これも「スピ罠」ですよ

2017年10月14日 (土) 00 : 00

(お写真はアーカンソー産水晶クラスターにチタン蒸着のチタニウムクォーツ。ブラックアクアオーラとも言われます。またオーラ系カップリングもやりたいところですね~。「なんかガソリン切れる」やる気のない人に(笑)オーラ系はお薦め)


「自分のやりたいことをしよう」という話を目にすると、そもそもですが、「それじたいがわからないんです」ということになる方も多いと思います。
そういう場合は、とくにそんなことを探さなくてもいいんじゃないかな、と思います(笑)。

…だと話が終わってしまいますけど。


でも実際、探してどうこう、のことでもないようには思うのです。

ただ、今現在の自分の有り様を見て、「これが自分の有り様としてもっとも適切なんだろうか」ということは、おそらく「感覚的」に、なんとな~く、なんか違うぞ、とか、気持ちが落ち着かないとか、そういうものってあると思います。

なら、どうあれば、自分が自分をいい感じ、って思えるのか?
ということを、考えてみるのは、無駄ではないと思います。

石は、そういう内観をスムーズにしてくれることを手伝ってくれます。
焦らず、一歩、一歩、いきましょう。


ここで大事なのは。

それが、「他者基準」から見た、それではないこと。
世間一般の年齢基準、平均年収ですとか、この年齢になればこのくらい、のようなものは、自分がそれに該当していない場合に、単に自己卑下要因しか生み出さないことも多いです。

なんというか、そういうモノサシを持ち出し始めると「自分の中の満たされていない範囲」ばかりを^^広範囲にわざわざ広げていく作業をしていることになっていくんです。

ただこれも、使い方によっては、良い指標、自分を底上げしていくための参考として使える場合もありますので、なにがなんでも、他者基準を排除せよ、みたいなことでもないと思います。


これは自分自身も反省しているところでもあるのですが、スピリチュアル方面の解釈というのは、ちょっと極端にこの「他者基準」を見ないように促す(これは自分も過去そうしていた)ところがありますが、三次元で生きてるということはこれはもう避けられないことでもあり、また、三次元だけではなく多次元的にも、自分の基準だけで存在を成し得ている状態であることじたいに無理があります。

このあたりのバランス感覚が上手になれること。
これがとてもスムーズに行っている時に、要するに、「素直な状態、嘘をついていない状態」というものが訪れるようになり、モノ&コトが動いていく、それと連動して、わざわざ探しまくらなくても、「自分のやりたいことをできている自分」であることが、むしろわかってくる…という感じ、なのです。


私がなぜ、やっぱり、時々、こういった他者基準も必要なことだったんだな(笑)と思うようになったのかというと。
とくに、「物質的生活」にとって、わりと重要なことだったんだな…ということに気が付かされた、というやんわり感というよりは、頭ひっぱたかれたような(笑)衝撃を^^今年、経験したこともありまして。


17年ぶりに引越をした、という話は、たびたびブログ記事の中に出てきますが。

私は、2年前くらいからでしょうか、この狭い空間からなんとか脱出しなくてはもう身が持たない^^的に、引越したいわ~、と言いつつ、愚図愚図していたのですが。

できなかったのには、色々な要因がありました。
まず、経済的なこと。
自分が満足できる状態をつくるためには、どう見ても、周辺相場的に、それまで支払っていた家賃の2倍になること。
これはやはり^^重い腰を上げるには勇気が入りました。
(だからといって、家賃相場の安い地域への引越…ということは考えてはおりませんでした。個人的に思うことですが、やはり人間、自分が住んでいて心地良い土地、街、に住むことがいちばんです。なので家賃を抑えるために都心のここらへんではないところを視野に入れるというのは、今の私にとっては「妥協」になってしまうので。これはあくまでも今の私にとって、です。いずれこのへんも考え方が変わる時が来るかもしれません。唐突に、自然がいちばん! と言い出し田舎暮らしなども^^し始めるかもしれませんので(笑))

ただ、できないことでもないな、ということはわかっていました。
自分のところの収支的には、そう考え始めた当時の頃ですと、ちょっとギリギリ感はあるものの、まぁ、できなくはないだろう、と思えてはいました。
しかしそのためには、その収支を維持できていく自信、それだけやるぞ! みたいな^^バイタリティみたいなものが必要で、私にはそこまでの勢いもなかったし、また、メリットという点で、家賃2倍ぶんの^^それだけの、2倍払うメリットが感じられなかった…というよりも、「感じようとしていなかった」というのがあります。

なんというか。
「自分のやりたいことに蓋をしている、見ないようにしている」状態^^そのもの、だったようにも思います。

こんな人間に(笑)みなさんに「やりたいことをしようよ~♪」などという(笑)そう言える資格があったんだろうか? と、今にして思うと、顔から火が出そうに、ちょっと恥ずかしいです。

これは、メリットを「感じようとしていなかった」のは、仮にメリットがわかったところで「そうなるとそれだけ、今よりお金がもっと必要になるわけだから、やっぱり大変そう」という逃げ腰な自分を認めたくなかったこともありますし。
また、そうなってみて、自分のその「大変そう」が^^実現しちゃった場合に、なかなか取り返しがつかない話でもあり。
要は、ガイド指南とは逆行していても、促されていても、そんな無謀な冒険やめとけやめとけ、の負担感のない道を行きたいマインド優勢だったわけですね。ど~しても^^まだまだ自分にも、こういう部分って、あります。
(でも実際に、現実がそのようになってみると。あの当時に感じていた「大丈夫なのかな…」の心配な感覚。これ、一切が消え失せておりまして。高次というのは、大丈夫じゃないことに関しては警報鳴らしますが。大丈夫なことに関しては、本人がどんなに弱腰でも、大丈夫でむしろそうしたほうがいいからこそ、促す…これは本当なんだな…ということを、感じる次第です。なにをいまさら^^な話ですが。そして、必要なのはより一層の自信とかバイタリティとか、私は勝手にそう思っていましたが。実は、より、それらを意識することがなくなっておりまして。むしろ、あの当時よりもそういうことをぜんぜん考えなくなっています。これについては、またいずれ考察してみます)


で、話が戻りますが。
その、「頭ひっぱたかれたような衝撃」の経験の話なんですが(笑)。

これは引越してみたら、もう、超大満足! 幸せ! とかそういう話ではないです(笑)。
その前段階の話。

「現実」を、目の当たりにしたのです。

実は、今引越した場所は、私が見つけたわけではなく、家のものが見つけまして。
(私はなんとなくもう、「引越したい」という願望がそれほどもうなくて、それに対するリアクションも、「ふ~ん。まぁ、それでもいいんじゃないの」という感じで、実はそれほどリアリティなかったんです^^)

でもまぁ、あんなに引越が嫌だと拒絶していた人間が、自分で見つけてきて、ここならいいよ、って言ってるわけなんだから。
ということで、私は、間髪入れず、不動産屋さんへと向かいまして、もろもろ、手続きを進める、というアクションをスタートさせることになりました。

ここで、「三次元ってこうなんだ」という、現実方面を^^知ることに。

実は…私の年収、この仕事の形態、これが、もろもろ必要書類を持参し不動産屋さんに出向き、あとから家に帰ってきて調べてわかったことなのですが。
「とてもじゃないが、保証会社の審査合格基準を満たしていないレベル」であることに(笑)愕然としたのです^^。

三次元世界でのこういったものの基準というのは、今尚、公務員、正社員、といったような「固定給、収入の保証があるような仕事」を持つ方のほうが、「社会的信用を持っている」という点で、上位ランクになります。
同じ年収であるなら、年収1千万円の自営業者よりも、遥かに、そちらのほうが^^信用度が高いのです。
自営で公務員レベルのそういった信用を得るには、その三倍年収&継続期間の長さが必要かと思います。
年収一千万の自営の信用度というのは、年収300~400万円台の会社員、そのあたりと同等な感じのようですね。
それだけ、自営系は、固定費支払い能力が薄い、水モノ的な見方をされている現実というのは、もう、ぜ~んぜん、社会的には払拭されていないし、払拭されるどころか^^、昔よりも、こういった類においてはですが、より、現状は厳しくなっていると思います。
そして、その自営の中でも、私のようなタイプの業種は(笑)さらに、輪をかけて^^厳しいですし、そもそも私の年収というのは、そういった一千万円クラスとかでさえありません。
(意識レベルの上がったお金のいらない愛と光の地球^^なんて、まだまだほど遠い話なのだ…と^^。これじゃ、こういう社会の中で、みなさん生きておられるわけですから、そりゃいくら、「レムリアの時代へ舵は切られているよ」とか(笑)スピの人が言ったところで、ピンとこないわな~~~とも、思いました^^)

私の年収、この職業の基準だと、つまり、以前住まわせていただいていた場所に支払っていた家賃が、まさに妥当というか(笑)、こう言ってしまうと、自己卑下を助長するような諦めみたいな、自営なんかやめたほうがいいよ、って^^みなさんの夢を壊す話になりそうなんですが、「所詮、その程度。自営なんて、社会的にはそんなもん」と思わされてしまうような、そういう社会通念の中で、生きているんだ…ということへのショックといったら、もう。

「あ~、確実に、間違いなく。保証会社の審査、あたし落ちるんだわ~」

そういうことが身にしみて感じられた時の落胆といったら。
こちらがいくら、「それくらい払えますよ」と言ったところで、それを信用される前提がないとみなされる世界がある、という。
このことにもう、正直、だから嫌なのよ、この三次元世界って。って悪態つきたくなるような^^、というか、「自分が10年越えて手がけてきた精一杯誠心誠意やってきたつもりの仕事の価値」が、まるで、この世的には低位レベルにしか評価されていないことへの、失意、っていうんでしょうかね。

だからね、実は、こりゃ無理なんだな~、そんな望みをもつことじたいが情弱でおバカだったんだ、って諦めていたんですよ。

それがなぜかですね。
審査が通ったのです。
その保証会社って、あとから調べていてわかっていたのですが、色んな保証会社があるんですけれど、中でも「厳しいほうの上位ランク」の保証会社だったので、間違いなく、審査が落ちるということを、覚悟していたんですけれど。

奇跡が(笑)起きたとしか言いようがなく。

さまざまに、この要因を振り返り、考えてみました。
(ただ…実は私…これって、自分の高次ガイドさんに、「こうなる結果」はなんとなく聞いていたことは聞いていたんですよね(笑)。でもそれを信じていませんでした。いくらなんでも、まさか自分はそこまでラッキーではないだろう…さすがに、こういった社会通念の常識までがひっくりかえるような、そういうことは起こらないだろう、って思っていたのです。そのくらい、自分の高次ガイダンスが「うっそ~」と信じられないくらいに^^、こういう現実があることを知ったことで、けっこう、がっつ~~~ん、と落ち込む要素はあったのでして。だから、みなさんが、高次ガイドなんて本当にいるのか? ガイダンスなんてあるのか? って信じられない気持ちもわかりますよ。時としてやはり「こりゃ無理だろう」的なことを「大丈夫」みたいな呑気なこと^^言われても現実考えると無理…とか、逆方向を指南される場合には、そう思っても無理ない話です)

おそらくポイントがあるとしたら。
私は、不動産会社さんじたいに、信用される要素があったこと。
これは何かというとですね、私は過去に、大手のデベロッパーで営業をやっていた経験がある、という話をブログでもしていましたが、私が出向いた不動産屋さんもそのデベロッパーと同じクラスの規模のいわゆる大手、という会社さんでした。しかもその会社が入るビルじたいに私自身も通っていたことがありまして。
なので、私は、今の仕事の説明ももちろんしながら、昔そこで営業マンもしていたんですよ~という当時の話などもして。
つまり、なんだかこの怪しげな仕事で(笑)生計を立て続けてきているだけの人間、というわけではなく、そういった過程を経て、独立、自営をしている、「一応、普通一般の社会経験も過去には持っている常識人」という部分、また、この仕事を始めてなんかうまくいっちゃって年収高くなって家賃高いところに引越しよう、みたいな浮ついた感じではなく、10年以上継続してきている実績と、その前にもそれと同等と言えるレベルの生計感覚を持った社会人経験があって、単にぽっと出でうまくいっちゃった自営ってわけでもない、というのが、伝わっていたのだろうと思います。
(またこれも、小さな不動産屋さん経由ではなく、ダイレクトに家主さん代理契約委託されている大手に直接行ってしまったところが、むしろそれで良かったのだろうと思います。普通は避けちゃうタイプの話なのかもしれませんが。私にとっては悲しいかな縁がある自分の経験値が高いのはこの世的には大手企業のほうなのです。だからって大企業びいきな性格ではないのですが^^。そもそも今ニュースにもなっているようですが、神戸製鋼など大手だからこそそんなことを絶対にしちゃいけないのに鋼材の強度改ざんとか信じられないことをしていたらしく。ともすると大企業というのは看板にあぐらをかいて信じられないようなことをしでかしていたり。そういう世界もありますからね・・・それでも、「社会的信用」ランクでは^^そっちのほうが上という世界は(笑)依然としてまだ横たわる話なんですが・・・タイムリーなニュースに驚きですわ)


つまり、「過去の私が、今の私を救った」という…考えてもみなかった経験なのでして。

正直、ほんと、あのデベロッパーでひいひい言いながら昔仕事していたわけでしたが、こんなことでも身を救われるとは、想像しておりませんでした。


「自分のやりたいこと」で、人生を一発逆転。
そういうことを考えて、もくろんでしまう方も、けっこう多いと思います。

これも、「スピ罠」のひとつ、です(笑)。

そんなふうに、自分のやりたいことをするばかりが、自分の人生の運行をスムーズにしていく、というわけではありません。
やりたいことをするのはもちろん、お薦めです。
しかし、たいしてやりたくなかったことであっても、「芸は身を助く」ではありませんが、人生で経てきた過程、経験そのものが、財産価値を持っていますし、それを「財産」として、堂々とプレゼンすることも、大事なのです。
ちなみに、これも昨日お話していた「営業力」的な要素のある話とも言えます(笑)。身についたものは「無意識に当然のごとく」にできるようになったりするのですが、これは決して「好きなことだからできている」わけでもない、という点がミソなのです。
だから、好きなことばっかりにこだわって偏ってやろうとしなくても、自分のやれることをやっていく、その姿勢があると、思いもしない能力が磨かれていることもあるので、好きなことも大事だけど、自分に「縁のあること」を大事にする、そして目の前の世界を生きることが秘訣なんですよね。よく言いますが「今ここ」とは、これですし、過去も未来も「今ここに同時にある」というのもこれですね。
(実は私は、不動産屋さんに出向く時には、この「社会の厳しさ」という、一般的な現状については、知識として知りませんでした(笑)。なので、ある意味、「知らなかったから、堂々と、申込みしに行っちゃった」あとで、こういった不動産の賃貸の世の中事情をリサーチして知りました。審査が通ったという奇跡を経験して、「知らないって、やっぱり最強」とも(笑)思いましたけれど、そういう「スピ技」に頼ることなく、しっかり、これからは、三次元的常識や事情もちゃんと参考にしつつ、生きていこう…と、フンドシの紐を締め直すことになりました)


焦らず、一歩、一歩、いきましょう。
そして、タイミングが来ている時に、大胆に行動してください。
(「そのタイミングがわからないんだよ」と^^いう声が聞こえてきますが、「もうぜんぜん焦っていない、その望みを手放している時」です。ことごとく、人生そんなもの、という感じがします)
スピリチュアル方面の謳う「期限」に無理に合わせようとしなくても、自分は流れに乗っている、ですとか、そういうことを意識することそのものが必要のないことですね。
(だから、願望実現のイメトレみたいなものをやり続けている限り、その願望は実現しなかったりするわけなのです)


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カテゴリ :  私の体験(石系 & スピ系)
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