富士は晴れたり日本晴

2019年05月02日 (木) 15 : 14
お天気になりましたので、晴れて(笑)再掲載です^^。

富士は晴れたり日本晴とようやく言えるかしらなところ。




 (使用石:セリサイトinクォーツ(ピンククォーツ)、静岡水晶(白、黄)、富士ラヴァ、屋久杉、国産ロードナイト(ラブシリカ)、チェリーブロッサムアゲート、ディープローズクォーツ、モルガナイト、センティエントプラズマクリスタル)


富士は晴れたり日本晴れ。

縄文遺伝子オンにされたくない(笑)ということなのか、今回のこちらはあんまりウケがよろしくないみたいで^^。
ちょっぴりだけ、残念ですが、まぁいたしかたないです。

富士は晴れたり日本晴れ、というのは、私がむっか~しお世話になった(たぶん今もお世話になっている)日月神示のひつくの神様の言葉です。

日月神示を思い出すようなことが3月4月、多々ありましたので。
ひつくの神様が喜んでいるような気がして(笑)このタイトルにしました。
(まぁ、喜んでいるというか、「ふんどしの紐を締め直して行く時」とも言えます。未来は「今」の私たちにかかっていますからね)
過去にはひつくの神様に導かれて、ここまで来た自分でもありますゆえ。
石もそうですが、日月神示という書も、私が光方向へ転換するきっかけとして、10年以上前に、助けてくれた神示だったと思います。

「この道ははじめは厳しいぞ」

というのは(笑)ほんとうだったと思います^^。
内面のたたかいもそうですし。カンタンではないですよね。
昭和から平成の半分くらいまでかけて培ってきた性格形成、思い癖、観念、価値観ですよ(笑)。
そういったものを、いったん、脇にどける(ヘミとかでいう「なんとかBOX」にしまっとく感じです)には、単に、「いいこと聞いた」とか「感動した」とか、そういう、ちょっと話を聞いた、くらいでは人間は変わりませんよ。
(自己啓発系セミナーとか、色々な「自分を変える」系メソッドですとか。ありますけれど。ほんっとうに、人間の中身が変われる人はごく少数ではないかと思います)

人間、習慣化、恒常化されないと変わりません。なので”環境そのまま”で変えていかなければな場合(家族関係とか)近い環境ほどもっとも大変なところはありますよね。
昔から、「仕事」とかならさくっと変えればいいだけじゃない? って言ってますけど。究極、やめればいいんですよ、どうしても嫌なら。仕事やめたくらいで死にはしませんし、なんとかなります。何よりも、環境を変えられます(ただこれも、中身が変わっていないと^^同じような状態状況を形成してしまうことはあるけれど。いわばそこがカルマというかテーマなんですよ。だけどそれも、環境変えてもそうなら、さすがに「気づき」につながるから。それでいいんですけど)
だけど、もっとも変えられないのは、もう今ある既成事実である、誰から生まれたとか、誰を生んだとか、それから、今までの縁すべて、そしてそれらひっくるめて「自分として本人がここまで生きてきている事実」ですよね^^。
あったこと、そしてそうあることはもう、なんともできませんからね(笑)。
なので、「今ここ」から、自分ひとりだけでも、変えていくしかないんですよ。ここは決意は必要ですよね。

そういうふうに、アタマではわかっても、う~ん。な部分もありますよ。実際、高次見解とは、そういうものです。

霊的真理というのは、頷けるところはたくさんあります。心が洗われます。
ですが「いいこと聞いたから、即やってみよう」と(笑)カンタンに動けることと、そうでないことと、ありますよね。
いいこと=自分がやってみる、とは、なかなかなれないのが人間です。

そして「あなたがおかしいよ」って指摘されることは(笑)どんな人間にとっても、もっとも大嫌いなことですから^^。
たとえそれが、「神」に指摘されても^^、相手が神でもです(笑)。
人間て「上から目線」が嫌いな人って、多いでしょ? 私も好きじゃないです。
だけど高次は人間の願いをかなえるためのヘルパーでも御用聞きでもありませんので、「言ってわからない場合は現実で」というのがまぁ、いちばん骨身に染みやすい(笑)それが人間ですから、現実がいちばんのその人のガイダンスなのです。
しかも、「自分で気づかせる、答えを出させる」ところまでの誘導ですからね。

高次ガイドというのは、われわれ人間のレベルからいうと、より「神にひとしい」レベルの存在ですが、うちらって、あんまり言うこと聞かないでしょ? ちらっとはわかっていたり、繰り返し繰り返し、「現実の事象」としてトラブルだったりで示されても、「私は絶対悪くないもん! 私は間違ってない!」って駄々こねてたりしませんか?^^
…でもこれもある側面では真実だからなんですけれどね。真実は「どちらかが、誰かが悪いとか、いい悪い、善悪ではない」ので、確かに「私は悪くない」のです。
これが「私”だけ”は悪くない」になってしまうことが”我良し”というやつです。
「この世では相手も私も誰もが”自分の好きなようにする”その人に決定権があること」を認めて、それでは自分はどうするのか? どういう観方をして何をどんな方法を選ぶのか? だけなのだということ…ここにまた「常識」や「自分ではない、人の基準」を持ち込むと進まなかったり(笑)ですけどね…。
 




だから、私には、私がどうしたいのか、どうありたいのか、それを自分で自分を知らなきゃいけませんでしたし、それを助けてくれる「石」が必要だったのです。
(人間は、あんまり”自分のこと”はわかっているようでわかっていないですよ。多面性があって当然で、どれがいったい本当の私? になってしまうことはありませんか?)

で…「石も結局、そう言ってるし」…という(笑)…そういうことなのです。

石の声に素直に耳を澄ませ聞いてみれば、誰でも石が伝えていることがわかるようになりますよ。
そして、「なぜか、この石に惹かれる」という時には、そのエネルギー的影響が必要という、内側の声(神でも高次ガイドでもいいですが)の指示なのです。

縄文時代なんかも、石は高次スマホだったようですしね^^。

宇宙を創造した神(神とここでは呼んでおきます)が創造したモノ、神が創造した被造物である石は、創造神の意志意図の賜物です。
そして、「人間がこういうふうに使うだろう」ってところまで、想定してつくられていると思いますよ。
時に高次スマホとして伝達と情報受け取りのために。エネルギー活性化のために。浄化のために。増幅器のために。沈静化のために。
だから、石って心に響くのです。
石が好きな方も色々タイプはいますけれど、「なんでこんなに石が好きなのかがわからない」けれど、好き。という、無性に好きなんだけどなぜ? みたいな方が石好きな人に多いのは、この世には意外とありそうでそういった神製造の天然物が固形の姿形ではないから、っていうのもあるのではないかしら。
もちろん造形に惹かれているというのもあるけれど、その向こうにあるエネルギー形態だと思います。
(動物、植物もそうですし、自然じたいそうですけれどね。そして地球以外のすべての天体もそうですね。その中では石はいちばん「枯れない壊れない」期間が長く姿かたちを変えづらい性質があるから、人間にとって扱いやすいというのもあるけれど。ほんと、「友人」「味方」という感じよね。なかなかいないよね^^、だって高次の性質を持つ友人、味方、ですよ。それが、この世ではお金出せば買えるんですよ(笑)。私は、昔はそのことにとても驚いたのです)

癒やされもしますし、高次にも繋がりますし(笑)、石を持つ人には、多かれ少なかれ、神性というエネルギーが関与していくことになります。
頑なに目覚めたくない人や今のままでいたい人や、石がそういう特殊な被造物であることへの認識が薄い人にとっては、ただの石ころとして、その持ち主の認識も意志も尊重してくれますけれど(だから、「石が効力ない」人もいますし、ただの自然にできた石ころだろ、という人にとっては、ただの石ころですよ)、それでも、そういう人であっても何らかのエネルギー的影響がゼロではないはずです。

高次目線でこの世を見ると、非常に理にかなっていることが多いです。

私にとっては、ですが、それまでの三次元世界の進み方とは、「天と地ほどの違い」でしたよ。
大きなアップもないけど、着実に上昇してきたと思います。

気づいたら。そうなっています。

着実に上昇する経験ってしたことがなかったから。
こんなにいいものだったとは(笑)。そう思います。




「神が助けるのではない。神助かるのだぞ。」と言われるとびっくりしませんか?

今は「あなたは神、あなたの中に神はいる」という概念は、スピリチュアル方面でも種々に言われることなので。
そんなにとくに驚かないかもしれませんね(笑)。
字面ではわかっている人は多いと思います。

これをたとえ字面だけであっても、知っている人は知っている。いい時代になりました。

でも、「自分」と「神」を切り離された別の存在としてみなしていることが常識の世界をずっとやってきていると、これ、ぜんぜんわかりませんよね。

これは要するに、「人間は誰もが天之御中主の子」で、神となれる素養は誰もが持っているので。
あなた自身が神になり、その神が助かるのだ、ということです。
神様にお願いして、神様が助けてくれるというわけではないのだよ、ということですね。

自分が神となって、自分を救います(笑)。

そして、偉い神様めいた存在に支配される構造の世の中から、ひとりひとりが神となっていく…それがずっと遠い将来の人間世界の予定であろうと思います。

なんでレムリアレムリア縄文縄文言うのかというと(笑)
レムリアのほうが(アトランティスとの対比ですが)神性を発揮して生きていると言える民が形成していた国、土地、だったから。
ということですね。
(半霊反物質状態の。だから物質としての歴史は縄文からですね)

これからは、ネオ・レムリアです。
そしてテクノロジーの進化により、より「霊的な場」の形成もこれからも加速するでしょう。
前々から、21世紀は、「心の時代」「精神的成熟の時代」とも、よく言われています。
実際にインターネットという電磁場には、3兆だったか数字は忘れましたが、おびただしい”星の数ほどの”情報場が形成されています。(人間ひとりひとりが、別の宇宙においては”ひとつの星”であるというのも、こういうところからもうなずけますよね)
そして好む好まないにかかわらず、そういったテクノロジーの進化との同調抜きでこれからの人間は存在しようとしないだろうな、ということも想定できますしね。
人間じたいが情報端末みたいなものだから(笑)なのでしょう。

日本の古事記の神々はとても人間臭いのですが。
どう見ても…”欠点”に感じられる要素も多いです。
それは当たり前かと思います。人間のモチーフそのもの、先祖なんですからね。
だから「自分にもこういうところある」的な部分が多々見つかるのが古事記だったりしますよね(いいところも悪いところも)。

欠点のある神ほど愛されることもあるのはそういうことです。

欠点をごまかそうとすれば愛されませんけれど、欠点も使い方で有効に世界展開します。そういう世界観が古事記にはあります。
欠点をなくそうとしなくてもいいのです。完全無欠になる必要はないのです。

神の世界は、減点方式偏差値方式平均点方式ではないのですから(笑。これ、自分はものすごく実感しています^^)。

ちなみに日月神示はどなたにもお薦めできるとも言い難いところもある書なので、絶対に読みましょう必読ですというふうにお薦めしたことは一度もありません。(どうしてもこの書が注目されるのは、上下グレンですとか、天変地異でも起こるかのような、こちらの肉体ベースの世界においての将来予測のほうばかりですし。霊的世界の知見に多少でも触れたことがない人だとこれはどうなのかなというのもあり。そうじゃない部分ほとんどでくどいくらいに繰り返されている「身魂みがき」のほうがずっと大事なのにな^^ということです)




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カテゴリ :  パワーストーンアクセサリ
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