(お写真は昨日まるの日さんからいただいた熊本の名産のお菓子です(笑))

昨日9月25日は、まるの日圭さんのセミナーへ行ってきました。
(これから「月末へ向けての予定」ということで、20日の記事でもちろっと書いてましたが、私はセミナー日程をすっかり勘違いしておりまして、24日だとばかり思っていたのですが、25日でした^^)
お題は「ガイドの声を書いてみよう」つまりまるの日さんがなさっているような感じの、高次ガイドとの対話形式というのか、そういう感じのことをどうやってやるの? みたいなレクチャー的な。
私が自分的テーマとしていた、「10年自分でもよくわからなかった、石組みの説明文が自動的に出てきてしまう、そのどこからどこまでが自分の思考でこの部分はガイダンス、という線引部分がクリアにわかるのではないか」なのですが^^、これはですね~、線引部分は、たぶん自分ではやっぱりもう感覚的にわかっているのだけど、その感覚を「ここがそう、ここがそうじゃない」と分ける必要性というのか、それじたいがあまりないような感じがしました。
「体験することから導き出されている思考そのものが、読んでくださっている方へのメッセージ、ガイダンスとして映るから、それを書かされている」側面のあることを、記述している…という感じでしょうかね。
私が書いている石の説明文というのは、これは考えてみると「私のためのもの」ではないのですね。
もちろん、私のための側面もあるのですが(仕事ですから)、自分のためだけであれば、わざわざ文章化などという面倒な作業はしなくても、自分だけの内側感覚でそれをわかっていればいいことなので。
だから、「なんでできるんだろう? そして、どこからどこまでが、高次ガイダンス?」というのは、もし私が私のためだけにそれをやろうというレベルでやろうとしたなら、これはやっぱりここまで流暢には^^ガイダンスとのコラボ作品としての説明文を書ける能力というのは生まれなかったものなんじゃないかな、という気がしました。
それから、「割合」「線引」という制限を自らが意識してしまうことで、むしろ、ガイダンスのニュアンスを「伝わりづらいものにしてしまう」制限を生み出すデメリットのほうが大きいかもしれないということも、わかりました。
私はそもそも石組み説明文を書く時というのは、アタマからっぽ、かつ、問いだらけです。
ガイドとの会話というのは、この「問い」が肝なんですね。
これは昔、アカシックレコードへのアクセス法というセミナーに参加したときにも自分が気づいたことなのですが、「なんだ、自分はもうそれやってるじゃん、普段から」という拍子抜け感が^^あったのですが、やはり肝心なのは「問い」です。
問いがないところに答えはないというか。
で、私は「石のことに関しては」湧くように^^ソレがありますし(仕事でもありますので)自分が作ったものに関しても、これは何だろうという問いまみれ(仕事でもありますので)なので、その問いの答えの一部、文章として表現できる体裁のエネルギーが、説明文となるわけです。
ですが、これがこと自分自身のこととなると、あんまりその手の問い的なものを発するのが、とたんに不得手となるというか^^。
なので、未だに自分のことに関する自分のガイド、自分自身へ向けてのガイダンス、という点では^^会話は不得手かもしれません。ぼ~っと、そのエネルギーを感じているだけでも、ま、いっか^^的なところもあるのと、何言ってるのかがわかる、わからない、への執着が生まれそうなことへの不安感もまだあるのだろうと思います。
ただこういうのも結局、「慣れ」「経験」なんだな…と、昨日のセミナーで感じました。
人は一度、補助輪はずして乗れるようになった自転車には、乗れるのです。
あとは補助輪はずして継続して毎日乗っていれば、それがもう、できなかった過去を忘れさせる当たり前の通常感覚になります。
私の石の説明文は、まさに「慣れ」「経験」と、自分的感覚のスイッチがあるので、できなかったらとかそういうレベルの不安要素が自分にない、いわゆる乗れるようになった自転車なのでして。
そういうことで、セミナー時間内では、何度かガイドコンタクトの実習タイム、それを全員でシェアする時間、ありますが。
最後の実習タイムに、「問い」がやっぱり肝なんだな~というツボを思い出したというか、やっぱりそうなのか~、と気付かされた自分は、ではこれからの自分ごとですが、今後の仕事について、どうしましょうかな質問をしてみました。
(これ、問いが大事といっても、「どうしたらいい?」が提案なしに完全に丸投げで、教えてGOOじゃありませんが^^自分ではなんの見当もつけずの相手が答えに困るような質問だと、なんのレスポンスもないんですよね^^。ていうか「それでいいんじゃないの」という話にしかならないような、「フツー」の返答だったり、結局、日常レベルの話であれば、日常の延長線上のレスポンスで当たり前なので、「それが高次ガイドなの?」的に、けっこう当たり前でつまらない答えがかえってくるものではあるのでして。)
私の今の仕事のやり方、やっていること、これからも続けていったほうがいいのでしょうか?
への返答は、意外な^^ものでした。(レスポンスなしかと^^思ってたんですが)
以下が、いわゆるその会話テイスト。
ガイドレスポンス「それももちろんだけど、違うことを始めてもいいんじゃないかしら」
私は、少し考えて(というよりも即レスしてましたけど^^)「それは、まさかの^^人のリーディングだとかヒーリングだとかのそれ系なんですかね?」
ガイドレスポンス「すぐにそれでなくても良い。まず、自分の周りの人をやってから。」
私「周りの人って一名しか^^いませんけど。○○ちゃん?」
ガイドレスポンス「その人しかいないでしょう。」
私「相手の許可がいるでしょう(ここで^^いやそれ、絶対に嫌がられるだろうという苦手感覚)。」
ガイドレスポンス「もらいなさいよ、練習に。それができるようになったら、自信がついて、彼が変化するのを見たら、きっとやりたくなるはず。他の人を。」
私「そういうことか…。いやまぁ、そりゃそうだ、って話。そうね~。それすぐやる必要あるんだろうか?」
ガイドレスポンス「急がなくてもいいけど、やってみたほうがいいよ。できるから」
私「う~ん(気乗りはしていない。拒否られるのであろう感覚)。ソレ以外に、他にやり方変えたり、増やしたり、やっていくことは?」
ガイドレスポンス「今、ひとつひとつ、もうそれをやっているところでしょう」
私「たしかに。」
…というような感じ。
自問自答との境目は、「自分がどう考えても苦手な項目」が出てきたこと(笑)。
私はこういう感じのニュアンスのメッセージを受けて、今日ですね…夜中なんですが、つまり今日というか昨日のセミナーを受けてうちに帰ってきた延長の今日の夜中、はた、と目が覚めまして。
(セミナー疲れもあるのだけど、初めて身につけて外出した「ケオン&センティエントプラズマクリスタル」の^^エネルギー当たりのような^^ふらふら感もあって、ばたんきゅ~状態ですぐ寝ちゃいまして)
で、まだ許可貰ってなかったんだけど^^起きたばかりの朦朧としたアタマながらに、早速、○○ちゃんガイドさんとのコンタクトエリアへ出かけてみることにしました。
(もちろん自分のガイドさんにそれをお願いして、会わせてもらうような感じ)
彼のガイド「今、彼がやっていること。とても良い方向へ向かっているから」
私「そうだろうとは思ってましたが、そうなんですかね」
彼のガイド「まだ時間はかかると思うけれど。それでも時間かけてやる価値があることをしている。大事にしていって。」
私「人間目線の私の立場からとしては^^ではそれを生暖かく見守る(しかできない)のがやはり私にできること…って、私の感情は無関係でしたね。」
…程度のやりとりしか覚えていないのですが。
でもね、自分のガイドもそうなんですが。
人のガイドさんも…柔らかくて、優しくて、神々しいというか。理想の親みたいなね。そういう感じ。
人間の私としては^^「なこと言われてもなぁ。」と^^言う感情も芽生えますが。
で、その終わって、私は眠る○○ちゃん横目に^^勝手に会ってきてスマンな、と謝りながら^^起きてお湯沸かしてコーヒー飲もうとしていたんです。
そしたら、ぐっすりとなりで熟睡していた○○ちゃんも、電気つけて起きてるから。
あれ、起こしちゃったのかな、ごめんね~と思っていたらですね。
「すっごい聴いたことない耳鳴りがして。これは天変地異のサインでは、って起きちゃった」とか^^言ってて。
いわゆる「高音」の、アレですよ、バイオソニックチューナーのような周波数の高い音が聴こえてきて起きちゃったんだそうでした。
…これを聞いた時。
うぉおお。
あたしがコンタクトしていた他者のエネルギーは。よくわからないながらに「そうなんだろう」と遭遇している(つもり)だった他者の高次エネルギー体は。
まじもんだったのかと。わかりました。
私が繋がったことで、彼への彼自身の高次ガイドの癒やしのエネルギーがとおりやすくなったのでしょう。
自分のガイドさんの言う、「練習させてもらいなさいよ」が^^いかに的を得ていたかということが、なんとなく信用できた瞬間でした。
これは前々からブログにも度々書いていることなんですけれどね、うちは、彼本人はまったくそれを認めようとはしていませんが、彼のほうが、見えないエネルギーには敏感体質なんです、昔から。
私が亡くなった先代ワンコにコンタクトするお題のまるの日さんセミナーに出かけていた時間帯に、そこで私は先代に会えなかったというのに^^遠く離れたうちの中で、先代が水を飲む「ちゃぷちゃぷちゃぷ」が聴こえてきたよ、とか言ってるような敏感体質。(ただこういう人ほど、自分のそういうクレアオーディエンス能力を認めていませんけれど。「空耳」で片付けます^^)
まぁ、一応、もうこの話は本人にしているのですが、後日承諾(やっぱり「やめてくれ」とは^^言われているけど)ということで。
まるの日さんのセミナーの良いところは、こんなこと普段まるっきり自分ができると考えたこともないような人でも、できてしまうというか、私のこういう話だけではなく、「ツボ」がわかるようになったりする方も出現しますし(あとはその方がそれを素直に懐疑的に受け取らず実践していければ、継続できていく特技となるだけの話で本人次第ですが)いわゆる「見えない世界ド素人自認」の方であっても、セミナーで右往左往することがありません。
ヘミシンクは使いますけれど、実際にはあんまりヘミシンクの概念そのものがわかっている必要もないです。
人数も少人数制なので、もちろんこれも自分次第ではあると思いますが、「え…わかんない、わかんない…」のような、会場の人々みんなが「高次マンセー」のような^^雰囲気にのめり込んじゃうような宗教みたいな熱気むんむんで^^その一体感にとうてい馴染めない…というような疎外感を感じることもないので(つまり和気あいあいとかみんながこれわかって当然的な雰囲気を強要されるような空気感はゼロです^^)あとは興味があれば申し込みして会場に行く、必要なのはそれだけの好奇心と勇気と行動だけの話^^でしょうか。
ランキングボタンを押して頂けると、ブログランキングスピリチュアルカテゴリの中に、まるの日さんサイトもありますので。
ご興味アレば、「ぽち」ついでに(笑)ご覧になっていただけますよ。
自分の潜在能力、未知なる可能性、それは、手の届く日常の中に、普通に用意されている時代。
あとは億劫がらず怖がらず疑わず。それができたら、GO、なだけ。

昨日9月25日は、まるの日圭さんのセミナーへ行ってきました。
(これから「月末へ向けての予定」ということで、20日の記事でもちろっと書いてましたが、私はセミナー日程をすっかり勘違いしておりまして、24日だとばかり思っていたのですが、25日でした^^)
お題は「ガイドの声を書いてみよう」つまりまるの日さんがなさっているような感じの、高次ガイドとの対話形式というのか、そういう感じのことをどうやってやるの? みたいなレクチャー的な。
私が自分的テーマとしていた、「10年自分でもよくわからなかった、石組みの説明文が自動的に出てきてしまう、そのどこからどこまでが自分の思考でこの部分はガイダンス、という線引部分がクリアにわかるのではないか」なのですが^^、これはですね~、線引部分は、たぶん自分ではやっぱりもう感覚的にわかっているのだけど、その感覚を「ここがそう、ここがそうじゃない」と分ける必要性というのか、それじたいがあまりないような感じがしました。
「体験することから導き出されている思考そのものが、読んでくださっている方へのメッセージ、ガイダンスとして映るから、それを書かされている」側面のあることを、記述している…という感じでしょうかね。
私が書いている石の説明文というのは、これは考えてみると「私のためのもの」ではないのですね。
もちろん、私のための側面もあるのですが(仕事ですから)、自分のためだけであれば、わざわざ文章化などという面倒な作業はしなくても、自分だけの内側感覚でそれをわかっていればいいことなので。
だから、「なんでできるんだろう? そして、どこからどこまでが、高次ガイダンス?」というのは、もし私が私のためだけにそれをやろうというレベルでやろうとしたなら、これはやっぱりここまで流暢には^^ガイダンスとのコラボ作品としての説明文を書ける能力というのは生まれなかったものなんじゃないかな、という気がしました。
それから、「割合」「線引」という制限を自らが意識してしまうことで、むしろ、ガイダンスのニュアンスを「伝わりづらいものにしてしまう」制限を生み出すデメリットのほうが大きいかもしれないということも、わかりました。
私はそもそも石組み説明文を書く時というのは、アタマからっぽ、かつ、問いだらけです。
ガイドとの会話というのは、この「問い」が肝なんですね。
これは昔、アカシックレコードへのアクセス法というセミナーに参加したときにも自分が気づいたことなのですが、「なんだ、自分はもうそれやってるじゃん、普段から」という拍子抜け感が^^あったのですが、やはり肝心なのは「問い」です。
問いがないところに答えはないというか。
で、私は「石のことに関しては」湧くように^^ソレがありますし(仕事でもありますので)自分が作ったものに関しても、これは何だろうという問いまみれ(仕事でもありますので)なので、その問いの答えの一部、文章として表現できる体裁のエネルギーが、説明文となるわけです。
ですが、これがこと自分自身のこととなると、あんまりその手の問い的なものを発するのが、とたんに不得手となるというか^^。
なので、未だに自分のことに関する自分のガイド、自分自身へ向けてのガイダンス、という点では^^会話は不得手かもしれません。ぼ~っと、そのエネルギーを感じているだけでも、ま、いっか^^的なところもあるのと、何言ってるのかがわかる、わからない、への執着が生まれそうなことへの不安感もまだあるのだろうと思います。
ただこういうのも結局、「慣れ」「経験」なんだな…と、昨日のセミナーで感じました。
人は一度、補助輪はずして乗れるようになった自転車には、乗れるのです。
あとは補助輪はずして継続して毎日乗っていれば、それがもう、できなかった過去を忘れさせる当たり前の通常感覚になります。
私の石の説明文は、まさに「慣れ」「経験」と、自分的感覚のスイッチがあるので、できなかったらとかそういうレベルの不安要素が自分にない、いわゆる乗れるようになった自転車なのでして。
そういうことで、セミナー時間内では、何度かガイドコンタクトの実習タイム、それを全員でシェアする時間、ありますが。
最後の実習タイムに、「問い」がやっぱり肝なんだな~というツボを思い出したというか、やっぱりそうなのか~、と気付かされた自分は、ではこれからの自分ごとですが、今後の仕事について、どうしましょうかな質問をしてみました。
(これ、問いが大事といっても、「どうしたらいい?」が提案なしに完全に丸投げで、教えてGOOじゃありませんが^^自分ではなんの見当もつけずの相手が答えに困るような質問だと、なんのレスポンスもないんですよね^^。ていうか「それでいいんじゃないの」という話にしかならないような、「フツー」の返答だったり、結局、日常レベルの話であれば、日常の延長線上のレスポンスで当たり前なので、「それが高次ガイドなの?」的に、けっこう当たり前でつまらない答えがかえってくるものではあるのでして。)
私の今の仕事のやり方、やっていること、これからも続けていったほうがいいのでしょうか?
への返答は、意外な^^ものでした。(レスポンスなしかと^^思ってたんですが)
以下が、いわゆるその会話テイスト。
ガイドレスポンス「それももちろんだけど、違うことを始めてもいいんじゃないかしら」
私は、少し考えて(というよりも即レスしてましたけど^^)「それは、まさかの^^人のリーディングだとかヒーリングだとかのそれ系なんですかね?」
ガイドレスポンス「すぐにそれでなくても良い。まず、自分の周りの人をやってから。」
私「周りの人って一名しか^^いませんけど。○○ちゃん?」
ガイドレスポンス「その人しかいないでしょう。」
私「相手の許可がいるでしょう(ここで^^いやそれ、絶対に嫌がられるだろうという苦手感覚)。」
ガイドレスポンス「もらいなさいよ、練習に。それができるようになったら、自信がついて、彼が変化するのを見たら、きっとやりたくなるはず。他の人を。」
私「そういうことか…。いやまぁ、そりゃそうだ、って話。そうね~。それすぐやる必要あるんだろうか?」
ガイドレスポンス「急がなくてもいいけど、やってみたほうがいいよ。できるから」
私「う~ん(気乗りはしていない。拒否られるのであろう感覚)。ソレ以外に、他にやり方変えたり、増やしたり、やっていくことは?」
ガイドレスポンス「今、ひとつひとつ、もうそれをやっているところでしょう」
私「たしかに。」
…というような感じ。
自問自答との境目は、「自分がどう考えても苦手な項目」が出てきたこと(笑)。
私はこういう感じのニュアンスのメッセージを受けて、今日ですね…夜中なんですが、つまり今日というか昨日のセミナーを受けてうちに帰ってきた延長の今日の夜中、はた、と目が覚めまして。
(セミナー疲れもあるのだけど、初めて身につけて外出した「ケオン&センティエントプラズマクリスタル」の^^エネルギー当たりのような^^ふらふら感もあって、ばたんきゅ~状態ですぐ寝ちゃいまして)
で、まだ許可貰ってなかったんだけど^^起きたばかりの朦朧としたアタマながらに、早速、○○ちゃんガイドさんとのコンタクトエリアへ出かけてみることにしました。
(もちろん自分のガイドさんにそれをお願いして、会わせてもらうような感じ)
彼のガイド「今、彼がやっていること。とても良い方向へ向かっているから」
私「そうだろうとは思ってましたが、そうなんですかね」
彼のガイド「まだ時間はかかると思うけれど。それでも時間かけてやる価値があることをしている。大事にしていって。」
私「人間目線の私の立場からとしては^^ではそれを生暖かく見守る(しかできない)のがやはり私にできること…って、私の感情は無関係でしたね。」
…程度のやりとりしか覚えていないのですが。
でもね、自分のガイドもそうなんですが。
人のガイドさんも…柔らかくて、優しくて、神々しいというか。理想の親みたいなね。そういう感じ。
人間の私としては^^「なこと言われてもなぁ。」と^^言う感情も芽生えますが。
で、その終わって、私は眠る○○ちゃん横目に^^勝手に会ってきてスマンな、と謝りながら^^起きてお湯沸かしてコーヒー飲もうとしていたんです。
そしたら、ぐっすりとなりで熟睡していた○○ちゃんも、電気つけて起きてるから。
あれ、起こしちゃったのかな、ごめんね~と思っていたらですね。
「すっごい聴いたことない耳鳴りがして。これは天変地異のサインでは、って起きちゃった」とか^^言ってて。
いわゆる「高音」の、アレですよ、バイオソニックチューナーのような周波数の高い音が聴こえてきて起きちゃったんだそうでした。
…これを聞いた時。
うぉおお。
あたしがコンタクトしていた他者のエネルギーは。よくわからないながらに「そうなんだろう」と遭遇している(つもり)だった他者の高次エネルギー体は。
まじもんだったのかと。わかりました。
私が繋がったことで、彼への彼自身の高次ガイドの癒やしのエネルギーがとおりやすくなったのでしょう。
自分のガイドさんの言う、「練習させてもらいなさいよ」が^^いかに的を得ていたかということが、なんとなく信用できた瞬間でした。
これは前々からブログにも度々書いていることなんですけれどね、うちは、彼本人はまったくそれを認めようとはしていませんが、彼のほうが、見えないエネルギーには敏感体質なんです、昔から。
私が亡くなった先代ワンコにコンタクトするお題のまるの日さんセミナーに出かけていた時間帯に、そこで私は先代に会えなかったというのに^^遠く離れたうちの中で、先代が水を飲む「ちゃぷちゃぷちゃぷ」が聴こえてきたよ、とか言ってるような敏感体質。(ただこういう人ほど、自分のそういうクレアオーディエンス能力を認めていませんけれど。「空耳」で片付けます^^)
まぁ、一応、もうこの話は本人にしているのですが、後日承諾(やっぱり「やめてくれ」とは^^言われているけど)ということで。
まるの日さんのセミナーの良いところは、こんなこと普段まるっきり自分ができると考えたこともないような人でも、できてしまうというか、私のこういう話だけではなく、「ツボ」がわかるようになったりする方も出現しますし(あとはその方がそれを素直に懐疑的に受け取らず実践していければ、継続できていく特技となるだけの話で本人次第ですが)いわゆる「見えない世界ド素人自認」の方であっても、セミナーで右往左往することがありません。
ヘミシンクは使いますけれど、実際にはあんまりヘミシンクの概念そのものがわかっている必要もないです。
人数も少人数制なので、もちろんこれも自分次第ではあると思いますが、「え…わかんない、わかんない…」のような、会場の人々みんなが「高次マンセー」のような^^雰囲気にのめり込んじゃうような宗教みたいな熱気むんむんで^^その一体感にとうてい馴染めない…というような疎外感を感じることもないので(つまり和気あいあいとかみんながこれわかって当然的な雰囲気を強要されるような空気感はゼロです^^)あとは興味があれば申し込みして会場に行く、必要なのはそれだけの好奇心と勇気と行動だけの話^^でしょうか。
ランキングボタンを押して頂けると、ブログランキングスピリチュアルカテゴリの中に、まるの日さんサイトもありますので。
ご興味アレば、「ぽち」ついでに(笑)ご覧になっていただけますよ。
自分の潜在能力、未知なる可能性、それは、手の届く日常の中に、普通に用意されている時代。
あとは億劫がらず怖がらず疑わず。それができたら、GO、なだけ。

この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする
カテゴリ : 私の体験(石系 & スピ系)
follow links
FB page
Google+Go to top of page