストフィット感で楽しんで求めていれば別にそれでもいいのですけれど(笑)そうではなく、なんか思いつめて石選びをしているようなら(まぁ、イマドキはそんな人じたいが少ないですけれどね)石業界もファッション業界も不動産業界も食品業界もペット業界も…あらゆる業界、人間のやることですから、そこいらへんは「ここだけが崇高」「ここだけがホンモノ」だとか、そんなのないんですよ。
それは、自分で見つけるしかないのです。
というか、「あなたが、それを、自分にとってのホンモノと認識する」しかないのが、この世です(笑)。

そこで話がヘブンに戻りますが(笑)ヘブンの石は、日本で爆発的に過去に売れたんですが、ほぼほぼのそれを買う側の人々は「人氣に左右されて」買っていた(というか石屋が「人氣だから売っていた」)と思います。
これはいたしかたない側面もあるんですよ。
どんな素晴らしい石であっても、「それを受け入れ認める人」がいないと、そしてそれが少数派過ぎると、悲しいかな(笑)石売る人々の生計成り立たなくなってしまいますからw
多勢の勢いに流されるのが、大半のこの世の人間ですのでね。
だからどうしてもこの世では、それをいいと言ってくれる一定数の人々のちからが必要な側面があるので、「人氣が悪いもの良くないもの」と、人氣をシャットアウトし毛嫌いしてしまうのも、選択肢を狭めた観方になってしまいますので、この一長一短をわかっている、で、「自分はどうか」というのが大事です。
だからそうやって、評判めいたものでヘブンの石を過去に手に入れてみた人は、結局あんまり石効果なんて感じていない人がほとんどなんじゃないかと思います(笑)。
昔、「アゼツライト原石をよそで買ってみたんだけど、「?」なんです」って言ってたアゼツの認知度上がってきてた当時のお客様だった人とかもいらっしゃったりwというのを思い出しましたが、そういうの聞くと、「ああ、こうやって、大半の人間は石をまがいものにしていくんだよな」と(笑)、思ったものです^^。
(まぁ「よそで買った石のことを私に言われてもなぁ」という(笑)クソな気持ちもあったので、別にいちいちそこでヘブン擁護なんてしませんでしたけどw そのへんドライなわけですよw 「それは買ったところに言えばいいんでないかい」というのが正直なところではありましたかね。今も基本はそうです。石業界全体を良くしたいな~石買う人みんなに良くなっていって欲しいな~という「大きな目線」はあるんだけど(笑)自分がケアできるのは、自分がかかわる人(=うちでそれを買ってくれてる人)の範疇にとどめておかないと、よそのケアまでしていると大変なことになる、というか、その向こう側にいる石の提供者である他者への過干渉であり侵害にも繋がりますからね。「境界線」というのは、こうやって引いておくわけですw 提供側、受け取り側、それぞれに「囚われ」がある中で、この世に我々存在しますので。それがイキナリ、ワンネスのお花畑をあるがままな私達で目指しても(笑)まぁ、無理なのが道理ですよ。このビミョウな囚われは、人集めが得意なわりと有名な愛と光のスピ石系の人々あたりでも「えっなんじゃそりゃ」っていうような(笑)なんかそういうの持ってますよw)
本人が何も感じられなければ、その人にとっては対象は「別にこれが何なの」のようなモノになり下がっていきますからw
必要以上に「人氣が出る」ことの功罪というのか、まぁ、こういうところにあるわけなんですよ。
(でもこれも「大きな目線」で言えば、「なにも感じられない、損した気分の犠牲者(笑)」がたくさんいてこそ、流通網が拡大し、それでなきゃまず恩恵を受けることがなかった人々も出てくるので。人氣のなせるわざではあるのですが、やっぱり無駄ではないのです、高次見地からすると)

で、今回のこちら。
ヘブンで言うところのニューカンシャスネス(新しい視点、価値観)だったかな、そのカップリングにアゼツとオーラライト-23を加えたもの。
これは自分単独の新しい視点、そこに高次の参加がある、高次と歩調を合わせたタイプの、ニューカンシャスネスです。
本人にとってニューカンシャスネスだと本人が感じること、それじたいに、実際のところは必ず高次ガイドとのコラボがあるから、この世ではそうなってる、というのが真実ではあるのですが(笑)これをより引き出しやすくします。
ニューカンシャスネスだけでもイケるわけなんですけれど、オーラライト-23とアゼツが加わるほうが、よりそれがスムーズかなと思います。
もうひとつは、観えてる世界と観えない世界のあいだにかかるヴェールをとっぱらうカップリング。
そこにある、本人が気づいていないブロック、思い込みに、気づかせるようにサポートするかな、という感じでしょうか。
ヘミシンクなどもそうですが、各種ブロック解除ワークなどされている方や、「なんとかして、現状突破したい」という各種試行錯誤ワーク、瞑想、”祓いアイテム”や、各種浄化アイテム、浄化方法などで、浄化を日々進めている方が、突破口を開いていって、ワンステップ上がっていく、その実感とこれからの行動指針を自ら発見しそれを得るために、いい感じの補助輪になってくれる、いずれもそういう感じかな、と思われるカップリングですね。

ヘブンのロバさんじたいがイエール神学科を出ているような人なので、精神的基本構造が、普通の人とそもそも違います。
(アメリカの一般人にウケるのが「ブレイキング・バッド」なわけですので(笑)そこから察するとwやっぱりアメリカでも、メタフィジカルストーンを支持する層なんて、ごくわずかでしょうというのがわかります)
だから、ヘブンの石というのは、ある程度、そのあたりの研鑽を進めてきたところのあるようなピーポー(アメリカだとエネルギーワークをやっているヒーラーさんたちだとかニューエイジ層だとかクレア発達している人とか)に、これは凄いとウケたわけなのですがw、もともとベースに、「観えない世界があることが前提で生きてる」という部分がある人や、そっちの不具合みたいなものがあることにあたふたしてきた人(笑)などにとって救世主なところのある石のエバンジェリストさんなところがあるので、人生に不具合感じていない、もしくは「認識がそこまで拡大に至っては居ない」ような感じの人々にとっては、やっぱり、ただの石なわけですよ。
しかも「見た目」って意味で(笑)「うわぁ、うっとりなキラキラ透明綺麗な石~素敵~」という身につける乙女の他者や自分にそれを見せる自慢心や満足感、表面エゴの自分自身が綺麗なものがやっぱりどうしても好きだしって部分へのケアは薄め(笑)だったりしますからw やっぱり「キラキラ透明うっとりじゃないと」って感じの人だと最初から対象外でしょうから、本来は狭き門なんですよ。
その本来は狭き門を煽るのが(笑)「人氣、評判、なんか流行ってる」のような(笑)わらわら賑わうその感じです。「乗り遅れてはいけない」と。
アセンションなどもその人間の持つ、乗り遅れたくない焦り、期限を切ることで流れに乗るように、上手に流布されていった概念なんですが、だからといって「嘘」ではないですよ。ここは読み間違えないほうがいいです。人氣に煽られたくないからと、それを自分がアセンションを怠るための言い訳にしてはいけません。
「認識が至っていない」ことに、ずっと甘んじ続けるのか。
そうではないのか。
「ヒトの可能性」ってそこなんですよ。
自分がわかっていないから、可能性であり、伸びしろなんです(笑)。
そしてもうすっかりわかってるつもりの、この世で悟り解脱したつもりのヒトでも、それはあるんです。
人間は、一歩ずつ、成長していきますので。
「昨日までの自分とサヨウナラ」は、一足飛びにはやってこないけれど、意図して行動しないと始まりませんから。
そこをまったく意図しないままの人生を進行していくと、年取ればそりゃさらに苦しいかもしれません。
(それが、「ゲートが閉まった以降は難しい」みたいに表現するスピ・リーダーさん言うところの表現なのですよ、おそらく。ただ単純に考えても、2年先には今より2歳、生きていれば誰もが年とってますからね(笑)。肉体年齢の経過に左右される条件は重ねることになるので。そういう物理的視点から見てみても、それが徒労に終わる無駄に終わる失敗に終わる恐れを超えて、コマ進める、進めよう、っていうのは、諦らめないほうがいいと思います。どちらかというと、「その徒労が嫌で面倒くさくて逃げちゃった」という人が、先の人生で後悔するのが、この世ではほとんどなんじゃないのかな、という気はしますから)
でもまぁ、こんな長文ブログを、好き好んで読んでいる時点で(笑)
あなたは、うちの石アクセからの恩恵なら、受け取れる人です。
買ってお試しください。
”いつもブログ読んでるだけの人”も(笑)時には自腹を切る、自分のお金(エネルギー)を使っていただいて、石アクセサリの現物恩恵を受け取ることも、ぜひご検討くださいね。
厳しいことを言ってしまうと、それがたとえばなんらかのワークショップに参加し実践し何かを得た人と、ブログ読んでるだけの人と、受け取るものの違いを生んでいく部分だと思います(笑)。
写真は写真、ガイダンスはガイダンスだからね。
ワークショップ系も、前フリと実際、確実に違うでしょ? 前フリだけ受け取り続ける情報コレクターもそれはそれでそれが趣味なら止めませんが(笑)。まぁ、そういうことです。

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カテゴリ : 高次ガイダンス
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