高次と繋がるとうまくいく、というよりは。

2017年06月11日 (日) 15 : 25


このへんの感じって、ビミョーです。

高次の意向と歩調を合わせた路線の人生っていうのは、ものすごく楽。
というふうに、実際に私は感じますが。

ただそれは、そのニュアンスの「うまくいく」というのは、三次元的な価値観においての、ウハウハ人生楽ちん人生というのとは、ちょっと違っているところもあったりします。

高次の魂の部分の望み、ハートの望んでいることを実行していくことは大事だけど(笑)「そこに沿う、自分を合わせる」ことがうまくいくこと、ということも、ひとつの囚われでもあるように思いますしね。

「ハートの声が自分の本当の声」なんだなっていう、頭の智慧をつけちゃっているぶん、これがハートの声に従って生きているということなんだろうか…?…って(笑)疑いだしちゃうような場合もあるんですよ。

こんなに苦しいのに。つらいのに。
でも、そうせざるを得ない自分は、本当に魂の路線をイケてるのかしら? という。

見た目人生に向上の兆しも見えない、現実レベルでのブラッシュアップ感覚もない、という部分と混同してしまうこともあるよね。
「高次路線であるなら、そういうものがだんだん良くなっていくはず」って、先入観、囚われ(頭でつけた智慧が、執着、囚われになることもある)になって、実はもう、ずっと高次路線を生きている人なのに、その自分自身を否定しながら生きてしまうようなケースもあったりするんだな、と。

それはなぜかというと、苦しいから。
だから、逃げ出したくなっちゃうし、認めたくない(自分を)というメビウスの中で苦しみ続けることになる。

高次側じたいが、そういう過程を踏ませることを、あえて促す場合もあると思います。

そして、「本人みずからが気がついて」そこを出て行くこと、その先にある光の自分に気がつくことを、静観している。
要所要所に、救いの梯子はぶらさげてくれてはいるけれど、両手両足の筋力使ってそこをよじ登るのは、本人みずからの意志と実際行動によるものでしかないの。




なんであろうと。どうせいつかは必ず我々一人残らず死ぬんですから。有限なんですから。

あれをやっときゃ良かったな~みたいな後悔とか、中途半端な夢の追っかけ方とか、自分が本当はいちばんやりたかったことを否定しながらの人生にはなるべくしないのがいいと思います~。

「うまくいく」の定義も^^向こう基準だから、必ずしも三次元的幸福と言えるかどうかビミョーってところもありますしね~。

でも、三次元基準度外視したところで、ハートに嘘付かない生き方になってくると本人が内面的に充実してくるし現実も最適状態に変化してくるし、その路線へ舵を切ることは結果「いい感じになっていく」ということ…をもっとみなさんにうまくお伝えしないとな~って思います。

よく人生は、ダイヤモンドの原石の研磨に喩えられますけれど。
但しダイヤモンド原石は、原石の段階から^^他の石とは違う光を放っていますけどね。見る人が見ればわかります。なので、磨けば光る、と言ってもだれもかれもが私はダイヤモンド、ってわけでもありません。

このへんがね~。いろいろ難しいところなんだよね。
ダイヤモンド級じゃないことが^^ぴったりハマる役割と言うか、その人の路線であることも、ありますから(笑)。

でもそれも、高次は教えてくれているのよ。随所随所で。

高次と繋がると、うまくいく。
これは真実だけど、「うまくいってる感じがないのに、苦しいだけなのに、それこそ高次路線(その過程)」という路程も、三次元ではあるのよ、ということ。

見た目善悪や、この世の常識や価値観は、ここには持ち込めないです。
けっこう、非常識^^ですよ。高い次元の人々(人じゃないけど)は。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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