人の持っているものを、いいな~と羨ましがる、面白くなく思う、そういうのを「嫉妬」と呼ぶのですが。
自身が嫉妬心を持っていることって、あんまり対象に気が付かれたくないものですけれど。
見ている人からはバレバレなんですよね(笑)。

ただ、その対象に、それが気が付かれにくいタイプの行為っていうのがありますね。
それが「ストーキング」行為と呼ばれることになった、「相手にとっての迷惑行為」でしょうか。
これはお客様にメールをしていて、思い出したことなんですが(もしかしたら、ブログの記事にも、以前書いたことが合ったかもしれないです)。
昔はストーカーというのは、縁もゆかりもない、見知らぬ人に付け回されることを、そう呼びました。
今でこそ、恋愛などで、いっときお付き合いした相手などを、未練がましく追い回すような人のことも「ストーカー」と呼びますし、迷惑行為がドを超える(脅しとか名誉毀損とかになると、ちゃんとお縄になれます^^)が、昔は…恋愛沙汰では、そんなん普通でしたよ(笑)。
あ、脅しとか迷惑行為は、その場合はしていなくても、「相手のことが好き。相手はもう自分のことが好きではないのだろう、ということは知っているけど…」という気持ちを持ちつつ、なんかしらの接点を持とうと、つまり「相手に会いたい、顔が見たい」と思って、その人に会える場所に出かけて、「気づいてもらいたい」ってなっちゃうと、「相手がそれに気づく」と、それが相手にとって不快な場合には、「相手にとってのストーカー一丁上がり」ということになるわけです。
いやこれは厳しいですね(笑)。
私も^^大昔まさにそれをやっていた時期もありました^^。
自分の気持に正直に行動しちゃう人は、ともすると、ストーカーという犯罪者のくくりに入る現代。
今の時代は、ちょっと、クソミソなところがあるかなと。
振られたほうが、相手を好きでいつづけると、ストーカーって、呼ばれちゃう。
これじゃ、今の時代、独身が増加し続けてもしょうがないね、って思いました。
いつ自分が人にとっての「ストーカー」になってしまうかわからないじゃないですか(笑)。
怖くて、人のことなんか、好きになれないですよね^^。
だから、恋愛するなら、「あとあと、ストーカーとならないためにはどうすればいいか」みたいなことも考えながら(笑)、恋愛しなきゃいけませんね。
個人的には、「ほんっとうに縁と呼べない、顔見知りとか知り合いでさえないのに、なんで?」みたいな人から、なぜか、付け回される、そして、実際に実害というか、脅しや誹謗中傷やら、受ける、みたいなレベルを「ストーカー」と呼ぶのでいいんでないかい、とは思います。
多少でも、相手を知っちゃっている、認識している間柄で起こるソレは、一応今はその「罪名」を相手につけることはできるんだけど、そう命名して相手を断罪する、みたいなこととはちょっと違うかな、と思わないでもないです(笑)。
ちょっとでも、いっとき、「感情のやりとりがあった相手」というのは、
この世では、いつなんどき、双方に、その度の過ぎた状態が起こらないとも言えません。
(「八方美人」てよく揶揄される、誰にでも好かれようとする人の意味の無さ、みたいなことも言われますけれど^^、これはね、八方美人には実際は「なろうとしてなれるもの」でもないので(笑)まぁ、なろうとしてなれない人は、ここでは置いておきます。(また、このタイプは、そもそも、人にストーキングなんてされませんから(笑)大丈夫))
でも、顔見知りとか知り合いでさえない、なんで? 系のソレであっても、それも、「高次視点」から見ると、「縁」であり…
そして、「必要合って、仕向けられている、刺客」のようなもの…とも言えます。

ストーキング行為を「人にされる」または「人にしてしまう」的なことは、まぁ、なるべくならないほうがいいですが^^。
現実問題としては嫌な経験だと思います。
あれです、
まるの日さんところの用語だと、こういうのが「きのこな人」だったりしますが、そのきのこは、「囚われ持ってる人の、その囚われが養分で生えてくる」わけで、「きのこが離れていく時」には、その人の持つその「囚われたモノ」も、なんといっしょに持っていってくれる…
実は、きのこな人は、大変ありがたい存在でもあるわけだったりします。
私は、この、自分自身がこの「きのこ」だったのが、たしかに大昔の恋愛時だったな^^とも振り返ると思いますし、また、「まさに自分が相手をきのこにしてしまっているんだな」と思えるような、恋愛経験というのもあったと思います。
実は、まるの日さんが語る「きのこ」話にあんまりぴんときていなかったのですが。
あんまり日常、自分が嫌だと思う人に、この10何年、遭遇しなくなってしまっていたので、ずっと忘れてました。

これね、
ひふみ神示でいうところの、「めぐり取り」と、原理が同じです。
メグリ、っていうのは解釈として、その人の持っているカルマとか、浄化されていない部分、囚われているものですね。
ひふみ神示では、「身魂の掃除」と「めぐり取り」は必須項目です(笑)。
このために生きている、とまでは言いませんが、
人間が「かみがかる」ためには、つまり、「次の人類」ではありませんが、アセンションするためにはまぁ、必須項目ではあります。
ひふみ神示的には、
「人に悪く言われるのは、メグリを取ってもらうことぞ」と、まぁ、むしろ感謝とは言いませんが、「いやなんだけど、ありがたいこと」の範疇として、その現象を捉えて、ひつくの神はそう言っています。
私は昔、ひふみ神示を読んで、これが入っていたので、おそらくですが、すでにこの解釈にぴんときていたため、「そうか…自分が努力して、四苦八苦して、メグリを手放さなくても^^、それってそうだったのか~」って(笑)なんでしょう、「嫌なことなんだけれど、まぁまぁ、ポジティブな現象」でもあるんだな、って思えて(笑)ようするに、「安心しちゃった」んですよ(←すっごい単純)。
だから、自分がそれに対してウェルカム体制になると…
不思議なもので、自分周囲に、その現象がむしろ、なくなってしまうんです(笑)。
悪口言われるのが、怖くなくなります。
で、実際に、言われなくなります。周辺にそういう人が顕れにくくなってしまいます。
(そのくらい、実は、「本人が思うほど」には、「他人はあなたのことなんて気にしてはいない」ということでもあるのですが^^)
「きのこ」の話だと、まだちょっと、きのこに対して、フラットではないネガティブ意識があるかな。
実際にきのこな人の対処で困っている人には、「やれやれ…」な話に聞こえちゃうかもしれませんね。
(まぁ、きのこな種類の人の場合、単に「相手がこちらを悪くいう」ことだけが、きのことは限りませんから、見分けが難しくて、ちゅうちゅうエネルギー吸われてる、つまり、「利用されてる」みたいなこともありますからね。でも、「高次視点」では、これもやっぱり「メグリ取り」だと思いますよ)
あ、注意点として。
だからって、「そうか、自分のメグリ、囚われをはずしてもらう方法が、それなのか!」って、わざわざ、「人に悪口言われることをあえて、その目的でやる」というのは、「我欲」ですので(笑)ダメですよ。
それだと、他人を自分のために「利用する」行為ですから、自分をわざわざ悪く見せて人の注目を集めようとする「偽悪者」にもよくある傾向ですが、意図的にそれをやれば、それはそれで、カルマというか囚われをつくっていきます。
あくまで、「自分に正直に行動していること」が基本ですよ。
それで悪く言われるなら、それは「ありがたいことに、毒吸い上げてもらってる」ということです。

表題の、「人の持っているもの」から、ズレましたが。
メグリ取りの話では、
人から向けられたそういった嫉妬などの感情から投げられる悪感情などは、「相手にメグリとってもらうことぞ」と、良かった良かった、と(笑)神様はそういう励まし方しています(笑)。
が~~~ん。でしょ。
「よしよし、あなたはいいこいいこ」してくれる(笑)「おやさしいスピリチュアル」ではないのですよ。
なにしろ、「逆恨みされるのも、恨みは恨み。それは、自分の中にそれがあるからであるぞ」って言ってますからね(笑)。
これ、嫌ですよね^^。
もし人に逆恨みされている場合、「自分は人を逆恨みなんかしないわよ! ふざけるな! 」と、神様に悪態をつきたくなりますよね。
でも実際、そうなのですよ、悲しいことに(笑)。
究極、
私達は、こういうの、それぞれが自分の中から「いっこでも手放していく」ことを、人間の共通命題として、持っているんじゃないかと思いますよ。
だけど不思議なんだよなぁ。
「高次」のソレだと、「いいこいいこ」じゃないのに。
「あなたは悪くない、いいこいいこ」ってわけじゃないのに。
自分の、悪いところ、良くないところを、認めていかなければならないのに。
癒やされるんですよ。
私が昔、石に出会い、石に見出していたものも、こういうものです。

「人の持っているもの」よりも(笑)
「貴方様があなたさまの中に、持っているもの」を気にかけましょう。
そして、そこに気づかせてくれるのが…かかわる他人です。
「鏡」ともよく言いますが。そういうことです。
だから、逆に言うと、「人の持っているものがなんでこんなに自分は気になるんだろう、あたしストーカーになっちゃう、犯罪者になっちゃう(汗)」と^^、そういう人は恐怖しなくてもいいのです。
その「人が気になる」だったり、
「ほんとうは自分がソレが欲しいから」であったり、
それとは一見真逆の感情の、「人に対して、気に入らない、自分にとって、不快な目障りなところ」も、実は同列です。
その中にあるもの、その向こうにあるものを、必死に見つめましょう。
たぶん、それが「メグリ」です。
「他人のきのこになっちゃう悲しみ」「他人に疎まれる悲しみ」を「避けよう」と、強いフリ、いい人になろうとする前に。
その自分の中にあるものに気づけばいいのです。
だいたい、損だよね(笑)。他人のきのこになるのは。
せっせと、「他人のメグリ取りをしてあげる存在」になって、自分の中に毒を取り込む、奉仕とも言えるわけなので(笑)。
なんか、人生、それじゃ、もったいなくないでしょうか?
「人の持っているもの、人が羨ましい」という感情を、人に向けるというのは、そういうことなので。
はなははだしく、エネルギーロスしてますし、
何よりも…「あなたがあなたを生きていない」ことですから。
自身が嫉妬心を持っていることって、あんまり対象に気が付かれたくないものですけれど。
見ている人からはバレバレなんですよね(笑)。

ただ、その対象に、それが気が付かれにくいタイプの行為っていうのがありますね。
それが「ストーキング」行為と呼ばれることになった、「相手にとっての迷惑行為」でしょうか。
これはお客様にメールをしていて、思い出したことなんですが(もしかしたら、ブログの記事にも、以前書いたことが合ったかもしれないです)。
昔はストーカーというのは、縁もゆかりもない、見知らぬ人に付け回されることを、そう呼びました。
今でこそ、恋愛などで、いっときお付き合いした相手などを、未練がましく追い回すような人のことも「ストーカー」と呼びますし、迷惑行為がドを超える(脅しとか名誉毀損とかになると、ちゃんとお縄になれます^^)が、昔は…恋愛沙汰では、そんなん普通でしたよ(笑)。
あ、脅しとか迷惑行為は、その場合はしていなくても、「相手のことが好き。相手はもう自分のことが好きではないのだろう、ということは知っているけど…」という気持ちを持ちつつ、なんかしらの接点を持とうと、つまり「相手に会いたい、顔が見たい」と思って、その人に会える場所に出かけて、「気づいてもらいたい」ってなっちゃうと、「相手がそれに気づく」と、それが相手にとって不快な場合には、「相手にとってのストーカー一丁上がり」ということになるわけです。
いやこれは厳しいですね(笑)。
私も^^大昔まさにそれをやっていた時期もありました^^。
自分の気持に正直に行動しちゃう人は、ともすると、ストーカーという犯罪者のくくりに入る現代。
今の時代は、ちょっと、クソミソなところがあるかなと。
振られたほうが、相手を好きでいつづけると、ストーカーって、呼ばれちゃう。
これじゃ、今の時代、独身が増加し続けてもしょうがないね、って思いました。
いつ自分が人にとっての「ストーカー」になってしまうかわからないじゃないですか(笑)。
怖くて、人のことなんか、好きになれないですよね^^。
だから、恋愛するなら、「あとあと、ストーカーとならないためにはどうすればいいか」みたいなことも考えながら(笑)、恋愛しなきゃいけませんね。
個人的には、「ほんっとうに縁と呼べない、顔見知りとか知り合いでさえないのに、なんで?」みたいな人から、なぜか、付け回される、そして、実際に実害というか、脅しや誹謗中傷やら、受ける、みたいなレベルを「ストーカー」と呼ぶのでいいんでないかい、とは思います。
多少でも、相手を知っちゃっている、認識している間柄で起こるソレは、一応今はその「罪名」を相手につけることはできるんだけど、そう命名して相手を断罪する、みたいなこととはちょっと違うかな、と思わないでもないです(笑)。
ちょっとでも、いっとき、「感情のやりとりがあった相手」というのは、
この世では、いつなんどき、双方に、その度の過ぎた状態が起こらないとも言えません。
(「八方美人」てよく揶揄される、誰にでも好かれようとする人の意味の無さ、みたいなことも言われますけれど^^、これはね、八方美人には実際は「なろうとしてなれるもの」でもないので(笑)まぁ、なろうとしてなれない人は、ここでは置いておきます。(また、このタイプは、そもそも、人にストーキングなんてされませんから(笑)大丈夫))
でも、顔見知りとか知り合いでさえない、なんで? 系のソレであっても、それも、「高次視点」から見ると、「縁」であり…
そして、「必要合って、仕向けられている、刺客」のようなもの…とも言えます。

ストーキング行為を「人にされる」または「人にしてしまう」的なことは、まぁ、なるべくならないほうがいいですが^^。
現実問題としては嫌な経験だと思います。
あれです、
まるの日さんところの用語だと、こういうのが「きのこな人」だったりしますが、そのきのこは、「囚われ持ってる人の、その囚われが養分で生えてくる」わけで、「きのこが離れていく時」には、その人の持つその「囚われたモノ」も、なんといっしょに持っていってくれる…
実は、きのこな人は、大変ありがたい存在でもあるわけだったりします。
私は、この、自分自身がこの「きのこ」だったのが、たしかに大昔の恋愛時だったな^^とも振り返ると思いますし、また、「まさに自分が相手をきのこにしてしまっているんだな」と思えるような、恋愛経験というのもあったと思います。
実は、まるの日さんが語る「きのこ」話にあんまりぴんときていなかったのですが。
あんまり日常、自分が嫌だと思う人に、この10何年、遭遇しなくなってしまっていたので、ずっと忘れてました。

これね、
ひふみ神示でいうところの、「めぐり取り」と、原理が同じです。
メグリ、っていうのは解釈として、その人の持っているカルマとか、浄化されていない部分、囚われているものですね。
ひふみ神示では、「身魂の掃除」と「めぐり取り」は必須項目です(笑)。
このために生きている、とまでは言いませんが、
人間が「かみがかる」ためには、つまり、「次の人類」ではありませんが、アセンションするためにはまぁ、必須項目ではあります。
ひふみ神示的には、
「人に悪く言われるのは、メグリを取ってもらうことぞ」と、まぁ、むしろ感謝とは言いませんが、「いやなんだけど、ありがたいこと」の範疇として、その現象を捉えて、ひつくの神はそう言っています。
私は昔、ひふみ神示を読んで、これが入っていたので、おそらくですが、すでにこの解釈にぴんときていたため、「そうか…自分が努力して、四苦八苦して、メグリを手放さなくても^^、それってそうだったのか~」って(笑)なんでしょう、「嫌なことなんだけれど、まぁまぁ、ポジティブな現象」でもあるんだな、って思えて(笑)ようするに、「安心しちゃった」んですよ(←すっごい単純)。
だから、自分がそれに対してウェルカム体制になると…
不思議なもので、自分周囲に、その現象がむしろ、なくなってしまうんです(笑)。
悪口言われるのが、怖くなくなります。
で、実際に、言われなくなります。周辺にそういう人が顕れにくくなってしまいます。
(そのくらい、実は、「本人が思うほど」には、「他人はあなたのことなんて気にしてはいない」ということでもあるのですが^^)
「きのこ」の話だと、まだちょっと、きのこに対して、フラットではないネガティブ意識があるかな。
実際にきのこな人の対処で困っている人には、「やれやれ…」な話に聞こえちゃうかもしれませんね。
(まぁ、きのこな種類の人の場合、単に「相手がこちらを悪くいう」ことだけが、きのことは限りませんから、見分けが難しくて、ちゅうちゅうエネルギー吸われてる、つまり、「利用されてる」みたいなこともありますからね。でも、「高次視点」では、これもやっぱり「メグリ取り」だと思いますよ)
あ、注意点として。
だからって、「そうか、自分のメグリ、囚われをはずしてもらう方法が、それなのか!」って、わざわざ、「人に悪口言われることをあえて、その目的でやる」というのは、「我欲」ですので(笑)ダメですよ。
それだと、他人を自分のために「利用する」行為ですから、自分をわざわざ悪く見せて人の注目を集めようとする「偽悪者」にもよくある傾向ですが、意図的にそれをやれば、それはそれで、カルマというか囚われをつくっていきます。
あくまで、「自分に正直に行動していること」が基本ですよ。
それで悪く言われるなら、それは「ありがたいことに、毒吸い上げてもらってる」ということです。

表題の、「人の持っているもの」から、ズレましたが。
メグリ取りの話では、
人から向けられたそういった嫉妬などの感情から投げられる悪感情などは、「相手にメグリとってもらうことぞ」と、良かった良かった、と(笑)神様はそういう励まし方しています(笑)。
が~~~ん。でしょ。
「よしよし、あなたはいいこいいこ」してくれる(笑)「おやさしいスピリチュアル」ではないのですよ。
なにしろ、「逆恨みされるのも、恨みは恨み。それは、自分の中にそれがあるからであるぞ」って言ってますからね(笑)。
これ、嫌ですよね^^。
もし人に逆恨みされている場合、「自分は人を逆恨みなんかしないわよ! ふざけるな! 」と、神様に悪態をつきたくなりますよね。
でも実際、そうなのですよ、悲しいことに(笑)。
究極、
私達は、こういうの、それぞれが自分の中から「いっこでも手放していく」ことを、人間の共通命題として、持っているんじゃないかと思いますよ。
だけど不思議なんだよなぁ。
「高次」のソレだと、「いいこいいこ」じゃないのに。
「あなたは悪くない、いいこいいこ」ってわけじゃないのに。
自分の、悪いところ、良くないところを、認めていかなければならないのに。
癒やされるんですよ。
私が昔、石に出会い、石に見出していたものも、こういうものです。

「人の持っているもの」よりも(笑)
「貴方様があなたさまの中に、持っているもの」を気にかけましょう。
そして、そこに気づかせてくれるのが…かかわる他人です。
「鏡」ともよく言いますが。そういうことです。
だから、逆に言うと、「人の持っているものがなんでこんなに自分は気になるんだろう、あたしストーカーになっちゃう、犯罪者になっちゃう(汗)」と^^、そういう人は恐怖しなくてもいいのです。
その「人が気になる」だったり、
「ほんとうは自分がソレが欲しいから」であったり、
それとは一見真逆の感情の、「人に対して、気に入らない、自分にとって、不快な目障りなところ」も、実は同列です。
その中にあるもの、その向こうにあるものを、必死に見つめましょう。
たぶん、それが「メグリ」です。
「他人のきのこになっちゃう悲しみ」「他人に疎まれる悲しみ」を「避けよう」と、強いフリ、いい人になろうとする前に。
その自分の中にあるものに気づけばいいのです。
だいたい、損だよね(笑)。他人のきのこになるのは。
せっせと、「他人のメグリ取りをしてあげる存在」になって、自分の中に毒を取り込む、奉仕とも言えるわけなので(笑)。
なんか、人生、それじゃ、もったいなくないでしょうか?
「人の持っているもの、人が羨ましい」という感情を、人に向けるというのは、そういうことなので。
はなははだしく、エネルギーロスしてますし、
何よりも…「あなたがあなたを生きていない」ことですから。

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カテゴリ : 高次ガイダンス
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