ニュー・感謝すネス

2013年02月05日 (火) 23 : 43
ニュー・カンシャスネス、で変換したら、表記のタイトルになっちゃいましたが、なんだかこれでいい気がしました☆ まさに。


節分を超えて、2013年が本格的に始まりましたね。
みなさまは、「新しいイシキ」をお迎えでいらっしゃるでしょうか?


私は、というと。
いつも、月末の新作アクセサリを出品したあとに、「打ち上げ」及び「反省会」を、カフェなどでひとり、いたします。
カフェと言っても^^、今日はお品物の発送のために夕刻、新宿郵便局に出向いて、そのちかくにあるエクセルシオールでお茶してきただけですが。ここのエクセルシオールは、京王プラザホテルの向いにあって、個人的に以前からわりと私にとってですが、インスピレーション・プレイスとなっておりまして。
いわゆる安カフェの代表のドトールと経営母体は同じですが、あちらよりも、座席間同士のスペースにゆとりがありまして、他人様との距離の近さに結局ほっとひといきのためにお茶しようと思ったのに落ち着かない、という、都心ならではの悩ましさから解放されるぶん、私はさらに「空いている時間帯の」ここの場所が好きだったりします。
(そういう意味で、「空いている深夜のデニーズ」なんかも大好きで、大昔、作詞の仕事がわりとあった頃には、MD(って今でもあるんですか?)ウォークマンとか持って、よく行っていたんですが、最近は深夜に出かけるという本来は物騒な行いというものをあまりする機会もなくなってきているため、行ってませんが)


うちの近所は、新宿や原宿や、まぁそういった人の集まる都心というのでしょうか。
明治神宮や代々木公園や国立競技場も近く、いわゆる、ビジネスからファッションからスポーツから癒しまで、なんでもありのエネルギーの集積区域であり。
もう少し足を延ばせば、渋谷、青山、六本木・・・といった地域も、自転車の範囲ではあります。
私が住む代々木は、専門学校の数多い、学びの若者が毎日たくさんやってくる地域でもあります。


そういう場所に長年生息しているわけですが、私自身がそのエネルギーの渦の中にいて、なにか「変化(向上)」していっているのか、という部分については、無頓着であったような・・・ということに、今日の「ひとりミーティング」で思い至り。


ひとりミーティング、これは結局、自問自答ということになりますので、自問自答は常に「エゴの声」と「内側の声(とてもかすかな)」との一騎打ちというのか、どちらかというと、「エゴの声」のほうが優勢ではあります。
そして、それは、「焦っている時ほど」、ますます勢力を増す性質があります。
なので、自問自答をする時は、なるべく焦っていない時、そして、もし焦っているのなら、焦っていない状態を作り出して、それからにするのがベスト。


私にとって、月末新作石アクセサリの発送の仕事が九分九里くらい終了したかな、というこのタイミングが、自分にとっては、焦っていない上記の状況として当てはまることになるので、おそらく、なんとなくいつも、そのようにひとりミーティングをしているのだろうと思います。


このなんとなくいつもしている、この「定例会議」がですね・・・。
はたして、それが次に必ず活かされていたのだろうか? ということ、こちらのほうが重要ですよね。
会議で決めたことであっても、具体的行動にそれが生かされていなければ、会議は会議というだけです。
内面を見つめる、という作業も、やっぱり同じですよね。
気づきは気づきのまま、宙ぶらりんのまま。
ここを常に思い出さねば、と、今日は感じまして、箇条書きにして、見えるところに貼りました☆


赤ちゃんだって、いつかは歩き始め、コトバを喋り出す。
成長は、成長する子供や若いと言えるせいぜいが20代期間だけのものであって、いい年になったらもう「成長のないオトナ」である・・・この部分の長年の「刷り込み」は、この人間社会では強固なものがありますが、それを、人間社会の集合意識のせいにしていてはいけないよな、と、しみじみ思いました。


しかし、この集合意識も、ここ近年のあいだ、「エイジレス」というような^^妙齢の、特に女性にとっては応援歌みたいな概念も、おそらく定着しつつあると思われるので、変わってきてはいると思います。
私はこれは単に、ある種の企業戦略というのか、近年、社会の構造が変わってきているため、オンナの人に「もうイイ年だから」って、オシャレだとか身をかまうことに関心を持たなくなる、という従来の意識が優勢であれば、経済が回らないということになるので、エイジレスを煽っている面もあるだろうな、という、うがった見方もしていたわけですが、確かにそういう面もあるのかもしれませんけれど、実は実際のところ、誰だってできればエイジレスを望んではいるわけで、そのため、ニーズが一致した概念でもあるのかな、と。
これは、スピリチュアル的にも、「趨勢となった真理」でもあるように思いますしね。
時代の必然、だから、定着してきた面がある(この時代の必然は、「人間社会の都合」というだけではなく)と感じますね。


なにしろ、生老病死からの脱出、までは、それでもまだ無理なのかもしれませんが、「生きることは老いること」という固定感、これが薄まると、たしかにじっさいある程度までは「同世代よりは、実際に若く見られることがある」という現実世界を経験するのは事実ですし、健康状態も、それなりに維持される感があります。
「年をとったから老いていく、病気になる」という「植えつけ」には、少し抵抗してみても、損はまるでない気がしますね。
(ただコレも、無茶が過ぎると^^「もうまちがいなくさすがに10代20代はありえないだろう」の年代なのに、そこいらと同様になりきろうとする、青ざめた行為に走るケースもあるので、そこに「思慮」「分別」も、ぜんぜん必要じゃない、ということもないのですけれど。)


個人的には、実は、年齢を重ねるほど、「幸福感を実感できる」その実感値は上がっていくような気がします。
昔の自分の概念だと、若さという失ったもののありがたさがわかるようになるから、という郷愁により、年を取るとそういうことに敏感になる、というものだという感覚だったのかもしれないんですが、それこそ固定観念で、実はそうではないんですね。
むしろ、喜びの種や、その芽ぶきを逃さない、若年時には気づけなかったものの中に、そういうものがふんだんに溢れていることに敏感になるのだと、今は感じます。


よく「無邪気な子供の頃のように」って言いますけれど、自分個人の子供の頃はそういう子供像に該当するような無邪気さに欠けた子供でしたので、どちらかというと、年々、そういう意味では、無邪気さを取戻し中というのでしょうか。
(このブログの過去のどこかにも書いているかもしれませんけれど、石に出会ったことで、なによりも受けた恩恵は、私にとって、そういう手合いのものかもしれません。素直に「綺麗」とか「嬉しい」とか感じていいのだ、ということです。こんなこともできずに、いっちょまえなオトナになったつもりでいた人間もいるのです)


もっと、それを意識すること。
学習したことは、改善し、結果として行動すること。
これをなんとか私の2013年の「ニュー・感謝すネス」へと発展させたいと感じる次第です。


長文、最後までお読みくださって、ありがとうございました♪


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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