石の意味~ローズクォーツ~

2019年02月14日 (木) 21 : 33
「愛」の基本石、と言われる、ローズクォーツです。

(今までの「石の意味」でなぜか出てこなかった(笑)出番がなかったのがまず不思議^^。という「愛の定番石」でございます)

一般的には、傷ついた過去を癒やす、ハートヒーリングの石ということで、恋愛などもそうですし、「自分が幸福になること」に臆病になっていたりする人の心を前向きにするなど、要するに、「ま、これはこれ。いいことあるさ」と、イマココカラをいいものにしていく、そういう持ち主さんの心の変容を助ける石でもあります。

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ローズクォーツのこういったエネルギーの肝と言える部分は、「自分を愛する」「自分を大事にする」自己愛を促すエネルギーの石である、ということ。

愛の基本は自己愛からスタートしているということを、持ち主さんに教えてくれます。

なので、このあたりがフクザツに屈折している(笑)人にとって、ローズクォーツというのは、「それまでのあなた」という既成概念をガラガラと崩壊させる場合なんかもある、爽快なアセンションストーンとなりうることもある気がします。

ちなみにこれは、自分を愛するということに対して、フクザツ骨折しているような^^そういう場合です(笑)。

表面上の意識では、絶対に、断じて、「自分を大切にしていない」と、そういう人は思ってはおりませんです。
自分を大切にしているからこそ、自分のことが大事だからこそ「ままならない、自分の意のままにはならない現実への焦燥感とかあったりするのでは?」って感じられますもので、どうもこれ、ぴんとこないわけなのですが。

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よく巷でも小耳にしますのが、「自分を愛せない人は、他者を愛せない」とも言われますが、これも「そんなことないんじゃないかしら」と、「自分を愛してはいないけど、他者を愛している」っていう行動が定番化しているような人は思うと思います。(こういう人は意識的にせよ無意識的にせよ、自己犠牲状態を美化していたり、また、他者にそれを押し付けたりなどがあります)

これ、「自分のことだけは愛せるが、他者は愛せない」という場合と、実際は似たり寄ったり(笑)のところがございまして。

まぁ、どっちかに偏って表面上の感情に顕れているだけの話であり、ベーシックなところでは、こういう場合は、やっぱり「自己愛が足りてない」のひとことに集約されてしまうようなところがあると思います。

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自己愛というのは、すなわち、自分も他者も、認める。
ということかと思われます。
そうできた時点で、自己愛スタートかもしれません。

自分のことも認めるし、他者のありかたも同様に認めることができる。
これは自己肯定に偏りすぎず、自己否定にもならず、そして他者肯定、他者否定にもならずの、協調エネルギーの世界です。
このスタート地点をヘルプしてくれる石が、愛の基本石、ローズクォーツの「本来の役割」かと感じます。

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ただ、この本来の役割、エネルギーを持ったローズクォーツを、やっぱり”我良し”方向に(笑)持っていく^^、自己正当化の恋愛石にしてしまっている風潮もありますので、そのローズクォーツ本来のエネルギー的役割を活かせる人、そうでない人、色々、多様に分かれてしまっているかのように見える、現状の世界があるように思われます。

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自分を認めるというのは、たとえば、人のことを嫌っている自分の感情を「よくない」と思って無理に頑張ってその人を好きになろうとしたり、聖人化を(笑)目指すことではありません。
また、誰かが自分を嫌っていたとして、誰かに嫌われている自分だから自分はダメだ…と自己否定する場合もありますが、こういう、「誰かのありかた」を否定肯定しているところから、離れて、そういう感情を持つ自分を認めることができる、ということでしょうか。
これができると、他者のありかたも「その人の自由」であることがわかってくると同時に、自分自身も自分のありかたを自由にデザインできることがわかってきます。

この自己愛ができてくると、それまで息苦しかった世界が、居心地の良い世界へとエネルギー変容していくことがわかってきます。

「評価、ものさし、偏見」を手放す世界、というのでしょうか。

ローズクォーツは、こういうことを助けてくれるエネルギーを持ちます。

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でも、ここへの抵抗感(笑)の、そもそもの度合いが人によって、程度差があるのがこの世です。
どうしたって、認めたくないものごまかしたいものというのも、人それぞれ、その人生過程(場合によって”過去世”由来からの延長で)によって、築いてきておりますから。
(ただ、そこを越えるチャレンジも(笑)促されるところがあるのが、この世です)

また、「認めてしまうと相手の好き勝手の世界の暴走を助長するのではないか」という(笑)恐怖心なんかもあったりしますよね?
これは「認める」ことと、「自他を好きになる、肯定する」ことを混同していると、生まれる感覚ですね。それから、「結局、それでも相手は変わってくれない」場合があることへの抵抗感、すなわち、「こちらの都合の良い状態が実現されるわけではない」ことへの不服感など…どこまでもが「自分の感情」由来であります。

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この感情にはたらきかけるのがローズクォーツなのです。
これがすこ~し、「ハートの奥の人寄りの意見」というか、そっち寄りのエネルギー的影響を、ハートが受けていく…
まわりくどい言い方ですが(笑)「それが本当のあなたなの?」という、俗にいう、ハートをひらくことで高次に繋がり、高次の意見と分離していることがもたらす違和感と同調しない「感じ方」の世界展開を助ける石。

ではありますが。
われわれは、高次の操り人形ではないので、向こうの司令で(笑)自動的に変化できるわけでもありません。
よって、ローズクォーツにより、こういう変化が起こる起こらない、そこには、人による違いがあることは否めないところです。

石にちからがないのではなく、そのエネルギーの方向付けをしてしまうのが人間なので…という部分です。
よくあるたとえですが「包丁は食材を切る役割で使うものでありますが、時に、人を傷つけることもできる道具」にもなりえます。

愛も包丁で、「”愛により”傷つく」という感覚をも人にもたらしやすいものでもあり、「愛」というのは、「使用上の注意点」満載のエネルギーであり、地球上において、人をコレ以上に活かしも殺しもするエネルギーは、やはり、「愛の代用」として他にあるかというと、見当たらないタイプのエネルギーでもあると思います。

(「それがカネだよ」という(笑)カネ偏重となるケースもあるかもしれませんが、カネも包丁と似たり寄ったり。使い方次第なところがありますよね。それから、このカネと愛と「両立」できるところを、「どっちか」が正義、もしくは悪、と分けて考えたがるところが、過去の人間の風潮としてありましたが、こういう「どっちか思考」に人間が翻弄され続けてきているのも、今までの時代の話ですね。どっちかに否定感覚があると、現実はどっちもなくなる、どっちも足りてない感じになってませんか? 実感としてはこれは「どっちも満たされている状態」がやっぱり安定感あるように感じます。これも昔から言われることだけど、夫婦や家庭不和のひとつの要因としては「お金の問題」に起因することも多いし、また、お金はあるんだけど「愛の欠如」で家庭不和家庭崩壊なんかも起こりやすいようですが、これも一見、お金がないだけが不和要因ではなく、またお金があっても起こり得るという点で、やっぱり同レベルで「愛は必要」なわけですよね。「愛は目に見えていない」ぶん、軽視されがちなんですが、お金と同レベルで必要なエネルギーだと感じます)

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…という、使用上注意の(笑)ローズクォーツですが^^、これはどちらかというと、ローズクォーツを扱う、売ってる側の人の感性の問題でもあります(笑)。
そして、どういう目的で、使用するかの、使う側の心根の問題でもあります。
ローズクォーツを、恋愛や結婚や周囲との調和や癒やしに使うことはじゅうぶんに可能であり、もちろん、自分のための癒やしという「まず自分」感覚でとくに他者とかまで広げてはいなくても、その「まず自分」がもっとも大事ですので、そうしていただきたいですが。
まず、自分を認めると同時に他者を認める、自分も他者も同様に「神の子」(”神”とあえて表現しますが)であることを、「う~ん…」だけど(笑)受け入れる…そんな難しいこと(難しいでしょ? ラブ&ピースとかワンネスって^^)を、使用上、促す石がローズクォーツなんだと。

過去に、「ど~~~~~もローズクォーツって苦手なんだよ」と(笑)こんなに「石ラブ、石萌えな、石ヲタク」となりながらも、なんか苦手な石だなという時期が、私にはとても長かった石なのですが(それは過去にも記事にしていますよね)あえて、私は「苦手石を自分に取り入れるチャレンジ」を(笑)職業上し続けてきておりますので、だんだんに、わかってくるところがある話でもあります。

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ローズクォーツを受け入れることができている時は(同調している時は)、「その状態の心地よさ」を感覚的に悟っている方も、多いのではないかと思います。

単純に、「ただ誰かを嫌っている」よりも、「嫌いだと思ってたけど、ふうん、なんかこういうところはいいな」っていうふうに感じられる自分でいるほうが、必ず、相手というより、自分自身を癒やしますよね?(笑)
いや、それでもやっぱり、嫌いなものは嫌い、受け入れられないものは受け入れられない、と、特定の他者を100%受け入れたくないことを決意している人にとっては、それは、現実世界においての「地獄の責め苦」ですが(笑)。

ローズクォーツは、そんな地獄の責め苦に悶えたい人にとっては、サド石でもありますね^^。
(「愛」って人によってはそういうエネルギーなんですよ。これもたとえ話ですけれど、時々、「あの世の構図」に、本当は地獄も天国もない、っていう話がありますでしょ。その人の、「こころのありかた」がその自分の居場所を決めてる、「自分にとって居やすい場所」を選んでいるだけだそうで。つまり、「愛が心地よくない」場合、ひたすら「愛のない場所」がその人の落ち着きどころになるわけで、そういう存在が集まった場所が、地獄の様相である、ということ)

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石は奥深いです。

「愛って何?」

その究極の答えを知っている人は、まだこの世にはいないかもしれません。

だから、ローズクォーツが、愛の石…と(笑)その愛がなんなのか、ローズクォーツは、ローズクォーツを持つ人それぞれに、「見出させようとする、ヘルプをする石ですよ」ということで。

もっとも、「石に投げちゃっていい(ゆだねちゃっていい)」タイプの石であり、また、われよし(我だけが良し)的我欲からもっとも遠いところに位置する、我良し我欲、我都合我欲のみを実現したい人にとっては(笑)大変扱いづらいところのある”パワーストーン”ではないかと思います。

ローズクォーツを身に着けたからといって、「新しい出会いが!」とか「なんかとてもいい展開に」になる人とそうでない人(「別に何も変わらんよ」やら「夫婦不仲はそのまま」とか^^)これだけ巷に出回る石ですから、その反応はさまざまなのかと思いますが、きっとローズクォーツは、「あなたにとっての、What is Love?」を見出すヘルプは必ずしていると思います。気づこうね(←私自身^^のことでもあります)。


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カテゴリ :  石の意味
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