承認欲求の話の続き

2019年06月05日 (水) 09 : 54
旬な話題(笑)のようなので^^。(たぶんですが)

「人に認められたい欲求」これは、「存在してしまっている以上、宇宙の摂理」レベルの話だと思います。

確か、宇宙物理学方面でも、「人がそれを認めることで、その存在が起こる、在ることになる」って話がありませんでしたっけ?
なので、宇宙も、人が発見することで、存在が確定するというか、まるで「宇宙が拡がった」かのように、確定されていってますよね?


「Healthy mind」

で、これは「人」だけではないのです。

昨日、「石にもあるよ」って(笑)お伝えしていましたけれど^^、当然ですが、ワンコなど動植物にもありますし、”生き物”だけではなく、無機物にもあります。

そして、”高次ガイド”や、つまり”観えない存在”もそうなのです(笑)。人間への、承認欲求をお持ちとしか言いようがありません。

高次だって持っているんですから、人間それぞれが、ひとりひとりがそれを持っていることが当たり前なのです。
むしろ、持ってないと(笑)ここが屈折していると、大変なへそ曲がりなかたちで、それが顕れていきます。

高次の場合、人間のような感じの個人の我欲の称賛的欲求のみで(笑)「自分がこの世で認められる(いい感じで)、持ち上げられると気分がいい、嬉しい」みたいな、そういうタイプのみの承認欲求ではありませんから、わかりづらい人にはきっとわかりづらいです。

その手合いの承認欲求で、ひとりの人間がこの世で動いている時には、その存在に気づきづらくなります。

でも、けっこう派手に(笑)「ダメージある現実展開」とかも演出してくれるから、”別の意味で”気づいても、本当はおかしくないのですけれど。
ただまぁ、それらを「自分の外側世界のせい」にしているあいだは、まず、気が付きません。


「Healthy mind」

なので、「高次ガイドがいることがわかるようになった人(それを認めた人)にとっては、相手は、いる」ことになります。

そうなると、…おわかりですね^^

人間同士でも、その存在を認めている人のことは、相当のことがなければ、やはり”ないがしろ”にはできませんよね。
いたしかたないにしても、どこかで受け入れるというか、”共同、共調”していける世界を、いい塩梅の距離感をなんとかして持とうと、経験による知恵をつけていったり、「自分のほうを相手に合わせられるところは合わせる」ことで折り合いをつけてみたり、どうにかしようと模索
します。

まぁまぁ、面倒くさい作業が、この世では必要です。
「人を気づかう」って、とても面倒くさいですよね?(笑。そんなこと思うのは、私だけだろうか^^)

高次ガイドには、そういう点では「ごまかせない」というのもあるだけに、ひたすら自分が正直に、等身大になる必要もありますし。

「Healthy mind」

お子ちゃまは、
「できれば、世界のほうが、私に合わせてくれないかな。私の意のままに、思ったとおりの、私にとっていい感じな現実だけが起こり、私にとっていい感じの人とだけコミュニケーションしてればいいような、私を取り巻く世界にならないかな…でもできればわりと多くの人に好かれたほうが都合がいいから、たくさんの人に支持されたいしな…私のことを悪く言わないたくさんの人に囲まれて、良いご縁ばかりに恵まれて、ウハウハの楽しい毎日がいいな」ということを、日がな、夢見ます(笑)。
(というかこの”お子ちゃま”は、オトナなみなさまではなく、まさに私のことです^^。こういう私もいますよ)

思うのは勝手だし、素直に、そう思うことは、それはそれで恐れる必要はありません。
実現するか否かは別として、「自分の思いを捻じ曲げる」こと、それじたいが、自己存在を否定して認めていないことになります。
”自分じゃないもの”にはなれませんので(笑)綺麗に飾ろうとしなくていいのです。

でも、そういう風に言ってる、「あなたの思いが現実を創造しますよ! 宇宙はあなたの願いを叶えるんですよ!」っていうスピリチュアルだってあるのに、一向に自分のその願いは叶わないみたいなんだけど。
そんな経験もされたりしてませんでしょうか。


「Healthy mind」

高次ガイドがいることがわかった人は、そんなお子ちゃま脳以外に、「高次ガイドなら、なんて言うのだろう」という”高次脳”が使えるようになります(笑)。高次につながる、ってそういうことです。
(石は、「神氣」の存在なので、人を助けるベクトルはそっちを向いています。)

これが実に、現実を動かす手腕を持ちます。
しかも、あっさり、だったり。ぜんぜん努力してないのに、スムーズだったり。現実に充実感、達成感があったり。とくに望んでいたことではないはずの現実なんだけど、なぜか気分が良かったり。
けっこう、いいじゃん。と。
(そこに気づけると、「ああもう、あたしは、この世界では自分のろくでもない子供じみた自我欲は放棄しますわ」みたいな(笑)「自分自身の穢れたマインド敵視」というのか^^、お綺麗な”奉仕精神””献身っぷり”に生真面目に目覚めてしまう人も、きっと、スピ系には多いのですが、それはそれで結構なことです。ただこれもですね、「度が過ぎる」と今度は”自己犠牲”という美徳の酩酊の世界に入っていき、「自分をごまかして酔いしれる」「実は”現実逃避”したかっただけ」「自分の経験や実感、実像から離れた、どっかで聞いた借り物の美辞麗句を語りだす」なんてこともでてきたりしますので、それはそれで、この世ではダメなんですよ。というか、ダメではないですけれど、そういう「嘘」をついている場合には、他ならぬ本人が自覚していると思うので。心は飾れないですから。それは結局、人にも伝わりますし)


「Healthy mind」

で、なんか、自己実現でもしているかの気分には、なってきます(笑)。

高次につながると、「そういう話をする人が多い」ですし、だから、「あなたも!! そうしようよ!!」みたいなこと言うのもいたしかたないんです(笑)。
許してやってください。
(こういうのが、”自慢”に聞こえるようなタイプの人もこの世にはいるようなのですが。えっと、高次ガイドを認識している、っていう自称の人々そのものの、現実の実態じたいは、わりとさまざまです。傍目から見れば、まさかの「そんなに不幸な試練な運命なのに、なんで? なんでそういうふうに思えるの? ほんとに?」にしか観えない人もいると思いますし、たいした試練でもなくけっこう平凡なあるある話を盛って(笑)キラキラ話にしていたり。私はこういうふうになってから、ものすごく変わりました! 幸せいっぱい、トントン拍子の素敵な現実ばっかりの日々ですよ~、というだけでもないし、やることなすことすべてうまくいってます! なんて言ってたら、それは”盛っている”と思います^^。ただ、「使用前」「使用後」じゃありませんが(笑)、その人にとっての人生過程においての比較において、顕著に、その前後での違いがある、という部分を知っているから、力説しているというのもあると思いますよ)


雅流でGO~令和バージョン~

ただ、たいていは、ガイドがいるいない、を認める前に。
ここで、「自我」との壮絶な戦いが起こる人には起こるとは思います。
そうです、「ガイドの思いを知る」ことへの、拒否反応ですね。

知っちゃうと、表層の自我で実現したいって思っている、自分にとって大変都合のいい、自分の努力や工夫や改善なくしての「誰かが必ず私を幸せにしてくれるだろう」という楽ちんそうな心地よい世界の実現が、もしかしたら、阻まれるのでは?! という危機感(笑)があるからです。
(この危機感や拒絶感がある人、耳障りのいいことだけ、綺麗事の夢の中だけで生きていきたい人には、まぁ、その本人の意志が尊重されることになりますので、先方は、それなりの手をうってくることも(笑)ありますけれど^^…というのもまぁ、自分の経験ですけれどね^^…ただ、それが、その人が心に嘘をついていない気持ちのいい生き方であり「その人の本質そのもの」がしようとしている生き方であるなら、高次の支援はありますし、それでいいので安心してください。自分の場合は(笑)お花畑を生きることが主目的ではなかったというだけです)

ちなみに、「意地悪」という意味で言うなら、高次ガイドは、こちらのそういった意識状態次第では、この世ではもっとも難関な敵の側の味方に観えたり(笑)いちばん嫌なやつ(笑)だったりするかもしれません。

自分の「我が強い」時には、人間世界でそういう関わりに遭遇したり、なんだか試練みたいなことばかりさせられていたり、そういう生きる辛さの実感しかない…なんてことも、実際に経験しますからね。


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で、この「承認欲求」なのですが、高次ガイドの側のそれは、高次ガイド個人を知ってほしいわかってほしい、みたいな^^ちょっとそれらの、人間の世界で言われるようなタイプの、承認欲求とは違っています。

一見、そこが、近目では”非情”に思えることもありますし、「それで面白いの?」と思うこともあります^^が、擦り寄り方が上手い(笑)ので、たぶん「人によって、その遭遇や、認識感は、まったく違う」かもしれません。
(この世で言う「誰もが平等よ♪ 同じ命を持った人間は、平等なはずなの。誰もが幸福になる権利があるの」という人間存在すべからく”状態が平等”であることを主張したい人にとっては、「なんかやめてほしい私だけこんなどうして」と否定したくなることもあると思います)

「自分のことだけ」「自分の目に映る世界の中だけ」にいると、否定したいようなこと、理不尽なことは、好みと違うことは、たくさんありますよね。

だけど人は、「自分のことだけというより自分を含めたそれ以外の世界」のほうで自分を忘れて一生懸命になっている状態、つまり何かのため誰かのために自分のしたいことをしている、そこと一体状態の喜びの中にあったりする状態、みたいなものの中にいることを、本当は実はわりと好きというか(笑)それがいいものだということじたいは、知っていると思います。
嬉しい時というか充実している時って、たいてい、なんらかの対象とともにあるでしょう?

素直にそれを認められない、中二病のような感情が邪魔をする場合もありますけど(笑)まぁ、残念ながら、単独ではないはずです。
高次の承認欲求も、「あなたは私なんだから、充実してくださいよ」みたいな(笑)なんでしょう、こっちが「より良く生きてる状態」をこちらが感じ喜んでいることがそのままダイレクトに高次を喜ばせてもいるというか、イコールみたいな感じがあります。
(こっちがそう感じていない、目先のことで戸惑っていたり、不感症になってる時には、この前の『鶴』の出現のようなことですとか(笑)ああいう、こちらが高次支援を感じる感覚を持つ可能性のある”偶然”を演出してくれたりもします)


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「ちょっと、良い人間に、なったのかな?」という気分というのか、自分のしていることって誰かのためにもなっているのかな? ということが、実際に、わりと好きな方は多いと思います。
条件反射的に、「人に親切にできる」人も多いと言えるのが、日本人の特徴でもありますよね。
(これが縄文DNAの恩恵です^^)

ただそれが、「人から認められたい」とか「人から好かれたい」と、ごっちゃになっている人も、多いのです。
人から認められている人が、ちょっと「良いものに見える」からですよね。
だから、「人から認められる人になれれば、幸福になれるんだ」と勘違いすることもありますし、手段として”いい人”を装うこともできますが、この世で必ずしも、いい人が愛されるというわけでもない理由が、こういうところ(動機)にあります。

人から認められる、それはあくまでそういう”結果”なのであって、そこが目的なだけで動いても、結果は「あなたの好みの感じで」ついてくるかどうかはわかりません。
”嫌われる”という(笑)認められかたも、存在感という点では^^同じですからね。
だから、人に嫌われるようなことばっかりして、人の関心引きたがる人もいますけど。
そういう人は「無視」「存在を認めない」というのがテキメンの駆除方法ではあるのですが、もう相手を「嫌っちゃってる」「苦手意識持ってる」時点では、そうもいかないんですよね。

結局のところ、単独で存在しているものは、どこにもいないのです。
そして、存在の目的めいたものとしては、「自分のためだけに存在している存在」というものがありません。
(これは、高次へ行けば行くほど、構造上、そういう組織だったからくり時計のような仕組みが大掛かりになっているようので(笑)いたしかたないのです^^。霊界ってそういうヒエラルキーなところ? なんだろうな、っていうことは、薄々知っていたのですが、まるの日先生説によれば、「あの世1」から「あの世2」へのステップはまさに、そういうふうにちょっと目線が変わる「自分以外の他存在のためのヘルプ」をすることがその人のしたいことに変容する意識ステップでの進化の棲み分けとか、脱皮状態のようですし。なので、この世でも、その段階にある人は、もう自分を満たすだけでは満足していないから、そうなっているはずです)


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人間の承認欲求も、つきつめていけば、人に認められたい、その本人がいい思いをしたいから、と表面的には思っているのかもしれませんが、実際に、これがそういう感じ? なのかな? っていう経験をすると、喜んでいるのは「自分だけ」ではなく、必ず、誰かの承認欲求的なものに応えることもそうですが、「誰かがそこに存在すること」じたいを喜び、誰かの役に立つことや、喜んでもらえることで、自分が喜びを受け取っていると思いますし、そこに”垣根””分け隔て”があまりないです。

(これは、実に、”対、人間”だけじゃないですから。わんちゃん、ぬこたちなどの”ペット”も同じですし、石もそうですし。たとえば住んでいる建造物や街や…地面も空も、あなたが見るもの触れるもの、在ると感じるもの、すべて、です。今は、「ネット上」といういわば”バーチャル”と昔は呼ばれた空間も、実在するものとして、人は認めていますので、年々その「存在感」が確定してきていますでしょ。「ネット」と「リアル」の垣根ってあるにはあるんですが、たぶんもう、どんどん扱いとしては同等になってきているし、リアルのほうが偉い(笑)みたいな感じではないですよね。私自身まさにこの、「ネット空間が存在を認められている」からこそ、自分の仕事が成り立っていますし)

”あなたがいてくれて良かった””あなたがいて嬉しい”みたいなものは、一方通行では起こりえないですよね。
(あなたがいなければ良かった、あなたなんか消えて欲しい、という真逆要素の感情の認め方というのもありますけれど(笑)。でも無理する必要はありません。それならそれでもいいのですよ。無理に聖人ぶって、「良いほうに思える側」を演じようと心に嘘をついて、蓋をするからおかしくなるので。本当に出し切ってみると…”でもやっぱりたぶん、私にはあなたがいて良かったのだろう”も^^ちゃんと出てきますから)

なので、結局は、「自分自身、及び、自分に縁がある人や、存在すべてを、自分が先に認めていくこと」が、上手な人ほど、それが世界を形作っていくような、そこから認められる人になっていく=”自分が自分の世界を創造している”創造作業をしている人になっていくのだということかと思います。



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カテゴリ :  高次ガイダンス
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