DNAの呪縛と継承

2020年01月09日 (木) 17 : 18
生きている人間は、必ずしもDNAに縛られているわけではないのですが、「子供の頃」にいちばん観てきた、いわゆる、親のありかた。これは、影響するんだな~…ということが、昨日までの記事で、なんとな~くおわかり頂ける人にはおわかりいただけたんじゃないかと思います。
だから、一緒に暮らす親って大事なんです。
「何も教えているつもりがなくても」つまり、会話さえなくても、子供には影響しますんで。
うちは、正直ですね、「親子仲良く腹を割っていつも一緒に楽しむ」のような、現代風の友達親子だったことが(笑)まずありませんでした家庭でしたw 
なので現在の「友達親子」現象、凄いな~~~ありえないな~~~って思います(笑)。
とても良いことだと思います。

難点があるとしたら、…って、仲良し親子の難点探してみましたが(笑)「本当に仲がいいのなら(誰かが無理してるのでなければ)」めっちゃいいことなんじゃないでしょうか。
実際に、「こういうのがイマドキの仲良し親子なんだな」というケースに遭遇した時に感じたことですが、「親が威張ってもいない。けれど親が親としてちゃんと機能してる」という感じを受けたんですよ。
子が親に自分のやりたいことを素直に話せて、親のほうはそれをぜんぜん否定していない。それどうしたらなんとかなるのかな実現するのかな、って、一緒に考えていたり。
で、子供の行動を縛っていない。子供のスケジュールを親の都合に合わせて変えさせようとか、そういうことをしていなかったり。
彼には彼のやることがある、という、母べったりとかじゃないんだな~、とか。
(これは実は「母の方も、自分のやりたいことをいつもしている人」なので、実現しているコミュニケーションなのだろうと感じます)

ちなみにイマドキの風潮だから、仲良し親子、仲良し家庭になりたい…
みたいなのは、やめておきましょう(笑)
まぁ、トライすることをやめなくてもいいけれど、そうなれなかった、そうなれていない場合に、「うちは駄目な不幸な家庭」という烙印を押す必要は、ないですよ。
見た目、家族仲がいいことは確かに良いことですが、高次見地からすると、「そこだけ」が、その人その人の家族構成を決める要素というわけでもありませんので。

そりゃ、楽しいかもしれません。
でもあれは、親が「自分を、相手を、尊重する」ことができる人であって、成り立つ世界、そして、それが子供にとっても居心地のいい世界だからそうなるのだと思います。
風潮だからとマネしてみても、それができない人同士だと、親子でなくても、厳しいです(笑)。
「親子だから、血がつながっているから、実現できる」というのは、間違いです。
その、人間社会の長きにわたる、「血縁だから」に、どれだけの多くの人が縛られてきたのでしょうか? と思いますよ。
「血縁だから」の恩恵を受けることもあるにはあるので、無下にはできないし、ご先祖がいて、今の自分の肉体存在があることは事実なので、その部分での感謝はあっていいのですが、特定の血縁存続、肉体生命のリレー、「血縁の夢を叶える」「親ができなかった夢を実現する(もしくはかたきを打つなど)」だとかのためだけに、人間が存在しているわけではありませんから。
そして、子は親の従属ブツではないですし、単独の感性を持ちますので、従属させることはできませんから、「仲良しとか協力を強要」されれば、そこから離れたくなります(笑)。
人は本当は、「命令」「強要」に馴染めない、その構造があるのです(それは誰しもの中に「自分の中の神」が本当はいるからでもあります。やるなら「自発的に」やりたいわけです)。
でも、「表面的に装う」ことはできるので、世の中の、仲良し風味親子なども、5割くらい(もっとかも)は、表面上「仲良くしなきゃいけない」そんな感じを家族みんなでそれぞれ演じてる…みたいなところもあるんじゃないのかな~って気がします。



まぁ、そういう、仲良し親子、友達親子じゃない、昭和の家庭(笑)でした自分は、
父と二人だと会話がなく(笑)なんか緊張してました、いつも。
ブログ記事だけ読んでいると、「生前、まるで、仲が良かった?」かのように(笑)感じられますでしょ?
いや、「会話」なんて、ほとんどしてないですよw
むしろ、死んだ後のほうが、話しやすいです。あっちが、より「本質に近づいていってる領域」にいてくれるぶん、話がしやすい気がします。
死んだのちに多少後悔したことがあったんだとしたら、もっと、神道について、神様について、霊界について、知識として直接学べる先生だったわけなので(笑)そういう話をしておけば良かったなぁ、とは思いましたけれど。
でもこれは、私自身が「本当にそれを学びたいのであれば」父からでなくても、学べることです。
実際、のちに、自分で学んでいます。(その部分においてものすごく博識というわけではありませんけど)

父は生前、世界各地にある「宗教の違い」について、「それぞれの登山方法の違い、というだけで、どれも間違ってはいない」ということを言っていました。そのくらいには、リベラルな、八百万の神精神はあったわけなのですが、スピリチュアリストの陥りやすい、「自分は(他者は)完全ではない」いわゆる、「神より劣るのが人間」という(笑)人生は、勉強、修行、生かされている感謝、今持っているもので満足する、感謝する、的な…間違ってはいないのですが、なんでしょう、そこを「楽しむ」という要素について、高次を知れば知るほど、「自分はまだまだ=家族はまだまだ」っていう、理想と比べた現実の劣っている部分に目が向いちゃうんですよ。感謝と言いつつ、「今」を生きていないところが出てきます。
そして、自他に厳しくなり、もっともやってはいけない「欠点を治そう、治そう」という、欠点撲滅に走ってしまいがち。欠点があるから、駄目なんだ、というやつですね。そして、「欠点がある相手を認められない」という、家族あるある、という(笑)ことになっていきます。(これは裏返すと「欠点がある自分を認められない」ので、それが「家族」という写し鏡に認められないものがわんさか映し出されるのです)
「なまじ、うまくいってる高次世界の実現をしていそうな家庭」なんかを知ったり(でもそれも結局「表面」だと思いますよ)すると、「自分とこはそうじゃない、かけ離れてる」ことへの、遠い道のりを急ごうとしたりするわけです(だからそうじゃないことへの「怒り」も生まれます)。
なので、「もっとも自分が望んでいなかった家族像」が(笑)、服いっぱい買いまくる子供たちが育ったんじゃないでしょうか。
「目の前の世界を、自分の思い通りではない家族を受け入れる」という(笑)必要な修行をさせられることになったんだと思われますよ。望み通り、「人間力形成(霊性向上)の修行」に、家族が総出で一役買っていた、とも、言えるわけです。
そして、スピ系ありがちなのかもしれませんが、本当はお金が好きなくせに(笑)「お金以上の価値があるもの」を求めます(笑)。カネのためじゃない、というキレイなものにしたがるんですよね。でもこの世ではカネはかかるのも自明。だからそこで、誰かが「我慢」をすることになり、その我慢を引き受け続け、合わせ続けたのが母だった、ということです。



私はこの世って、「修行、努力」が不要なんだな(笑)と、気づけたのは、そういう父との距離が(笑)あったからです。
というか、修行、努力をしている人であっても、本人の完璧思い通りの世界にはならない(とくに家族は)という実例体験がありましたので、そういう点で、幼少から大人にかけてのあの世界は、知っていて良かったかもしれません。

むしろ、「苦しさ、強い思い(望みへの執着)」は、高次を遠ざけます。
本来、私たちは、その人が苦労して苦しんで努力して獲得する必要のない、スムーズな高次ロードが、誰しにも用意されてるのです。(でもこれを邪魔する「親の常識」「配偶者の常識」「家族の」「世間の」など、「周囲の価値観」や「善悪」「好き嫌い」という基準、こういうハードルがあります。親や配偶者から逃れても(笑)人間とかかわる以上、必ず、ありますよ)

なので、特にやっぱり、「もっとコミュニケーションがあれば良かったな」とは思わないですね(笑)。むしろ、親から学んでいたら、それが「囚われ」「固定観念」として、もっと影響が強いものになっていたかもしれませんので。
仲良し、ってわけでもなかったぶん、あの方の「存在への執着」もなんか薄いんですよw
認めてはいるけれど、好きとか嫌いとかの感情レベルから離れてるところがありまして。
だから、淡々と話せるのだと思いますよ。

母に対しては、緊張というよりも、なんか噛み合わないことが多くイライラさせられる人だったんで、で、話すとイライラするから、なるべく話さないようにしていたわけです。
彼女はそういう部分がいつも父の怒りを買うところがあったわけなのですが、どちらかというと、その怒る側の気持ちが多少わかる、という感があったというのか。ある意味、依存心が強い、そして、認められたい人、自分の存在を認められたいから苦労する我慢する自己犠牲を選ぶ、人に尽くす人、自分のために生きようとしない、自分のやりたいことを自覚しようとしない人という、まぁ人間なら誰でも持っている弱い部分をいっぱい持っている、過去にはそんな感じの人でした。
(でも私も(笑)そうですね~「石に出会う前」までは、この母の影響を(笑)「もっとも、ああはなりたくない」と思っていた人の影響を、思いっきり受けて、人格形成されていたことに気づいたんですよw ほんと、親おそるべしなんですよ。なるべく、ほんと、なるべく早めの自立をお薦めしますよw あ、もちろんですが、「親のようになりたい」という親を持つ人なら、促されなくてもむしろ自立は早いと思われます。実際、上述の仲良し親子、子はわりとまだ若い20代真ん中で、都内に親の大きな家があるのに、わざわざ一人でアパート借りて、自立しているんですよ)

きょうだい間は仲がいいのかというと、結局、そうではなくて、私は「上下犬猿の仲の仲介役」のような感じ。これは今でもそうですね(笑)。
まぁ、その中で、会話という意味ではまぁまぁ続くのが、昨日出てきた天然クレアボヤントの人かなと思います。でもこの人にしても、ものすごく本人美学が強いタイプなんで(そこが父に思い切り似ているw)学ぶことも多いんだけど、正直、いつも一緒にいたいようなタイプではない(笑)たまに会うから面白い、みたいな人ですね。

ものすごく個性の強い人々なので(笑)「とくにカネ持ちではないけれど、わりと美しく整っているはずの」実家にいる時は、とても疲れていました。
ある意味、「自分の部屋のたくさんの私物」はその「城壁」の役割をしていたんだろうと思います。
今のうちの人と暮らすために家を出て、色々なことに気が付きました。
まず、「私は自分を表に出すことができず疲れてたんだ」と自覚しまして(笑。それができる相手がこの世にいることに感動したのです)。
なので、私の人生は、家を出て、自立するところからスタートしたんだな…と実感してました。
まぁ、そこでももちろん「闘い」は多かったんですが、それでも、自立してからの自分のほうが、ずっと好きですね。



なので、「ミニマムが幸福を実現する」のかというと(笑)必ずしもですね、すぐにはそうならないと思うし、特に「一緒に暮らす家族」がいる場合には、そのへん個々に、家庭ごとにぜんぜん違うと思います。
「そこに暮らす、全員の理解と、全員のやりたいこと」であって、はじめて、「何もない空間が、高次空間として、機能する」ところがあると感じられます。
そうじゃないと、「何もない、落ち着くはずの、整っていて、美しいはずの高次空間」に、目には観えない人間同士が起こす摩擦の「穢れ」というものが、その空間を牛耳っていく(笑)こともありますよ。
(だから、ミニマムは「自分ひとりの意志で実現する」独身のほうがやりやすいし、結婚しなくていいんじゃないの、っていうのは(笑)そこでしょうかw そういう人が結婚すると、よっぽど精神的成熟度がまったく同じレベルでないと、苦難の道の開拓が始まると思いますよ。せっかく手に入れた(笑)と思っていた世界が崩壊しますw でも、だからこそ、いいのかもしれませんがね。それも、大事な経験です)

ホテルが美しく機能しているのは、大勢のそれを維持する人手という物理的な手間暇仕事ももちろんあるのですが、そこに出入りする人間の認識も、一役買っています。
シンプルで無駄がなく、美しい、くつろげる空間、ホテルとはそういうものである…という認識を、利用側も持っているので、そこに馴染もうとしますでしょ。
ホテルだと「家と同じふるまい」になる人は少ないんじゃないかと(笑)思います。
「日常ではない」からこそ、それを可能としています。
なので、場を共有する人々多くの共通認識の力もあるわけなのです。

だから「日常に、ホテルライクを」という場合、タワマン住人が、その意識を住まう全員が持って、「サイレントに暮らす」という意識で臨んでいる人々であるならば、そこそこイケるかもしれませんが、色々な人がいますから。そうもいかないでしょ。
外ではイイコにしていても「自分の家」だと、おっきい音を立てる、そういう人もいたりするでしょ。
隣人とかに度を超えた(でも本人は自分が度を超えてるなんて自覚はないと思いますよ)そういう人がいれば、一気に、「ここは集合住宅、これって団地だったんだ…」に成り下がる瞬間なんですよw



私達は、色々な価値観のハイブリッド状態で生きているものです。

たとえば、親の価値観に反発して(笑)「ああはなりたくない」と、真逆の方向へ走っていく。
ただ結局そこでも、「なんらかの価値観」に影響されて、人の価値観というのは、形成されていきます。
本当に、自分単独の価値観と言えるものなど、ほんの僅かですよ。

DNAの呪縛と継承。これは、いいことも悪いことも、表裏一体として受け継がれています。

でも、「たったそれだけ」のために、人は生きているわけではありません。
その中に「僅かの、あなたらしさ、あなたの本質」が「潜在意識の中に埋もれている」とか、能力開発的メソッドなども多いのですが。

私の場合は、それを「石に見出して、助けてもらって、今がある」から(笑)

こうして、みなさんに、アナタの中のソレを引き出してくれる、石アクセサリのご提供をしている…ということです。

なので、駄目な自分があったからこそ、その雑魚状態を知っているからこそ、それが「今、活かされている」ということなので、「無駄ではなかったな」と、生まれ落ちた家庭環境からすべての、そういう経験のすべてが高次采配と言えた実感があるのです(笑)。



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カテゴリ :  高次ガイダンス
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