スピをかじるとぼんやり知ることなのですが、「すべては決まっている」ので「運命は変えられない」という話があります。
連日続いていたリマさんの「数秘術」の話から繋がるのですが。
(この、「人生全体からの俯瞰」が可能な数秘術は、ちょっと他の占いとはわけが違う点があります。ちみちみと、なにか事あるごとに占いに走っている人なら(笑)むしろ、さっさとこっちを知るほうがスッキリするかもですよ)
私はこの「すべては決まっている」について、漠然とそうなのだろうなと思いつつ、「そうじゃなかった可能性の生き方もある」のも事実ですし、選択によってはだいぶ違ったことになっているはずなので、そのあたりが、「?」でもありました。

これは…
確かに「すべては決まっている」に軍配かなぁ、と実感がありました。
ですが、「運命は変えられない」ではなく、「運命は変えられる」のが事実です。
正確には、「すべては決まっているのだが、仮にどこかで「運命は変えられる」とその人が知り、行動して、運命チェンジするであろう流れ、そこまで綿密に計画されている」…ような感じがしました。
なので、「運命は変えられない」も「運命は変えられる」も、どっちも正しいです。
「生まれる前に決めてきた運命の青写真も変えられます」「カルマは存在しない」という話もあるような気がしますが、それはたぶん「生まれる前に決めてきた青写真を途中変更することまで決めてきた」「カルマフリーの道を選ぶとどうなるかの人生を選ぶと決めてきた」ということではないかと思います。
変えられないのかもしれないな、と感じたのは、その人の「人生のテーマ」ですね(笑)。ここの変更は難しいのかもしれません。
魂の約束は、自分がわかっているので^^、きっと、この部分をどんなかたちであれ、果たしていない状態でいる、実現しようとしていない状態でいると、人はモヤモヤするんじゃないかな、って気がします。
それは、「今回の人生で挑戦しようと決めてきた、ちょっとその人にとって、チャレンジなこと」である場合も、やっぱり多いのかもしれません。
基本、この部分には、必ず多かれ少なかれ、未知のチャレンジ要素があると思います。

そして、実は人の運命とは、
「あの時、あれを選択しなければ…」「あの時の自分がああじゃなかったら」や、「あの時、あの人に出会わなければ」「あの時のこの人がああじゃなかったら」…的な後悔、失敗、的な「取り返せない」から悩む、運命を分けた岐路のようなものがある人にはあると思いますが…。
今回思ったことですが。
仮に、その後悔していることをセレクトしなかったとしても。
今とはぜんぜん違っていた”はず”なのに、と後悔しても。
たぶん、それならそれで、だいたい似たり寄ったりの(笑)課題そのものに誘導される、事案はあったかもしれないです。
なんとなく、どう生きようと、ここは避けられないもの。だと思います。
これは、自分だけではなく、「自分にかかわる人」も同様です。
他者を自分の運命に巻き込んでしまっていること。
自分が他者の運命に巻き込まれてしまっていること。
私じゃなければ…この人じゃなければ…の世界ですが、これは、究極「そのせい」ではないのね…と言えると思います。
誰のせいでも、ないです。
たとえば、病気などで。家族に迷惑をかけてしまっている。物理的に大変な思いと労力などの負荷をかけてしまっている、など。
自分の過失、失敗、それにより、周囲に大損失を与えてしまった、など。
申し訳ない思い。こんな自分、いなければ良かった、というようなことなど。
この逆に、家族にどうしようもない者がいて、それが自分の人生の負担になっている、身動きができない、など。
他者の過失、失敗、それにより、多大な迷惑とそこからの巻き返しをやむなくされてしまっている、など。
しかし場合によっては、こういった当事者に責任意識すら、謝罪すらない。
しかし、自分は、大きく人生を狂わせているのに…相手は、へたをすると、幸福になっていたり。
少し、極端な例をお出ししましたが。
こういうもののひとつひとつが…
誰のせいでも、ないのです。
もし、こういったものに、あなた様が心を煩わせているのであれば、「びっくりするくらい、それが不要」である。と言えます。
自分のせいだと気に病まないでください。
そして、誰かのせいだ、と誰かを責めないでください。

あらゆる意味での「後悔」「もし~たら」に囚われる必要がないのです。
なぜなら、起こっていることは起こるべくして起こっている…「あなたが、誰もが、青写真を、生きるため」の演出と言えるので。
でね。
どうせ決まっているなら。
流されていったら、いいんじゃないの? そのままでも、いいんじゃないの?
変えられないんだもん。…なのですが^^。
まぁ、それでいいなら、いいんです。
すべてを受け入れられる、ハッピーな人生を邁進できている人は、それでいいのです。
で、その決まってるイベント。これはどうあっても、そこへ流れます。
これに対する、自身の「反応」をどうするか、だけなんですよ(笑)人生。
そこで、「高次に繋がると何がいいんだい」っていう、ここが彼らの出番なのですけれど(笑)。
ただし彼らはですね…なんと、「人生の過程でその人がつくる囚われ」まで(笑)計算に入れているとしか思えない…というか、この世目線では「ネガティブな囚われ」すら、その人が人生テーマに進むための必要要素として、設定している気がします。この観点から「毒親」も説明できますし「不遇」も説明できるところはあります。「なんでこうしちゃったんだろう」もそうだし「なんでこうできたんだろう」のすべてが^^下手すると、ある程度、予測済み的なところもあるのかもしれないな…と、思います。
へんな話、どれだけ不良っぽさに憧れてああいうふうに自由な人になりたい…って不良になろうと真似しても(笑)それがテーマにない人は、グレることさえできません。
(外側要因などで子供が不良化したらどうしようと、親は恐れるようですが、ほぼほぼそれはないです。親から見てそう見えることもあるかもしれないんですけど、「その予定」にない人は、朱の中にいても、朱に交わることそのものが(笑)できませんから。不遇な条件で生きてきても、たとえ親が毒親であってもその毒に染まらない方も、多いでしょ? そういうものです)
そして、もともと他人から見てもそうだし自分から見ても、ソコソコ幸福と言える人生なんだけど、なんかそれが退屈な感じもあって、満足のいかない人生脱却のために、あれこれやってみるんだけどしっくりいかない…自分が成功する道がわからない…みたいなのも、尺度をどこに置いているか? その軸がぶれている限り、「幸福になる」ことはないのですけれど、実はへたするとそういう人は、「今のママで流れの中でそれを見出していくことが可能なのに外側変えようともがいている」いわゆる幸福の青い鳥系であることもじゅうぶんあります。

どのみち、人はそれぞれ「テーマを進む」ことは決まっています。
(これを自分で決めてきた、と表現するスピリチュアルもありますが、正確には、ハイアーセルフとの協議の上、決めてきていると思います。でも「できる?」って聞かれて「やります!」って決めているのはたぶん、生まれてくる本人です^^)
高次ロードに入ると、そこへの、その人の「当事者意識がスムーズになる」のです。
わかりますかね?
これがあると、「やらされている人生」から、「自分が人生を切り開いている」的(実際はすべてがそうではありませんけど)な、スムーズな流れに乗っていくことができるようになるので、仮に、「タイヘン」である現実は変わらなくても、それが「まぁ、これで、いいんだろうな」ということになっていくし、そういったタイヘンに見えることを「ものともしない精神」「おもしろがれる精神」が鍛えられたり(笑)そこから本人にとっての、また、周囲にとっての意味のあることを見出したり、見出させる助けになったり。
そういうものを経て、気づけば、現実がとても楽に感じられるものになっていきます。
(経験が何もムダになっていない、ことがわかってくるのです)
私は、今回、リマさんの『数秘術』のセッションを受けて、この「自分においては、そうだと言える」部分が、他者にとっても同様に「本当にそうだと言えるのだろうか?」という点において…もしかすると、本当には自信はなかったかもしれません。
つまり、「自分のやっている仕事」についても、どこかの部分で「これで本当にいいのだろうか?」という疑いも(笑)なかったかといえばきっと嘘になります。
こんなもの高いお金出して買ってみたけれど、たいして現実なんて変わらない。ばかみたい。
お客様に、そういう印象しか与えられないのかもしれない。
そんな価値の無いことやってる、独り相撲で、自己満足なのかもしれない。
無駄なことを繰り返しているだけなのかもしれない。
そういう「疑い」をも晴れるという、おまけ付きでした(笑)。
そしてまるの日さんのところのアファメーション、
「私と私にかかわるすべての存在がもっとも良い状態になりますように」が、ほんとの意味で、「お題目じゃない」のだと、そう思いました。
(これ、どっかの部分で、時々、氣が抜けた(笑)綺麗事のお題目になるところがあったんですよ、正直ね。ほんとに思ってないのに繰り返す呪文のように。でもこれがやはりこの世においての(というより宇宙、その先含めて)遠い先の実現目的としても、人の「縁」「存在理由」はこの調和のためにあるものだと思います。あ、この「良い」は必ずしもあなたにとっての都合の良い、とは限りませんぞ^^。高次目線です。すぐには理解できないかもしれないけれど、それでも、です。だけど、高次に繋がると、必ずそれは理解できる日が来ます。ちゃんとそれを素直に本人が求めれば「わかりやすいように」高次がナビしてくれますので)
連日続いていたリマさんの「数秘術」の話から繋がるのですが。
(この、「人生全体からの俯瞰」が可能な数秘術は、ちょっと他の占いとはわけが違う点があります。ちみちみと、なにか事あるごとに占いに走っている人なら(笑)むしろ、さっさとこっちを知るほうがスッキリするかもですよ)
私はこの「すべては決まっている」について、漠然とそうなのだろうなと思いつつ、「そうじゃなかった可能性の生き方もある」のも事実ですし、選択によってはだいぶ違ったことになっているはずなので、そのあたりが、「?」でもありました。

これは…
確かに「すべては決まっている」に軍配かなぁ、と実感がありました。
ですが、「運命は変えられない」ではなく、「運命は変えられる」のが事実です。
正確には、「すべては決まっているのだが、仮にどこかで「運命は変えられる」とその人が知り、行動して、運命チェンジするであろう流れ、そこまで綿密に計画されている」…ような感じがしました。
なので、「運命は変えられない」も「運命は変えられる」も、どっちも正しいです。
「生まれる前に決めてきた運命の青写真も変えられます」「カルマは存在しない」という話もあるような気がしますが、それはたぶん「生まれる前に決めてきた青写真を途中変更することまで決めてきた」「カルマフリーの道を選ぶとどうなるかの人生を選ぶと決めてきた」ということではないかと思います。
変えられないのかもしれないな、と感じたのは、その人の「人生のテーマ」ですね(笑)。ここの変更は難しいのかもしれません。
魂の約束は、自分がわかっているので^^、きっと、この部分をどんなかたちであれ、果たしていない状態でいる、実現しようとしていない状態でいると、人はモヤモヤするんじゃないかな、って気がします。
それは、「今回の人生で挑戦しようと決めてきた、ちょっとその人にとって、チャレンジなこと」である場合も、やっぱり多いのかもしれません。
基本、この部分には、必ず多かれ少なかれ、未知のチャレンジ要素があると思います。

そして、実は人の運命とは、
「あの時、あれを選択しなければ…」「あの時の自分がああじゃなかったら」や、「あの時、あの人に出会わなければ」「あの時のこの人がああじゃなかったら」…的な後悔、失敗、的な「取り返せない」から悩む、運命を分けた岐路のようなものがある人にはあると思いますが…。
今回思ったことですが。
仮に、その後悔していることをセレクトしなかったとしても。
今とはぜんぜん違っていた”はず”なのに、と後悔しても。
たぶん、それならそれで、だいたい似たり寄ったりの(笑)課題そのものに誘導される、事案はあったかもしれないです。
なんとなく、どう生きようと、ここは避けられないもの。だと思います。
これは、自分だけではなく、「自分にかかわる人」も同様です。
他者を自分の運命に巻き込んでしまっていること。
自分が他者の運命に巻き込まれてしまっていること。
私じゃなければ…この人じゃなければ…の世界ですが、これは、究極「そのせい」ではないのね…と言えると思います。
誰のせいでも、ないです。
たとえば、病気などで。家族に迷惑をかけてしまっている。物理的に大変な思いと労力などの負荷をかけてしまっている、など。
自分の過失、失敗、それにより、周囲に大損失を与えてしまった、など。
申し訳ない思い。こんな自分、いなければ良かった、というようなことなど。
この逆に、家族にどうしようもない者がいて、それが自分の人生の負担になっている、身動きができない、など。
他者の過失、失敗、それにより、多大な迷惑とそこからの巻き返しをやむなくされてしまっている、など。
しかし場合によっては、こういった当事者に責任意識すら、謝罪すらない。
しかし、自分は、大きく人生を狂わせているのに…相手は、へたをすると、幸福になっていたり。
少し、極端な例をお出ししましたが。
こういうもののひとつひとつが…
誰のせいでも、ないのです。
もし、こういったものに、あなた様が心を煩わせているのであれば、「びっくりするくらい、それが不要」である。と言えます。
自分のせいだと気に病まないでください。
そして、誰かのせいだ、と誰かを責めないでください。

あらゆる意味での「後悔」「もし~たら」に囚われる必要がないのです。
なぜなら、起こっていることは起こるべくして起こっている…「あなたが、誰もが、青写真を、生きるため」の演出と言えるので。
でね。
どうせ決まっているなら。
流されていったら、いいんじゃないの? そのままでも、いいんじゃないの?
変えられないんだもん。…なのですが^^。
まぁ、それでいいなら、いいんです。
すべてを受け入れられる、ハッピーな人生を邁進できている人は、それでいいのです。
で、その決まってるイベント。これはどうあっても、そこへ流れます。
これに対する、自身の「反応」をどうするか、だけなんですよ(笑)人生。
そこで、「高次に繋がると何がいいんだい」っていう、ここが彼らの出番なのですけれど(笑)。
ただし彼らはですね…なんと、「人生の過程でその人がつくる囚われ」まで(笑)計算に入れているとしか思えない…というか、この世目線では「ネガティブな囚われ」すら、その人が人生テーマに進むための必要要素として、設定している気がします。この観点から「毒親」も説明できますし「不遇」も説明できるところはあります。「なんでこうしちゃったんだろう」もそうだし「なんでこうできたんだろう」のすべてが^^下手すると、ある程度、予測済み的なところもあるのかもしれないな…と、思います。
へんな話、どれだけ不良っぽさに憧れてああいうふうに自由な人になりたい…って不良になろうと真似しても(笑)それがテーマにない人は、グレることさえできません。
(外側要因などで子供が不良化したらどうしようと、親は恐れるようですが、ほぼほぼそれはないです。親から見てそう見えることもあるかもしれないんですけど、「その予定」にない人は、朱の中にいても、朱に交わることそのものが(笑)できませんから。不遇な条件で生きてきても、たとえ親が毒親であってもその毒に染まらない方も、多いでしょ? そういうものです)
そして、もともと他人から見てもそうだし自分から見ても、ソコソコ幸福と言える人生なんだけど、なんかそれが退屈な感じもあって、満足のいかない人生脱却のために、あれこれやってみるんだけどしっくりいかない…自分が成功する道がわからない…みたいなのも、尺度をどこに置いているか? その軸がぶれている限り、「幸福になる」ことはないのですけれど、実はへたするとそういう人は、「今のママで流れの中でそれを見出していくことが可能なのに外側変えようともがいている」いわゆる幸福の青い鳥系であることもじゅうぶんあります。

どのみち、人はそれぞれ「テーマを進む」ことは決まっています。
(これを自分で決めてきた、と表現するスピリチュアルもありますが、正確には、ハイアーセルフとの協議の上、決めてきていると思います。でも「できる?」って聞かれて「やります!」って決めているのはたぶん、生まれてくる本人です^^)
高次ロードに入ると、そこへの、その人の「当事者意識がスムーズになる」のです。
わかりますかね?
これがあると、「やらされている人生」から、「自分が人生を切り開いている」的(実際はすべてがそうではありませんけど)な、スムーズな流れに乗っていくことができるようになるので、仮に、「タイヘン」である現実は変わらなくても、それが「まぁ、これで、いいんだろうな」ということになっていくし、そういったタイヘンに見えることを「ものともしない精神」「おもしろがれる精神」が鍛えられたり(笑)そこから本人にとっての、また、周囲にとっての意味のあることを見出したり、見出させる助けになったり。
そういうものを経て、気づけば、現実がとても楽に感じられるものになっていきます。
(経験が何もムダになっていない、ことがわかってくるのです)
私は、今回、リマさんの『数秘術』のセッションを受けて、この「自分においては、そうだと言える」部分が、他者にとっても同様に「本当にそうだと言えるのだろうか?」という点において…もしかすると、本当には自信はなかったかもしれません。
つまり、「自分のやっている仕事」についても、どこかの部分で「これで本当にいいのだろうか?」という疑いも(笑)なかったかといえばきっと嘘になります。
こんなもの高いお金出して買ってみたけれど、たいして現実なんて変わらない。ばかみたい。
お客様に、そういう印象しか与えられないのかもしれない。
そんな価値の無いことやってる、独り相撲で、自己満足なのかもしれない。
無駄なことを繰り返しているだけなのかもしれない。
そういう「疑い」をも晴れるという、おまけ付きでした(笑)。
そしてまるの日さんのところのアファメーション、
「私と私にかかわるすべての存在がもっとも良い状態になりますように」が、ほんとの意味で、「お題目じゃない」のだと、そう思いました。
(これ、どっかの部分で、時々、氣が抜けた(笑)綺麗事のお題目になるところがあったんですよ、正直ね。ほんとに思ってないのに繰り返す呪文のように。でもこれがやはりこの世においての(というより宇宙、その先含めて)遠い先の実現目的としても、人の「縁」「存在理由」はこの調和のためにあるものだと思います。あ、この「良い」は必ずしもあなたにとっての都合の良い、とは限りませんぞ^^。高次目線です。すぐには理解できないかもしれないけれど、それでも、です。だけど、高次に繋がると、必ずそれは理解できる日が来ます。ちゃんとそれを素直に本人が求めれば「わかりやすいように」高次がナビしてくれますので)

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カテゴリ : 高次ガイダンス
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