みなさんお元気ですかぁ?(すみません、ブログの更新止まってて)

ホワイトデーと言っても、今の私にはまぁ、だからってとくに何があるというわけではないのですけれどね。
今でも世の中では義理チョコ義理アメの風習というのは続いているのでしょうか?
…まぁ、これも「あげるのが楽しい」って思えてやっていた時代はあったんですよね…

私は一番最初の義理チョコはオーエル時代に遡りますけど、一人で50名ちかくの工場の現場担当のおっさんお兄さんたちに配りまくったんだけど…まだ「義理チョコ」という言葉がそれほど浸透してなかった黎明期の時代ね…チョコ配ったその後かくだんに人間関係が良くなった(笑)のを記憶しています…折返し電話なかなかくれない現場のおっさんが電話くれるのが早くなったり(笑。当時はね…”電話”だったのよ通信手段が…)…ぜんぜん、そういうことを意図してなかっただけに驚きましたね…一人あたりのコストってたしか100円200円程度じゃないですか(笑)…手取り給料が20万円に満たなかった事務職オーエルにとっては、まとまるとそれなりに出費感はあったことはあったんだけどね…でもあげるのはまぁ楽しかったな…でのちにホワイトデーというのが出てきて…おっさんの中にはホワイトデーのお返しくれる人も出てきて…という循環が出てきて(物の返礼的なものは、はなから期待してませんでしたけど)…今から思うとですが、「大変コスパのいい、人間関係改善手法」それが大昔の義理チョコにあったのかも…でも、「当たり前になっちゃった義理チョコ」は「もらうほうも苦痛(なぜなら今はもう”お返し”が”義務”だから)」だったり「貰えることが当たり前」になっている感あるだろうし、そもそもがもう、「あげる楽しみ」そのものが、なくなっちゃってるかもね…

人間の社会は、「あげる楽しみ」がそうやって「義務化」されたりするから、ほんと難しいわね…
「あげる」のってすごく楽しいことなんだけどね…
私はいい時代にオーエル経験してたんだなぁと今は思います…本社の上司のおっさんたちは基本常に奢ってくれたり(昔、その当時はちょっと当たり前感覚にもなっていた…ぜんぜん当たり前なことじゃなかったのに)「もらう」のと「あげる」のとのバランスがとりやすい時代ではあったと思う…(ちなみにこれをまるの日さん用語では「アトランティス的循環」とは言います…アトランティス的な循環社会もうまく回っている時は、まぁまぁ平和なんですよね)

「あげる」のが難しくなってるのはたぶん、「その人のもらいたいものをあげられるかどうかわからない」というのもあるね…
時に、「いらないものを貰う苦痛」もあるからね(笑)。
それが「義理チョコ」風習…お中元お歳暮系なんかの延長になってしまった^^のでしょうね。

でも、それでも(義理でも)それが形として欲しいような人も、たぶん、まだ一定数はいるのだろうから。
(年賀状なんかも(笑)ソレなのかな^^)
お礼状なんかもたぶん、今でも有効な相手には有効なんでしょうね。
(特にお金持ち(富裕層)などには有効だったことを憶えています…昔、富裕層対象の金融商品の営業マンしていた頃には、手書きのお礼状は^^もう欠かせないアイテムでしたが、、、でもこれも「義務感まるだし」的な通り一遍のミエミエなお礼状文体だとやっぱりダメなのよ…こっちが「ほんとに感謝してる喜びの風味」がそこに乗ってないと意味なしでございましたね…ちなみにね、こういった富裕層系の人々というのは、普通一般社会の人よりも「変な裏読み」とかしませんので^^道義的ワイロのようなこういった”心遣い”的なものについては、ひっじょうに素直に受け取っていただける感じがあったんです…一般人(自分)だとこうはいかない…と、よく思っていましたね…むしろ、真心、感謝、喜び、等々が、伝わりやすい人種…という感があったかな。要するに素直という(笑)。素直というのは、それだけ豊かさに直結していますから。そして豊かになることの意味は、こういうところにもあると思いませんか? 「卵が先か鶏が先か」の話ではあるけれど、豊かであることのメリットは実際にマテリアルとして財産資産があるという安心感もあるのでしょうけれど、その人格形成やハートの世界においても有効面はあると思います。何よりも素敵なのは、与えること、循環をいとわない余裕余白があることなのですが、これは、お金持っていない人の場合は”ないうちからやる”ことにとても意味がありまして。お金がないからやらないできない、って言ってるとその人は循環が始まらないので一生その立場になることはないですからね)

…という、「ザ・人氣」な世界のお話でございますが。
でも一般社会においては人氣も大事だよね。なぜなら、われらは「人」で、人の中で生きているのでございますからね…
ところで今日書きたかったことは、こういうことではなくて。
「ワケありをどこまで赦せるか」について、書こうと思っていたんだけど(笑)。

なにそのワケありって? って話なんですが、うふふ、たぶん巷ではニュース的にずっと人目を引いている話だと思うんだけど。
皇室次男坊の長女の婚約相手の話ですよ^^。
(考えてみるとこの人が今度皇太子になるんだわな~5月から)
ニュース系やら、それについて書かれているソースを見ると、ちょっと一般人でも引いちゃうような、ワケあり系だったんですね~この婚約者の方。
だから、「長女の結婚相手としてどうなのか」って話で湧いてるところがありますよね。
率直に言うと、父親が焼身自殺、その父親&母親(祖父母にあたる)がのちに日を置かずに自殺で亡くなっている…むむむ…なリアル家族人間模様を血筋に持っている男子であり、また、その唯一生存中の母親が謎の経歴の人(笑。正直、ここがかなりなウェイトで痛さを増している気が)…はどうかという。
たぶん、一般的には、一般人でも「引く」と思われる家系図が直近の現実にある人。そう、その現実、事実を背負っている人。
但し、その本人には、その責任はありません、そういう人。
(もし本人がそこに囚われているのなら…もうこの「縁」じたいがありえないでしょうから^^)

私は、「アリ」かなぁ…と。
むしろ、皇室だからこそ(笑)これを引き受けていいんじゃないの? と、今のところなんとな~く思い至っているところです。
いいおうちの育ちの良いおぼっちゃま、血筋のいい、家柄のいい、非の打ち所のないおぼっちゃまが、本来は理想だったかもしれませんが。
そしてたぶん皇室なんだからもうそれが”当たり前”だろうと、誰もが想定する、その期待を見事に裏切る(笑)とんでもワケあり系。
だけど、救いは、「もしこの婚約者男子が自分へのごまかしではなく、本当に囚われていないんなら」…じゅうぶんに可能性はあるということです。
むしろ、これを受け入れ根っこから「祓う」ことができる可能性があるのは、日本に(世界に)杞憂のお祓い一家として存在する血筋の皇室の真骨頂ではないでしょうかと(笑)。
まぁ、そのように今のところ思い至っている次第。

婚約者の方は、ホンモノのシンデレラボーイとなれる可能性(笑)があります…
それは単に、「良い家柄を手に入れる」とか「裕福になる」とか「セレブになる」とかの表面的なものではなく、このような家系の因縁をすっかり一代で浄化する可能性を秘めたシンデレラボーイ…ってことで、むしろ、それが一般人よりも祓いの手段及び必要性を持つ、その可能性を”生まれながらに持っていることになっている”また”その位置づけとして存在している”皇室系こそ、こういったものにトライしてみていただきたいと。
一般人にさえ、荷が重いレベルだからこそ、むしろ、よりによって出会った(笑)とも言えるのかしら。
(表面的には、「自分のお立場をわかっていない、恋愛の延長線の結婚を望む、なんてアホな長女…そしてそう育ててしまったアホ次男…これが日本のプリンセス…セレブ一家の話なのか?」のように失敗話にも見える話ですけど)

ところが、なんとな~くですが、それが、多くの人の祓いにまで波及する効果あるんじゃないかと(笑)。
これは「こんな家に生まれちゃったから…」は、もう、あなたの人生を閉ざす理由である時代ではないよ、って話になりませんかね?
すごい実験(笑)がまさに、平成から、ニュー時代の変わり目に、「裏側」で釣り合い取るように動いてるんだなぁ、って思いました。
さすが皇室。一味違いますよ。破談も囁かれてはいるようですが、このまま結婚しちゃってみてもいいんじゃないでしょうか。
(そのかわり、”祓い”を徹底してくれとは思いますが。それがわれわれ日本国民のためですので。もちろん、祓いがかる~くで済む高品質のお相手をまた探す路線を否定しているわけではないので、結婚しようとしてる長女御本人がやっぱりやめとこう、つまり、「相手を嫌いになった、この人との結婚を望まなくなったので」みたいな心変わりが起こるなら、破談もアリですけれどね)

もうすぐ新しい年号の発表ですね。
(マイクロソフトの圧力で^^本当は4月の終わり発表予定が、4月1日発表に繰り上がったそうですが。まぁ、間に合わないよね。このコンピューター社会では^^3日4日ではそんなの対応できません、ってのが道理)

ホワイトデーと言っても、今の私にはまぁ、だからってとくに何があるというわけではないのですけれどね。
今でも世の中では義理チョコ義理アメの風習というのは続いているのでしょうか?
…まぁ、これも「あげるのが楽しい」って思えてやっていた時代はあったんですよね…

私は一番最初の義理チョコはオーエル時代に遡りますけど、一人で50名ちかくの工場の現場担当のおっさんお兄さんたちに配りまくったんだけど…まだ「義理チョコ」という言葉がそれほど浸透してなかった黎明期の時代ね…チョコ配ったその後かくだんに人間関係が良くなった(笑)のを記憶しています…折返し電話なかなかくれない現場のおっさんが電話くれるのが早くなったり(笑。当時はね…”電話”だったのよ通信手段が…)…ぜんぜん、そういうことを意図してなかっただけに驚きましたね…一人あたりのコストってたしか100円200円程度じゃないですか(笑)…手取り給料が20万円に満たなかった事務職オーエルにとっては、まとまるとそれなりに出費感はあったことはあったんだけどね…でもあげるのはまぁ楽しかったな…でのちにホワイトデーというのが出てきて…おっさんの中にはホワイトデーのお返しくれる人も出てきて…という循環が出てきて(物の返礼的なものは、はなから期待してませんでしたけど)…今から思うとですが、「大変コスパのいい、人間関係改善手法」それが大昔の義理チョコにあったのかも…でも、「当たり前になっちゃった義理チョコ」は「もらうほうも苦痛(なぜなら今はもう”お返し”が”義務”だから)」だったり「貰えることが当たり前」になっている感あるだろうし、そもそもがもう、「あげる楽しみ」そのものが、なくなっちゃってるかもね…

人間の社会は、「あげる楽しみ」がそうやって「義務化」されたりするから、ほんと難しいわね…
「あげる」のってすごく楽しいことなんだけどね…
私はいい時代にオーエル経験してたんだなぁと今は思います…本社の上司のおっさんたちは基本常に奢ってくれたり(昔、その当時はちょっと当たり前感覚にもなっていた…ぜんぜん当たり前なことじゃなかったのに)「もらう」のと「あげる」のとのバランスがとりやすい時代ではあったと思う…(ちなみにこれをまるの日さん用語では「アトランティス的循環」とは言います…アトランティス的な循環社会もうまく回っている時は、まぁまぁ平和なんですよね)

「あげる」のが難しくなってるのはたぶん、「その人のもらいたいものをあげられるかどうかわからない」というのもあるね…
時に、「いらないものを貰う苦痛」もあるからね(笑)。
それが「義理チョコ」風習…お中元お歳暮系なんかの延長になってしまった^^のでしょうね。

でも、それでも(義理でも)それが形として欲しいような人も、たぶん、まだ一定数はいるのだろうから。
(年賀状なんかも(笑)ソレなのかな^^)
お礼状なんかもたぶん、今でも有効な相手には有効なんでしょうね。
(特にお金持ち(富裕層)などには有効だったことを憶えています…昔、富裕層対象の金融商品の営業マンしていた頃には、手書きのお礼状は^^もう欠かせないアイテムでしたが、、、でもこれも「義務感まるだし」的な通り一遍のミエミエなお礼状文体だとやっぱりダメなのよ…こっちが「ほんとに感謝してる喜びの風味」がそこに乗ってないと意味なしでございましたね…ちなみにね、こういった富裕層系の人々というのは、普通一般社会の人よりも「変な裏読み」とかしませんので^^道義的ワイロのようなこういった”心遣い”的なものについては、ひっじょうに素直に受け取っていただける感じがあったんです…一般人(自分)だとこうはいかない…と、よく思っていましたね…むしろ、真心、感謝、喜び、等々が、伝わりやすい人種…という感があったかな。要するに素直という(笑)。素直というのは、それだけ豊かさに直結していますから。そして豊かになることの意味は、こういうところにもあると思いませんか? 「卵が先か鶏が先か」の話ではあるけれど、豊かであることのメリットは実際にマテリアルとして財産資産があるという安心感もあるのでしょうけれど、その人格形成やハートの世界においても有効面はあると思います。何よりも素敵なのは、与えること、循環をいとわない余裕余白があることなのですが、これは、お金持っていない人の場合は”ないうちからやる”ことにとても意味がありまして。お金がないからやらないできない、って言ってるとその人は循環が始まらないので一生その立場になることはないですからね)

…という、「ザ・人氣」な世界のお話でございますが。
でも一般社会においては人氣も大事だよね。なぜなら、われらは「人」で、人の中で生きているのでございますからね…
ところで今日書きたかったことは、こういうことではなくて。
「ワケありをどこまで赦せるか」について、書こうと思っていたんだけど(笑)。

なにそのワケありって? って話なんですが、うふふ、たぶん巷ではニュース的にずっと人目を引いている話だと思うんだけど。
皇室次男坊の長女の婚約相手の話ですよ^^。
(考えてみるとこの人が今度皇太子になるんだわな~5月から)
ニュース系やら、それについて書かれているソースを見ると、ちょっと一般人でも引いちゃうような、ワケあり系だったんですね~この婚約者の方。
だから、「長女の結婚相手としてどうなのか」って話で湧いてるところがありますよね。
率直に言うと、父親が焼身自殺、その父親&母親(祖父母にあたる)がのちに日を置かずに自殺で亡くなっている…むむむ…なリアル家族人間模様を血筋に持っている男子であり、また、その唯一生存中の母親が謎の経歴の人(笑。正直、ここがかなりなウェイトで痛さを増している気が)…はどうかという。
たぶん、一般的には、一般人でも「引く」と思われる家系図が直近の現実にある人。そう、その現実、事実を背負っている人。
但し、その本人には、その責任はありません、そういう人。
(もし本人がそこに囚われているのなら…もうこの「縁」じたいがありえないでしょうから^^)

私は、「アリ」かなぁ…と。
むしろ、皇室だからこそ(笑)これを引き受けていいんじゃないの? と、今のところなんとな~く思い至っているところです。
いいおうちの育ちの良いおぼっちゃま、血筋のいい、家柄のいい、非の打ち所のないおぼっちゃまが、本来は理想だったかもしれませんが。
そしてたぶん皇室なんだからもうそれが”当たり前”だろうと、誰もが想定する、その期待を見事に裏切る(笑)とんでもワケあり系。
だけど、救いは、「もしこの婚約者男子が自分へのごまかしではなく、本当に囚われていないんなら」…じゅうぶんに可能性はあるということです。
むしろ、これを受け入れ根っこから「祓う」ことができる可能性があるのは、日本に(世界に)杞憂のお祓い一家として存在する血筋の皇室の真骨頂ではないでしょうかと(笑)。
まぁ、そのように今のところ思い至っている次第。

婚約者の方は、ホンモノのシンデレラボーイとなれる可能性(笑)があります…
それは単に、「良い家柄を手に入れる」とか「裕福になる」とか「セレブになる」とかの表面的なものではなく、このような家系の因縁をすっかり一代で浄化する可能性を秘めたシンデレラボーイ…ってことで、むしろ、それが一般人よりも祓いの手段及び必要性を持つ、その可能性を”生まれながらに持っていることになっている”また”その位置づけとして存在している”皇室系こそ、こういったものにトライしてみていただきたいと。
一般人にさえ、荷が重いレベルだからこそ、むしろ、よりによって出会った(笑)とも言えるのかしら。
(表面的には、「自分のお立場をわかっていない、恋愛の延長線の結婚を望む、なんてアホな長女…そしてそう育ててしまったアホ次男…これが日本のプリンセス…セレブ一家の話なのか?」のように失敗話にも見える話ですけど)

ところが、なんとな~くですが、それが、多くの人の祓いにまで波及する効果あるんじゃないかと(笑)。
これは「こんな家に生まれちゃったから…」は、もう、あなたの人生を閉ざす理由である時代ではないよ、って話になりませんかね?
すごい実験(笑)がまさに、平成から、ニュー時代の変わり目に、「裏側」で釣り合い取るように動いてるんだなぁ、って思いました。
さすが皇室。一味違いますよ。破談も囁かれてはいるようですが、このまま結婚しちゃってみてもいいんじゃないでしょうか。
(そのかわり、”祓い”を徹底してくれとは思いますが。それがわれわれ日本国民のためですので。もちろん、祓いがかる~くで済む高品質のお相手をまた探す路線を否定しているわけではないので、結婚しようとしてる長女御本人がやっぱりやめとこう、つまり、「相手を嫌いになった、この人との結婚を望まなくなったので」みたいな心変わりが起こるなら、破談もアリですけれどね)

もうすぐ新しい年号の発表ですね。
(マイクロソフトの圧力で^^本当は4月の終わり発表予定が、4月1日発表に繰り上がったそうですが。まぁ、間に合わないよね。このコンピューター社会では^^3日4日ではそんなの対応できません、ってのが道理)

この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする
カテゴリ : 高次ガイダンス
follow links
FB page
Google+Go to top of page