要求の高さと現実の比例度合い

2017年08月18日 (金) 00 : 17
今までの連日のお話にもちょっと通じるところもあるのかないのかですが。
(わりとうちのブログは、石の説明文なんかもそうで、随所に繋がりがあったりします。そこらへんは「行間を読み取る」ということを屈指していただけましたら)

要求が高い人、要求が低い人、要求がソコソコの人、またこれら、「この部分にはそうなるけど、この部分に対してはそうじゃない」の人。
色々いらっしゃると思いますが。

石選びもそうですし、家選び、職業選び、恋人選び、配偶者選び、家の中の家具選び、洋服選び、旅行先選び、今日食べるものの食材選び、わりとなんにでもありますよね。
このあたり、実際には全部繋がっているところもありますし、リンクしていないところもありますし。

近年は、「情報」として、「何を選ぶか」の、選択が大事、という「情報」までもが山盛り提供されているため、もういったい何を選べば自分はそれでいいのか、の、選択の段階において、立ち往生してしまう方もいらっしゃるかもしれませんし。

その選択じたいがけっこうな労力と言えるところもあるので、選ぶだけで精一杯でエネルギー使い果たしてしまうようなこともありますよね。

私も^^新居のエアコン選びの時は^^もう、ほんとソレでしたから。
「なんかもう、どれでもいいじゃん…」とウンザリしそうだったのですが、うちの片割れが(笑)なんていうか、こういうことに関しては妥協がなく「調べ倒す」タイプの^^人なので。まぁ実際に電化製品、とくにエアコンは「当たりハズレ」が値段の高低に関係なくほんとに多いそうなのですが。

これもほんとか? と思うんですよね。
なぜなら、これは個人的にですが、私においては電化製品のハズレを引いたことがないのです。
片割れのほうは、そういう情報仕入れが大好きで疑い深いところがあるので^^以前、パソコンのハズレはよく引いてて、何度も何度も短期間に買い直しをさせられることが過去にあって、「そうやって情報ばっかりに目がいって、自分の選ぶものを信用していないからだよ」と言うと、「予算がここまで、って決められてるから、その範囲で選ぶとこうなる」と予算という限界を理由に屁理屈を言われることが多かったので、今は、パソコン関連もそうですし、何か大きな単位の必要なものがある時には、こちらがいくらまで、と先に予算を提示せずに、「上限はいくらでもいいから、自分がこれがいいな、というものにしてくれ」、という言い方をしています。

そういえば、あれなんですよね、こういうことに関しても、以前は本当に、「また買うの…? ほんとに必要なの?」って^^、何台も何台も、パソコン買わされている…っていう「被害者意識」というか(笑)その予算はどっから出てると思ってるんだよ…全部、こっちの売上からなのに、みたいにね、稼いでも稼いでもあんたが使う、のような考え方していた頃は、ほんとうに^^よくパソコンやら色々、買わされている感覚がありましたが。

今、それがなくなりましたね。
今月は久々にそれでもモニターがダメになったらしく、なんか遠慮がちに(笑)それを伝えられて、買ってもいい? じゃないけれど、なんだか自分がいくら出すからこれだけ出して、みたいなことを言ってるので、え? 別にいいよ、全額こっちから経費で。みたいな話をしたのですが。
一応、パワーストーンワークスの仕事を手伝ってもらっていますので、微々たるお小遣いや売上からのマージンの報酬もあるから、ちゃんと計画的にそういう関連の予算も自分でせっせと貯めたりもしているみたいですね。偉いですね。いい子になりました。一歩前進しています(笑)。



(コロンビアレムリアンクォーツ。レムリアンライトというお名前(H&E社命名)もあります)


そして、今は、私自身の、稼いでも稼いでもあんたが使う、の、被害者意識がほんとうになくなりました(笑)。

私としては、そういう、やりとりそのものの労力じたいが非常に苦手なところがある人間なので、なんていうのかしら、本当はね、私がもっとお金持ちになりたいんだとしたら、ぶっとい札束を渡して、「ほれ、これでもうアンタの好きな満足のいくものなんでも買ってこい」と(笑)お金なら好きなだけいくらでもあげるよ、と言いたいから^^、そのために金持ちになりたい…と思うことは、昔はよくありましたけど、考えてみると、それ以外の理由では、みずから、金銭欲求的なものじたいというか、たとえば、生活クォリティという点でも、そんなに自分自身は要求レベルは高くないところあるんですよね。

だから、「家族の団欒~♪ 素敵なオット~♪ 妻の美味しい手料理~♪ 笑顔の絶えない素敵なおうち~オシャレなリビング~♪」のような(笑)イマドキでしたらインスタウケ^^的に、外に見せる幸福家族モデルケースでなくても(笑)じゅうぶん、自家発電的に^^幸福感を得られるのです。
むしろそんな^^モデルを仮に求められたりしたら、あのかたがそんな、イマドキ風オトコ化したら、なんだか気味悪くて。居心地悪くなるかもしれません。(それはやってみないとわかりませんが^^)

断捨離、って言葉を数日使っていましたが、きっとこの断捨離の世界の「自分の本当にお気に入りのものを残して他は捨てる」ことによって、自分の世界そのものがブラッシュアップされていくという世界も、一理ある話ですが、それでも^^完璧な理想を手に入れる方法ではなく、「前より一歩段階あがった」ことが実感できる手法としてありなのかなぁ、と感じられるところであります。
あんまり期待しちゃうと、その「要求レベル」によっては期待したほどの変化などはないかもしれません。

ただ、その「前より一歩段階あがる」ことじたいが、実際には、人によっては、本当に大変な思いをして紆余曲折の末にそうなる、紆余曲折しているのになかなか進まない期間が長すぎると、もうそれは不可能なのではないだろうかレベルにだんだん困難を極めるスパイラルのほうに入っていくこともありますので、「一歩段階あがる」って、感覚的には、もう、一歩どころではなく^^天と地ほどの差の一歩になることだって、あります。
それだけのことに一生費やしても、スパイラルしているようなことだって、あるんじゃないかと思いますし。

基本、完璧を求めだすと、永遠にこの地上ではその完璧は満たされることは、ないんじゃないかな、という気がします。



(コロンビアレムリアンらしい、美しいフォルム。センティエントにも似ているんですが、ちょっと違いまして。)


要求レベルを上げることが必要な時と、そうでない時があるのだろうな、ということなのです。

要求レベルを上げることで、その人にとってのふさわしい現実が形成されることもありますし。
ただしこの要求レベルというのは、自分自身が行動しての、エネルギー提供しての、要求レベルだと思います。
そしてその実際行動も、「こうすれば、ああなる、はず」の自分の価値観で決めつけている常識外^^のところへの目線の振り向けも必要です。

これは「具体的数字を決める」の記事でお伝えしていたことに関連しますが。ただしこのニュアンスは、「上げる」というよりは、「自分にとってそれが妥当かどうかを知る」手法と言えるところもあります。そのあたりが曖昧だと、もたらされるものも曖昧、というのは実際そうなので。

で、これを、そのまま、得るものへの要求の対価として、「それが当然」と思っていても、そうではない結果がもたらされる時は、「過剰要求をしている」「要求の矛先を間違えている」などなど、ということになります。

どの部分が、過剰要求なのか? 矛先が違うのか? への、気づきを得るためのステージ上にいる^^という、もう、大変ありがたくない(笑)本当につまらない、ジレンマの経験ですね。

自分を例に言うとですが、上記にあるように、私自身心のどこかに常にあったような「被害者意識」的なものをですね^^(「稼いでも稼いでもあんたが使う」のような)持たなくなったこと、ここから、人生が加速しているというのも感じます。

いつからだろう…って、やっぱり、「フェナカイト以降」なんですよね(笑)、本当の意味で、ほぼ100%ちかくまで、そのふっきれができたのは。
最近じゃん^^て感じなんだけど。
人生って、そのくらい時間かけちゃうこともあるのよ。一足飛にすべてが解決♪ ハッピー♪ 完璧♪ パーフェクト!! アセンション!! に(笑)なる方はなるのかもしれないですけれど。
通常はやっぱりね、「時間」「段階」あって当然なんだと思いますよ。

「要求の矛先」をほんとうに、変えましたから(笑)。
そのひとに今ないものを求めちゃダメだ…と^^いうか、そうじゃない人に違う理想を求める自分、まずこれをやめました。
今までも、やめてたつもり、観方を変えた、気づいたつもり、という部分を積み重ねてきたわけですが、フェナカイト以降は、ほんとうに要求の矛先が変わったのです。

そうなってみると、実力的に実際的に、相手の私にとってのベストパートナーな部分が、やっぱりたくさん観えてきます。
自分に都合のいいとこだけ常識的な^^素敵なパートナーっぽい面を求めない自分となることが、ほんとうにできてきたと思います。

よくある、ふたりでがんばろう、って部分には「エネルギー負担もはんぶんこ」っぽい発想しますでしょ? 
ふたりとも働いてるんだから家事分担も順番こでまっぷたつ、とか、なんでも今度は「労力平等」にこだわりだしたりしますよね? 「協力」と言いつつ^^、負担半分こじゃないと、それは協力にはなっていない、と、エネルギー負担感の強いほうが言い出したり。
稼ぎも平等、支払いも平等、平等、平等。きっかり、頭数でそのわり算で。
だけど、これって、ほんと、イーブンの割合になんかできないものなのよ。

その「負担平等、稼ぎ平等」論を強固に持ち出すと、家族というのはバランスが崩れます。
これは家族などの相手だけではなくて、この三次元での立ち位置、まぁ、すべてに通じるものがあるのです。
会社なんかでもそうですよね。
あの人と同じ給料なのに、仕事量、仕事の質、ぜんぜん違う…自分はすごく大変、貧乏くじ、みたいなこともありますでしょ。
事務方にはこういうのありがちでしょうけど、営業職なんて^^ヒドイもんよ~(笑)。「運の差」みたいな^^労働力の差ですとか、ひどい時には明らかな「能力差」でさえ、味方にならない時もあるんですよ。



(こちらは、ライトニングレムリアンシードクリスタル。ライトニング水晶じたい希少水晶ですが、そのレムリアンシード版)


うちの引越しがね、私が言い出してから、なかなか実現しなかったのも、私の「求める矛先」がどっかでね、「自分が払うのよね、家賃を」っていうようなお金を稼ぐことへの過剰な負担感ですとか、それを払うために稼がなきゃいけないのが自分、っていうところへの納得のいかなさですとか(ようは被害者意識的な)、平等じゃないよね、っていう部分への不満感をどうしても拭えなかったからなの。

ほんのりと、引越ししたいな~そろそろそうできるんじゃないかな~と思い始めていたような頃に、ひゃくまん単位の高級腕時計が欲しいと^^言い出されたり。
そういうの買う時に、これが払えるんだったら、うちって引越ができたかもしれないのにな~とか思いながら、せっかく貯まったお金を結局は使うことになったり。
どうしてこんなことになるんだ? うちは? なんでなんだと(笑)当時は悲しく思っていましたけれど。
ここでも^^私がちまちまちまちま稼げど稼げどあんたがひといきに使う…わが暮らし楽にならざり…と、なんていうかですね、正直、自分に色々言い聞かせて違う観方もしてましたけれど(笑)それでも本音では、やっぱり、ほんと勘弁してくれないかなぁ…ぽいことも思ってましたよ。にんげんだもの(笑)。

そして、石の仕事でいただいた金銭を、自分のところの生活のために使う、ということへの抵抗感がものすごくあった(今はないです)初期の時代を経て、これ一本で生活をさせていただけるようになって。
年々、うちは、なだらかな成長線を描くようになっていきました。
そのぶん、石の仕入額も^^どんどんうなぎのぼりになっていて、今や年間うん百万円の世界です。
私のところの年間の石の仕入額は、ちょっと個人としてはドン引きするくらいの(笑)総額で、そういうことにならいくらでもお金をつぎこめる^^偏った金銭感覚なのに(笑)ソレ以外の金銭エネルギーに関しては、「囚われないでいられる」私ではありませんでした。
そこへの時間は、かかりましたよね。

そういう中において、ようやくお金ができた~と思っていると、折々にそうやってごそっと^^何十万単位で使われちゃう^^というケースも、どんどんどんどん、増えていくことになり。

なんでだろう、と思っていたのですが、実はこれこそが(笑)うちの成長線を支えている、まるの日さんのお金ご本も今回読みましたが、そこにも似たようなことが書かれていますが、「パイプを太くする」ための^^循環を、やつが担っていた…わけでして。
(まぁ、一般的にはこれ男女逆であることが常識的なのでしょうけれどね(笑))

今振り返って思うと、そういう単位のお金を使うのに、いちいちドキドキして、お金を奪われる感覚を持ってたら、グレードアップしたところへの引越なんかできないよ、という「高次レッスン」を、ひたすら^^ビシバシと受けさせられていた、ということなのです。

私は金銭というのは「必要アレば用意してもらえる(高次に)」という(笑)感覚の年月がちょっと長くなってきておりまして^^、それでも、石の仕入れなどにかかわる金銭感覚は膨大に膨らむものの、生活にかかる類の金銭、固定費などについては、ぜんぜん贅沢ではないし、ケチりはしませんけれど、そんなに要求高くないんです(笑)。
(おそらく、ここ読んでおられるみなさんのほうが、もしかするとずっと豊かな生活なのではないでしょうか(笑)。素敵なマイホームとか^^お持ちだったり、明るい家族計画中だったり、年収もお高かったり、ずっとまっとうでいらっしゃるのではないだろうかという気もします)
それでも、やはり、もう少し人間らしい暮らしは必要だな、くらいには思っていました。
清貧と言うには(笑)ちょっとね~、もしやこれ底辺? ではないかと^^。
自分がそんなでは、むしろ、買っていただいてるみなさんに、申し訳ないですよね。私がちゃんと人並みにならないと。
ですが、そうすると家賃が倍。
家賃が倍くらいになる場合には、何かあったときのためにも、まず大丈夫でいられるように先にお金を少し余裕で用意していないと無理だよな…というそこだけ(笑)「三次元常識的感覚」の断片が頭を浮遊するわけです(石の仕入れ以外には^^小心者のまま)。
これって毎月毎月の話ですから。
そんな感覚では、出て行く家賃を見送るたびに、おそらく、毎月毎月「こんなに払うのか…」という、家賃へのもったいない感覚を持ち続けてしまうことになってしまい、いつまでたっても、お金を稼ぐのって大変、生きてるだけで大変…って心のどこかで思いながら生きることになってしまいます。
そんな苦行みたいな人生、楽しくないですよね。
でも、そんな楽しくない人生にしてしまわないためには、それが「通常感覚」と思えるレベルのお金の使い方を自分ができるようになっていないと、楽しくないのです。



(…っていったいどこがライトニングなのよ~なんですが、ああ、ありますねぇ、側面にちょいとえぐれのようにも見えますが、それらしきが。これらワイヤーラップにしますね~。たぶんですが。)


だって、みなさん、思いませんか? 「今払ってる家賃さえなければ、PSWの10万ブレスくらい毎月買えるのになぁ、でもそうじゃないからたまにしか買えない」だとか(笑)思う方がどれだけいらっしゃるかわかりませんが、われわれ、自分の好きなことばかりにお金が出ていくわけじゃなく、意外と、ほんと、生きているだけで固定費すごいじゃないですか(笑)。
なんでも、埼玉県などで一家4人などのご家族が人間らしい生活ができる年収と言われるのが、800万年収、だそうですが、実際そうだと思うよ。それもものすごい贅沢、っていうわけじゃないレベルで。
だけど、こういうのにギモンを呈してしまう、というのもそりゃあるわけなんですけれど(スピ系の陰謀論などは、そういうことへの嫌悪感を生み出しますし^^知るのは無駄ではないのだけど、知って即座にこの世界の有り様を自分好みに自分が変えられるわけではないのだし)。

そんな中で、自分はどのくらい、いったい何を要求しているのか? という、やっぱり、ハートの声なんですよね。
「これがあればな~」っていう金銭の使い方しながらだと、いつまでたっても、溜まったら出ていく、その繰り返しになります。

なので、「要求の高さ」レベルの、エネルギーの循環ができる人間、その感覚が必要なのです。

それがようやくそうなったかな、と言えるようになったので。
あっというまに(笑)実現したのだと思います。
(しかも、私自身は「べつにもうどっちでもいいや」とその望みを手放していたのに、これも^^なんと引越そのものを拒み続けてきたヤツのほうが「物件情報」を仕入れてきて、なんとなく促され、で、はいはいわかりましたよ…と、私は言われるままに契約のために不動産屋さんにハンコ持って出かけた…みたいなね。自分自身はたいして積極的じゃないのよ、いつも、望みが叶うっていうか、そういう時って。私においては、なのかもしれませんが、それでもわりとこれ「宇宙ルール」だと思うんですが、「叶えたい叶えたい」って、自分が手にしていない状態の時は叶わないです。要求と現実化がバランシングされる受け取れる用意ができた時、ぽこっともたらされる。その時にはそれが夢とか希望じゃなくて「通常感覚」となって、自分自身がそれを受け入れることができる実現できるレベルになっている時なんですよね)

ちなみに、私が経験してきたようなことが、前に宣伝していましたが、まるの日さんのお金の新刊本にも、似たような感じのご本人の体験事例として、「これが実はパイプを太くしている方法だった」と書かれています。

私はもう自分が実体験としてわかっていたことでしたから、「私にはもうお金のブロックはないや」と、参加しなかったお金の囚われを外す方法というその本の元となった夜会というのには、行かなかったのですが。

旦那が昼飯200円で我慢している時に、6万円の^^ゲートウェイCDセットを買う、家を買ってさぁこれからローンだぞとなった時にヒーリングライアーのセット50万を買う(笑)暴走をする奥さん。
なんとなく、パートナーの質まで^^ちょっと似ている…と、笑ってしまいました。
(これ本で読んだ時、ちょっと桁がちっこいといえばちっこくて、その程度ならいいじゃん、と私にはむしろ羨ましかったでしたが^^。本質的には同じことなのです。だから、私の言ってる話なんかも、もっと金銭感覚のレンジの広がった方であるなら、「なんじゅう万だのひゃく万だの肝っ玉のちいせえ人間だな」と、お感じになられる方もいらっしゃると思うのですが(笑)、そこをご覧にならずに、これは、一千万単位、億単位レベルでも、本質的には同じものがありますので、是非そこをご参考になる方には、していただけましたら。)

スピリチュアルっぽい^^ツインソウルだのラブラブ魂のかたわれとの縁だとか(笑)そういうのを期待している方には^^がっかりされちゃうかもしれませんね~。
でもこういうのも、そういう「お互いを高めるための存在」といえるひとつなんですよ。
私たちは、近目でモノを見てしまうからね。
どうしてもそれがわからないんですよ。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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