今、毎日ゲートウェイを聴いてるところなんですが。
ようやくWAVE Ⅰ DISCOERY三枚組のうちの、2枚めに入ったところです。
一応、順を追って行こうと決めてまして、1枚ずつ、「こういうことなのか」という自分なりの習得感が感じられるまでは、同じCDを何度もリピートしよう、と思ってるところです。「焦らない」ということで。
で、この年の暮れから正月休みのあいだに、うちではなんでか「ミッション・インポッシブル」というトム・クルーズ主演のシリーズ映画があるのですが、それを立て続けにずっと観ておりまして。
今日も観るのかしらん?
これは、私がトム・クルーズのファンで観たくて、というわけではなくて、うちの人間が観ようよ、ってことで、一緒に観てます。
最初は、「なんかほんとにアンタこういうの好きね~」と思いながら、観てたんですが。
(笑。米国人ってCIAものとかなんていうんでしょう、いわゆる見えない敵との格闘というかw 何かと闘う、最終的には、できるかできないか「自分との闘い」なわけなんだけど、そういうイチカバチカの闘いに勝つ、みたいなのが好きなんだと思う)
まぁ、映画の中身そのものは薄い(笑)んですよ。(それはうちの人もわかってて観てる)
どちらかというと、トム・クルーズってアクション俳優なんだ…という驚愕というかw、なんかこれ人間技を超えてるよね? という、スタントマンなしで、あれだけの超びびり~演技(ちょっと演技と言うには”度を超えてる”感もある)を本人がこなす、モノにしている、できてしまっている、そっちのほうに注目がいきます。
ほんと、凄いんです(笑)。
映画の中身は薄いから(笑)内容の濃い映画を観たい人向きではありませんが、トム・クルーズの驚くべき身体能力に「これはやっぱり日本映画には絶対にないな。西島さんなんてもう、ぜんぜん甘い、甘い」と(笑)言うことができます。

でね、それを「凄い。」って思う、そして、「ちょっと考えられない」って思うのは、
人間の肉体の限界、人間が肉体を持ってできることの限界、ということの、恐怖感からなんだな…ということが、なんかわかったんです。
究極的には「死」への恐怖感ですよね。肉体を失う=自分を失う、という恐怖感を潜在的に持っているということ。
どれだけ死後世界があることをわかっていても、それでもあるんですよ。
トム・クルーズ氏だって、実際、ビルの10階から飛び降りるなんて、本当はきっと怖いと思います(笑)。
(実際に、その撮影で足を骨折して、撮影が6週間ストップし、足を治してからまた撮影再開した、とかエピソードがあるらしい。でも6週間程度のオフでまたキョーフの撮影現場へ戻っていける…(笑)すんごい筋金入りのプロだなと思いましたw)
今、聴いてるWAVE Ⅰ DISCOERYの2枚めでは、「そこにある恐怖感という感情を見てください」というのがあって、
「?」と、
自分がそこにしまった憶えのない「恐怖の感情」なんて、もう、どこにもないよな…と思ってたんです。
だから、見えませんし感じません。
でもあとから、
「なるほど。観えてないものを、「ある」として観るための、訓練なんだ、これ」と、あとから気づきました。(必ず、自分が「ない」と思っていても、ある、それがなんらかへの恐怖心だと思いますし)
そして、「ミッション・インポッシブル」で、凄いな、と観ていて思う、その感情の裏側にあるもの。
「こんなの、自分にはとうていできないよな。」という、肉体の限界感というのでしょうか、自分にはとてもできないことだから、凄いと思うわけなのですが、
「観えない世界、つまりエーテルレベルだと、これはできること」という発想を、今持っていないと、あんなのできなそう、っていう肉体レベルの肉体があるゆえの恐怖感を持っていると、肉体を超えた、たぶん先の体験が展開しない、進まないんだろうな…
ということに、なんとな~く、繋がってきました。
私のクレアボヤントの道を塞ぐもの(笑)つまりやっぱり、無意識に持ってる「肉体感覚での怖さ、制限感覚」のようなもの、そのブロックがあったわけです。(感情レベルでも「幽霊怖い」というのもあるんだけど)
きっとこの映画シリーズを、「せっかくの正月なのに」なんでか観させられている意味は、その「パターン変え」そこにある(笑)と感じますw
(ただ私は、こういう「なんで? せっかくの正月なのに」感情もありつつ、うちの人間の誘いは断らないんですよ(笑)。くだらないハリウッド映画なんか観てる暇なんかねえぞ、と言ってはねのけることもできます。でも慣習的に、彼が私に見せようとするものなどに、最初はたいしてそこに深い意味は見られなくても、のちに、「なるほど、そういうことだったのか」の気付きへと展開することも、けっこう今までにもあるのです。ガイド差し金というやつです。ここはなんか信用できるので、とりあえずは、自分が最初はマインドでくだらない時間の無駄、と一瞬思うことでも「どれどれ」と誘いに乗ることにしています)
「ミッション・インポッシブル」もちろん(笑)肉体レベルの現実世界では、「良い子は絶対に真似してはいけません、大怪我どころか、死ぬかもしれません」な非常に危険なアクションシーンの数々なのですが。
(あれは…現実に肉体レベルでできる人は、本当に限られると思いますw)
観えない世界レベルでは、ああいった、神出鬼没はたぶん、かなり当たり前なので。
そのペースについていくには、「このぐらいのことがあって当たり前」と、こちらの、「思考パターンを変える」必要がありますから。
「なんでもあり」とクチでは言っていて自分でもそう思っているつもりでも、その「なんでも」のパターンによっては、ブロックを持っていれば、進みませんよね。
そういうことか~、と思いました。

これは、ヘミシンクだけの話ではありませんよ。
わりとこの、「思考パターンを変える」ことって、できるようで、できないものです。
大抵は「恐怖心」に由来する、自分にはできない、考えてもみなかった、というその「パターン変え」レベルで思考変えができて、初めて、人間の変容はできてくるところはありますから。
(そこが変わっていないと、いっとき思考の変化はできても、やっぱりまた状況変えても似たパターンの現実をつくることがありますよ)
石選びなどにも通じるのですが。
「自分がまず選びそうにない石」というのも、その「パターン変え」を促してくれるので、お薦めなところはあるわけです。
(私単独の趣味嗜好でしたら、「ミッション・インポッシブル」は確実に(笑)観ていませんのでw そういうこと)
ようやくWAVE Ⅰ DISCOERY三枚組のうちの、2枚めに入ったところです。
一応、順を追って行こうと決めてまして、1枚ずつ、「こういうことなのか」という自分なりの習得感が感じられるまでは、同じCDを何度もリピートしよう、と思ってるところです。「焦らない」ということで。
で、この年の暮れから正月休みのあいだに、うちではなんでか「ミッション・インポッシブル」というトム・クルーズ主演のシリーズ映画があるのですが、それを立て続けにずっと観ておりまして。
今日も観るのかしらん?
これは、私がトム・クルーズのファンで観たくて、というわけではなくて、うちの人間が観ようよ、ってことで、一緒に観てます。
最初は、「なんかほんとにアンタこういうの好きね~」と思いながら、観てたんですが。
(笑。米国人ってCIAものとかなんていうんでしょう、いわゆる見えない敵との格闘というかw 何かと闘う、最終的には、できるかできないか「自分との闘い」なわけなんだけど、そういうイチカバチカの闘いに勝つ、みたいなのが好きなんだと思う)
まぁ、映画の中身そのものは薄い(笑)んですよ。(それはうちの人もわかってて観てる)
どちらかというと、トム・クルーズってアクション俳優なんだ…という驚愕というかw、なんかこれ人間技を超えてるよね? という、スタントマンなしで、あれだけの超びびり~演技(ちょっと演技と言うには”度を超えてる”感もある)を本人がこなす、モノにしている、できてしまっている、そっちのほうに注目がいきます。
ほんと、凄いんです(笑)。
映画の中身は薄いから(笑)内容の濃い映画を観たい人向きではありませんが、トム・クルーズの驚くべき身体能力に「これはやっぱり日本映画には絶対にないな。西島さんなんてもう、ぜんぜん甘い、甘い」と(笑)言うことができます。

でね、それを「凄い。」って思う、そして、「ちょっと考えられない」って思うのは、
人間の肉体の限界、人間が肉体を持ってできることの限界、ということの、恐怖感からなんだな…ということが、なんかわかったんです。
究極的には「死」への恐怖感ですよね。肉体を失う=自分を失う、という恐怖感を潜在的に持っているということ。
どれだけ死後世界があることをわかっていても、それでもあるんですよ。
トム・クルーズ氏だって、実際、ビルの10階から飛び降りるなんて、本当はきっと怖いと思います(笑)。
(実際に、その撮影で足を骨折して、撮影が6週間ストップし、足を治してからまた撮影再開した、とかエピソードがあるらしい。でも6週間程度のオフでまたキョーフの撮影現場へ戻っていける…(笑)すんごい筋金入りのプロだなと思いましたw)
今、聴いてるWAVE Ⅰ DISCOERYの2枚めでは、「そこにある恐怖感という感情を見てください」というのがあって、
「?」と、
自分がそこにしまった憶えのない「恐怖の感情」なんて、もう、どこにもないよな…と思ってたんです。
だから、見えませんし感じません。
でもあとから、
「なるほど。観えてないものを、「ある」として観るための、訓練なんだ、これ」と、あとから気づきました。(必ず、自分が「ない」と思っていても、ある、それがなんらかへの恐怖心だと思いますし)
そして、「ミッション・インポッシブル」で、凄いな、と観ていて思う、その感情の裏側にあるもの。
「こんなの、自分にはとうていできないよな。」という、肉体の限界感というのでしょうか、自分にはとてもできないことだから、凄いと思うわけなのですが、
「観えない世界、つまりエーテルレベルだと、これはできること」という発想を、今持っていないと、あんなのできなそう、っていう肉体レベルの肉体があるゆえの恐怖感を持っていると、肉体を超えた、たぶん先の体験が展開しない、進まないんだろうな…
ということに、なんとな~く、繋がってきました。
私のクレアボヤントの道を塞ぐもの(笑)つまりやっぱり、無意識に持ってる「肉体感覚での怖さ、制限感覚」のようなもの、そのブロックがあったわけです。(感情レベルでも「幽霊怖い」というのもあるんだけど)
きっとこの映画シリーズを、「せっかくの正月なのに」なんでか観させられている意味は、その「パターン変え」そこにある(笑)と感じますw
(ただ私は、こういう「なんで? せっかくの正月なのに」感情もありつつ、うちの人間の誘いは断らないんですよ(笑)。くだらないハリウッド映画なんか観てる暇なんかねえぞ、と言ってはねのけることもできます。でも慣習的に、彼が私に見せようとするものなどに、最初はたいしてそこに深い意味は見られなくても、のちに、「なるほど、そういうことだったのか」の気付きへと展開することも、けっこう今までにもあるのです。ガイド差し金というやつです。ここはなんか信用できるので、とりあえずは、自分が最初はマインドでくだらない時間の無駄、と一瞬思うことでも「どれどれ」と誘いに乗ることにしています)
「ミッション・インポッシブル」もちろん(笑)肉体レベルの現実世界では、「良い子は絶対に真似してはいけません、大怪我どころか、死ぬかもしれません」な非常に危険なアクションシーンの数々なのですが。
(あれは…現実に肉体レベルでできる人は、本当に限られると思いますw)
観えない世界レベルでは、ああいった、神出鬼没はたぶん、かなり当たり前なので。
そのペースについていくには、「このぐらいのことがあって当たり前」と、こちらの、「思考パターンを変える」必要がありますから。
「なんでもあり」とクチでは言っていて自分でもそう思っているつもりでも、その「なんでも」のパターンによっては、ブロックを持っていれば、進みませんよね。
そういうことか~、と思いました。

これは、ヘミシンクだけの話ではありませんよ。
わりとこの、「思考パターンを変える」ことって、できるようで、できないものです。
大抵は「恐怖心」に由来する、自分にはできない、考えてもみなかった、というその「パターン変え」レベルで思考変えができて、初めて、人間の変容はできてくるところはありますから。
(そこが変わっていないと、いっとき思考の変化はできても、やっぱりまた状況変えても似たパターンの現実をつくることがありますよ)
石選びなどにも通じるのですが。
「自分がまず選びそうにない石」というのも、その「パターン変え」を促してくれるので、お薦めなところはあるわけです。
(私単独の趣味嗜好でしたら、「ミッション・インポッシブル」は確実に(笑)観ていませんのでw そういうこと)

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カテゴリ : 高次ガイダンス
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