昨日は、大掃除の話をしていましたが。
「何をどこまで捨てればいいか」というよりも、
「何を捨てて、どうありたいか」ってことでしょうかね。
だから、「ただ、捨てる、手放す」ことをしても…実際、捨てると見えてくるものもあるにはあるので、ただ捨てるも悪くはないのですが。
へたすると、「捨てる→増やす→捨てる(同じようなエネルギーの)」のメリーゴーラウンドになってしまう(笑)人もいると思うので、ここが気をつけどころかなと感じます。

実は昨日、もともとの「断捨離」の本で断捨離を世に広めた方の動画を見ていたんですよ(笑)。
「冷蔵庫」「食器」「洋服」
っていうテーマごとの、断捨離についての動画でした。(あ、動画じゃないな。音声ですね)
もうほぼほぼ大掃除、片付けが、終わってるのに、観る意味有るのか? って話でしたが(笑)
たぶん、大掃除、片付けが終わってたから、観る気になったのだろうと思います。

「断捨離」っていうと、単純にモノを捨ててスッキリすること、のような印象で世の中に広まっているため、「そうか捨てればいいのか」と、捨てる快感に魅了され(笑)今度は、必要以上に捨てちゃって、結局、「空いた穴を埋める」ためにまた同量しこたま買う、っていうサイクルになる場合もあると思います。
でも、ちょっと、そうではないんですよね、ほんとうの断捨離というのは。
「ミニマムになることが、目的」ではないのです。
でも、結果的に、ミニマムになることも多いので、ミニマリストと同一視されますが。
そうではないです。
で、気がついたのが、「冷蔵庫」と「食器」については、私は、もうまったくの無意識になんですが、長年の風習として、断捨離的様相のスタイルで(笑)やってきていたんだ…っていうことに気が付きましたw
なので、昨日の記事では、「中身が少ないほうが、快適っすよ」のようなことをお伝えしていたというところがあります。
中身が少ない…っていうか、「適量」ですね。
冷蔵庫にいつも入ってるのは、せいぜいが、3日分くらいの食材でして(笑)。
これ、もちろんですが、その人その人が、住んでいる場所によって、それが快適になれる人そうじゃない人いると思うので。たぶん、ど田舎でスーパーに行くのに何キロ、っていうようなところに住んでいる方にとっては、絶対に無理、って話になると思うんです。まるの日さんちとか(笑)そんな感じですよね。そういうところに住んでいる方は、かなり「計画的に、食材をまわす」ことができていないと、大変だと思うので、むしろ、「長期スパンで、どれだけ、物が必要か」を見極める目が必要になると思います。
だからね、断捨離提唱者の方の言う、「冷蔵庫の中身の適量」が適用されるのは、まぁまぁ、行こうと思えば、食べ物を買いに行ける距離に食べ物がある、という人の話になる気がします。
こういう、「個別性」を、間違えて、本などに書かれていることとか、「誰それが言ってることだから」だけを支えにしてしまい、メソッドを実行してしまうと、間違えたことになる気がしますね。
なので、ここでは、
「いつでも、行こうと思えば、食べ物を買いに行ける、生活条件持っている人の話」ということです。
基準としては、「手前のものをどかさないと、後ろにあるものが手が届かず取れない」みたいなレベルが、NG、ということなんでしょうかね。
冷蔵庫って、どうやらそういうカオスになりやすい場所のようなんですね。
でもカオスになりやすいぶん、「わかりやすい」スペースでもあるようです。
なぜなら、食べ物は、痛みが早く腐ってくれるため、「もう必要ないこと」の認識がとてもしやすいから。
つまり、必要以上に詰め込んでいても、どんどん鮮度は落ちていき、結局「とっておく」ことをしても、無駄にしてしまうことのほうが多いから、適量がわかりやすい場所なのですね。
冷蔵庫をどうしてもカオスにしやすい方は、冷蔵庫じたいを一回り小さいものに買い換える、というのも、けっこう手ではないかな~という気もします。
自分の場合は、小型冷蔵庫で(笑)食品の貯蔵サイクルについては鍛えられたところがありますので。
小さくなればそのぶん、冷蔵庫が圧迫していたスペースも生まれるので。いいと思いますよ。

それと似た感じでは、食器棚というのもそうかもですね。
実はたぶんですが、世の主婦さんたちは「食器棚があるから、食器を買ってしまう」ってところがあるんじゃないのかな、と。
モノ入れがあれば、まぁ、買うんですよ。
で、どんどん積み重ねていっちゃう。
で、後ろにあるものが取れない、後ろにあるものが何だっけ? の世界になるんじゃないでしょうか(笑)。
そういえばうちの実家の母も、食器棚の中、ものすごい食器が積み重なってるタイプでした。
ところが、「いつも使っている食器」そのものは、いつも同じで、且つ、なんていうんだろう、見た目に素敵というよりは、割れて惜しくないレベルの日常用、っていうんでしょうか。
客用と、普段遣いが、分かれてる、典型的な日本の母スタイル(笑)だったんですがw
(でもそんな実家の母も、私がどっさり実家に保管していた昔の服を捨てたあとに、少し感化されたのか、食器棚の中の食器をだいぶ処分したようでした。でも、「どこ処分したの?」っていうくらい(笑)それでもまだけっこうあるように見えますけどねw)
これね… 日本人だけかと思ったら、どうやら、世界的傾向のようですw
アメリカ人とかも、パーティー好きじゃないですか。
で、やっぱり、ゲストのためにという良い食器、それと、普段遣いを分けてしまって、結局、良い食器を「自分のためには使わない」のでず~~~っとスペシャルなときのためにとっておく…って感じで、ほとんど使わない、という顛末に陥ってるようです。
でもこれも、「断捨離提唱者というわけじゃない、アメリカのビジネスコーチの女性」が、断捨離と似たようなことを言っていて、
「その、お客様にするように、自分のために、大事な食器を、あなたが”普段””いつも”使ってください」
って言ってましたね。
いいものを持っているなら、使う。
これが、その人の”セルフイメージをあげる”ための、コツのようですよ。
断捨離の「食器」の扱いについても、まったく同じようなことを言ってました。
私は、断捨離のほうじゃなくて、アメリカのビジネスコーチの女性が言っていた、「良い食器を普段いつもあなたが使う」というところに、ちょっとぴぴん、と来たところがずっと以前にあったので、当時使っていたコップだとかマグカップとかお皿とか丼とか、けっこう総出で、以前のものは、とくに気に入って使っていたわけではなく、「あるから使ってた」「場所取らないから使ってた」みたいな(笑)ほぼほぼ合理的理由だけで使用していた古いものはすべて処分しまして。
いわゆる「お気に入り」にすべて買い替えました。
琉球ガラスとか。
お皿は、和モダン系とか、キャラ系は、大好きなスヌーピー(笑)だけにするとか。
マグカップも、フラワーオブライフのフォルムが綺麗なものとか、食器なんてな、って、どこかの部分で思っていた私にしてはお値段お高めに感じられるけど、「自分が欲しい物」に絞り、景品系とかちょっと100均で買っちゃったような系統は(笑)すべて処分し。
こういうのって、大事だったんだな~って、実感しました。
もともと、数が少なかったぶん、「入れ替え」も楽でしたし、毎日使ってますね。
(実はこれも、「断捨離の人」も、食器の断捨離のしかたとして、まったく同じ見解のことを言ってます。ただいらないものを捨てる、というよりは、「いかに、気に入って使っているものがある日常にシフトしていくか」ということが大事で、「その人のエネルギー状態を良くする」「エネルギー循環を淀ませない」のか、という点で、ビジネスコーチと断捨離が(笑)同じことを言ってる、というのが、興味深い話ですね)

このビジネスコーチの方は、食器もそうですが、「服」についても、同じことを言ってました。
「よそ行きと、普段の服」
これを、分けないこと。
家の中だから、家着だから、テキトー。
外用は外用、とせず、「素敵な服をクローゼットにとっておく」ということを、しないでください。今日、今、それを着てください、という話。
そして、断捨離の人も、やっぱり似たようなこと言ってました。
TPO、というのもあるにはあるのだけど、「常に、自分が気に入ってるものを、着ている状態。”今の”お気に入りを毎日ローテしている状態」というような話をしてました。
要するに、
家の中だろうと、外に見せるための服だろうと、「今の自分が、今の自分を、気に入ってる状態でいてください」ってことです。
世の、いわゆる、対外的に成功しているっぽいような人々が言うメソッドとしては、まぁ、こんなところが共通項としてあるのだな、ということでした。

「対外的に成功している」
それは、その前に、
「内面で成功している」
それが、外側の世界に、映し出されるだけ…
ということなのです。

実は私も、「服を買うようになってから」ですが、常にそうできているか? というと、まだまだではありますが
(どっかの部分で、「外に行く時」と「家の中」では(笑)やっぱり、今日はどこも出かけないな、って場合は、テキトーになってしまうことがあります。ダサい人です。しかも私の場合、圧倒的にw 外に毎日お仕事でおでかけになるみなさんよりも、「どこにも行かないな」の割合はとても高いので(笑)実はお洒落するというのも「一見その理由がない」ため、へたすると、どんどん野暮ったくもなっていけるwという、その条件ならあるのです。ところが、お洒落というのは実は「普段からしていないと」イキナリお洒落な人にはなれません。これは鉄則です。なので、「お洒落になりたい」と思ってる人は、普段から、普通の日こそが大事なので、普通の日に毎日お洒落でいてください。人は、特別な日だけ、お洒落になれることは、まずありません)
この「自分が、自分を、気に入っている状態」
については、以前よりも、気にかけるようになりました。
「石だけ豪華」
っていうんじゃなく(笑)
「全体のバランスとして素敵」
たとえ、石ブレスを両腕に7,8本していても(笑)それがただの変な人に見えないお洒落度合いというのでしょうかw
そんな感じは、気にかけるようにはなりました。
私が、お洒落に観えるほうが、
「石ブレスしてる人って、素敵なんだ」
っていう印象を、外側の他人に残せますよね?
「石ブレス何本もしてる人って、メンヘラ? なんかおかしい人?」
という、人の固定観念をくつがえす(笑)
まぁ、そういう役割、したいんでw(石たちの名誉のためにも)
「何をどこまで捨てればいいか」というよりも、
「何を捨てて、どうありたいか」ってことでしょうかね。
だから、「ただ、捨てる、手放す」ことをしても…実際、捨てると見えてくるものもあるにはあるので、ただ捨てるも悪くはないのですが。
へたすると、「捨てる→増やす→捨てる(同じようなエネルギーの)」のメリーゴーラウンドになってしまう(笑)人もいると思うので、ここが気をつけどころかなと感じます。

実は昨日、もともとの「断捨離」の本で断捨離を世に広めた方の動画を見ていたんですよ(笑)。
「冷蔵庫」「食器」「洋服」
っていうテーマごとの、断捨離についての動画でした。(あ、動画じゃないな。音声ですね)
もうほぼほぼ大掃除、片付けが、終わってるのに、観る意味有るのか? って話でしたが(笑)
たぶん、大掃除、片付けが終わってたから、観る気になったのだろうと思います。

「断捨離」っていうと、単純にモノを捨ててスッキリすること、のような印象で世の中に広まっているため、「そうか捨てればいいのか」と、捨てる快感に魅了され(笑)今度は、必要以上に捨てちゃって、結局、「空いた穴を埋める」ためにまた同量しこたま買う、っていうサイクルになる場合もあると思います。
でも、ちょっと、そうではないんですよね、ほんとうの断捨離というのは。
「ミニマムになることが、目的」ではないのです。
でも、結果的に、ミニマムになることも多いので、ミニマリストと同一視されますが。
そうではないです。
で、気がついたのが、「冷蔵庫」と「食器」については、私は、もうまったくの無意識になんですが、長年の風習として、断捨離的様相のスタイルで(笑)やってきていたんだ…っていうことに気が付きましたw
なので、昨日の記事では、「中身が少ないほうが、快適っすよ」のようなことをお伝えしていたというところがあります。
中身が少ない…っていうか、「適量」ですね。
冷蔵庫にいつも入ってるのは、せいぜいが、3日分くらいの食材でして(笑)。
これ、もちろんですが、その人その人が、住んでいる場所によって、それが快適になれる人そうじゃない人いると思うので。たぶん、ど田舎でスーパーに行くのに何キロ、っていうようなところに住んでいる方にとっては、絶対に無理、って話になると思うんです。まるの日さんちとか(笑)そんな感じですよね。そういうところに住んでいる方は、かなり「計画的に、食材をまわす」ことができていないと、大変だと思うので、むしろ、「長期スパンで、どれだけ、物が必要か」を見極める目が必要になると思います。
だからね、断捨離提唱者の方の言う、「冷蔵庫の中身の適量」が適用されるのは、まぁまぁ、行こうと思えば、食べ物を買いに行ける距離に食べ物がある、という人の話になる気がします。
こういう、「個別性」を、間違えて、本などに書かれていることとか、「誰それが言ってることだから」だけを支えにしてしまい、メソッドを実行してしまうと、間違えたことになる気がしますね。
なので、ここでは、
「いつでも、行こうと思えば、食べ物を買いに行ける、生活条件持っている人の話」ということです。
基準としては、「手前のものをどかさないと、後ろにあるものが手が届かず取れない」みたいなレベルが、NG、ということなんでしょうかね。
冷蔵庫って、どうやらそういうカオスになりやすい場所のようなんですね。
でもカオスになりやすいぶん、「わかりやすい」スペースでもあるようです。
なぜなら、食べ物は、痛みが早く腐ってくれるため、「もう必要ないこと」の認識がとてもしやすいから。
つまり、必要以上に詰め込んでいても、どんどん鮮度は落ちていき、結局「とっておく」ことをしても、無駄にしてしまうことのほうが多いから、適量がわかりやすい場所なのですね。
冷蔵庫をどうしてもカオスにしやすい方は、冷蔵庫じたいを一回り小さいものに買い換える、というのも、けっこう手ではないかな~という気もします。
自分の場合は、小型冷蔵庫で(笑)食品の貯蔵サイクルについては鍛えられたところがありますので。
小さくなればそのぶん、冷蔵庫が圧迫していたスペースも生まれるので。いいと思いますよ。

それと似た感じでは、食器棚というのもそうかもですね。
実はたぶんですが、世の主婦さんたちは「食器棚があるから、食器を買ってしまう」ってところがあるんじゃないのかな、と。
モノ入れがあれば、まぁ、買うんですよ。
で、どんどん積み重ねていっちゃう。
で、後ろにあるものが取れない、後ろにあるものが何だっけ? の世界になるんじゃないでしょうか(笑)。
そういえばうちの実家の母も、食器棚の中、ものすごい食器が積み重なってるタイプでした。
ところが、「いつも使っている食器」そのものは、いつも同じで、且つ、なんていうんだろう、見た目に素敵というよりは、割れて惜しくないレベルの日常用、っていうんでしょうか。
客用と、普段遣いが、分かれてる、典型的な日本の母スタイル(笑)だったんですがw
(でもそんな実家の母も、私がどっさり実家に保管していた昔の服を捨てたあとに、少し感化されたのか、食器棚の中の食器をだいぶ処分したようでした。でも、「どこ処分したの?」っていうくらい(笑)それでもまだけっこうあるように見えますけどねw)
これね… 日本人だけかと思ったら、どうやら、世界的傾向のようですw
アメリカ人とかも、パーティー好きじゃないですか。
で、やっぱり、ゲストのためにという良い食器、それと、普段遣いを分けてしまって、結局、良い食器を「自分のためには使わない」のでず~~~っとスペシャルなときのためにとっておく…って感じで、ほとんど使わない、という顛末に陥ってるようです。
でもこれも、「断捨離提唱者というわけじゃない、アメリカのビジネスコーチの女性」が、断捨離と似たようなことを言っていて、
「その、お客様にするように、自分のために、大事な食器を、あなたが”普段””いつも”使ってください」
って言ってましたね。
いいものを持っているなら、使う。
これが、その人の”セルフイメージをあげる”ための、コツのようですよ。
断捨離の「食器」の扱いについても、まったく同じようなことを言ってました。
私は、断捨離のほうじゃなくて、アメリカのビジネスコーチの女性が言っていた、「良い食器を普段いつもあなたが使う」というところに、ちょっとぴぴん、と来たところがずっと以前にあったので、当時使っていたコップだとかマグカップとかお皿とか丼とか、けっこう総出で、以前のものは、とくに気に入って使っていたわけではなく、「あるから使ってた」「場所取らないから使ってた」みたいな(笑)ほぼほぼ合理的理由だけで使用していた古いものはすべて処分しまして。
いわゆる「お気に入り」にすべて買い替えました。
琉球ガラスとか。
お皿は、和モダン系とか、キャラ系は、大好きなスヌーピー(笑)だけにするとか。
マグカップも、フラワーオブライフのフォルムが綺麗なものとか、食器なんてな、って、どこかの部分で思っていた私にしてはお値段お高めに感じられるけど、「自分が欲しい物」に絞り、景品系とかちょっと100均で買っちゃったような系統は(笑)すべて処分し。
こういうのって、大事だったんだな~って、実感しました。
もともと、数が少なかったぶん、「入れ替え」も楽でしたし、毎日使ってますね。
(実はこれも、「断捨離の人」も、食器の断捨離のしかたとして、まったく同じ見解のことを言ってます。ただいらないものを捨てる、というよりは、「いかに、気に入って使っているものがある日常にシフトしていくか」ということが大事で、「その人のエネルギー状態を良くする」「エネルギー循環を淀ませない」のか、という点で、ビジネスコーチと断捨離が(笑)同じことを言ってる、というのが、興味深い話ですね)

このビジネスコーチの方は、食器もそうですが、「服」についても、同じことを言ってました。
「よそ行きと、普段の服」
これを、分けないこと。
家の中だから、家着だから、テキトー。
外用は外用、とせず、「素敵な服をクローゼットにとっておく」ということを、しないでください。今日、今、それを着てください、という話。
そして、断捨離の人も、やっぱり似たようなこと言ってました。
TPO、というのもあるにはあるのだけど、「常に、自分が気に入ってるものを、着ている状態。”今の”お気に入りを毎日ローテしている状態」というような話をしてました。
要するに、
家の中だろうと、外に見せるための服だろうと、「今の自分が、今の自分を、気に入ってる状態でいてください」ってことです。
世の、いわゆる、対外的に成功しているっぽいような人々が言うメソッドとしては、まぁ、こんなところが共通項としてあるのだな、ということでした。

「対外的に成功している」
それは、その前に、
「内面で成功している」
それが、外側の世界に、映し出されるだけ…
ということなのです。

実は私も、「服を買うようになってから」ですが、常にそうできているか? というと、まだまだではありますが
(どっかの部分で、「外に行く時」と「家の中」では(笑)やっぱり、今日はどこも出かけないな、って場合は、テキトーになってしまうことがあります。ダサい人です。しかも私の場合、圧倒的にw 外に毎日お仕事でおでかけになるみなさんよりも、「どこにも行かないな」の割合はとても高いので(笑)実はお洒落するというのも「一見その理由がない」ため、へたすると、どんどん野暮ったくもなっていけるwという、その条件ならあるのです。ところが、お洒落というのは実は「普段からしていないと」イキナリお洒落な人にはなれません。これは鉄則です。なので、「お洒落になりたい」と思ってる人は、普段から、普通の日こそが大事なので、普通の日に毎日お洒落でいてください。人は、特別な日だけ、お洒落になれることは、まずありません)
この「自分が、自分を、気に入っている状態」
については、以前よりも、気にかけるようになりました。
「石だけ豪華」
っていうんじゃなく(笑)
「全体のバランスとして素敵」
たとえ、石ブレスを両腕に7,8本していても(笑)それがただの変な人に見えないお洒落度合いというのでしょうかw
そんな感じは、気にかけるようにはなりました。
私が、お洒落に観えるほうが、
「石ブレスしてる人って、素敵なんだ」
っていう印象を、外側の他人に残せますよね?
「石ブレス何本もしてる人って、メンヘラ? なんかおかしい人?」
という、人の固定観念をくつがえす(笑)
まぁ、そういう役割、したいんでw(石たちの名誉のためにも)

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カテゴリ : 高次ガイダンス
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