昨日の「クレアコグニザント(透知能力者)」記事は、反響が多く、「続きのブログを楽しみにしています♪」のようなお声もいただきまして。ありがとうございます!
できればブログ上で「クレアコグニザントどんびらき講座」を(笑)と期待されていらっしゃるのかと思うのですが。
これね、「ちゃっちゃっ」と(笑)カンタンにお伝えできることでもないの。
(…というか。今までも、私にとくにそういう意図はなかったけれど、随所に、そういう「クレアコグニザントどんびらき」となるヒントであるなら、ブログや、石のカップリングそのものに、それらは散りばめられているわけなのです^^)
おそらくブログでそれを日々垂れ流すように(笑)またお伝えしても、だいたいの人は「そんなつもり」になるだけなって、やっぱり流していってしまうと思う。
なので、これはね、もう少し体系立てて、お伝えできるようなカタチにしたいかな~と考えているところです。
書籍とかテキストがおそらくいいんだろうな、と思うのだけど、紙媒体のほうの出版は敷居が高いと思うので、電子書籍とか? なんらかのそういう配信方法使うなどして、時間かけてまとめてみようかと考えています。
(そういうことができるための^^時間をいったいどこから捻出するのだ~というのもあるのですけれどね~今はそこはあんまり考えていない)
うちのガイドにも、そろそろ、そういう「体系立ててまとめていくこと」それを「教える」ことをやってみたら? っていうのは(笑)ここ数ヶ月促されていたんだけど、特にね、そのコンテンツじたいが自分に見当たらないっていうか、毎月毎月、基本自分は、惜しみなく出し切るスタイルで10年以上やってきているので、都度、お伝えできることってお出ししてきているので、言い残し伝え残しみたいなのが、なんか特にないのよね~って思っていたわけなんですよ(笑)。
あと、私の人生の中で、これが唯一(笑)やったことがない仕事でもありまして。
「人にものを教える仕事」これだけは「ないわ~」と思っていたんだけど。
だからぼんやり頭の片隅に、それってなんだろうな、というのはここんとこずっとありました。
で、昨日の、「クレアコグニザントの特徴」っていうのを見つけて、記事書いている時に、「これなのかもしれない…」と、ピピピ、っときていたのです。
でも昨日の記事まとめるだけで半日(笑)費やしてるレベルですから、そんな自分に「クレアコグニザントどんびらき講座」が書けるのかどうかは未知数ですが、がんばります^^。
たとえば、今日の記事なんかも、そんな「クレアコグニザンスの過程」を感じていただけると思います。
「行間を読む」なんて言葉、死語かもしれませんが^^。
言語外のニュアンス、というものを、感じる、そういうことのレッスンとして、うちのガイドメッセージなんかもご参考にしてみてね♪

ということで、いつも私にそんなむちゃぶりを提案する、うちのガイドですが。
今日のガイドメッセージです。
「無料の友人がいない、って悪いことじゃないの。」
だんだん年齢が上がってくるとですね、「金銭を介するやりとり」的なコミュニケーションのほうが中心になってきます(笑)。
金じゃないものは見たことがないな、レベルに^^、人様に何かを提供していただく動いていただく際には、なんでも物入りでございますが、実際それが当たり前でいいのです。
私は、自分が取引している石屋さん、石の卸さん、などなどが大好き(笑)でして。
相手のほうは知りませんが、私は好きなので、「なるべくここんちから石を仕入れたいわ」という気持ちが生まれます。
これは、私がお金を持っていて彼らのところでお金を使わないと、彼らを幸福にすることができない関係性のため、そういう潤沢な資金提供ができる自分でありたいな~、と思っているような自分の変容というか、こういうことを考える人間になったんだなということに、これが商売というものをする人間のメンタルというものなのだろうな~と思っていました。
そうしたら、「無料の友人がいないのは、悪いことじゃない」という(笑)ガイドメッセージが届きまして。
こういうことについて、少し考察してみることになりました。
人は、お金が無関係だった子供時代や学生時代に得た友人がいる人は、それを無二の宝、として感謝することもある。
掛け値なしにアドバイスをくれたり金銭を介さずに接してくれる、自分のことをよく知ってくれている安心感のある人や、無償の愛で損得抜きでコミュニケーションできる人を、「真実のコミュニティ」としたがります。
人のそれっぽいものを目にすると、自分にはそういうのとくにいないな、って寂しく感じたことがありませんか? 私は過去にはありましたよ。今はそれを寂しいとは思わないですけれどね。
きっと多くの人は、そういう友人がいるいないに関わらず、家族や恋人などにはそれを求めようとしますよね。
この傾向って、ないでしょうか?
これはこれで間違っているというわけないので、もちろん大事にしてくださいね。
ただこれも、そのコミュニティの価値、唯一無二感覚のほうへ偏っていくと、時に、依存になったり。独善になったり。奪い合いになったり。
実際には、親は子供を愛して当たり前、子供は親に愛されて当たり前、ではないことのほうが多いのかもしれません。
理解のない親、親の言うことを聞かない子供。理解のないオット、言うことを聞かないツマ。
これらが自分に「ないもの」を求める動機にも繋がっていきますし。
そういった、「愛あるコミュニティ」であって当たり前なのだという幻想(笑)は信じやすいというか、信じたいものですし、自身がその状態でないことへの不満、枯渇感が、人の性格形成へと与える影響の大きさを経験することになり、そこから出られなくなっている人もいますし、出たと思ったら今度は特定コミュニティの盲信や依存になりやすかったり(宗教団体は往々にしてこれになりやすい)。
特定の偏った自身の価値観に相当する人相手にのみ、心を開いたつもりになれることもあり、またそこであらたな執着劇が繰り広げられることもありますよね。
(ちなみに、「家族なんだから無償奉仕で当たり前」という価値観をいったん捨ててみると、けっこう変わりますよ。とくに夫婦はそうかもしれんね。結果的には無償奉仕をしていたりするんだけどね^^それが嫌なことじゃなく「自分がやりたいからやってること」になります。そういう違いを自分で取捨選択している自己責任の意識ができてきます)
今は時代的には、それでも情報として、「個を尊重する」的な部分や、「非暴力であることが当たり前」である、という価値観も表面に出てきているので、人間の野蛮性のようなものと闘わなければならなかった人にも救いのある世界は、土壌としてできてきていると思います。
「人間なんて」と、すべての人間を心のどこかで無意識に同一視していて信用できなくなっていたり。
人と関わることそのものへの恐れを潜在的に抱えたまま生きていくことになっていたり。
金銭がかかわる人との関係性を、純粋ではないものと、見なしてしまう癖ができていたり。
そういった、閉鎖的な価値観の中に閉じこもっていなくても、いつからでも「自分次第で世界を変えやすくなっている」やっぱり、アセンションの時代なのだと感じます。
うちのガイドが言いたかったことは、金銭を介して得られる関係性には、高次元的な価値がないというわけじゃないのよ、ということのようです。
むしろ、そのほうがずっと素晴らしい友人関係となれる場合があると。
「どうもあなたがた人間はそういうの、嫌うけどね。本当の友人へは無償提供してこそ、本当の友人ならお金は請求されないはず、お金が入ると純粋じゃなくなる、みたいな考え方なんて、ただの自分都合の金銭ブロックだし、それこそがあなたたちの嫌う不平等や差別みたいなものを生み出すことにもなるし、互いの価値を下げたままでいることになるのに気がついていない」と^^言います。
「有償で価値のあるものを提供してくれる相手への「ビミョウなワンクッション」の感情を持っていたりする。「無償の愛」を少しはきちがえた考え方をしてしまっているから、「有償だとホンモノの愛じゃない」ことにしたくなるのよ」と。
(だから高次ガイドは、そういう存在に出会わせようと導く、そのひとつに「石」も(笑)あります。「それって人間じゃないじゃん。」と思われるかもしれませんが(笑)へたな人間に関わるよりも^^ずっとアセンションを加速する手助けをしてくれる場合もある大事な友人たちでもあるのですよ、彼らは。あ、もちろんですが、高次ガイドは「人間」にもちゃんと出会わせてくれますので(笑)ご安心を)
金銭があることで、互いにエネルギー提供しあいながら、お互いの価値を高めていける現実構築をしていける、そういう経験ができるのは、むしろ「無料の友人」「愛し愛されて当たり前の存在と思われている家族」との関係性よりも、ずっとスムーズでやりやすい面があります。
ここに、他者との比較や、自分のまだ持っていない価値観への抵抗、こだわり(純粋性という定義の囚われや、金銭がそうでないと感じることへの囚われ)があると、それはわかりづらいかもしれませんけれど。
それがわかりづらいというのは、自分のつきあいやすい人(自分の作ってきた価値観)とだけつきあっていると、世界が広がらないでしょ(笑)。そういうことです。
私にも過去にはそれらブロックはあったな~、と感じました。今はないです。
お金がエネルギーの代用として、しばらくまだ存在価値を持つ世の中が続いていきそうですが。
(アセンションでは(笑)これらがなくなる~♪ ってことで^^、「愛と調和の世界」にひとっとび、という凄いエサが用意されているかのような触れ込みもあるアセンション像もありましたし。できればそうなると良かったんだけど(笑)。まだそこまで人類は洗練されてはいませんよね。学びのツールとしてまだそこはクリアしているようには思えません。半霊半物質の世界への移行には、まだもう少し時間を要するような気がしますね。ただ、これは、いずれやってきますけれどね。その時には、肉体を持った物質人類はもういなくなりますし、こういう世界ではなくなりますけれどね)
お金を介する、人間関係。有償の友人たち。
私はこっちがますます好きになれそうです(笑)。
できればブログ上で「クレアコグニザントどんびらき講座」を(笑)と期待されていらっしゃるのかと思うのですが。
これね、「ちゃっちゃっ」と(笑)カンタンにお伝えできることでもないの。
(…というか。今までも、私にとくにそういう意図はなかったけれど、随所に、そういう「クレアコグニザントどんびらき」となるヒントであるなら、ブログや、石のカップリングそのものに、それらは散りばめられているわけなのです^^)
おそらくブログでそれを日々垂れ流すように(笑)またお伝えしても、だいたいの人は「そんなつもり」になるだけなって、やっぱり流していってしまうと思う。
なので、これはね、もう少し体系立てて、お伝えできるようなカタチにしたいかな~と考えているところです。
書籍とかテキストがおそらくいいんだろうな、と思うのだけど、紙媒体のほうの出版は敷居が高いと思うので、電子書籍とか? なんらかのそういう配信方法使うなどして、時間かけてまとめてみようかと考えています。
(そういうことができるための^^時間をいったいどこから捻出するのだ~というのもあるのですけれどね~今はそこはあんまり考えていない)
うちのガイドにも、そろそろ、そういう「体系立ててまとめていくこと」それを「教える」ことをやってみたら? っていうのは(笑)ここ数ヶ月促されていたんだけど、特にね、そのコンテンツじたいが自分に見当たらないっていうか、毎月毎月、基本自分は、惜しみなく出し切るスタイルで10年以上やってきているので、都度、お伝えできることってお出ししてきているので、言い残し伝え残しみたいなのが、なんか特にないのよね~って思っていたわけなんですよ(笑)。
あと、私の人生の中で、これが唯一(笑)やったことがない仕事でもありまして。
「人にものを教える仕事」これだけは「ないわ~」と思っていたんだけど。
だからぼんやり頭の片隅に、それってなんだろうな、というのはここんとこずっとありました。
で、昨日の、「クレアコグニザントの特徴」っていうのを見つけて、記事書いている時に、「これなのかもしれない…」と、ピピピ、っときていたのです。
でも昨日の記事まとめるだけで半日(笑)費やしてるレベルですから、そんな自分に「クレアコグニザントどんびらき講座」が書けるのかどうかは未知数ですが、がんばります^^。
たとえば、今日の記事なんかも、そんな「クレアコグニザンスの過程」を感じていただけると思います。
「行間を読む」なんて言葉、死語かもしれませんが^^。
言語外のニュアンス、というものを、感じる、そういうことのレッスンとして、うちのガイドメッセージなんかもご参考にしてみてね♪

ということで、いつも私にそんなむちゃぶりを提案する、うちのガイドですが。
今日のガイドメッセージです。
「無料の友人がいない、って悪いことじゃないの。」
だんだん年齢が上がってくるとですね、「金銭を介するやりとり」的なコミュニケーションのほうが中心になってきます(笑)。
金じゃないものは見たことがないな、レベルに^^、人様に何かを提供していただく動いていただく際には、なんでも物入りでございますが、実際それが当たり前でいいのです。
私は、自分が取引している石屋さん、石の卸さん、などなどが大好き(笑)でして。
相手のほうは知りませんが、私は好きなので、「なるべくここんちから石を仕入れたいわ」という気持ちが生まれます。
これは、私がお金を持っていて彼らのところでお金を使わないと、彼らを幸福にすることができない関係性のため、そういう潤沢な資金提供ができる自分でありたいな~、と思っているような自分の変容というか、こういうことを考える人間になったんだなということに、これが商売というものをする人間のメンタルというものなのだろうな~と思っていました。
そうしたら、「無料の友人がいないのは、悪いことじゃない」という(笑)ガイドメッセージが届きまして。
こういうことについて、少し考察してみることになりました。
人は、お金が無関係だった子供時代や学生時代に得た友人がいる人は、それを無二の宝、として感謝することもある。
掛け値なしにアドバイスをくれたり金銭を介さずに接してくれる、自分のことをよく知ってくれている安心感のある人や、無償の愛で損得抜きでコミュニケーションできる人を、「真実のコミュニティ」としたがります。
人のそれっぽいものを目にすると、自分にはそういうのとくにいないな、って寂しく感じたことがありませんか? 私は過去にはありましたよ。今はそれを寂しいとは思わないですけれどね。
きっと多くの人は、そういう友人がいるいないに関わらず、家族や恋人などにはそれを求めようとしますよね。
この傾向って、ないでしょうか?
これはこれで間違っているというわけないので、もちろん大事にしてくださいね。
ただこれも、そのコミュニティの価値、唯一無二感覚のほうへ偏っていくと、時に、依存になったり。独善になったり。奪い合いになったり。
実際には、親は子供を愛して当たり前、子供は親に愛されて当たり前、ではないことのほうが多いのかもしれません。
理解のない親、親の言うことを聞かない子供。理解のないオット、言うことを聞かないツマ。
これらが自分に「ないもの」を求める動機にも繋がっていきますし。
そういった、「愛あるコミュニティ」であって当たり前なのだという幻想(笑)は信じやすいというか、信じたいものですし、自身がその状態でないことへの不満、枯渇感が、人の性格形成へと与える影響の大きさを経験することになり、そこから出られなくなっている人もいますし、出たと思ったら今度は特定コミュニティの盲信や依存になりやすかったり(宗教団体は往々にしてこれになりやすい)。
特定の偏った自身の価値観に相当する人相手にのみ、心を開いたつもりになれることもあり、またそこであらたな執着劇が繰り広げられることもありますよね。
(ちなみに、「家族なんだから無償奉仕で当たり前」という価値観をいったん捨ててみると、けっこう変わりますよ。とくに夫婦はそうかもしれんね。結果的には無償奉仕をしていたりするんだけどね^^それが嫌なことじゃなく「自分がやりたいからやってること」になります。そういう違いを自分で取捨選択している自己責任の意識ができてきます)
今は時代的には、それでも情報として、「個を尊重する」的な部分や、「非暴力であることが当たり前」である、という価値観も表面に出てきているので、人間の野蛮性のようなものと闘わなければならなかった人にも救いのある世界は、土壌としてできてきていると思います。
「人間なんて」と、すべての人間を心のどこかで無意識に同一視していて信用できなくなっていたり。
人と関わることそのものへの恐れを潜在的に抱えたまま生きていくことになっていたり。
金銭がかかわる人との関係性を、純粋ではないものと、見なしてしまう癖ができていたり。
そういった、閉鎖的な価値観の中に閉じこもっていなくても、いつからでも「自分次第で世界を変えやすくなっている」やっぱり、アセンションの時代なのだと感じます。
うちのガイドが言いたかったことは、金銭を介して得られる関係性には、高次元的な価値がないというわけじゃないのよ、ということのようです。
むしろ、そのほうがずっと素晴らしい友人関係となれる場合があると。
「どうもあなたがた人間はそういうの、嫌うけどね。本当の友人へは無償提供してこそ、本当の友人ならお金は請求されないはず、お金が入ると純粋じゃなくなる、みたいな考え方なんて、ただの自分都合の金銭ブロックだし、それこそがあなたたちの嫌う不平等や差別みたいなものを生み出すことにもなるし、互いの価値を下げたままでいることになるのに気がついていない」と^^言います。
「有償で価値のあるものを提供してくれる相手への「ビミョウなワンクッション」の感情を持っていたりする。「無償の愛」を少しはきちがえた考え方をしてしまっているから、「有償だとホンモノの愛じゃない」ことにしたくなるのよ」と。
(だから高次ガイドは、そういう存在に出会わせようと導く、そのひとつに「石」も(笑)あります。「それって人間じゃないじゃん。」と思われるかもしれませんが(笑)へたな人間に関わるよりも^^ずっとアセンションを加速する手助けをしてくれる場合もある大事な友人たちでもあるのですよ、彼らは。あ、もちろんですが、高次ガイドは「人間」にもちゃんと出会わせてくれますので(笑)ご安心を)
金銭があることで、互いにエネルギー提供しあいながら、お互いの価値を高めていける現実構築をしていける、そういう経験ができるのは、むしろ「無料の友人」「愛し愛されて当たり前の存在と思われている家族」との関係性よりも、ずっとスムーズでやりやすい面があります。
ここに、他者との比較や、自分のまだ持っていない価値観への抵抗、こだわり(純粋性という定義の囚われや、金銭がそうでないと感じることへの囚われ)があると、それはわかりづらいかもしれませんけれど。
それがわかりづらいというのは、自分のつきあいやすい人(自分の作ってきた価値観)とだけつきあっていると、世界が広がらないでしょ(笑)。そういうことです。
私にも過去にはそれらブロックはあったな~、と感じました。今はないです。
お金がエネルギーの代用として、しばらくまだ存在価値を持つ世の中が続いていきそうですが。
(アセンションでは(笑)これらがなくなる~♪ ってことで^^、「愛と調和の世界」にひとっとび、という凄いエサが用意されているかのような触れ込みもあるアセンション像もありましたし。できればそうなると良かったんだけど(笑)。まだそこまで人類は洗練されてはいませんよね。学びのツールとしてまだそこはクリアしているようには思えません。半霊半物質の世界への移行には、まだもう少し時間を要するような気がしますね。ただ、これは、いずれやってきますけれどね。その時には、肉体を持った物質人類はもういなくなりますし、こういう世界ではなくなりますけれどね)
お金を介する、人間関係。有償の友人たち。
私はこっちがますます好きになれそうです(笑)。

この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする
カテゴリ : ちょっとスピリチュアルな話
follow links
FB page
Google+Go to top of page