
(こちら昨日おつくりした、新作でごわす)
昨日の記事の、「他の人に届けられたものに目移りする」に関連しまして。
まるの日さんの「人・物・お金の流れは太くなる」のご本の中にも、これに類するような感じの内容が書かれていましたけれど。
私たちはとかく、こういったものに、目を奪われ、心を奪われ、自分のエネルギーを提供している、ということがございまして。
「他の人に届けられているもの」は、他の人のものです。
なので、「あっちが良かったな~」という(笑)「羨ましい」の感情を誘発される材料に他ならないのですが、人に関心を向けることがいけないことではないのですけれど、この「自分以外の何かが羨ましい」系の感情というのは、自分にとって、一理の価値もないタイプの感情でもありまして。
「自分の手に入らないものに焦がれる」
これが、「自分の本質」から、みずから自分を遠ざける、ぶあついバリアになります。
なので、自分本来と繋がるために、あえて、「情報を遮断する」という策を講じるのは得策なんですよ。

(ブログ文中とはあんまり関係ないようで関係あるかな、このブレス)
これ、私にとってはスタンダードな話なので、近年はあんまりブログに書いてませんでしたけれど、私は「テレビは観ない」人です。(テレビはあって、NHKに受信料も払ってるから(笑)ちょい悔しいんだけど。でももう、習慣として観ない人になってしまっています。映画は、時々観ますよ。映画はテレビとはベツモノです)
昔はこういう話はわりと書いていましたね。
テレビから流れる情報が、いかに有害なものか、みたいなスピリチュアルもありましたしね。
私の場合は、そっちきっかけで、観ない習慣を作り上げていって、今に至りますが。
テレビ観なくなって困ったことは、ひとつもないです(笑)。
ほんと、観ないことをお薦めしますよ。
どうしても世の中事情(らしきもの。ということです。これが万人共通スタンダード、絶対に知っておかなければならない、なんて言える世の中事情なんてほんの一握り)が知りたいのなら、ネットのニュースの見出しでじゅうぶんと言えますし。
でもね、私がそういうことをブログにわりと熱心に書いていたような、そんな頃でさえ、お客様にとっては「テレビ観るほうがスタンダードで当たり前」^^ぽい方なんかも、いらっしゃったことはいらっしゃいましたし。
たぶん、本当にうちのブログを読んでいたら、「マツコデラックス」とか^^そういう名前は出てこないんじゃないかと(笑)会話の中で思ったりしたこともありましたっけね~。
「マツコがどうこう」ってお話をなさるから、「なんですの? マツコって」って(笑)お伺いしてしまうくらいに、ほんとにテレビの中の人々を、私は知らなかったのです^^。
でもだからって、焦ってその後速攻ネットなどでマツコとはなんぞや? と調べたわけでもなく。
その時は、この時代において、テレビ情報が与える、多くの人への影響力の凄さ、というものが、まだまだあるんだな~、という感じを受けただけだったんですけれど。
本当に知る必要があることであれば、その情報というのは、必ず目に触れるように提供されますので。
ずいぶんその後何年も時を経てから、マツコさんについては^^ようやく知ることになりました(その時は、自分が能動的に興味が湧いた時でした。ほうほう、元薔薇族の編集者で、千葉出身、キムタクとは同級生、などなど^^)。
なかなか、それでもテレビから情報を得ることがスタンダードな世界だと思っている人に、「テレビは観なくても生きられるよ。むしろそのほうが楽しいよ」とお伝えなんかしてもね(笑)。
そっちのほうが、かなりな「変わり者」で終了しそうな話ですからね。

(ブレスのテーマはグラウンディング。一にも二にもやはりこれ。)
「テレビを観ないなんて話題が合わなくてつまらない人」っていう、それこそが仕掛けられたスタンダード感覚が、もうそこにあるわけなんですよ。そこに気付いてないの、たぶん。
これは大昔のオーエル時代に、前日のテレビドラマの話で(笑)昼休み時間を費やすという…あのなんだか不毛感ただよう世界を^^当時からなんか変ね~…と思ってもいた私ではありますから、むしろまぁ、テレビ観ないほうがいいよ系スピリチュアルとの出会いは^^、自分に「そうか、テレビって観なくていいんだ! やっぱり!」の理由を与えた、とも言えるのですが。
私の場合は、なので、どちらかというと過去には、否定の感覚のほうからテレビを観るのをやめたクチだったんですが、今は、それを「悪」呼ばわりの否定というよりも、実際に、物理的に自分の時間とか、そこに費やすわけですし、エネルギーを奪われるというか、もっとも自分がエネルギーを使いたいことに使う時間も、それだけなくなりますよね。
そんなの嫌ですから(笑)。
今はテレビ観ない理由は、それですね。
(たぶんオーエル時代に感じていたあの昼休みに昨日のテレビドラマのことをああだこうだ話している世界観についていけなかったのも、きっとそこに私にとって「消耗感覚」があったからなんですよ。ああいう当時はそういうことに気がついてなかったけど。私が、オーエル卒業後に「ひとりでできる仕事」が好きになっていったのも、たぶんですが、その手合いの消耗感を、ひとりだと起こしようがないから(笑)なんだろうと思いますね)
それがシュミで自分の生きがいだ、テレビ観ないと禁断症状が…というんでもない限りは^^、もし、なんとなく習慣的に、観ることが当然になっているだけ、で観てるのであれば、テレビのスイッチを入れない生活、というのに、ほんの少しだけトライしてみると、きっとわかります。
どれだけご自身がご自身の世界のクリエイターであったかに、きっと気付けると思います(笑)。
それとたぶんですが、誰にも迷惑をかけずに、自分の決意と一存でカンタンにできる「高次つながり法」でもあると思います。
(ご家族にテレビ中毒患者がいたりすると(笑)まぁちょっと大変かもしれませんが。でもおつきあいで観てないで、自分がそっとそこを離れる…というだけでも、のちのち、そういったご家族じたいにも変化があるかもしれないですよ)
北朝鮮情報とか(笑)お天気情報とか、まぁ、色々、どれだけさまざまな外部情報に浸って、みずからの思考形態に影響を受けて生きてきたのか、ということが、実感できてくると思いますよ。

(地に足つけることで、実はそのルートから、高次領域と繋がるんだよ。そういうことをグラウンディング石は手伝ってくれます)
高次ガイドの声というのは、もちろん、そういった外部情報に触れさせる、というかたちで顕れることもあるのですが、それはご本人が、その外部情報にどっぷり依存していない心を奪われていない状態の時です。
(「偶然目にする」「これか、とわかる」など、そういうこと。主体が情報の方ではなく、こちらがわの自分にある状態)
テレビだけではなく今はネットメディアもちょっとテレビ同様な、そこに準ずるようなところもありますから。
情報量が多すぎて、なにかを選ぼうとする際にも、困難を極めることも多いでしょうけれど。
石屋なんかも(笑)そうですよね。
ほんと、一時期よりそれでも減ってきているとはいえ、それでも多いですもんね。
どこで買うのがいいのか、って、そこからお迷いの方もおおいんじゃないかしら。
そういう時は、「ハートに聞きましょう」です。
で、そのハートの声を聞くためには、テレビの音は消しとかないと(笑)。聞こえてこないのです。


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カテゴリ : ちょっとスピリチュアルな話
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