絶え間のない意識の変容…究極、もし”求められている”ことが、それぞれの人の人生にあるのだとしたら、それなのかなと思いますけれどね…

ただこれ、「誰に求められているか」というのが(笑)本当に見極めの難しい話ですよね。
この世では、それが「ノイズ」に聞こえることもあれば、終始人生において「人の持つ囚われの意見、意図」に突き動かされ翻弄され続ける展開を見せることも、ままあります。
その”誰に求められているのか”を、わかるようになれると、そこそこ人生はスムーズに流れるようにはなります。
”高次の意見と自分の意見が一致していること”が、強いて言えば、求められていること=やりたいことの、強力なタッグとは言えますし、良い感じの、「我良しだけではなく、自分も、周囲も、よい感じの世界」の実現への早道というか「王道」になるところはあります。
それを察知するセンサーが、肉体的部位におけるハートの器官であり、その知覚と理解を助ける器官がシックス・センスの役割です。

「誰に求められているか」を人生かけて様々にやってきた(笑)自分(「表面上求められていることを拒否する」ことも含めて)は^^その結果の違いはわかるにはわかるのですが、この選択において、結局のところは「どっちの意図において動かされていっても、波の強弱がそこにあるだけで、人生の選択は、何を選ぼうが、だいたいの大枠はわかっているという限界のように見えるものもあるのかも」…という…
それもちょっとつまんないことはつまんないし…
でもさらに、そこを超えた境地にたどり着けないものかと(笑)そんな大欲まで出てきてるところもあります

だけどきっと、「そんな大欲まで出てくる」ところまで、予定枠なんじゃないかと(笑)
そのようにも、感じる次第です…

肉体がある以上、どうしたって、制限はあります。
ご飯も食べなきゃいけませんし、睡眠も取らなきゃいけませんし。
「不食の人」も結局、本当の意味で不食ではなく、太陽光のプラーナ電池で生きているので、厳密には不食ではないのですよね(笑)。なにかでの栄養補給はしていますから。
私は不食は実現しておりませんが、だいたい、一日一食プラス半食…くらいの感じです。
お出かけした時のこういうランチとかが入ると、その日は二食になることもありますが、だいたいは常に1.5食~2食くらいの日常です。
もう長年、「三食」という朝昼晩食生活はやっておりません。
人間、そこまで食べなくても(笑)生きていけるものです。
ただこれも、「そのペースで状態がいいし、そうあるからやれている」というのもあるような感じはしますね。
これは一部で言われていることですが「食べないほうが脳がはたらく説」「疲れない説」「健康維持ができる説」もありますよね。
三度三度の食事にまわってしまう、身体の維持、消化活動、解毒活動などのはたらきがあると、身体を維持することだけで精一杯、的な一日になってしまうため、その人のパフォーマンスを発揮するエネルギーが、次の食べ物の消化活動に、ひたすら回ってしまう…のような話。
私自身もこういう説や肉食は良くないの説などを目にし、いっとき、肉をやめ玄米に変え、等々やってきた時期があったのですが、今現在は、肉食をすることは復活しています。
これはですね、先代ワンコが昔闘病生活に入った当時かな…慢性腎不全が発覚した以降、食べられる食べてくれるものが激減していったことにより、手作り食にシフトしたのですが、彼らは基本「肉」です(笑)。
なので、何年も触ることさえもしていなかった肉を(笑)触らざるを得なくなってしまいまして。
最初は^^「自分は食べたくなくなっていたものを、触って、ご飯の形態にしなくてはいけない」ことをどうしようかと(笑)思ったのですが、「このお肉となってくれた動物がいて、それがこの仔を生かしてくれるのだ」という感謝でしょうか。
これを綺麗事とするビーガンの世界も(笑)あるのを知りつつ、それでも、それにより生かしてもらっているたった1頭のこの仔…という、これもエゴっちゃエゴなんですけれど、それでも「ありがたいな」と。
で、先代のためのご飯を用意するうちにですね、人間用の食材を別枠にすることじたいの面倒さ(笑)なんかも出てきて、結局、人間もいっしょに「肉を食べる」ようになりました(笑)。
その流れで、今の2代目の仔も手作り食メインで育ち、また、うちでもお肉をいただくことへの抵抗感は軽減したのもあって、わんちゃんだけではなく(でもこの仔のほうが量としては食べてるかも^^)人間も、いただくようになっております(笑)。
つまり肉食復活の原因は、「愛する我が仔」という(笑)愛からのスタートでそうなりましたので、後悔や自己嫌悪等はしていないです。

少食がいいとか、消化吸収において人間にとっては負担の多いお肉はなるべく取らないほうがいいとか。
色々、説はありますが。
だからといって、小さいお子さんがいらっしゃったり、家族の要望、スタイル、そういうものがある、社会生活としてその流れがある中で、不食の人なんてやろうとすると、たぶんきっと大変です。
そこでは、そのほうが身体にいいだとか人間が高パフォーマンスになるだとかなんとかの知識っていうのは「理屈」「我欲」にも変容してしまうのかもしれません。
なので、少食スタイルとか不食スタイルなどは、やっぱり「そうしたい人」向きなのかなとは思います。
私も、外で勤めていた頃に、肉食べないとかお酒のまないとか、そのあたりをやるのは、職場のおつきあいですとか色々な場面で「変わった人」と思われていたのではないか、とは思います。
(酒については、飲みたいのに我慢しているというよりは、もともと酒に強いわけじゃなく「そんなに好きじゃないから」というのもありますし、酒を飲まないことでのフラストレーションが、やめてみたらぜんぜんなかった、というのがあり、なので飲んでないし、生活の中に酒項目がなくなりました。うちの人間ももともとは昔は酒のめるし飲む人でしたが、やはり私同様、飲まずにおれない、というタイプではありませんでしたので、すんなり、うちでは酒というものが世界からなくなりました)

ちなみに、少食、不食、肉はあまりとらない、などなどがもたらす「効果」というのは、実際、あるにはあります。
「霊性」という部分の活性化には、助けになります(笑)。
(感情が安定し、そっちの領域との連携ができやすくなるので、自然に「プラスのエネルギー」との、つまり高次と繋がる下地としての肉体準備がしやすいのは、やはり「飽食状態」からは離れていたほうが、とてもそれがスムーズではあります)
そういう点でのメリットはありますので。
霊的に活性化されると、そんなに「食べたい」っていうほうへ、エネルギーを欲さない感じになることはなるのはあると思います。
ただ、浄化とエネルギーの流れを良くする意味で、「水分」は途切れないようにする(それも自然に身体が欲してやっていますけど)ようになるんじゃないかなと思います。
ちなみに、ずっと大昔の過去記事にも書いてあると思いますが。
私が、石の世界に目覚めたのも(笑)「食」を変えてから、です。そっちが先ですね。
合成洗剤、合成洗剤をやめて、化粧品をやめて、ナチュ女になって(笑)そして、玄米食野菜中心というカタチから整えていったことで、「感覚が開かれた」というのはあります。
(但し「これをやれば必ず」ではないことはご承知を。だからみなさん全員には当てはまらないと思います。どこまでも「自分がどうしたいか」の話なので、押し付けではありませんし、現在はうちも「肉」やめてるわけでもないし。ただ、合成洗剤合成せっけん系はやめてるのは継続していますね。これは「切り替え」がとても大変なことは、やはり記事でも伝えていることがあったけれど、やめてみるといかにそのほうがいいかが、身体が知りますのでね。肌荒れとか無縁になりますし、結果、トシより若いと言える肌状態身体状態づくりに貢献すると思いますよ)
何がなんでも「朝昼晩食べなきゃ身体に良くない」ともやはり思えませんので(笑)もし、「世の中でそう言われているから」という理由で、朝昼晩きっちり、そして50品目でしたっけ(笑)栄養素を何が何でもバランス良く取らなければいけない…という、そもそもの、「知識を得たがゆえの呪縛」ゆえに「義務化されてしまっている、精神的負担として、食事が義務化」されているようでしたら、「そんなに必死に食べなくても、大丈夫かもよ」っていう経験も、悪くないですよ? とお伝えしたいところですね。

ただこれ、「誰に求められているか」というのが(笑)本当に見極めの難しい話ですよね。
この世では、それが「ノイズ」に聞こえることもあれば、終始人生において「人の持つ囚われの意見、意図」に突き動かされ翻弄され続ける展開を見せることも、ままあります。
その”誰に求められているのか”を、わかるようになれると、そこそこ人生はスムーズに流れるようにはなります。
”高次の意見と自分の意見が一致していること”が、強いて言えば、求められていること=やりたいことの、強力なタッグとは言えますし、良い感じの、「我良しだけではなく、自分も、周囲も、よい感じの世界」の実現への早道というか「王道」になるところはあります。
それを察知するセンサーが、肉体的部位におけるハートの器官であり、その知覚と理解を助ける器官がシックス・センスの役割です。

「誰に求められているか」を人生かけて様々にやってきた(笑)自分(「表面上求められていることを拒否する」ことも含めて)は^^その結果の違いはわかるにはわかるのですが、この選択において、結局のところは「どっちの意図において動かされていっても、波の強弱がそこにあるだけで、人生の選択は、何を選ぼうが、だいたいの大枠はわかっているという限界のように見えるものもあるのかも」…という…
それもちょっとつまんないことはつまんないし…
でもさらに、そこを超えた境地にたどり着けないものかと(笑)そんな大欲まで出てきてるところもあります

だけどきっと、「そんな大欲まで出てくる」ところまで、予定枠なんじゃないかと(笑)
そのようにも、感じる次第です…

肉体がある以上、どうしたって、制限はあります。
ご飯も食べなきゃいけませんし、睡眠も取らなきゃいけませんし。
「不食の人」も結局、本当の意味で不食ではなく、太陽光のプラーナ電池で生きているので、厳密には不食ではないのですよね(笑)。なにかでの栄養補給はしていますから。
私は不食は実現しておりませんが、だいたい、一日一食プラス半食…くらいの感じです。
お出かけした時のこういうランチとかが入ると、その日は二食になることもありますが、だいたいは常に1.5食~2食くらいの日常です。
もう長年、「三食」という朝昼晩食生活はやっておりません。
人間、そこまで食べなくても(笑)生きていけるものです。
ただこれも、「そのペースで状態がいいし、そうあるからやれている」というのもあるような感じはしますね。
これは一部で言われていることですが「食べないほうが脳がはたらく説」「疲れない説」「健康維持ができる説」もありますよね。
三度三度の食事にまわってしまう、身体の維持、消化活動、解毒活動などのはたらきがあると、身体を維持することだけで精一杯、的な一日になってしまうため、その人のパフォーマンスを発揮するエネルギーが、次の食べ物の消化活動に、ひたすら回ってしまう…のような話。
私自身もこういう説や肉食は良くないの説などを目にし、いっとき、肉をやめ玄米に変え、等々やってきた時期があったのですが、今現在は、肉食をすることは復活しています。
これはですね、先代ワンコが昔闘病生活に入った当時かな…慢性腎不全が発覚した以降、食べられる食べてくれるものが激減していったことにより、手作り食にシフトしたのですが、彼らは基本「肉」です(笑)。
なので、何年も触ることさえもしていなかった肉を(笑)触らざるを得なくなってしまいまして。
最初は^^「自分は食べたくなくなっていたものを、触って、ご飯の形態にしなくてはいけない」ことをどうしようかと(笑)思ったのですが、「このお肉となってくれた動物がいて、それがこの仔を生かしてくれるのだ」という感謝でしょうか。
これを綺麗事とするビーガンの世界も(笑)あるのを知りつつ、それでも、それにより生かしてもらっているたった1頭のこの仔…という、これもエゴっちゃエゴなんですけれど、それでも「ありがたいな」と。
で、先代のためのご飯を用意するうちにですね、人間用の食材を別枠にすることじたいの面倒さ(笑)なんかも出てきて、結局、人間もいっしょに「肉を食べる」ようになりました(笑)。
その流れで、今の2代目の仔も手作り食メインで育ち、また、うちでもお肉をいただくことへの抵抗感は軽減したのもあって、わんちゃんだけではなく(でもこの仔のほうが量としては食べてるかも^^)人間も、いただくようになっております(笑)。
つまり肉食復活の原因は、「愛する我が仔」という(笑)愛からのスタートでそうなりましたので、後悔や自己嫌悪等はしていないです。

少食がいいとか、消化吸収において人間にとっては負担の多いお肉はなるべく取らないほうがいいとか。
色々、説はありますが。
だからといって、小さいお子さんがいらっしゃったり、家族の要望、スタイル、そういうものがある、社会生活としてその流れがある中で、不食の人なんてやろうとすると、たぶんきっと大変です。
そこでは、そのほうが身体にいいだとか人間が高パフォーマンスになるだとかなんとかの知識っていうのは「理屈」「我欲」にも変容してしまうのかもしれません。
なので、少食スタイルとか不食スタイルなどは、やっぱり「そうしたい人」向きなのかなとは思います。
私も、外で勤めていた頃に、肉食べないとかお酒のまないとか、そのあたりをやるのは、職場のおつきあいですとか色々な場面で「変わった人」と思われていたのではないか、とは思います。
(酒については、飲みたいのに我慢しているというよりは、もともと酒に強いわけじゃなく「そんなに好きじゃないから」というのもありますし、酒を飲まないことでのフラストレーションが、やめてみたらぜんぜんなかった、というのがあり、なので飲んでないし、生活の中に酒項目がなくなりました。うちの人間ももともとは昔は酒のめるし飲む人でしたが、やはり私同様、飲まずにおれない、というタイプではありませんでしたので、すんなり、うちでは酒というものが世界からなくなりました)

ちなみに、少食、不食、肉はあまりとらない、などなどがもたらす「効果」というのは、実際、あるにはあります。
「霊性」という部分の活性化には、助けになります(笑)。
(感情が安定し、そっちの領域との連携ができやすくなるので、自然に「プラスのエネルギー」との、つまり高次と繋がる下地としての肉体準備がしやすいのは、やはり「飽食状態」からは離れていたほうが、とてもそれがスムーズではあります)
そういう点でのメリットはありますので。
霊的に活性化されると、そんなに「食べたい」っていうほうへ、エネルギーを欲さない感じになることはなるのはあると思います。
ただ、浄化とエネルギーの流れを良くする意味で、「水分」は途切れないようにする(それも自然に身体が欲してやっていますけど)ようになるんじゃないかなと思います。
ちなみに、ずっと大昔の過去記事にも書いてあると思いますが。
私が、石の世界に目覚めたのも(笑)「食」を変えてから、です。そっちが先ですね。
合成洗剤、合成洗剤をやめて、化粧品をやめて、ナチュ女になって(笑)そして、玄米食野菜中心というカタチから整えていったことで、「感覚が開かれた」というのはあります。
(但し「これをやれば必ず」ではないことはご承知を。だからみなさん全員には当てはまらないと思います。どこまでも「自分がどうしたいか」の話なので、押し付けではありませんし、現在はうちも「肉」やめてるわけでもないし。ただ、合成洗剤合成せっけん系はやめてるのは継続していますね。これは「切り替え」がとても大変なことは、やはり記事でも伝えていることがあったけれど、やめてみるといかにそのほうがいいかが、身体が知りますのでね。肌荒れとか無縁になりますし、結果、トシより若いと言える肌状態身体状態づくりに貢献すると思いますよ)
何がなんでも「朝昼晩食べなきゃ身体に良くない」ともやはり思えませんので(笑)もし、「世の中でそう言われているから」という理由で、朝昼晩きっちり、そして50品目でしたっけ(笑)栄養素を何が何でもバランス良く取らなければいけない…という、そもそもの、「知識を得たがゆえの呪縛」ゆえに「義務化されてしまっている、精神的負担として、食事が義務化」されているようでしたら、「そんなに必死に食べなくても、大丈夫かもよ」っていう経験も、悪くないですよ? とお伝えしたいところですね。

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カテゴリ : 高次ガイダンス
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