カルマ返上日記4

2014年02月11日 (火) 00 : 26
ということで、中断されていた返上日記の続きを。


過去、このブログに書いてきたこととかぶる部分もあるかもしれませんし、その中で言っていたことと矛盾する部分も出てくるかもしれません。
たとえば一年前に言っていた、思ってそう書いていたことからの変化もあるかもしれませんが、大目に見てやってください。


カルマ返上・・・ひふみ神示的に言うと「メグリ取り」ですけれど、基本、カルマの意味って「自分がしたことの結果が自分に戻る」という意味合いで、だから「いい種まきをしたほうが人生がお得」のような解釈で、捉えられることもあるかと思います。
なにかしら「負」と感じられるメグリがあることで、そこで気づき、まちがいを正していければ、同じことは繰り返されない。いい循環へと入っていける。


この「まちがい」という概念じたい、、、実際のところ、「なにがそのヒトにとってそうなのか」なんていうのは、実際に気が付くのは至難の業だと思います。
宇宙的視野で見れば、「善悪はない」と言う、そっちの視野から見ちゃえば^^「ネガティブな事象はそう捉える個人の主観であり、なにも間違ったこと、悪いことは起こっていない」という「達観」という名前の傍観領域で足を止めてしまうこともあり。


さて、そのようなうんちくはさておいて、
私がなんの布石もなく、突如として「作詞家になろう、自分」と決めたのは、遠い20代後半の頃でした。
当時では、なんの経験もない未分野、未知の世界への冒険心が突如として、確信めいた世界として、自分の前に顕れていたような気がしていたのです。


過去記事にも、そんなふうに思うようになった時期に、うちに入っていた新聞の折り込み広告に、ちょうあやしげな^^「願いを叶える水晶ネックレス」というのを見つけ、普段でしたらそのような胡散臭いもの(だって億万長者になれるナントカ、とかよくある金運長財布とかああいいうのといっしょのレイアウト広告でっせ、結局)に目を留めることもなかったんですが、即効注文してましたからね^^。


だからといって実際にはその後、その水晶ネックレスに関しては、あんまり気に留めてませんでしたが、振り返ってみると、その水晶ネックレスを身に着けた以降、今の家人と出会い(当時の彼はすでにプロのコンポーザーでした)、いろいろな方とご縁をいただいて、なろうと決めてから一年後には、前の記事にも書いたAIKOという筆名で、プロ作詞家としての初の音盤が出る・・・そういう道を歩いていました。


いやなんだか夢のように「順調」、そのように世界は見えてもおりましたが、実のところ、「ただちょっと音盤出した程度で食べていける世界ではなかったんだ」ということを知ったのも、浮足立って意気揚々と会社を辞めた後^^でした。


今ほど「情報」があふれた時代ではなかったし、当時はもちろんインターネットも、携帯電話もなかった時代。
な~~~~んにも知らなかった^^しかも20代後半っていう大企業勤めしか経験のない温室育ちのいいオトナが、突如あとさき考えず夢見た音楽の世界とは、世の中とは、こういうものだったのか・・・ということを、そこからひとつずつ噛みしめて行くことになりました。


ただお金のために、毎月貰える給料のためだけに働く・・・そういう世界にほとほとうんざりして、自分のやりたいことをやる、自分の才能が活かせる世界で生きていきたいっっていう気持ちと情熱で、飛び出したのに、や~~~っぱり目の前を塞ぐのは、「お金のあるなし」で動いている世界。
むしろ、普通の企業で経験してきたソレなんかよりも、私が見たものは、もっとシビア。そして、無情にも見えました。


ところで、家人のほうですが。
彼は・・・・・私のような「ふつーの会社勤めの人」的ないわゆる一般的っぽい価値観の世界に身を置いた経験が、ほとんど皆無^^という、私から見ると、いったいどうやってそれでやってきたの? みたいな、オドロキの人生の人でした。
やっぱり、こういうぶっとんだ人でないと、ああいう音楽の世界のような「先の見えない世界」を志すなんて無理なのかなぁ・・・って、最初は思っていましたが^^、そのぶっとんだ価値観を共有することになる・・・というところまでは、出会った時には想像してませんでした。


らぶらぶで相思相愛で、ふたりの未来を夢見て、どんな苦労もど根性で乗り越えて行くわ♪ みたいな覚悟など^^みじんもなかったのは、言うまでもありません。
むしろそれは、私としては、なんとしても避けたい^^世界でした。
「誰かのために苦労する」みたいな図は、もうまったくシュミじゃありませんでしたから。実は、私がこの世の「結婚」のようなものへの憧れが、子供の頃から若いうちにかけても、まったく湧き起こらなかったのも、この部分だったのでして。
「なんか家族とかめんどくさい」というのか、できれば、一人で独立して生きていけるなら、それが自分にとっての最高の幸福の姿・・・そのような理想は常にありました。(そのような理想があるわりには、怠け者なので、独立して生きていけるような職業を志すなりの行動はまったく起こしてませんでしたけど^^。むしろ、その大企業にず~~~っと腰掛け続けていた方が、経済的独立という意味では容易であったんじゃないかと、あとで後悔したこともありましたよ)


それが。。。まったく望んではいなかったその図が。
まさにその避けたかった図を生きるような^^日々が、現実化していったこと。
うまくいきそうな展開になると、ありえない目に見えない世界の妨害としか言えないような事件が起こる。


私はただ単にラッキー、棚ボタ^^、ほんとにそういう感じで作詞家になる、っていうところまでは辿り着いたけれど、「本当に音楽的に才能があって、いわば世に出てもっと認められるべき人は、彼のほうだ・・・」ということくらいは、私もわかっていました。
なのでもちろん人一倍、彼の成功を願う人間のひとりでもありましたが、そうなって欲しい心の中には、純粋にそれだけ願う面と、早く自分が精神的にも物理的にも楽になりたい・・・という面、両方ありました。
それから、「こういう人が、なんで成功しないんだ?」という、世界への不条理感。
(これ、私が自分で自分の過去世で見た内容では、「まるで立場逆転」の世界が^^展開されていました。「世に認められるべき才能を持つ私をサポートするのが彼」という役回りでした。そうだったんか~。と。納得感満載^^です)
もちろん、自分自身が、鳴かず飛ばずの作詞家であったことに対しても^^不条理感覚は持っていましたけれど、心のどこかでは、自分の程度のようなものは察していたと思います。


うまくいきそうになると、ありえない「見えない世界からの妨害」の一例として。
あの当時、長きに渡りミリオンセラーを連発していたユニットがあったのですが、ご縁があって、家人がそのユニットの新規加入メンバーとして参加する・・・という運びになったことがあるのです。
(その当時は、CDが今のように何万枚単位ではなく、AKBみたいな^^売上のアーティスト、たくさんいました。その中でも、群を抜いて、売れていたし、有名でもあったユニットでした)


なんでそんなに売れているのに、わざわざ新規メンバー? の理由は、そのユニットには弱点があって、コンポーザーがいない、つまり曲をつくれるメンバーがいなかったのです。
ヒットしているのも、すべてそのユニットのメンバーではない同じ事務所のコンポーザーが手掛けた曲で、歌詞はボーカリストが書いていました。
ただ曲を作る、というのはある程度音楽をやっていれば誰にでもできるわけなのですが、「いい曲、クォリティの高い曲」となると話は別で、そのユニットの当時のメンバーの中には、その才がある人が客観的にそのユニットのプロデューサーの目から見て不在でした。
そこで、うちの家人に白羽の矢が当たり、コンポーザー、兼、ベーシストとして、ユニットに新メンバーとして参加してやっていく・・・という話になり、そのお披露目公演に向けての、練習も兼ねて、スタジオ通いをしていた・・・そういう時期がありました。


私が、この展開にどのくらい、天にも昇る気持であったか^^。
想像していただけると思います。
もともとは、バンドのライブ通いにO.L時代に血道を上げた経験のある、バンド好き、ライブ好き人間でしたから、当然その有名ユニットのことも当たり前ですが、知っていました。
その時までは特に真面目に聴いたこともなかったんですが、ちょうどその当時にヒットしていたそのユニットの楽曲は非常にお気に入りで、そのボーカリストの方の、群を抜いた歌唱力は凄い・・・ということは知っていたし、歌詞の世界観も好きでした。
その、「お膳立て」が用意されたステージに、いきなり入っていける。
そんなチャンスが、本当に、現実にあることへの、大興奮。


そうなってみて、あらためて、家人への尊敬の気持ち、この人を大事にしなくては・・・みたいな^^都合のいい気持ちが生まれてきた(当然、そろばん勘定が芽生えたのも^^嘘じゃありません。なぜならば、自分も「印税」というのは、どの程度のものなのか? ということを少ない経験ながらも知っていましたので、ミリオンセラーの世界への想像は^^逞しく拡大していく一方でした)わけです。
そのこの世での金銭的な大きなサクセスの切符を手にした幸福感は、実は、「当の本人以上」だったと思います。


そんな天にも昇る気持ちの毎日でしたが・・・その毎日は、長くは続きませんでした。
彼がスタジオ通いを続け・・・その公演ももうすぐ・・・そういう時でした。
彼は・・・・なんと、自分の左手の小指をあやうく切断しそこねる、という、大事故を起こしたのです。
いえ、交通事故とかそういうんではなく。
自分で、包丁でアボガドを切ろうとして、自分の指を切り落としそうになった。。。という。
夜中に、救急車で病院に。
私も連絡を彼から受けて、仕事先からタクシーで病院にかけつけ。
左手の小指、それは、ベースを弾く人間にとっては、要の指でした。
切断はまぬがれ、神経も繋がりましたが、左手小指に力を入れること、それはもうできなくなった、一生ギター、ベースは弾けない・・・ということが、そこで確定しました。


天国から地獄行き、確定・・・当時の私にとっては、ただただショックなそんな事件でした。。。
(しかし、彼にとっては、実は、自分のことなのに^^私が当時受けたほどのショックではなかったんですよね。それは、淡々と、彼もそう話していたし、受け入れていたし、私ほど、自分がそのユニットに参加できなくなったことに対しての落胆度合いもなかったんですよ。その理由も、彼は当時話してくれたわけなんですが、私には馬耳東風でしたよね。今なら、わかりますが。)


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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