暑かった一日。
今日はようやく普通の土日っぽい代々木公園に行ってきました。






お写真のトートバッグは、先代の時からお世話になり続けている動物病院のロゴ入りオリジナルトートバッグ。
昨日、わんちゃんのフィラリア検査と血液検査&フィラリアお薬もらいに行って、頂いてきたもの。
動物病院もこの界隈は軒連ねているといえばそうなので、ライバル多しでお客さん争奪競争もあるのだろうとは思われますが。
(考えてみるとうちから代々木公園到着までの道中だけでも、こちらを含めて3軒あったりしますし。動物病院には困りません。スーパーよりも数あるかもと^^)
動物病院の鞍替え予定は今のところナシ。というか、しない。
看板犬のカイくんも14歳(看板犬というか輸血担当要員という(笑)重要な仕事をしている仔。一見、輸血のためにだなんて無慈悲な感はあるが、わんこオーナーたちには「そのためにいる仔」とは言いつつ、先生は彼を大事にもしている。)…先代が生きていた頃はカイくんは確か7歳だった。。。彼から3度に渡り、輸血してもらった(カイくんの血液型はなにやらありとあらゆるワンコにそこそこ適応できるタイプの血液型…当然のごとく先生は輸血要員としてそういう仔を探して見つけたのだそうで…犬の輸血は通常、同じ犬同士で2回続けてはできないと言われているのだが、同じ犬から3回輸血してもらえたというのは、おそらく異例中の異例だと思う)。。。最後は、先代の体内を流れる血は、ほとんど先代の血じゃなくてカイくんの血だよね~、とか、そんな話をしていたあの頃から、もうそんなに時間が経ったのかと。
ワンコたちの命の月日はとても早く過ぎ去る、そして、圧倒的に短い。一日、一日が、尊い。




今でもよく憶えているけれど、先代が亡くなってから、次の仔をお迎えするかどうかについて、悩んでいた時。
またあの悲しみがあるのかと思うと、私はもうその経験はしたくなかったし、先代だけで良いのでは? と、実は積極的ではなかったのです。
しかしペットロスの約一名が(笑)重症感が日に日に増していくし…やはり彼のためには次の仔がいたほうがいいのだろうかと悩んでいた。
でも私は自信がなかった。先代を愛したように愛せるワンコじゃなかったら、どうしよう。とか。
先代じゃない仔と暮らしている、そのイメージが想像つかなかったし、「やっぱり先代が良かった」と比べてしまったり、そういうことをしてしまうのではないかと。
違う仔と暮らすなんて、望んでいたわけではなかった。先代に、戻ってきて欲しかった、それだけだった。先代じゃないと嫌だった。
それでも、うちの中のペットロスの約一名を思うと(笑)私はもう先代だけでいい、とも言い切れなかった。
その日もまさにそのことを考えながら「どっちにするか。次の仔探すべきなのか」胸の中で質問しながら、自転車を走らせていた。
その時、自転車で走っている私に、「こんにちは」と声をかけた人がいた。
それが、動物病院の先生だったのだ。
先代が亡くなってから、当然のごとく、一度もお会いすることもなかった。その先生が「どうしてましたか」と、自転車で走り去る私に気がついて。
立ち止まって、少しだけ、話をした。
半年ぶりだったか。
毎日のように、先代を連れて通い続けた動物病院。
あの頃が蘇る。
と、同時に…私はこの時、「これが答えだ。」と閃いていました。
近所だけど、近所だからといって、知っている人に偶然すれ違うことなど、本当にないのです(うちの界隈はそういうところです)。
色々、不安だったけれど、そうね、こうして、頼りになる動物病院の先生だって、うちの近くにいるんだし。ということに気がついて。
大丈夫、先代じゃない仔のことだって、またきっと、大丈夫。またきっと、愛せる。
それが決意の決め手だったのです。
今の仔との出会いは、こういう小さな小さな「決意のきっかけ」から始まり…そして、今の仔が、います。
当然のごとく…「本当に、今の仔に出会えて、良かった」…あの時、決意してよかった。そう思ってます。
「何かを決める」…私たちの世界は、そこから始まるものがあります。
決めなければそれは起こらない、出会わない、そういうものがあります。
こういう感じ、なのです。
見逃してしまえば、見逃せるような。小さな出来事、背中を押してくれている、Goサイン。
こういうのが、「高次ガイダンス」的なものの、一例です。
今日はようやく普通の土日っぽい代々木公園に行ってきました。






お写真のトートバッグは、先代の時からお世話になり続けている動物病院のロゴ入りオリジナルトートバッグ。
昨日、わんちゃんのフィラリア検査と血液検査&フィラリアお薬もらいに行って、頂いてきたもの。
動物病院もこの界隈は軒連ねているといえばそうなので、ライバル多しでお客さん争奪競争もあるのだろうとは思われますが。
(考えてみるとうちから代々木公園到着までの道中だけでも、こちらを含めて3軒あったりしますし。動物病院には困りません。スーパーよりも数あるかもと^^)
動物病院の鞍替え予定は今のところナシ。というか、しない。
看板犬のカイくんも14歳(看板犬というか輸血担当要員という(笑)重要な仕事をしている仔。一見、輸血のためにだなんて無慈悲な感はあるが、わんこオーナーたちには「そのためにいる仔」とは言いつつ、先生は彼を大事にもしている。)…先代が生きていた頃はカイくんは確か7歳だった。。。彼から3度に渡り、輸血してもらった(カイくんの血液型はなにやらありとあらゆるワンコにそこそこ適応できるタイプの血液型…当然のごとく先生は輸血要員としてそういう仔を探して見つけたのだそうで…犬の輸血は通常、同じ犬同士で2回続けてはできないと言われているのだが、同じ犬から3回輸血してもらえたというのは、おそらく異例中の異例だと思う)。。。最後は、先代の体内を流れる血は、ほとんど先代の血じゃなくてカイくんの血だよね~、とか、そんな話をしていたあの頃から、もうそんなに時間が経ったのかと。
ワンコたちの命の月日はとても早く過ぎ去る、そして、圧倒的に短い。一日、一日が、尊い。




今でもよく憶えているけれど、先代が亡くなってから、次の仔をお迎えするかどうかについて、悩んでいた時。
またあの悲しみがあるのかと思うと、私はもうその経験はしたくなかったし、先代だけで良いのでは? と、実は積極的ではなかったのです。
しかしペットロスの約一名が(笑)重症感が日に日に増していくし…やはり彼のためには次の仔がいたほうがいいのだろうかと悩んでいた。
でも私は自信がなかった。先代を愛したように愛せるワンコじゃなかったら、どうしよう。とか。
先代じゃない仔と暮らしている、そのイメージが想像つかなかったし、「やっぱり先代が良かった」と比べてしまったり、そういうことをしてしまうのではないかと。
違う仔と暮らすなんて、望んでいたわけではなかった。先代に、戻ってきて欲しかった、それだけだった。先代じゃないと嫌だった。
それでも、うちの中のペットロスの約一名を思うと(笑)私はもう先代だけでいい、とも言い切れなかった。
その日もまさにそのことを考えながら「どっちにするか。次の仔探すべきなのか」胸の中で質問しながら、自転車を走らせていた。
その時、自転車で走っている私に、「こんにちは」と声をかけた人がいた。
それが、動物病院の先生だったのだ。
先代が亡くなってから、当然のごとく、一度もお会いすることもなかった。その先生が「どうしてましたか」と、自転車で走り去る私に気がついて。
立ち止まって、少しだけ、話をした。
半年ぶりだったか。
毎日のように、先代を連れて通い続けた動物病院。
あの頃が蘇る。
と、同時に…私はこの時、「これが答えだ。」と閃いていました。
近所だけど、近所だからといって、知っている人に偶然すれ違うことなど、本当にないのです(うちの界隈はそういうところです)。
色々、不安だったけれど、そうね、こうして、頼りになる動物病院の先生だって、うちの近くにいるんだし。ということに気がついて。
大丈夫、先代じゃない仔のことだって、またきっと、大丈夫。またきっと、愛せる。
それが決意の決め手だったのです。
今の仔との出会いは、こういう小さな小さな「決意のきっかけ」から始まり…そして、今の仔が、います。
当然のごとく…「本当に、今の仔に出会えて、良かった」…あの時、決意してよかった。そう思ってます。
「何かを決める」…私たちの世界は、そこから始まるものがあります。
決めなければそれは起こらない、出会わない、そういうものがあります。
こういう感じ、なのです。
見逃してしまえば、見逃せるような。小さな出来事、背中を押してくれている、Goサイン。
こういうのが、「高次ガイダンス」的なものの、一例です。

この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする
カテゴリ : 高次ガイダンス
follow links
FB page
Google+Go to top of page