昨日、ロゴストロンLの話をお伝えして。
気づいたことというか、ちょっと辛口方面から^^どちらというとお伝えしてるところがあるな、と。
石も、ロゴストロンLも、共通項として、
高次元本位なところあるよ~、な話。
なので、高次本位でいることが、願望叶えやすいよ~さくさくいくよ~、な感じでお伝えしてますが、これって、とくに「そればかり」というわけではなく。
エゴい願望であっても、ごり押し願望であっても、叶える人は叶えます。
嫌いな人をがっつり傷つけたいとか、あいつに復讐せずには、あいつの不幸を見ずには死にたくないとか(笑)そういう執念、怨念的なものも、実際叶ったりしますし。
突発的だろうが計画的だろうが、まぁ、やろうと思えば、そっちのほうがカンタンに叶えられたりもしますよね。
人を傷つけたり陥れたりしたいのであれば、徹底してその相手を追い詰める行動にでればいいだけだったりもしますし。
復讐したければ、その人の大事そうにしているものを奪うとか、そうやって、この世ではその手合いの復讐劇も繰り広げられることもありますし。
そういうのは比較的、実現できていますよね。
そして、わりと、そっちのほうが原動力やモチベーションになりやすかったりするところもあったりで、容易く実現できる面もあると思います(笑)。
そういうのじゃない、願望実現のほうが…
もしかすると、難しく見えるところ、あるのかもしれないな、って思いました。
「自分も、人も。」みたいなのが、いちばん難しいよね。
だって、自分が良くなってるはずなのに、自分の周囲はそう見えない…という、自己の主観的な見方をしちゃうと、どうしてもそうならない、みたいなことも、ありますし。
そして、自分の周囲の人は、目に見えて良くなっていってる…なのに、自分はとどまってる、停滞しているのは変わらない…なぜなのだ…というのも、ありますし。
そもそも、「人も」と言いつつ^^、単に、その人を自分の好きなようにデザインしようという我欲を押し付けているだけ、であることに気づいていない場合もあったりもします。
自分の世界が、「鏡」であるなら、そうはならないはずなので。
つまり、な~~~~んか、なにかしら、あるんだろうなぁ…内的要因、その手放しが。
ということなのですね。
顕在意識では、実際には、そういうネガティブ感のブロックが実はあったりして???!!! な部分に気がついてなかったり。
人のために生きてるつもり、自分は無欲で人に尽くしているつもり、見返り要求なんてさらさらしていない…つもり…なのに、それなのに、返ってくるもの、自分の現実は、一向に、正直、心から喜べるものにはなっていない…ということに気づいていたり。
また、それに気づけるなら、まだいいわけですが、それすら^^「ものは考えよう」というですね、よく捉えようよく捉えよう、とし過ぎていて^^、その状態が本丸というわけではないのに(高次の目的地はもっと先の展開がある)そこでとどまろうとしてしまっていたり。
ちなみに、高次ガイドというのは、それ全部、お見通しですね(笑)。
なので、そのためのはたらきかけを、常にしてくれていますよ。
スピリチュアル方面への目覚め、というのも、そのステップだったり。
石持たされるのも^^、それだったり。
叶った願望、叶わなかった願望、どっちも経験してこそ、見えてくるものがあったり。
高次本位なタイプの願望実現というのは。
表現として適切に、こう言い切れるかどうかはわからないですけれど。
「願望が向こうからやってくる」
感じですかね。
高次の方から、それ持って歩み寄ってくる感じ。
だから、こっちは、それを「受け取る」側なのですが、三次元では、ただただプレゼント待ちでいても、現実のものにはならなくて。だから、丸投げして待ってちゃダメで(笑)行動する必要があり、みずからが、エネルギーの出し惜しみをせずに、できること全部やる、そこは手加減しないでやる、のような、結局「一生懸命、手を抜かず生きる」ことは^^しなきゃ始まらないところはあります。
ここの部分を、ロゴストロンの講師さんは、
「向上」ではなく、「向下」という表現を、説明会ではされていました。
この世では、「向上心を持って、努力をすること」が、けっこう当たり前のように言われていますので、努力をする人、生真面目な人、多いです。
でも、なにかひとつの目標に向かって努力をしても、受け取る結果は、人によって本当にまちまちですよね。
スピ方面では、わりと共通して、このことに関して見かけますが。
「努力しちゃダメなのよ~」みたいな^^風味のことも、言われますよね。
努力や、我慢しないでください、あなたのワクワクすることだけしていれば、うまくいくのよ~、のような^^、願望実現なんて、カンタン、カンタン、風味にも言われます(笑)。
私も、これについては、「そうだね」と思うところもありますが、「そうじゃないよね」の現実も、両方、経験してきているので。
その違いは、なんなのかな? という部分についての、明らかな違いについては、経験上わかることですが、
「願望が向こうからやってくる」の世界なのです。
なんとなく、実現できることが、向こうからやってくる感覚、つまり、こちらの疑いをはさむ余地なし、のワクワクっていうんでしょうかね。
だから、「好きこそものの上手なれ」は本当で、自分のしたいことしてりゃいいんだよ、の世界は、否定はしません。
だけど、好きだったのに、実現しなかったことというのも経験しておりまして、その昔、
「音楽でメシを食う、作詞家として、印税でウハウハ生活できる。」の世界は、ついぞ、実現の日の目を見ることはありませんでした(笑)。
今なら、なんでそうなっちゃったのか、は^^自分でわかるのですけれどね。
たまたま、ものすごくラッキーにも、「なるんだ、なれる」って^^なんの根拠もなく信じられたことが、一年かからず実現の運びとなったわけですが、そこからのハードルを、あまちゃんの私は何ひとつ想定していなかったですし。
自分をプレゼンしていく営業力ですとか、人とのコミュニケーション能力ですとか、仕事をしたところでそれが即お金にはなっていくわけでもないことへの失望感ですとか(笑)、それまで働いたぶんはお給料かならずもらえる事務員しかしたことのなかった自分が、まったく経験したことのない世界に、心から順応していくことができずに、通ってれば不満たらたらながらに、少なくとも、金銭得る苦労はなかったよな…と、自分がみずから捨てたと思っていた、ぬるま湯世界への未練も、なかったと言えば、嘘になりますし。
まぁ、色々、要因は探せます。
でもそれらの案件、すべて私が満たしていたとしたら、そうじゃなかったのか? と言えば、それも違うかな、とも、今は思います。どっちにしても、それはやっぱり、今の有り様のためでもある「前哨戦」だったかな、のように感じられるからですね。
高次というのは、無駄なことはしませんね。
どちらかというと、やっぱり、無駄なことをして、迂回しているのは^^こっちのありかたのように感じます(笑)。
三次元では、素直に、降りてくるものを信じて行動していれば、たいていそっちがGOサインです。
本人が、無理かもしれないけれど、ハードル高いかもしれないけどこうしたい…とハートで感じていること、っていうのはそうです。
但し、これは、単なる我欲、上記にあるような「過分な我良し感情」からくる願望、であることも、ままあります。
また、本人が自分で気づいていない、自分が自分に取り付けてしまっている足枷というものがある上での願望や現実を、ハートの声と思っているところもあったり、周囲との歩調合わせのために、自分を抑えていることに気づいていなかったり、とかく、私たちは、なかなか「ハート直結」と言えない自分を、ハート直結なふりして(笑)生きていく術にも長けておりますので。
石もそうだし、昨日お伝えしたロゴストロンLなんかもそうですが。
この部分を、是正してくれる、っていうか、あくまで「その人にとってのより善き方角、光の方角」「高次が向こうから走り寄ってくる現実創造ポイント」に向けての舵取りに、有効活用させてもらえる、三次元と高次をつなぐツールです。
気づいたことというか、ちょっと辛口方面から^^どちらというとお伝えしてるところがあるな、と。
石も、ロゴストロンLも、共通項として、
高次元本位なところあるよ~、な話。
なので、高次本位でいることが、願望叶えやすいよ~さくさくいくよ~、な感じでお伝えしてますが、これって、とくに「そればかり」というわけではなく。
エゴい願望であっても、ごり押し願望であっても、叶える人は叶えます。
嫌いな人をがっつり傷つけたいとか、あいつに復讐せずには、あいつの不幸を見ずには死にたくないとか(笑)そういう執念、怨念的なものも、実際叶ったりしますし。
突発的だろうが計画的だろうが、まぁ、やろうと思えば、そっちのほうがカンタンに叶えられたりもしますよね。
人を傷つけたり陥れたりしたいのであれば、徹底してその相手を追い詰める行動にでればいいだけだったりもしますし。
復讐したければ、その人の大事そうにしているものを奪うとか、そうやって、この世ではその手合いの復讐劇も繰り広げられることもありますし。
そういうのは比較的、実現できていますよね。
そして、わりと、そっちのほうが原動力やモチベーションになりやすかったりするところもあったりで、容易く実現できる面もあると思います(笑)。
そういうのじゃない、願望実現のほうが…
もしかすると、難しく見えるところ、あるのかもしれないな、って思いました。
「自分も、人も。」みたいなのが、いちばん難しいよね。
だって、自分が良くなってるはずなのに、自分の周囲はそう見えない…という、自己の主観的な見方をしちゃうと、どうしてもそうならない、みたいなことも、ありますし。
そして、自分の周囲の人は、目に見えて良くなっていってる…なのに、自分はとどまってる、停滞しているのは変わらない…なぜなのだ…というのも、ありますし。
そもそも、「人も」と言いつつ^^、単に、その人を自分の好きなようにデザインしようという我欲を押し付けているだけ、であることに気づいていない場合もあったりもします。
自分の世界が、「鏡」であるなら、そうはならないはずなので。
つまり、な~~~~んか、なにかしら、あるんだろうなぁ…内的要因、その手放しが。
ということなのですね。
顕在意識では、実際には、そういうネガティブ感のブロックが実はあったりして???!!! な部分に気がついてなかったり。
人のために生きてるつもり、自分は無欲で人に尽くしているつもり、見返り要求なんてさらさらしていない…つもり…なのに、それなのに、返ってくるもの、自分の現実は、一向に、正直、心から喜べるものにはなっていない…ということに気づいていたり。
また、それに気づけるなら、まだいいわけですが、それすら^^「ものは考えよう」というですね、よく捉えようよく捉えよう、とし過ぎていて^^、その状態が本丸というわけではないのに(高次の目的地はもっと先の展開がある)そこでとどまろうとしてしまっていたり。
ちなみに、高次ガイドというのは、それ全部、お見通しですね(笑)。
なので、そのためのはたらきかけを、常にしてくれていますよ。
スピリチュアル方面への目覚め、というのも、そのステップだったり。
石持たされるのも^^、それだったり。
叶った願望、叶わなかった願望、どっちも経験してこそ、見えてくるものがあったり。
高次本位なタイプの願望実現というのは。
表現として適切に、こう言い切れるかどうかはわからないですけれど。
「願望が向こうからやってくる」
感じですかね。
高次の方から、それ持って歩み寄ってくる感じ。
だから、こっちは、それを「受け取る」側なのですが、三次元では、ただただプレゼント待ちでいても、現実のものにはならなくて。だから、丸投げして待ってちゃダメで(笑)行動する必要があり、みずからが、エネルギーの出し惜しみをせずに、できること全部やる、そこは手加減しないでやる、のような、結局「一生懸命、手を抜かず生きる」ことは^^しなきゃ始まらないところはあります。
ここの部分を、ロゴストロンの講師さんは、
「向上」ではなく、「向下」という表現を、説明会ではされていました。
この世では、「向上心を持って、努力をすること」が、けっこう当たり前のように言われていますので、努力をする人、生真面目な人、多いです。
でも、なにかひとつの目標に向かって努力をしても、受け取る結果は、人によって本当にまちまちですよね。
スピ方面では、わりと共通して、このことに関して見かけますが。
「努力しちゃダメなのよ~」みたいな^^風味のことも、言われますよね。
努力や、我慢しないでください、あなたのワクワクすることだけしていれば、うまくいくのよ~、のような^^、願望実現なんて、カンタン、カンタン、風味にも言われます(笑)。
私も、これについては、「そうだね」と思うところもありますが、「そうじゃないよね」の現実も、両方、経験してきているので。
その違いは、なんなのかな? という部分についての、明らかな違いについては、経験上わかることですが、
「願望が向こうからやってくる」の世界なのです。
なんとなく、実現できることが、向こうからやってくる感覚、つまり、こちらの疑いをはさむ余地なし、のワクワクっていうんでしょうかね。
だから、「好きこそものの上手なれ」は本当で、自分のしたいことしてりゃいいんだよ、の世界は、否定はしません。
だけど、好きだったのに、実現しなかったことというのも経験しておりまして、その昔、
「音楽でメシを食う、作詞家として、印税でウハウハ生活できる。」の世界は、ついぞ、実現の日の目を見ることはありませんでした(笑)。
今なら、なんでそうなっちゃったのか、は^^自分でわかるのですけれどね。
たまたま、ものすごくラッキーにも、「なるんだ、なれる」って^^なんの根拠もなく信じられたことが、一年かからず実現の運びとなったわけですが、そこからのハードルを、あまちゃんの私は何ひとつ想定していなかったですし。
自分をプレゼンしていく営業力ですとか、人とのコミュニケーション能力ですとか、仕事をしたところでそれが即お金にはなっていくわけでもないことへの失望感ですとか(笑)、それまで働いたぶんはお給料かならずもらえる事務員しかしたことのなかった自分が、まったく経験したことのない世界に、心から順応していくことができずに、通ってれば不満たらたらながらに、少なくとも、金銭得る苦労はなかったよな…と、自分がみずから捨てたと思っていた、ぬるま湯世界への未練も、なかったと言えば、嘘になりますし。
まぁ、色々、要因は探せます。
でもそれらの案件、すべて私が満たしていたとしたら、そうじゃなかったのか? と言えば、それも違うかな、とも、今は思います。どっちにしても、それはやっぱり、今の有り様のためでもある「前哨戦」だったかな、のように感じられるからですね。
高次というのは、無駄なことはしませんね。
どちらかというと、やっぱり、無駄なことをして、迂回しているのは^^こっちのありかたのように感じます(笑)。
三次元では、素直に、降りてくるものを信じて行動していれば、たいていそっちがGOサインです。
本人が、無理かもしれないけれど、ハードル高いかもしれないけどこうしたい…とハートで感じていること、っていうのはそうです。
但し、これは、単なる我欲、上記にあるような「過分な我良し感情」からくる願望、であることも、ままあります。
また、本人が自分で気づいていない、自分が自分に取り付けてしまっている足枷というものがある上での願望や現実を、ハートの声と思っているところもあったり、周囲との歩調合わせのために、自分を抑えていることに気づいていなかったり、とかく、私たちは、なかなか「ハート直結」と言えない自分を、ハート直結なふりして(笑)生きていく術にも長けておりますので。
石もそうだし、昨日お伝えしたロゴストロンLなんかもそうですが。
この部分を、是正してくれる、っていうか、あくまで「その人にとってのより善き方角、光の方角」「高次が向こうから走り寄ってくる現実創造ポイント」に向けての舵取りに、有効活用させてもらえる、三次元と高次をつなぐツールです。

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