私は幸運

2020年01月17日 (金) 00 : 00
「ありがとう連呼」って私自身は未だにしたことないんですが(ホ・オポノポノというのもしたことがないです)

ありがとう連呼ができるようなことは、おそらく「どなたにも」あるはずです

「表面的にはない」と言わずに(笑)その類のことには不感症にならずに、「見つける」ようにすると良いですよ

ここが強いて言えばそうなのかなぁ、という

たいてい、本人にとっては「当たり前のこと」になってしまっているケースが多いので、そこに「ありがとう」の思いが出てこないんですよ





「もったいない」ということがこの世にあるのだとしたら、「そこに気づけていない」という、それなのかな

自分にとっての幸運です

ほんのちょっとのことなのですけれどね

たとえば「自分にとっては意外なところを褒められた」ことがあるだとか、そういうのがまぁその部類ではあります

その逆に「けなされた」ことの中にもありますよ





それらは、実は目的ではなく、この世でもあの世の途中段階までも有効と言えるツールです

幸運は「幸運になること」が目的なのではなく、生きる、存在するためのツールなのですよ

だから幸運になることはできないのです、運はツールなので

そしてこれらは別名、「囚われ」であることも(笑)あります

だから、囚われってはずれにくいわけなんですよ、幸運ツールにもなってしまっているわけなので

だから時に、「不運と見せかけて」高次は、はずしたほうがいい囚われに気づかせるために、あなたを「不運」に陥れる(笑)なんてことがあるわけです

(なので「不運な時」というのは、今がそのはずしたほうがいい囚われを外していけるタイミングその時期ですよ、のサインでもあります)

「幸運も不運も」もう有効じゃないと感じられるもの(賞味期限切れ)から少しずつ外していくのがいいですね

(幸運も、使い時の旬が過ぎるとその人にとっての不運ツールと変容してしまうことも、あったりするのですよ)

一気にやろうとせず、毎日、少しずつ

ゲートは閉まりませんよ(笑)死ぬまで…いや、死んでも、基本は大丈夫、居場所はありますからね(笑)



そうそう、「手放したらもう使えなくなる」のかというと、そんなこともないので

自分がちゃんと「そこに囚われていた」っていうことに気づいていったん手放しての囚われをはずす経験をしていくと、
バリエーションとして(笑)「自分で、そうと気づきながら、囚われを楽しむ」という、行動バリエーションができるので、人生に余裕がでてきますよ(これは「誤算」だったな~と、気づいてるところ)

「囚われ知らず」も魅力的だけど(トム・クルーズ氏ばりに怖いもの知らずになれたらいいのになぁとかw)

「囚われいっぱい知ってましたよ」も魅力的だと思いますよ(笑)それだけ「ツールのバリエーション」持ってるわけだから


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カテゴリ :  高次ガイダンス
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