されど、作詞家2

2006年02月09日 (木) 00 : 28
作詞家っていうのは、色々な「人格を演出する」仕事だな、と思います。
だから、自分の「言いたいこと」とか「演じたいこと」とかっていうのは、なかなかそれにハマってくれるアーティストに出会わない限りは、書かせてもらえません。
自我の強い芸術家気質の人には、かなりフラストレーションの溜まる仕事です。

私の場合は、大してアーティスティックでもないくせに、我が強いのでしょう、そういう状況にもう年がら年中いらいらし通しでした。
「なんだよー、幼稚園児が聞くアニメの歌詞書くために作詞家になったわけじゃないのに・・・」って、よく思ってました。

だいたい作詞家デビュー作が、クレヨンしんちゃんですからね・・・。
その後の運命も知れたものと言えば知れたもの。

なんでアニメ書く頻度がやたら高かったか、っていうと、アーティストって、曲作れない子でも、曲は無理でも、歌詞って簡単に書けそうだから、歌詞は自分でやる人がどんどん増えていた時代の流れにあったんですね。

だから、当時(10年くらい前)でそれなりに名前のある、いわゆる「大御所」作家の人なんかも、そんなアニメソングですらもけっこう競合していて、「かんべんしてくれよ・・・」って、よく思ってました。作詞家というのは、自分のお抱えアーティストが、自分で歌詞書くようになっちゃったりすると、とたんに食い詰める危うい職業なのだ、ということを、そこで知りましたよ。
なんか、中国に工場を移転されちゃって、職にあぶれた日本の工員たち、って雰囲気でしたよ。その様は。
少ない残った国内の仕事の奪い合い、みたいな感じ。ほんと、常に争奪戦。
だからね、最初は私みたいなぺーぺーが手がけていても、そのアニメじたいがブレイクすると、とたんに有名どころがハイエナのように押し寄せてくる・・・ぺーぺー押し出される、みたいな図式がありました。

一度なんか、あんまり言いたくないけど、歌詞書かされた後に、「すみません・・」と、事務所の作家担当がきたもんだから、「なになに」と話を聞くと、「実は、〇〇さんでいくって話が出てきちゃって。。。△△さんも、ちょっと難しいアーティストなので、ごにょごにょ・・・」
要は、ちょっと名の知れた作詞家の人に、“途中から”案件を持ってかれた、というやつですな。

その人なんて、けっこー稼いでるんだから(長者番付とかに出てくる)こんな仕事、あたしらみたいな貧乏人に回しといてくれたって、バチ当たらないじゃん・・・って、思いましたよ、当時。そんな欲かくなよなー、、、って。
実際、その楽曲はその後音盤になっても、たいして売れてもなかったし。
(そこで「ざまみろ。」とか思ったりして、カルマを積みまくってるから、自分にそれが還ってくるんですけどね・・・)

それもこれも、当時のアーティストが印税欲しさに日記みたいなへたくそな歌詞を書きなぐるせいだ、って、アーティストくんたちを逆恨みしてましたよ。
でもこれは、言ってもしょーがない時代の流れでしたので、ほんと、ただの愚痴というか僻みというか、情けない限りでしたが。
そんな「作家の冬」と呼ばれる時代に作詞家という斜陽産業に飛び込んでいった自分が悪いわけですから。
ほんと、これは何のカルマだったんですかね・・・?

まぁでもね、そういう怨念から離れたところで、冷静に客観視してもね、
色々な意味で、歌うたいのアーティストの人は“セルフ”に拘るんだけど、それが曲を壊してしまっていたりすることも多々あることも事実。というか、「自分のオリジナルの言葉じゃなきゃ、曲じゃなきゃ、個性じゃない」って思いに固執し過ぎてる。

だけど、昨今はまた“作家需要”がちらほら出てきているようで、何よりですね。
やっぱ、餅は餅屋・・・って、あれ?使い方違うかな、これって。

自分で歌詞書きたい気持は分かるけど、人には得手不得手というもんがあるからね。
歌詞も曲もアーティストが書いてるって付加価値はないわけではないけれど、以外と、それに拘るのは本人たちとディープなファンだけの問題なんだよね。

まぁ近年ようやくそのあたりに音楽業界も気づいてきたのかなぁ。
「カヴァー」が流行ったりするってのは、要はクオリティの高いオリジナルが書けなくなってきている、ということの証でもあるわけで。

アーティストの子ってさ、ほんと、自分で歌詞とか曲書きたいんだよ。それが、ナチュラルな姿で、ナチュラルっていうことがいちばんいいこと、ありのままの自分の言葉ってのが最良の表現方法なんだ、って誤解してる。
日本語できれば誰でも書けそうな感じがするしね。歌の歌詞って。

でも、アートとは、音楽とは、表現とは、実はそういうものじゃない。
悲しいかな、自分が作った楽曲が必ずしも、唄う自分にいちばんハマるとは限らないんだわ。そのいい例が、人に書いた楽曲はすごくヒットするのに、自分はあんまり売れない人っているでしょ。そういうもんなんですよ。
(もちろん、楽曲も歌も最高にその本人にハマるアーティストもいます。でも、アレンジや演奏で駄目になることもある。メンバーチェンジとか、ソロになったとたん輝きがなくなる、とか。)

だから、プロデューサーがちゃんと音楽わかってる人で、「この子の歌詞はまだ世に出せるだけの実力、段階じゃない」ってことを分かっていると、作家に頼むわけ。
作家はさ、そのプロデュース側の、「アーティストイメージをこういう世界観に持っていきたい」っていう方向性やら何やらをヒアリングして、曲のつかみと、そのアーティストの個性を活かせる歌詞を創作する。
作家が、好き勝手に自分のナルシシズムを押し付けるわけではありません。
そんなことしても、そんな歌詞は使い物にならないのです。

で、一曲の楽曲が仕上がり、あとは、アーティストがそれを「表現する」番。
でもねーーー、なんか、不服そうな子もいるんだわね。
自分の歌詞と、人が作ってきた歌詞と、どこがどう違うの?って感じを持ちながら唄ってるのが、なんとなく分かる時があった。
こういうのはね、伝わるんですよ。
音楽って、歌とかって、本当に「魂が出る」んですよね。

そういう、“これのどこがどう自分のと違うか分からない”アーティストっていうのは、結局、デビューなかったり、デビューできても結局日の目を見ずに消えていく、そういう人が多かったような気がする。
そういう人は、自分の持ち味すら、ちょっと誤解しているのね。

「自分が、自分が」にいつまでも拘っていると、せっかく他の部分、容姿とか歌唱力とか声質とか存在感のオーラに恵まれているのに、芽が出ない、ってことは、音楽の世界にはありがちな話。
そして、これはそっくりそのまま、自分に当てはまることだな、と、後に実感したのですが。(遅い、遅い、と神様に言われているのがよく分かりました^^)

いずれにしても、音楽は、一人ではできないのです。
自分の人生が、自分ひとりの力で何とかならないのと同じです。

ま、そんなことはどうでもいい事柄。
ほんと、とにかくいちばん感じていたことは、「どんぴしゃの出会い」ってものは、ほんとぉぉぉに、そんなに滅多にないものだ、ということ。
だから、本当に、小さな小さな「偶然」でも大切にしなきゃいけないのです。
何がどこから広がるか、わかりませんから。


この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする

カテゴリ :  今のところ未分類
follow links FB pageGoogle+Go to top of page ページの上へ移動

ページの上へ移動
Go to top of page