ちょっと遡るけど、先月4月21日まるの日さんの夜会の話

2018年05月05日 (土) 12 : 42


これはとくに観えない世界の話というわけでもなかったのと、先月の4月21日、月末に向かうこの時期は私はとてもスケジュールがタイトですので(笑)、スルーしようかな、と思っていたんだけど、行ってきました。
まるの日さんの、10年の歩みというお題の夜会でした。
そっちの話よりもほとんど自分の日記になっていますが^^。スミマセン。
(この記事、すっごい長いわ~。長文がいやな人はUターンしてね)

まるの日さんブログを見つけてからなんとなくずっと思っていたことなんですが、「なんかこの方って、流れというかパターンが自分によく似ている人なんだよな…」という感じ。
まず、もともと師について誰かに教わったというわけではない、独学という点が同じ。
三年間、馬車馬のように本業の仕事をしながらブログを書き続けそれが本となって、三年経過後に独立というパターンや(私の場合も本業の営業マンとの二足わらじでブログと毎月の月末新作と…という馬車馬のような怒涛の日々の三年間でしたが、それも派遣切りで(笑)本業を失ったわけで^^丸三年の馬車馬二足わらじに終止符が打たれ、もう「これでやっていくしか道がない」となってこれ一本となったわけです^^。まるの日さんのように交通事故とかじゃなくて良かった…でも、人に寄っては、職を失うっていうのもそれと同等レベルに感じることもあるのかも。でも私はまったく不安じゃなかったんですけどね、不思議と。「これは高次の導きだ」と自覚する感じがありましたので)ソレ以外にも、なんとな~く、似ているパターンが見受けられたんですよね、多々(あ、過去に、何百万いっきに失ったことがあるとか^^そういうのも同じでした、そういえば)。

あらためてお話をお伺いしていて、さらに「あ、ここも同じだな」も、多々発見がありました(笑)。売上の立て方とか(笑)。
時々、私は人目もはばからずこれってブログ記事にしていますけど、「先に必要なトータルを自分で決めちゃう」という、あのものすごい大雑把な、三次元的なまっとうな会社さんとかでしたらぶん殴られそうなアレですよ。販売計画もない影も形もない時に必要額を先に決めてかかるという(笑)トンデモ計画です。でも寸分狂いなくそのとおりになりますよ。12年ほぼそうです、実績として。高次は凄いってずっと思っています。(こういう話だけ聞くと「宇宙におまかせ」はほんとうにあるんだな~、って思われちゃうかもしれませんが、そうですよ、丸投げしていいんですよ。本気で思えるなら)

ただもちろん、当然ですが、まるの日さんとは違うところもたくさんございますよ。
たぶんご両親がまったくタイプが違います(まるの日さんはこの世的に勝ち組と言われるタイプの何十年先の生活安定確保型職業の最強職種の公務員のご両親ですから^^)。
それゆえか、いい意味で、まるの日さんはそれほどこの世の裏社会みたいなスレたダークサイドのほうを(笑)実地で歩かれたご経験はなさそうに思います。このあたりは、まったく違うところだと思います(まぁ、なくていい経験だと思います^^)。

それから、この方は、「好きなことを仕事にしているわけではない」ということですが(とくにヘミシンクが好きとかじゃない、ということ)私の場合は、もろ「好きなことが仕事に」の(笑)パターンでございます。
まるの日さんのばあいはおそらく、「今でしょ!」の予備校の先生のパターンですね。”できること得意なことが仕事になった”、のパターンです。予備校の先生も、「教えることが苦もなくできる得意なことだっただけで好きだったというわけではない」って言ってますよね。で、先生もそういうことを仕事にすること、自分の”好き”ではなく”得意”を仕事にすることを推奨されてますよね。
まぁ、私にしてもそこは同じかも。自分にとっては苦もなくできる感が、最初からあったのが、石アクセサリを作ること、ではありましたので。たまたま、”好き”で、且つ”得意”が重なっているものと出会ったということだと思います。
で、もしかすると、言える点があるとしたら、これは想像できることなんだけど、もし、これが今自分の仕事になっていなかったとしたら…12年続いていたかどうか? という部分は定かではない、というところはあります。仕事になっちゃったから継続できている、というのが大きいです。

そして私は、まるの日さんのように「過去に本を出して、一躍、その分野の界隈(彼の場合はヘミシンクというニッチな界隈)で有名人になって、いっぱい人が寄ってきて、もてはやされた」的な経験は、この仕事においてはありませんですし。
もう最初から地味~にひとりコツコツ欠かさず…の世界を12年展開しているだけです。
途中、リーディングブレスなどリーディングをお願いさせていただいたりのお二人の能力者さんにお手伝いいただいて、ちょっと違うことも取り入れてみたりの時期もありましたが、今はそれもやめて、基本はうちは私のひとり仕事です。

実は、まるの日さんのそういう、華やかなりし(?)時期の部分については、今まで、まったく知りませんでしたから、そういう時期のお話を初めてお伺いして、「へ~~~、過去はそうだったんだ」とかなり驚きました。
本をたくさんお出しになられていることはもちろん存じ上げておりましたけど。
スピリチュアルカテゴリ、という時点で、この世的にはマイナーであり日陰者(笑)なのですから。
…というのは冗談ですが^^、そういったものが世の中に出ていく際の、本人の喜びということでなら、理解できます。
私も僭越ながら、10年は作家やって毎年必ず音盤は何かしら出ていましたので(残念ながら一番売れた代表作でもオリコン初登場10位止まりでしたけど)そういう、自分が手がけた何かしらが、自分のクレジットで世の中に流通されていく、たとえ誰も知らないような楽曲でたいしてお金にならなくても^^まぁ、CDになる、って決まって発売される現実じたいはいつも嬉しかったですので、そういう嬉しさじたいは過去に自分は経験していますから、当人のその嬉しい気持ちは理解できます。

ただ、おそらく、自分がそういうことを特段”凄い”とか思っていない、自分自身経験済みの普通の感覚を過去に持ってしまっていたので、個人的には、申し訳ないけれど私は、まるの日さんが”本を出している人だから凄い”と思ったことは一度もなくてですね(笑)。
(私のような感覚でなくても、今の時代これだけ本が溢れていますから、それほど昔よりは本のバリューは落ちているようにも感じるので、本出しています、とその本人が一生懸命それをアピールしない限りは(笑)、誰にも気づかれませんよね。つまり出した本を売る…本関係でネームバリュー持つには相当の社会現象レベルで、それも継続してそれができないと無理ですしね。一発屋程度ではすぐ忘れられます)
そうではなく、こんなわかりにくい見えない世界について”人にそれを理解できるように教えることができる能力じたいが凄い”と思うのです。なんらかの宗教観的なものに偏っていたり、何々の神様がどうこう、とかそっち系ではなく、見えない世界をふつうのこととしてわかりやすく説明できるスピ系の人は、実際あんまりいない気がしますから。
(ただ、私にはわかりやすい、と思えるのですが、人に寄っては「???」なニュアンスに感じられる可能性もなきにしもあらず…もしかすると。一般的には…って、何を一般的とするか、ですが、まるの日さんの伝えておられるニュアンスが「よくわからない…」と思う方も、今はまだ多いかも知れません。私だって^^全部わかってるというわけではないです。全部のワークショップに参加しているというわけでもないですし。特に、きゃぴっとした(笑)願い叶える系のほうや占い好きとかのスピ好きの人だと、さっぱりわからないか、苦手、ちょっと敬遠したいものに感じるかもしれません)
将来もしかすると、また、次のスピブームのサイクルが訪れることがあれば、まるの日さんあたりは今度は”次世代のスピリチュアルデビューの人向けに”再ブレイクする可能性はあるんじゃないかしら? とも思えます。御本人がそれをやりたいかどうかは別にして。

ちなみに、時の人っぽく、それが知る人ぞ知るのニッチな界隈であっても、そこで名の通った人には、わらわらと大勢の人というのは寄ってくるんです。一躍ニッチ市場で有名になった人には、その業界にかかわる人、興味のある大勢の人々が本当に寄ってきます。
(石の世界も見てるとそうでしょ(笑)。ヘブンもそうだけど、ディビットもそう。私は素直~にそこの部分は受け入れていますが、”人気だから”だけじゃないところで石そのものはセレクトしてますよ。ディビットの提供するものならすべて買います! レベルの信者(笑)ではなく、こっちに必要なものはがっつりいただく、というバランス感はちゃんと持っております)

実は私はこれは、私自身ではなく、うちのパートナーがむっか~し、まさにその状態になった時期がありまして。
私自身の経験とは言えませんが、そばでその様子をずっと見ていた、という経験なら、しております。
そのことを、その話を聞いて、そうね…そういえばそうだったな…と思い出しました。
名前が世に出る、しかも、それなりの偉業と見える、なんらかのヒット(というかまぁ、その業界におけるカリスマっぽい仕事をすると)をとばすとですね…本当に、「いったいコイツは何様なんだ」とびっくりするレベルで(笑)、ものすごい人が大勢押し寄せてきて、賛美してくれるようになりますし、その後の発言力にも凄い影響力が出てくるのです。
当然ですが、よいしょする人、仕事を得ようとコラボしたがる人…どんどん、人が寄ってきます。
「知り合いになろうとする」人々というのでしょうかね…それが自分のバリューになると思っている感じの人たち、ですね。
女子にも(笑)なんだか人気でしたね…(あんまり見た目が云々というのが本来無関係なはずの業界で、見た目がちょっとだけナイスっていうのは、けっこうポテンシャル高い実例ですかね…あの、神様なんたら、という本を出してそれがヒットした男の子なんかもあのちょっとスピ業界には少ないタイプに思われる、整ったおフェイスが(笑)きっと女性人気に寄与しているんですよ…あたしにはそれがわかります…スピの内容という本質だけじゃないんですよ^^人気というものは。)。

で、私はなんでこの人が(笑)こんな成功者扱いみたいなことになっているのかと^^、と思いつつも、そりゃまぁ、悪い気はしていませんでしたけど、人のことなので(←ヲイ)なんかピンと来ていなかったところもあったのと、私自身はその方面にまったく門外漢でしたから、正直その凄さじたいが理解できず^^みたいなところもありましたのと(昔ノーベル賞を取った方の奥様が、会社でこの人は凄い仕事をしていたんですね…とはじめて知りました、って(笑)言ってましたが、その気持がわかるわ~と思いましたもん)、それよりも過去にね…彼に関しては音楽の分野でもっと凄い話があって、私はその時に超超超舞い上がって、それがヤツのあやうく小指切断事故しかも本人の不注意という自分でやっちゃった怪我というハプニングにより、もう一生、二度とベースが弾けない、ってことになってしまって、その夢物語がご破産になってしまった時のあの残念な思い出が^^あったから(でも彼は私ほどにがっかりはしていなかったんですよね~あの当時。まぁライブやるのが好きじゃないんじゃ^^そりゃそうだよね)、そういう、音楽じゃない分野で人にちやほやされてる姿を見ながら、どこかで嬉しさもありつつ、人がブレイクするってこういう感じだったんだ…と冷静でした。それでもまぁ、この人がこのような才があるとは…という部分に関しては、素直に凄いな、良かったね、いっぱいの人々に喜ばれて役に立てて、と喜んではおりました。

何かで成功したように見えて、人にもてはやされる、一見おいしそうな部分…。
こういうのってね、いい時はいいんです。
しかし、逆境に立った時。
面白いように、その人波は引いてゆくのでございます。見事なものです。
その様子も、そばで見て、知っておりました。(でも本当にはその痛みには当時は無理解だったです。いちばん近くにいる人間の自分で、いちばんの味方になってあげなければいけないはずでしたが、そうではなかった自分だったということはわかっていて反省しています。私は私で精一杯のところがあった時代の話でもあって。)
今現在は彼自身は、気持ちの整理が100%ついたわけではないと思うけれど、自分が残した功績のようなものが、のちにその業界においてバイブル化されている、基礎の基礎、というものを作る黎明期に貢献したのかもしれないな、ということには誇りは持っているようです。
なので自分自身は経験していないのですが、その感じの天国~地獄、的な様相については多少わかっているところはあります。

まるの日さんご自身も、まぁ、有名になってそのようにわらわら寄ってくるさまざまな人々に翻弄され、そういう紆余曲折あって、そして、人波が引いていくそういった心痛経験もしつつ、ご自身の方向性を意を決して独立独歩でやっていけるようになる段階までは、色々とステップがあったようなのですね。

私はまるの日さんの夜会やワークショップに時々行くようになるご縁をいただいて3年くらいだと思うんですが、「そんな最初は人がいっぱい寄ってきてもてはやされて人に囲まれた感じだった人なんだ~~~」ということは、まったく感じられず。
今のような感じでず~っとひとり黙々淡々とやってこられた方なのだとばかり(笑)ずっと思っておりました。
(それがご自身の”本質”に沿っている状態だからこそ、おそらく、ずっとそうしてきている人にしか見えなかったんだと思いますけど)
だから、その、人とつるまない、”ぼっちっぷり”が(笑)「なんか非常に自分に似ている人だな…」とも、勝手にそう思っていたわけですから。
でもまぁ、これで、ぼっち歴も私のほうが実は相当長かった(実働年数というキャリアも12年なので私のほうが2年長い…)ということがわかりました(笑)。年数だけだとおいらは先輩じゃないですか(笑)。

それでも、まるの日さんは私の先生だと、私は思っていますよ。
たくさんのことを教えていただき、実際にまるの日さんに出会って以降の人生は良い方向へ動いておりますから。
私のスピリチュアルな師のお一人です。
上手に先生にスポットライトを当てていきたいと思っています。(私が語ることでご迷惑にならないように)

あ、そうそう、まるの日さんは現在、「人間ロゴストロン」(笑。私が勝手に命名)というお仕事も始めておられますよ。
まるの日さん宛にただメール出すだけでヒーリングされていく、という「メールdeヒーリング」というやつであやしさ満点ですが(笑)ロゴストロンL買えば初期費用60万円かかるし、構文というやつをいちいち自分で書いたりセレクトしたり入れ替えなきゃいけない手間など考えると(あたしはそれが非常に面倒くさいから結局やっぱり全然いじってないです^^。それにロゴストロンLで発信しなくても、実は「願ったことは叶う体質」というのがありまして、もともと「石」でそれを培ってきている人にとっては「必要なことは叶う」ようにできているところがありますので。たいていそれを自分が願ったことも忘れてたりするんですけど^^)、ただメールを書いてだせばいいっていうのはいいと思いますよ。しかも期間内は無制限にメール出していいそうだから。「高次宛のお手紙」のようなものですよ。ひと月5千円だから、まるの日さんに一年間12ヶ月そのメールdeヒーリングをお願いしてもたったの6万。ロゴストロンL一台ぶんのお代で10年お願いできますよ(笑)。ロゴLも機械だから10年そもそも使えるかどうかだってわかりませんし。それにさすがに10年は必要ないでしょう^^。
「人間ロゴストロン」お薦めだな~。まるの日さんのスペックだと、ロゴLのほうじゃなくて、ロゴ100レベルのようにも感じるし。だから超リーズナブルです。(ちなみに、ロゴ100はロゴL上位機種で、超ハイスペックだそうですが、お値段200万円です…誰が買うんだよ…って感じですけど^^、けっこう売れてるっぽいですよ)
ロゴストロンもそうですし、私が扱う天然石も結局のところ同じ要素があるのですが、「その人の魂に沿った願い、魂部分の目的を実現していくための願い」はその人にとって最適のタイミングで叶えられていきます。しかもそういうのは、その人が持つブロックがはずれれば、そんなにそんなにそこに時間はかからんです。(ただまぁ、このブロックはずしが^^時間かかる人はかかるからね~)
なので、それが素直にそう感じられる信じられる人は別ですが、「自分の願いや生き方はそもそも自分の本質に沿っているんだろうか?」っていうことを知りたかったり(叶わないっていうのは願いそのものが明後日の方向を向いてたり、表面的に願っていても本当は実はハートからの本心じゃないってことだから)それを自分を探っていくためにも、文章化して、それを「高次に投げる」ことを、ちゃんとそれを「高次の住所を間違わずに届けてくれる方」に託すのはいいと思います。(なんか素敵な呼び方ね(笑)「高次の住所」って^^自分で言ってて笑っちゃう。ちなみに、石でそれやってくれるのが、いわゆるハイフリークエンシー系が話が早いところはあります。)
自分でそれが直接高次宛にできる、そのやりとりに慣れてる人はぜんぜんこういうのは必要ないかもしれませんけれど、切羽詰まってる人(笑)には凄くいいサービスだと思うわ。
但しこれはまるの日さんからのレクチャーやアドバイスを受けるわけじゃなく(受け取りました読みました確認メールは届くのかもしれませんが)、彼は「高次の正確な住所に手渡しで直接配達する」その人がその人の本質的なエネルギーに繋がるところをしてくれて、答えを出すのはまるの日さんじゃなくて本人です。あとはその後の現実の「現象」でメール送った人が判断する、という感じみたいだから…こういうのに慣れていない人にとって、高次メッセージに気づく、自分のホントウの願いに気づくレッスンにもなるんじゃないかな。
私たち「石が好きな人間」は、これをみなさん「無意識に」やっている人はやっているのです。
無意識だから、本人自覚がなくて、「自分はそんなことはできない、できていない」と、”できている確証”がだんだん欲しくなってきたりすることもあるかもしれませんが(笑)できている、って、結局それがわかるのは本人だけです。
なので何やっても現実が一向に変わらないから高次に繋がろう、みたいな感じじゃなくて、まずすべて認める、そこからなんですよね。サイトはこちらね。一応リンクしておきます。→「遠隔メールで自動ヒーリングお申込みページ」


彼は「プロフェッショナルとは?」について、「最初にお金の話ができること」と(笑)いうことをおっしゃっておられましたけれど。
これはおそらく、アマチュア特有のパターンとして、「お金のためじゃない」とか「好きだからできる」とか”お金を度外視、無視”することが綺麗目に情熱を美化する手法(ごまかしなんですけど結局)だったり、それが「純粋さ」「ココロの綺麗さ」と勘違いするところではあるので。
(過去に私は音楽業界などでは…こういった純な素人の情熱を無償搾取する^^そういった世界もあることを見てきましたし。私はそのテの無償搾取な世界は嫌いでしたし、そういう仕事はやったことはありませんけれど。ただたしかにまぁ、一度だけ自分の好きなアーティストでした方のお手伝いは無償でやったことはありますね。自分の経験のために。でもそれもむしろ長く続かなかった、途中で頓挫してしまったのが良かったんだろうなと今は思いますね。肝心のボーカリストの子が途中で事務所鞍替えして^^いなくなったからなんですけどね)

それから、「お金の話をしないこと」「無償奉仕」すること「自己犠牲精神」こそが心が美しいという大きな勘違いを、精神世界ハマりの人間ほど持っていることも多いですし(私も過去にそうでした)、スピリチュアル系に関しては、その恩恵を受け取る側が、それを良心というか正しいありかたとして提供者へ期待する感情も一般的な商業分野よりもある気がします。「良心的」と(笑)廉価でご提供したり無償提供することなどで言われがちです。私も過去にソレ、言われることがよくありましたし、自分でもそれが良心的スピリチュアルだと思っていた時期もあったのですが、今は違います。一般的商業分野よりも、そういうものが望まれている感も一部で感じられるのは、たぶんですが、スピリチュアル系の人ならココロが美しくて人の痛みをわかってくれるはずで思いやりがあるだろうから、っていう相手への奉仕の期待感なのかもしれないです。

とくに、スピリチュアル系に限らずなのかもしれないですが、お金のブロック持っていたり、極端に、お金が好きだったり嫌いだったりのアンバランスさを持つ人は多いことは多いですが、スピリチュアル方面はそういう人だからこそ、そこを改善しようととっかかりとして関心を持つ分野の場合もあると思うので、そこで揉めるとかそういうことになりやすいのかもしれないんだな…と思いました。何かがうまくいかない流れになってきた時に、顕著にそこに顕れてくるものでもあると思います。

「こっちのほうが本物」とか(笑)、そういう一派を作り出したり、仲間割れしたり。
そういえば、そういう仲間割れに関しては、私はお客さんとして行っていただけだったから、その様相を外野から見ていただけだったけれど、かつて、あのアセンショングループさんなんかにも見受けられましたね(AENAさん。憶えてる人は憶えておられるかしら)。あれも、最後は結局なんだかな~とは思いましたけれど、アセンションとか愛と光とか普段言ってる人々が結局こっちが正しい正しくない言い出す世界は、実際に確かにあるようですよね。ていうか、そういえば、それでしたね(笑)。
なんていうか^^、残念ですけれど、スピ界隈でもそういうことはあるんですよね。
どろどろ人間劇場…ましてやスピ分野なんだからそういうのよそうぜ、って、外から見てるだけだから言えるけれど、たしかにまぁ、あるのは見ましたね。最後空中分解してたもんなぁ。

あれも^^お客さんな立場と、当事者たちとでは、違うものなのでしょう。
私は、みなさんのことが、まぁまぁどなたのことも好きだったから、ちょっとそれが残念な感じもそういえばしていましたね。
でも、なくなっちゃうと困るレベルでそういった集まりじたいに依存していたわけではないので、仕方ないな…アセンションは自分でするしかないわねやっぱり、と思うしかありませんでしたが(笑)。

ここでもね、私は、「スピリチュアルスキルがあるなら、ご自身をアピールしてくださいね」と言われていたんですけれど(笑)、「あ、とくに、自分そういうのはいいです。あたしはアセンションさせてあげられないし」とご遠慮して^^あくまで外野というか、お客さんでい続けていたところがあったんだけど、それで良かったな~ってあとから思ったことは思いました。
私がそういう多くの人の集まるところで、どうして率先して自分の宣伝をしたいと思わなかったのかというと…「とくにここで集客しなきゃ困ってるわけでもない」という自分にはそういう有り難い事情があったのもありましたし、なんか私はその手の人がやっている催しの集まりにかこつけてトモダチ作るとか自分の売り込みをするだとか^^そういうのがですね、昔から苦手なクチなの。有名人に擦り寄るとか権力(中心人物)に擦り寄るのが苦手なのよ。もともと団体行動が好きじゃない体質なんだから(笑)。

でも多くのコミュニティって、もっともそういった三次元構造から離れようというテーマの人々の中でさえ^^、そういう人間同士のいたしかたない構造ができてくるもので、実際、”ちやほや擦り寄られたい”っていう人も何気に多い気がするし(笑)、また、そういうのをよいしょしておいて、自分がそれを利用しようとする人も集まってくるものなのかもしれませんね。つまりああいう集まりで自分の宣伝をする人々というのは…自分の集客がしたくて来ている人の可能性というのもあった、ということだったんですね~。そういえばけっこうそういう人いっぱいいたんだけど。フェイスブックのトモダチ増やしたい人とか。そうかそういうことだったのね~今頃気がつきました(笑)。
そういえば、「ここに出入りしていて僕のことを知らないの?!」って(笑)なんかすっかり有名人気取りになってた人に、「すみません、知りませんでした」って^^言ってがっかりされたことあったな~。大笑いですよね。なのであとで調べてみたら元キックボクサーかなんかでやたらにフェイスブックの友人増やすことに血道を上げている人でした。はい、これであなたのことは「知りましたよ~」とその時思いました。単に知っただけですけど(笑)。当時はこういう、ただただ目立ちたがり屋な人もいましたそういえば。忘れてたけど。

タキさんが色々アテンドして紹介してくださったスピセミナーワークショップ的なものの中で、本物だ~~~って思ったのはSORAさんという古武術から発展させたメソッドをされている方と古代楽器の高橋さんという方(どちらもタキさんがAENAと分離してから見つけた人々でしたねそういえば。こういう選択眼は良かったと思うんだけどな)。
いずれも、淡々と黙々と「ピン」で地道に活動されている人、ご自身がその道を歩まれ体得して作り上げてきた過程での現在がある、というのが共通項でした。そして、アセンションの「ア」の字も(笑)言ってませんでしたね。
あれですわね、本物は「人といちゃいちゃヨイショ同士つるまないでも、ひとりでやっていける」ということなのかも。
そういう一面がある、ということです。つるんでいる人々がすべて偽物という意味ではありませんよ。そしてピンがみんな本物ってわけでもありません。もともとはみんなピンですし。規模が大きくなってきちゃうと、ひとりではできない一大事業になってきてしまうこともありますので。
(個人的に思うことですが、人同士がコラボする相乗効果が顕著だな~と思うのは、ダンスグループとか。東京ゲゲゲイってもんのすごくカッコイイですよね^^知ってます?…ってスピリチュアル違うやん、と思われるかもしれませんが(笑)。いや観てみてくださいよ~ほんとダンスの実力が超ハイレベルなんですよ。日本人もここまできたかを思わされます。このレベルをシナジーっていうのだなと思わされます。ただ表現内容が”キテレツメンテルワールド”、のとおり、ちょいキワモノでホラーです^^。そこ見ちゃうと、ちょっとアレなんですが。昨今の音楽って私は「こういうの聴いてて今の若者はこういうのに影響されて大丈夫なんだろうか…」ってちょっと思っていたところもあったんですけど、少しそのへん考えが変わりました。むしろ、「恋愛とかを醒めた角度から観れる」ようになったり。惚れた晴れたとか愛だ恋だで絶望することもあるセンチメンタリズムな人間ってなんだかホラーで妖怪で笑える。っていう部分も俯瞰でわかっておける、っていうのはいいかもしれないです、なんとなく。マイキーさんという方がリーダーでダンス教える先生でもあるようですが、やっぱゲイの人ってセンスあるんだよな~を思わされました。この方も特定の師を持たずにやってきている方のようですね、そういえば)

見分けとしては、結果的に、相乗効果で規模が拡大している、というのではなく、「規模を大きくしようとしてつるんでいる」という感じだと、ちょいそこには「自分の非力を人に埋めてもらおうとする」心根があるのかもしれないです。
(でもたぶんそういうのは「無意識」であることも多いと思うから、当人自覚なしにやってることも多いと思う)
私もこういうのは、人の非難とかできるわけでもなく^^何年か前までは、ココロの何処かで「人に宣伝してもらいたいな~」って思ってるところがありました。でも、これは上記のような自分の非力を人に埋めてもらいたがっている甘えだと気づき、宣伝が必要なら自分で宣伝費を出して広告すればいいんだ、と気づいて実行するようになってからは、広告への抵抗感がまったくなくなりました。

「人に知ってもらいたい。そのために、いいって言ってもらってそれを他人に伝えてもらいたい」という依頼心持ってる人は、自分でお金出して広告してみるとわかるよ。こっちのほうがずっとエネルギーの観点からもまっとうで効率的よ。せっせとSNSのトモダチ集めに奔走したりスピ仲間つくって互いに褒め合って宣伝したりとか(笑)そういう知り合い作るための手間やコスト、おつきあいの時間も必要ありませんから、その時間とエネルギーを自分の仕事へ集中して注げますので、結果、とてもいい感じになりますよ。

私は実は、スピ同業者の知り合いとかお取引先の人は多少いても、そのテの”トモダチ”がいない人間なので、「傷の舐めあい」的な(笑)世界も知らないで済んでいるのですよ。
昔は、そういうつるんでお仲間でスピコラボしているみなさんが「いったいどこぞでどうやって知り合ってそうなるんだろう…」と(笑)少し羨ましくも思っていたことはあるのですが、トモダチがいないおかげで、考えてみると、「仕事の愚痴を言う相手がいないし、聞かされることもない」わけだから^^、駄目なパターンのメビウスにハマる機会をあんまり持たずにやってくることができた…とも言える気がします。そこは今にして思うと、これもやっぱりラッキーだったのねと。
過去のスピリチュアルブームで、色んなヒーリングですとかで開業されたりの方もたくさんいらっしゃったと思いますが、スピブームが去って、その中でどれだけのそれらが残っているのか? でわかることかな。
まぁ、私は孤独に慣れていて、それが好きな、三次元的にはコイツ付き合い悪いと言われるレベルなんだろうなタイプなので(笑)できたことです。
へたに仲良しさんがいると、ただ視野が広がったり事情通になるだけではなく、どんぐりの背くらべ的に人のことが気になったり共通の知り合いの噂話になってみたり、きっとそういうところあると思うから。それを始めると、自分のレベルに限定感が生まれやすくなりますよね。もちろん、イイことだけ語り合える人々ならいいけれど、よく考えてみると、スピ方面の人ほどノージャッジじゃない(笑)こともけっこう多いのよ。
ひとりでも楽しくいられる方には、ピン仕事をお薦めします。
人と関わりたい、みたいな人でも、トモダチを作りたいだけなのか? 人となんのために関わりたいのか? というところでしょうね、大事なのは。何をどう提供したいのか、もそうだし、何を受け取りたいのか、もそうだし。
漠然と”ひとりだと寂しいから”というのもあるかもしれないけど(笑)、ひとりが寂しいって言ってる時は他人といてもやっぱり寂しいんじゃないのかな。私は若い頃にそういう感じの時期も経験してきてるから。誰といてもなんか寂しかったな(笑)そういえば。
たぶん以前自分が、広告に抵抗感があった感情というのは、「たくさんの人がいいって言ってる」という口コミや人気のほうが多くの人は真実のような気がしているだろうし、自分が人気がないのは実力がないからかもしれないっていう自信のなさや、そんなにいいものならもっと多くの人が良いって言ってるはずだという(笑)ずぶずぶの固定観念、結局これじたいがまさに「洗脳」みたいなものなんですけれど、どこかで人間そういう多勢趨勢のエネルギー加勢を自分が何もしないうちから先に欲しがるわけですよ。「人に応援して欲しい」みたいな、そういうクレクレな。自分で自分を応援しないで、人のソレを当てにするの。
でもね、のちに感じるようになったんですけれど、口コミというのは、いいって言ってるのは自分ひとりじゃないみんなが言ってるし、っていう他者加勢を大いに取り入れて口を揃えて言っているところもあるから、必ずしも本当に言ってるひとりひとりがいいと感じているかどうかはわからないのです。単に見栄とか体裁やファン同士の競争心理や、人に説明する時に、人気がある有名どころの場合「あ!その人なら知ってる~」みたいなほうが他人に説明もしやすい、みたいな心理もはたらきますから。だから、有名というのはそういう点でも非常に便利なところがあるので(笑)誰もが有名になりたいな~と思い、有名になれそうな手段に飛びつきたくなるのもしかたないところもあるんですけどね。名が通っていると、人に紹介しやすい、そういうのもあるのはこの世の事実だものね。
実はそういう点において、過去、「有名どころからなぜか無名のうちに流れてきた」っていうお客様がけっこうな数いらっしゃったんですが^^、あれなんですよね~、なぜにそういう人もこんなに多いのに、うちはこんな辺境ストーン屋のままなんだろう…っていう、昔、なんとも言えぬモヤンとした感情があって^^、勝手にそういった知名度のあるところへのライバル心のようなものが芽生えてる時もあったんですけど(笑)そういえば多少そんな感情持ってたこともあったなぁ…と今思い出しました。うちのほうが実力は上とまでは言わないけど絶対に負けてないよね~とか(笑)そういうやつですよ。なのに知名度がないばっかりに…みたいなこと、そういえば考えてたなぁ。シットだったんですかね(笑)こういうのも。
気づけば、けっこう私、色々なネガティブ感情をいつのまにか手放してるんですね~…その手合いのことで、今、ココロが揺さぶられる感は誰が相手だろうとまったくないですね。今の今まで気づいてもいなかった。

人が何かを良いとか凄いとか(もしくは、その逆に、こき下ろしている場合も)って言ってる場合には、本当にその人自身の体験や実感が伴ってそう言ってることなのか? 相手を知っていて言ってるのか? ということは、実際はわからないし、ひとつのバロメーターではあります。(でもこれもどれだけ「相手を知っている」「経験した」「実感した」と言っても、どこまでも結局、人のことはわからないし、それが自分にどうなのか? という点は千差万別ではありますが)
ディスっているようなブログなんかも、具体像ぼやかして、表面的な特徴的なところだけをピックアップして、”スピリチュアルひとくくり”でキラキラスピとか批判してるようなケースもよくあるけど、そういうのは具体的に対象名を示してあげたほうが、単純に「ここはやめとけ」という警告発信がしたいのであれば、読んでる人にも親切ですよね。その先に、自分の言ってることが正しいと主張したい、そのために他者批判を使う、これもいわばそれを言っている人が他の人の注目を引いて人を集めるためのある種の手法でもあるわけですから(多くの人が信じているかどうかは別に「多く見聞きする」とみられるタイプの話への逆説提示はいわゆるマーケティング的な意味で効果的に人目を引く手法です)。

大勢の人の支持のありそうなものをいちいち疑う必要はありませんが(これも逆に今度はマイナーびいき癖の人が陥る悪い癖です)、よく「自分自身の感覚、直観を大事にして」とお伝えしているのは、その人自身にとって、それが今もっとも共鳴していることだからです。これでいいのかな? って自信ない気持ちもわかりますが(笑)いいのです。
そういう意味では、大勢とつるむことに共鳴していてそれが心から楽しくて仕方ないという人はそれがその人の過程ということなので、それでいいとも言えます(笑)。ただ、本当はそう思っていないのに流されている楽しいふりをしていたり打算的に周りに合わせてるだけかな、などと本心に気づいている人にとっては、時間の無駄になります(でもこれも”無駄”と言い切ってしまわなくても、そこでの気付きもたくさんあるので、本人の本質へ向かうロードの一環であるとも言えます。人生、無駄はないのです)。
だけど、昨今の10代20代くらいの子たちは、おそらく今の大人たちよりも「自分セレクト」で当たり前になりつつある時代に生きているから、こういう、見た目の表層人気に左右される世界も(世論調査や視聴率みたいなものです。実は根拠の薄い数字ではあるんだけど、そう思わされちゃう数字)、あと10年20年で相当変わってくるのではないだろうかと期待できますね。
今の10代20代の子らは、選択肢の多さにも慣れているでしょうから。
と言っても、選択肢が多い=可能性が多い、ということでもないのと、マスに流されなくても、仲間内とか密な人、近い人からの影響も多いのもいっしょといえばいっしょだから、親がどういう人なのかはやっぱり普遍的に大事は大事ですね。

もし私がですね、仮に、ちやほやと多くの人が私のネームバリューに寄ってくるレベルのまさかのバリューなんてものを、この仕事において、過去に持ってしまうことなんかになっていたら。
たぶん、今コレをやれていなかったんじゃないのかなぁ、って思います。
このブログを始める前に、私は本当は、石の本なら書きたい、と思って本を出したくて奔走していたのですが(12年以上前の話だけど、当時は今みたいに石の本がほとんど出版されていなかったのです)それはあえなく成就することはありませんでした。
あの頃はね、やっぱり占い師としてのネームバリューがあったり、そういう感じじゃないと出版社も二の足踏むというか、企画自体がどうこうじゃないところがあったのですよ。でもその一年後くらいから、どんどん石の本が出てきたから、「やっぱりあたしの、出すなら今だったのに~~~」の先見の明は正しかったのだ、と思ってもいましたし、それなりに悔しかったんですけれど、これもですね…ずっとのちに、あの当時に、本なんか出せていなくって良かったんだな~~~ということを、思うようになりました。

なぜなら…実はね、本とか出したりして著名人になっている、ということと、その本人の本来の職業「実業での益」というのは…あんまりリンクしていないケースも、この世では多かったりするのです。
むしろ知名度ができちゃうとそういった専門の方面でテレビとかマスコミとか色々引っ張り出されて忙しくなっちゃうから、自分自身の肝心の本業のほうにかける時間が少なくなってそっちが疎かになってしまい、とくに世の中的には有名というわけではない同業者のほうが、そういう忙しい著名人よりもずっと稼いでいる(笑。しかも本業外のことに煩わされずに)なんてケースはザラのようです。
そして、まるの日さんの夜会の話をお伺いしても、「やっぱり、そういう本出したりして、へたに有名人扱いなんかされていないこの12年で、私はひじょうにラッキーだったんだな…」って思いましたし。
(つか、本の印税って…長年あんまりそういう分野に携わってなかったから知らなかったんだけど…今って、激安なんですね~。びっくりしました。大昔、作詞の印税率、私は4%だったんですけれど、ちょっと考えればおわかりいただけると思いますが、CD1万枚売れても4万円なんです。食えるわけが(笑)ありませんでしょ。音盤は印税率は本よりも低い、というのが昔の常識だったんだけど、今の時代、本一冊書くのに、なんとそれより低い新人作家は3%…がスタートラインになってるようですね。なんか冗談じゃないって思うわ^^。「ヲイヲイ、本の印税は著者10%じゃないの~~~?! CDじゃないんだから~~~」って、かなりびっくりしました。昔、私が作詞家をやっていたその4%印税率の頃、その当時の本の場合の作家印税率10%というのを知って、それで「小説なら食える」と小説でも書くかと、そういう動機で小説書いたりしたこともありましたが、めんどくさくなって辞めたんだけど、小説家なんかにもならなくて^^ほんと良かったよ、としみじみ思いますわ。ただでさえ、本なんて今はもうそんなに売れない時代なんですから、それだけで生きていける人はほとんどいませんからね。しかも3%って(笑。あ、そういや、印税率の話をする前に断っちゃったから知らなかったんだ、これ。これを先に聞いていたらさらにゲンナリでしたね^^)。今は本の世界も昔よりさらに玉石混交。本書きたい人は本の印税で食おうとかお金にしようとか最初からムシのいいこと思っちゃダメよ。それほぼ無理だから^^。)

私にとってのプロフェッショナルは…そうですね~、実は私はこういう手合いの自分で何かをやることにおいて…「アマチュア時代がほぼないままにプロになる」というパターンがありまして(笑)なんかこう、自分がやろう、なれる、ってそう決めた分野においては、最速でプロになる、そういう人生パターンがあるんですよね。

なので、私にとってのプロというのは、「自分のなれるもの」という感覚があります。
そして、「なったから、できるのだ」という感じ? かしら。
なる前からなれるできるって思っているので、なっちゃったから(笑)能力を出すしかない…という、ものすごいパターンなのです。
「できるようになってから、なれる」って、たぶん、人は思いがちなのかもしれませんが。
そういうものでもないのです。
一生懸命勉強して、できるようになれば、そうなれるはず…って思って、勉強し続けるパターンにハマっている方も、いらっしゃるかもしれません。もちろん、分野によっては、そのような修行が必要な分野もあると思いますので、必ず「プロとはこのパターン」ということを言っているわけではありません。

あくまでも、私の場合は、ですけれど。
「自分のなれるもの」…そういう感じでしょうか。

私が今でもアマチュアと言えるのは…
「賢い妻になること」とか^^そういう分野かもしれません。
この部分は、なかなかプロとは言えないです。長年修行していますが修行の身です。努力精進のしがいのある分野でございます(笑)。
つまり…人間としては…まだまだ、ひよっこです。ということです。
(「なる前からなれる」…って、そういえば…これに関してはまったく思っていなかった…(笑)ということに、今気が付きました(目からウロコ)。そうか、これも^^「努力してなるもの」にしようとしているから、そうなれた気がしていない…のだということがわかりました。目指しちゃダメなんだ^^「なったから、できる」って思わないと^^)
ようやく、みなさんの当たり前になさっておられることのスタートラインに立てたような気分です(笑)。
脱アマチュアになります。当面の私の目標はこれかな。ようやく、それが「自分のやれることかもしれない」というところに^^来ているのかもしれないです。


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カテゴリ :  私の体験(石系 & スピ系)
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