スピリチュアルとお金

2018年02月11日 (日) 22 : 33


なんかここのところ立て続けに、こういうお金がお題のスピメルマガが(笑)やたらに来るな~という感じでした。
ということで、私もまたこの「お金」についての考察を記事にしてみようと思いました。
(「スピリチュアルは金なのか?」と、「カネカネうるさいな~」という、「お金について語るのは恥ずかしい品のないこと」というブロックもある人にはあると思いますが、「嫌悪感を感じること」というのはたいていその人のブロックではあります。でも、持ってていいブロックっていうのもあるので、それがイケナイことってわけではないのよ。ただお金に関してはこのブロックがあると邪魔は邪魔です)

スピとお金はけっこう以前から、かかわりが深いテーマのようで、「アバンダンスを手に入れるメソッド」だとか「財布」とか(笑)、私が関わる天然石分野も、昔からそういう「金運」「財産運」的なものに関わる石があるよん♪ という観方もされていますし、実際にまぁ、まったく無関係でもないと思います。

石でしたらやっぱり有名どころは金ルチですが、シトリンやゴールデンカルサイト、アンバーなど、イエローゴールド系のストーンもよく金運石として言われます。
シトリンは昨日の記事でも言ってましたが「セルフイメージを上げる」「循環を生み出す」エネルギーを持った石。太陽神経叢を活性化する石ですからそうですね。
そういう部分が、「自信」に繋がり、この世的にはそれが「仕事」などのパフォーマンスへと繋がっていくことが多いので、金運石とも言えるのだと思います。

でも、同じ石を持っても、それが劇的に金運に繋がっていく実感のある人と、そうでもない人と、いらっしゃると思います。

この違いは何なのか? 
それをひと言で説明するのは難しいですが、各々の「お金の過多の重要度合い」の違いや、「お金に対して持っているイメージ(囚われ)」の違い、そして、その人その人自身の「星の下」という役割の違い、色々な要素の違いがあるので、なんとも言えないところもあるのですが。


たとえば、以下のような話は、ほうぼうでも聞くでしょ?

「お金そのものはただの紙。お金じたいには価値はなく等価交換のための”手段”なのだから、使うことで活かされる、価値を持つもの。」
「お金はエネルギー。エネルギーは使って活きるもの。エネルギーを溜め込めば澱み停滞していく」とか(これは「水」にもよく例えられますね)。

この「使うから入る、循環が起きていく」のは真実だな~と個人的には思いますけれど。
ただこれは、私にとってはそう感じられます、という真実です。

仮にそこに「拡大」を望む場合には、それが適用される”人種”そうあるべき”星の下”であることも大きいのかな、とも感じるところもありますね。

それから、「固定給」の人がこの感じでお金を使う場合、それはもちろんエネルギー循環に貢献することになるので、「その固定給が継続して無事入る流れに乗っていくこと」に寄与するのかな、という感じ。

なので、そういった「固定給(主に会社員等)」の人が、これを実感するシチュエーションに出くわすことじたいがあんまりないから(それをこの世的には「波風立たない」「安定、安心」的に表現します。公務員とか、一応もう何年何十年スパンが読めている人々でしょ。その保証はないはずなんだけど、「それが自分で読めていることが信じられている人々」というのかしら。)そういう人々がその手の金運石を持って、「金運、激変!!」なんて(笑)、あんまりないはずですよ。

ただ、そういう人々はそういう人々で、その安定職を何十年単位で続けていこうとするには、金運だけじゃない他の要素が必要になってきますよね。(金運じゃない他の要素が必要なのは、自営も(笑)もちろん同じですが)
健康もそうだけど、それこそ、「人間関係」ですとか。「仕事ができるできない」以前に、そういう「日々のコネクション」が、運命の流れを変えていってしまいます。
また、滅多に、自分がいる環境そのものが変わるわけではないから、周辺含めたその人自身が、「変容を拒む体質=澱み」を生みやすい状態でもあるから、「同じことのルーティーン」のようで、実際にはそうではないのですよね。


私がこれからする話は、自分が自分の仕事で稼ぐ人向け、と言えるかもしれませんが、広義の意味で言えば、固定給の人も、それからとくに仕事をして金銭を稼ぐということをしていない人であっても、結局同じかと。
私自身、自分が自分が変わったな~と自分で思う点について、そして、「こういう感じになってから、流れが変わったんだよね」という部分についてのお話です。

「お金を苦労の賜物にしないこと」

これ、ほんとうにそうなのです。
小さい頃から親や周囲から「お金を稼ぐというのは大変なことなんだ」という刷り込み教育を受けて育ってきたり(けっこう多いんじゃないでしょうかね)何かと、言われますよね。
「仕事が大変」っぽい意識も、そこにお金が絡むから、という理由が強くないでしょうか。
だから、「自分の好きなことは仕事にしたくない=お金が絡むから大変=好きなことで嫌な思いをしたくない」という思考回路になっている人も、けっこういらっしゃいますよね。

お金に対して、もう何重にも色眼鏡かけた状態で、接しているんです。

この「大変」「難しい」意識が、潜在意識の奥深くに鎮座している状態では。
表面上、そうか、これは確かに刷り込みだ…ということを、知識として知っても、「大変で、難しいから、自分には入ってこない。入ってくるためには、努力や苦労が必要」という前提で、無意識に思考形態が出来上がっているので、それが言葉遣いもそうですが、日々の行動を決めていきます。
そして、現実の実際価値以上に「お金そのものに価値を過大に置いている」ため、それを使ってしまうこと、目減りしていくことへの恐怖感、喪失感、罪悪感があります。

無意識なので。それが本人にとって、あまりに馴染んだ、自然なことなので。
これを変えるのって、頭で理解しただけでは、たしかに「カンタン」には変わらないです。

でも。変えられますよ。
行動、習慣を変えることで、本当に変えられます。

他ならぬ、私自身、昔はほんとうにそうでしたから。
お金を稼ぐのは難しい。仕事は大変。そう思って生きてきた期間のほうが、ずっと長かったのですから。

この仕事を始めてから、年々年々…徐々に徐々に。その意識の割合が少なくなっていき。今現在は「お金のことを考えない」状態でいる時間のほうが、ずっと長いです。
仕事のことは考えますけど(笑)でもそこにも「お金を稼ぐのは大変、難しい」の意識はありません。そことはリンクしなくなりました。

以前は、「仕入れ」の時、やっぱり、常に、石のことを考える、それはイコール、石を仕入れるお金が必要、に直結していますので、ほんっと、たぶん普通の人以上にお金のことを毎日毎日考えてましたよ(笑)。

ただそれは、「なくて困る」から考えていたわけではなく、「いくらあればいいのか」の、まだ見ぬお金についてばかりでした。

私は日記を書く習慣がある人間ですが、昔のこの仕事を始めてから何年間の日記は、凄いです(笑)。
石のこと、アセンションのこと、スピリチュアルなことも^^もちろん書かれてるんだけど、日々、売上のこと、仕入れの資金のこと、その繰り返し。
何の石がいくらした…稼げど稼げど売れても売れても全部石、みたいな^^そんなことばっかり書いてましたよ。
欲しいから必要だから仕入れるんだけど(笑)本当に、絵に書いたように、右から左、入っては出ていく、けれど、入るから買える、入るから買える…の繰り返しのあいだに、その単位、規模がどんどん大きく右肩上がりになっていったのです。

毎月毎月、自転車操業でしたので、「石でいただいたお金は石に使う」ことをひたすら何年も何年も繰り返しました。
そして、毎月毎月、「いくら必要」ばっかり思っていました。

持っている金銭以上のものは買えませんから、そういう部分が「自分のレベル」を決めていきます。
昔の二足わらじだった頃は、「仕入れ予算=売上すべて」でしたから(笑)売上は全部次の石ビーズの仕入れに使っていました。
毎月会社員の仕事でいただく月給よりも、毎月毎月だんだんに石の仕入れに使うお金のほうが多くなっていくのが、ものすごく快感(笑)でした。
(これね、普通の感覚の人でしたら、「稼いだお金を貯めよう」へ走ってしまうと思うんですよね。もしくは、石の価値を知らない家族などがストップをかけるとか(笑)。金でとっておけ、と。私の場合は、そういう点での対策も万全でしたのよ。家計のほうはきっちり家計のための仕事でぎりぎりいける、もちろんそこは抜かない。だから、石のお金は石に使うのだ~♪ 文句あるか~?! 状態を、自己責任で(笑)貫いていました)


もちろんですが、ふだんの石アクセサリ制作タイムや、メディテーションタイムには^^そんなこと思っていないですよ(笑)。
私がお金のことを考えるのは、ほぼ日記で、常にそれは書き出していましたが、そこで自分の「本心」をいつも書いては見つけ、書いては見つけ、しておりました。

それが、私を変えたのです。

私は、お金がなくて困る、という思考をする必要がなくなりました。
その代わりに、「いくら必要」ということだけを、お金に関しては、考えるようになりました。

その「いくらあればいいのか」、この思考になってから、つまりアファメーションですが、これはほとんど狂いなく実現してきています。(前にも記事にしていますよね)

で、今はもう、それすらもしていないです。
たぶんようやく「必要だから用意されるのだ」の宇宙のギフトの意味が「アタマの世界だけではなく身についてきたから」なのだろうと思います。

見ようによっては、ただの「いきあたりばったり」ですが、そうなんです、それなんです。
自分の意識としては、目の前のやるべきことだけをやって、あとはいつも結果を「天に宇宙に丸投げ」しているのです。

やることやって、天に丸投げ。
だから、ちゃんと、やるべきことやると決めたことはやりますよ。ただこれも、直感が優先するところがあるので、「決めたからやる」に固執しているというわけではありません。だから矛盾するようだけど、やる、って言っててやらない、に変更することもあります。いい意味で、臨機応変とも言えますけれど、やるべき(もしくはやらないべき)とわかっていて、それでも「これをしなかったから失敗しちゃった」というのは、なるべく経験したくないですからね。


こういう話を聞くと、
じゃあソレすぐにやります!!…ってなりますよね。
もしくは、「そんなことできない」と反応するか。

なんか、そういう手合いの本とかも多いし。宇宙にリクエスト(笑)的な。アファメーションなんかもそうですよね。
そしてそういう本には必ず、「あなたの思考が、口癖が、そういう現実を引き寄せているだけ」的なことは書かれていますよね。

でもいくらリクエストしてもアファメーションしても。「お金がない」の口癖もやめてみたのに。思考も変えているつもりなのに。
それでも金銭に関しては、アファメーションや口癖を変えただけで現実が変わった、って人はやっぱり少ないのではないかしら。
たしかにそれだけじゃ無理ですよ。行動も変えないと。

アファメーションが叶わないのはよく「本心でそう思っていないから」とも言われますし。
それから、「行動する気がないのに願っている」場合、そこに本人の葛藤が必ずあります。
そういう願いはお金に限らずですが、成就しづらいですが、それでも、実際行動をしているうちに変化はあります。

実際行動、そこに葛藤があっても、それでも、とりあえず行動する、自分から行動を起こす…これを積極性というのだろうか? そんなようなものが必要です。
「自分から動き出す」この動力が、必要…です。経験上。

こういうことを、石が助けてくれる^^わけなのですよ。
自分が何もしなくても、石を持ってみたら、その石が奇想天外な夢を実現する…ということではなく(一見、そのレベルのことが起きなくもない場合もあるのですが、必ずそこに至るための何らかの行動を本人がしていますからね)。

実際に、本当に現実創造したいのか、したくないのか。これが「意図」というものです。
あなたが、現実を創造している、と言われる世界は、これなのです。
リアリティのない妄想、夢想じゃダメなのです。シミュレーションはシミュレーションでしかありませんので。
そして、ここがやっぱりどうにも肝だと思いますよ。


私のこのやりかたは、おそらく、サラリーマンの方のように固定給の方には、金運という点ではそのままでは通用しないと思われます。固定給なんだから、無理ですよね。
でもその場合も、「昇給」というものや、そのチャンスがあったりしますよね? まだ見ぬそれを引き寄せ現実化するには、「自分がなにをしたらそうなるか」「自分には何が必要か」という思考が必須ですから、私の「これを仕入れるからいくら必要、これをやるためには総額でいくら必要」みたいな念仏に(笑。こんなことも”ビジョン”といえるのかしら)通じないこともないかな、とは思います。

それと、このやりかたは、上述の「とりあえず金運というものが固定の要素」に感じられる、金運云々というよりは、「人間関係」「健康」などの要素が人生決めていく感覚の方であっても、基本は同じじゃないかと思います。

ざっくり、とてもシンプルに言うとですが、「不満、不足を言わない思考」になること。「自分にとって満足な状態を、問い続けること、それは何? 思考」であること。このふたつです。これが目の前の現実をつくっていくように思います。

直接的には、自営の方や、自分次第で、いかようにも展開できる仕事をなさっている方向けではありますが。
ご参考に(なるんだろうか^^)していただけましたら、と思います。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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