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2019年04月02日 (火) 00 : 00
昨日の記事で、昭和~平成~令和、ほぼほぼ同じ長さ生きたことになるんだなあって言ってましたけど、よく考えると平成は31年なので、圧倒的に平成がいちばん長くて、予定寿命どおりだと、昭和と令和が同年月ということになりそうです…
三時代同じ長さって、どんなBABAAだよという話になりそうなので(笑)、記事訂正。
まぁそれでもじゅうぶんBABAAですよね、一般的に^^。

日本人が国際化してアルファベット表記を使うようになり、MTSHと続いてきてるので、これ以外になるんだろうなと思っていましたが、響きが上品な感じで良い年号ではないでしょうか。
これから生まれるお子さんは、令和生まれと呼ばれるのですね。素敵。

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昨日、自分の予定寿命などという「えっ」な話をさらっと書いていましたが(笑)だってこれ、どなた様もまぢめに決まっていますよ。
まぁ、前後することはあるのかもしれませんが、たぶんだいたいは「当たる」んではないでしょうか。
(生まれてきて、絶対に死なない人はいません。昔からブログ記事にも書いていますけど、人間の世界、生まれたところの良し悪しもそうだし、前提条件や見た目の不平等のほうが当たり前な不条理感満載の世界ですが、強いて言うなら、ここだけは「平等」と言えます)

あとこれは私の推測ですが、「ガイドがわざわざ長く伝えておいて、その実、本当はもうちょっと短い」ということもあるかもしれませんし、その逆もあるかもしれません。
それを受け取った本人が、それを聞いて、どう考えるのか、どう行動するのか、というところまで相手(高次)は読んで予定寿命を伝えるという流れになっていると思います。
なので、もしかしたら、もう少し短いんじゃないのかな…とも、ふと、思いました。
だとすると、まだ何年もあるし…なんて、うかうかしていられませんね。

最初にこれを聞いた時はですね…
正直ですよ。「がっくり」しました(笑)。
「まだこれからそんなに生きなきゃいけないのか…」と(笑)。

つまりそこで自分の本音があぶり出されたわけです。

私は、「今、ようやく自分のことが好きになれて、自分が自分を認められる、自分が自分で良かった、自分を愛せるようになった、生きていて楽しいと思える自分になった」と自分のことを思っていましたが、ここで、「そんなに生きなきゃいけないのか」ってがっかりしたということは、まだま~だ、実は、まだまだ自分を100%生きようとしていなかった、っていうか、発揮されていないもの、自分で切り開いていこうとしていない保守性がどこかにある、人には「自分の正直なハートの声、意思が大切、行動が大切」と長年言いつつ(笑)私自身の意思のありかが脆弱というか、「高次にまかせとけばいいんだよ」に偏っていたかと思います。
それは簡単な表現で言うと「スピリチュアル逃げ姿勢」とも言えますし、かすか~な「生きてるうちの物理的な地球まるごとアセンション期待」が残されていたわけです(笑)。

な、わけないだろという(笑)「お花畑脳」が打ち砕かれた瞬間でした。

愛と平和の光の世界を熱望するアセンション論や宇宙語話す人々に、どっかで「ついていけない…」という(笑)「こんなのがアセンションなのか?」という、過去にはそっちどっぷりになれなかったながらも(笑。つか、なれなくて良かったんですが^^)それでもまぁ、どっか宙ぶらりんで浮いていた、というか、自分がやるべきことなすべきことをやらないままで地球事変頼みでの変容を期待していたということでもあります。

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寿命を知るメリットって、「自分に正直になる」という点において、けっこういいですよ(笑)。
「明日死ぬなら、あなたは今日何をしますか?」の世界です。
(例として、これはみんながみんなではなく、そうなった方それぞれで違う感情があると思いますけれど、時々、「病気により」そのまま放置すればのパターンのご自身の予定寿命を知り、人間変わる方、人生観が変わる方っていらっしゃいますよね。「命は有限、人生は一回きり」を本当に身に起こる現実として実感するからこそ、花開く潜在能力というのもあります。なので、そういうふうに病気というネガティブイベントがその人を本当のその人発見と行動として生き方の変化につなげることはあるので、現実としてはネガティブイベントでも高次視点からは超ポジティブイベントであることは、この世にはざらにあるのです)

ということで、がっくりからの気持ちの切り替えには、多少時間がかかりましたが(概ねぼんやりの残念さは1年くらいは続いてはいたと思います)今は、予定寿命も考慮しつつ「今を生きよう」の世界に切り替わっております。そしてその「今」がまだそれなりの年月続いていく予定の前提も受け入れました(笑)。

ですが、生きてきた年月の経過の感じから考えても、とてつもなくこれからが超長いというわけでもないので、「そうか…PSWの月末新作も○○年なのか…」と、今まで続けてきた年月のことを考えても(自分の好きなことをしている時間というのは短く感じるんですよ、人は。だからそんなに長くもない、ということがわかります)、ものすごく余裕で時間があるってわけでもなくなったので(笑)それなりに気合も入ることになりましたしね。
「そんなに生きるのか…」とがっくりしつつも、「そんなに残り時間はない」の自覚もいっしょに生まれてきました。

昨年あたりから、石に出会ってから10年以上、とくに頓着のなくなってしまった”服”をまたよく買うようになった、という話をしておりましたけど、こういうのも、「自分のわりともともと好きだったこと」への正直な気持ちからのものですね。

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ほんとに、石に出会ってからは、「石以外に、興味がなくなってしまった」というハイレベルで(笑)石の魅力に取り憑かれてきた自分だったので、カネがそこ以外に回らないから無理して我慢して服を買わなかった、というわけではなくて、本当にほしくなかったから買わなかったわけなんですけれど、「また服でも買ってみるか」という気になったのは、「そんだけ生きるのであれば、また多少、小綺麗になってみるか」という欲も(笑)発生してきたから、と言えます。

また、そういうこともやってみると、石アクセサリも、「服や、御本人の容姿や、全体とのバランス、調和感」という点でも、その人に似合っていて映える石アクセサリであることが当たり前に大切で、やっぱり身につけた人を美しく輝かせる、物理的要素はとても大事だわという点も、もちろん以前から思ってもいましたが、さらに当たり前に思うようになりました。
(以前はね、もっとこのへんが「高次的」であることのほうが重要で、見た目がどうこう言うのは、どっちかというといけないこと、のような感覚もちょっとあったことはあったのです。よくこの世的にも言われる「中身(心)が美しいほうが大切」的な話への囚われとも言えます。とくに精神世界系は、見た目で人を決めつけちゃいけない、的に、見た目判断を否定するところありますでしょ? だけど、実際には、中身って表に顕れます。それは造作を超えて顕れています。なので、造作以上に「よく観えてくる」人って実際にいますよね。ということで「中身も表も美しい」で、よろし。なわけですよ。どっちも、であるようにいられることを否定しなくていいし、否定しないほうがいいよね。逆のバージョンで「造作はいいのに、なんかな…」の場合もあるので、むしろソコソコ造作ポテンシャル要素のある人はそこに釣り合う中身を持っていかないとやばいんですよね、人からの見た目からの期待値を持たれやすくもあるので。たとえば美人な人で自分に本当に自信がない人になっちゃってると、見た目凡な女子が自信がないとか言ってるのとワケが違う苦悩、苦労も出てくるんですよ。どうあっても他人にやっかまれる妬まれる恵まれた要素を持つ人の苦悩というのもあるわけです)

観えない世界に重心がいっていると、ときに、「石アクセサリの見た目なんてどうでもいいんでないかい? その石があればいいのでは? ださアクセでも石が良けりゃいいんじゃないの?」とも言えてしまうんですけど^^、まぁ、その人がそれでいいなら、究極この世はその人が心からそれで良いのならそれでいい世界なので、それでかまわないと思いますし、それこそ、他人が口出しすることではありません。

但し、自分のやっていることは、「みなさんをダサダサにするための石アクセサリのご提供」ではありたくないな…という、これはいわば私の欲(「意欲」という綺麗めな^^)なのでしょうけれどね、でもまぁ、ありますよそれはね。

この世は見た目…とは言いません。
大事なファクターではありますが、それがすべてというわけではないことは年の功で(笑)人生経験そのもので体得してきてしまっていますので、見た目は大事な要素だけど、それがすべてを決める、までではありません、と言えます。

しかしながら、「見た目がいい」はプラスアルファとして、確実に人生を良くするマターである場合も多いですので。
どうせなら、見た目良しをわざわざ遠巻きに毛嫌いせずとも、ぜひとも見た目をみなさん、「マイナス要素として気にする」のではなく、「自分をプラスにするポジティブ要素として気にかける」ことをしていきましょうね。

私もおしゃれなBABAA、かわいいBABAAであるように(笑)これからもたくさん石ブレスしオシャレします^^。
そして、「ばばくさくない石アクセ(←ここ重要。BABAA全体否定じゃないのよ。クソミソに、年取ること=見た目もそうだし何かが衰えること、ではないことは、みなさんもなんとなくおわかりでしょう? 年齢いって確かに年齢なりにはなっていってるんだけど、人としての魅力が増してどんどん素敵になっていく方というのも実際にいらっしゃいますからね。それはたいていは「本質の自分をごまかさず、自分に正直に生きている人」です)」「ハイセンスな石アクセ」「身につけた人をいい意味で割増に見せる(笑)石アクセ」…そして、「自分の本質を生きられるようにサポートしてくれる石アクセ」とみなさんに言っていただけるように、これから令和時代、がんばりますよ。

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そして私は子育てしていませんので、「どうやったら子供がうまい具合に育つのか」については具体的アドバイスは差し上げられませんが(笑。すみません。それをやっていないものがそれをいうのは差し出がましいですので)自分が子供でした経験はありますし、そこから親というものを見てきた経験ならありますので^^、現実の人生で学んできたところと、後天的に得た高次的見地からとで「どういう親だったら子供にとってはいいんだろうか」については、多少は言えるところはあると思います。

究極のところ、「親自身が自分をだまさずにその人の本質を知り、そこに正直に生きる人」であることが良いのではないでしょうか? ということは言えると思います。

子供はばかじゃないので、ちゃんと、親のいいところ悪いところ、見抜いています。
これを自覚的にできる子供もいますが、そうでない時期も、子供にとっては物理的に長いです。
そして残念ながら、とも言えますし、ありがたいことに、とも、両方言えますが、親から子供は多大な影響を受け、その性質を無意識に取り込んでいきます。
子供から親が受ける影響というのもあるのですが、それ以上に”親から子へ”の流れのほうが影響力は強いだけに、のちに親から離れてもその呪縛から離れることができずのままの年月を費やす場合もありますよね。(これも「いい継承」だけなら^^いいんですけど、まぁ、どっちもありますから、どちらかだけを否定したり肯定したりではなく、どっちもいったん受け入れて認めないとですよね)
似たり寄ったりの人生セレクトを無意識に行い、似たような因果の見た目の人生に無意識にそっくりになっていくケースも多いです。これは子ども自身が親を好いている嫌っている肯定している否定している無関係の、無意識部分に落とし込まれているため、本人は親の影響であることなどには気が付きにくいものです。
(かの皇室でさえ(笑)そうじゃないですか^^。DNA要素とはおそろしいものです。親の因果が子に報い…の我儘結婚相手セレクトを、年月経過してそのままそっくりやっているよな…にも観えますよね、かのご長女さんは)

なので親の性質ってとても大事なので、親となっている方はご自身のその立場、責任もありますが、そりゃもう一刻も早く(笑)自分のため他のためそれがさらに自分のためとなって戻ってもくる現実を生きるに当たり、ご自身の高次ガイドと繋がってください、本当の自分を生きてくださいと、立場的には思いますが、これも「善悪」や「正否」からの観点ではなく。
やっぱり自発的にその人がその流れを掴む、その人のタイミングがありますのでね。

個人的には人生ツンでから(笑)とことんまずくなってからでも、生きている限り、人間には起死回生が可能と言えます。
自分がそういう、不良瑕疵物件となった実績から、年齢的にだって普通ならアウトだろうと人は思うのであろう、そういう時期から人生上向きに這い上がってきたところがありますから(笑)高次の光のほうにみずからの本心からそう望み素直につながれば、人はいくらでもそこからハートに正直な生き方ができ、潜在能力を発揮し始めることができますよ、ということを知っています。
もちろんですが、たいていの方は、私ほどの瑕疵物件人生なんて(笑)はなからやるわけありませんし、人間としてきちんと生きてこられている方がほとんどだと思いますから、もし、ご自身の人生がいいものではない…変えられない、変わりっこない…ということや、今までの人生に対しての後悔面が、その意識が今あったとしても、そこからの挽回はたやすいよ、って確信持って言ってさしあげられますし、自分から見て消去したいような汚点の経験でさえもがムダな経験でなかったことがわかるのです(これが高次に繋がる利点、呼び名としては”癒やし”でもあります)。
(これは「底」のほうが(笑)実はコントラストがあるので、その変化がわかりやすいぶん励みにもなるし実感がある、というのもあります。そういう点で起こってきた現実すべてを否定し後悔するレベルの「底経験」というのも本当は悪くないのです、その人にとって。むしろですね…「傍目には良いよね? 無難で普通で恵まれてるほうだよね?」くらいの感じなのに、モヤモヤしている、っていうほうが、時間もかかるかもしれません。だから、「急変」とくに良い方へのスピーディーな変化を人は求めがちなんだけど、トータルでは実はそこにかけた時間みたいなものは(笑)どっちにしても同程度…って人生展開なんだと思うんですよ。だから、何かと比べて焦るとか、そういう必要がないんです。人それぞれですので)

あなたの周りが誰もあなたのそれを信用してくれなくても、私があなたのその可能性を信じます。

私はそのタイミングを繋ぐ意味でも、ご縁のある方に、その方の人生サポートに最適に石アクセサリをお届けできるように、常に抜かりなく仕事をし、いつからでも繋がっていただけるタイミングをご用意できるように、自らがそれを橋渡しできるようにできている自分であろうと。そう思っています。



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カテゴリ :  高次ガイダンス
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