生まれる前に決めてきた運命の追記

2019年04月03日 (水) 16 : 55
前回記事の、
「生まれる前に決めてきた運命」の、追記です。

前回記事に「追記」で載せようかと思いましたけど、人はブログ記事の、追記、訂正なんて読まないそうなので(笑)。
記事を分けることにしました。





追記:


これは大事なポイントかな、ということで追記。

その人、その人、の「地球に生まれたら、今回の生では、これやろうっと♪」ということで概ねテーマを決めてきた青写真。

ここに、「善悪」判断、正しい、正しくない、などの、判断や、「この世の常識的判断、この世のものさし」を持ち込むと…

混乱します。

被害者意識や、罪悪感や。そういったものに翻弄されます。

そして、「自分の幸福感や達成感」的なものがわからなくなります。つまり「自分らしさ」がわからなくなります。

自分の決めてきたこと、そして、「高次が本当はあなたをサポートしていく予定の方向、目的地」は、これらは無関係です。

「…いいの? ほんとうに、いいの? 私のしたことは(誰かのしたことは)イケナイことじゃ…なかったの?」

と、目を疑うレベルで…

「それでいい」ことになります。





シビアな言い方しちゃうと、

私たちは別に「誰から見ても、幸福な人」となるために、幸福を見せびらかすために生まれてきたというわけでもありません。

が。

結果的に、魂の目的方向のロードへ入っていき(もしくは、どんなに苦しくても、その運命を納得し)進んでいくと、必ず、魂が目的としていたロードが「なんでそうだったか」の一部始終が、ニンゲン目線では、どれだけ納得できなくても(笑)「必然」だったのか…って思えます。

結果的に、青写真を生きること、それをひとつずつ人生において成就していくことは、「誰もが、その人にとっての、幸福」を、その人にとっての青写真ロードならではの、人生における納得感、深い喜びを得られるようになってます。


生きている人全員が、自分の青写真を、人生の途中で知ることにはなりません。

自分で求めなければ、それを知ることは、ないでしょう。

そうですね…

ぶっちゃけ、「必然を納得するために、青写真を知る」というのは、とってもアリかなと(笑)。

以前私は、「青写真なんて知らなくても、ほんとうの私の生き方なんて知らなくても、高次につながれば、必然的にそうなるよ」って考え方をご披露していたと思います。

実際にそうなので(笑)、とくに青写真など知る必要もないといえばないです。

得てして、青写真は、「本人の、表層の自我の、好み」というわけではないケースもままあるので(笑)知れば「反発心」が生まれることも、人によってはあると思います。

(私は、仮に、20代に知っていたら……ものすご~く、自分の運命に失望したかもしれませんし、自分の運命をより過酷なものと(笑)捉えたかもしれません。そのへん、わかりません。少なくとも、私の場合は、「高次に繋がってから、軌道を変えてから」でないと、納得できなかったんじゃないかと(笑)感じます)

それでも、「運命にはあらがえない」のも事実なので(笑)、反発する、自分の好み、望みじゃない…という感があったとしても、「知っていて損はない」いつか実現する日が来た時に(高次ロードを歩いていった先ですけれど)「納得感満載」になりますから。





ですが、その「納得感」に壁をつくってしまう、問題があることに気が付きました(この3月に気が付き、そこに向き合っていました)

高次に繋がると、人によっては、オセロのように…人生観が変化し、実際の現実が変化していくこともあります。

好きではなかった自分が、好きになったり。

自己肯定感が低かった自身に気づき、手放していくことができたり、そういうことが起こってきます。

それに伴い、現実が変わっていきます。それは爽快です。

それはそれで、いいのです。


ですが、発見しました。

私は「高次に繋がる前の時代の自分」を…

正直、とても嫌悪、後悔していたことに気がついたのです(コントラストが^^ものすごいですから)。


これは苦しいです。

過去に戻って、取り返すことも、やり直すことも、できないのですからね。

「今だったら、そんなことしなかったのに」のオンパレードになるのは(笑)苦しいものですよ^^。


(3月16日の記事でいい映画ですよ、ってご案内していた『グラン・トリノ』という映画は、人間のこのあたりがテーマになっている気がします。最後は…こうするしかこうなるしか、なかったんだろうな…という、のちを生きる愛する人達のために、できる最善を選択したといえる主人公でした。人間は、理想だけでは生きられない世界に生きて、理想の自分を生きられる、そういう実感を持っている人ばかりではない、不可抗力の運命がそれぞれにあると思いますが、必ずそこには、その苦しみやどうしようもなく選択してきた行動の結果にさえ意味があるのですが、その理解に至るのは…自他を赦すのは…なかなか難しいものです…こういう映画を「いい映画だから観ようよ」と私に薦めるうちの人間は、だから私にとっての”先生”なのです(笑)悔しいけれど^^)





でも。

リマさんの「数秘術」で、全体像を把握させていただいたことによって。


ようやく…

「ほんとうに、すべてがこれで良かったんだ」と。感じることができました。

モヤモヤしていた、自分や他者に対する罪悪感的なものや。

今の自分だったら、絶対に、絶対に選択しなかったと言えることなのに、霊的無知により過去に選択してきたことの、数々。

なんでそんな簡単に済んだことがあの時はできなかったんだろう、そうしてあげられなかったんだろう…という、後悔や。
でも、できなかったのです。それが事実です。今だから「そんなこと」レベルに思えるけれど、悲しいし悔しいけれど、当時は「そんなこと」じゃなかった。そしてそれが分けた運命、代償は、とても大きかった。

取り返せない、取り消せない、こういうこと、けっこうたくさんあるのです(笑)。

しかし…

そういう頃の自分をひっくるめて「今」がある、ということへの、ほんとうの意味がわかってきました。

だからむしろ、「手放さなくてもいい」とも言えますね(笑。なんでも手放しちゃうスピリチュアル、ではなくて。ホールドしたままでもいいのです。繰り返さないための教訓として)





高次は、「手段えらばず」「常識の外」で、あなた様を、真の目的を、経験させるように導きます。

怖くはないです^^。ほんとうに高次ロードはお薦めします。

「これをやれば、あなたは、幸運ゲット」的なスピリチュアルに、惑わされないでください(そういうスピリチュアルも、依然、多いです)。

幸運、幸福は、あなたが決めます。認識します。

とはいえ、それは、高次と同調した時に。「そうであることが、理解出来る…という、反応が起こる」というのが、正しいでしょう。

(私がご提供している”石”たちは…この理解のためのサポートに、大変お役立ちなのです(笑)。私がくどくど長年申し上げております「石に出会ってなければ自分はいったいどうなっていたんだろう」の世界…高次に繋がり今があるのは、石にサポートしてもらい石とともに歩んできたおかげです)



これは、リマさんがおっしゃられていたリマさんの経験ですが。

なにゆえリマさんが今のお仕事をする流れになったのか。

大病経験です。

それまでのリマさんは、ごくごくごくごく当たり前に「安定職」で生きてきた、「子供はいい大学に入っていい会社に入って将来安泰、それが人間の幸福でしょう」的な(笑)ほんっとうに、ごくごくそれが当たり前でしょう、それが普通でしょう、的な人生だったそうです。
スピリチュアル、ミエナイセカイ、何それレベルで生きてきた、どちらかというと、そういうものをバカにしていた、ごくごく一般人。そっちがスタンダード人生期間が長かったのだそうです。

得体の知れない大病にお子さんともども見舞われ、そこから、「過去生が観えてしまう」的なことになっていき、病の因を知ることになり、天使(高次ガイドですね)との繋がりを知り、自分を変え、病を解放する、のような流れになっていったそうです。

病を克服したリマさんのもとには、同じようにその病に苦しむ人が当然のごとくにアドバイスを求めてやってきたそうですが。

彼らは「アドバイスと、反対のことをする」「できない言い訳をする」「言われたことをやらない」…よって、治らない自分を選択し続ける…そういう人が多い、傾向があるのだそうです。

ニンゲンって、このくらい…「素直じゃない」です(笑)。そして、頑固です。表層意識では、そんなことない! って思っていますけれど、克服できた人のアドバイスが自分が思いもしなかったことであったり、そこを指摘されたりすれば「自分が否定されている」と思って拒否してしまうのですね。これらは無意識に支配される行動です。無意識にまかせていればだいたい人間そうなります^^。
「その、頑固さこそが(笑)病を作っていることが、ぜんぜんわかってもらえなかった」とおっしゃっておられました。
病ってそういうものかもしれません。スピリチュアル方面から難病を治すのは、テキメンなのに…それが可能なのは、少数、なのかもしれません。

真実は「耳に痛い」こともあります。
もっとも耳に痛いこと、もっとも、自分ができればやりたくなかったようなことをしなければならないことになっている、そういう場合だってあります。

そして、知っても、実際に行動できる人は僅かです。

それでも高次は…ほんとうに、高次ガイドが導くその人間にとって、もっとも身につまされる現実をもってしても「気付きの起きない人」相手に(笑)「気づけ気づけ」と奮闘しています。

うまくいかない現実があるのだとしたら、それじたいがガイダンスでもあり、「なぜこうなのだろうか」の答えは、求めれば、必ず、人を通じてだったり、なんらかのメッセージは送られているのです。

人生で得ているもの、誰かのアドバイス。反発が起きるものであっても、それは大切な高次ガイダンスであることが多いですよ。



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カテゴリ :  高次ガイダンス
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