昨日9月2日、秋葉原ミネラルマルシェで入手してきた、聖なる石、ケオン。
個人的に気づいたことなどを書いていると長くなるので^^、とりあえずのご紹介、とお伝えしておりましたが。

この石は、持つ人を選ぶ石と言われます。
石の中には、わりとそういう謂われのあるような石も多いので、「キタ~~~っ持つ人選び~~~」のような、いわゆる、「選民意識」的な不平等さが感じられもするそういった謂われには、石好きさんの中には、眉をひそめられる方もいらっしゃるかと思われます。
フェナカイトなども、実際、それに近いところがあり、そういうふうにも言われることもありますし、やはり万人がいつでも持てる石ではない、というような面もあることはあるんじゃないかなとは思われます。
いや、持ってもいいんですが^^、フェナカイトを持つに値するような人間になるように、最速で調整されるようなところもあります。
実際それが人によっては、大浄化の嵐の始まりになってしまう面もあるように感じますし、お恥ずかしながら^^私自身…フェナカイトビーズ大量仕入れ以降は…「積年の手付かずの過去に置き去りにしたままにしていた、自分でも気づいていなかった過去に由来する自分の中のブロック」というものが、徐々に徐々に…噴出することに^^なってしまった面もありました。
「もう乗り越えてきたんだからいいじゃないか。なぜに今さら」
と、普通は言いたくなるところですが。
でも、本当に、もし本当に、すべてにおいて決着をつけてきたのなら、今目の前にある現実…はなんなのだろうか…ということにはならないはずだ、ということはわかっていました。
自分が巻いてきた種が花を咲かせている、それが現実ですからね。
それには、その巻いてきた種、それが何であったかを知り、内省し、今咲かせている花を受け入れる、その自分の責任を追わなければなりません。
6月に、ケオンの話を柚井さんからお伺いして、「へぇえ。ま~たおもしろい石を見つけてきましたね~」と言いながら。
過去記事にもありますし、昨年お出しした石アクセの石、ユーフォラライトの記述などでも柚井さんのネイチャーラブさんのことは折々に触れていますが、この方は石の目利きです。そして、スピリチュアルな意味での多くの人へのサポートとしての石の運び屋としての使命感を自覚し、仕入れをされ販売されている方ですよ。
日本人はどこか外国人びいきな^^ところもあるので、なかなか同じ日本人のメタフィジカルストーンの目利きの方への関心も生まれない場合もありますが、そうおいそれとは誰もが探せないようなすばらしい希少石の運び屋として、大枚切って大量仕入れを太っ腹でしてきてくださる方です。
インドネシアへ行かれたのは、もともとは極真空手の指導者として来て欲しいとインドネシアに招かれたために得た機会だそうなのですが、それと同時に、ケオンという普通の石屋さんが手に入れることができない希少石がネシアにはある、ということを偶然他の石屋さんから聞かされ知る機会があったそうで、「ケオンを自分が日本に運ぶ必要があるんだろうな」ということを、その時にすでに確信していたそうですし、なんのつてもない段階から絶対に手に入れることができるだろうと思っていたそうです^^。
みなさん、「直感を信じる」というのは、こういう、なんの根拠もなくてもそうだと信じて行動に繋げていくことで、それがいわば「魂が実現しようとしていること」の顕れとなって、また、こちらの喜びという^^ご褒美にもなるわけなんですよ。

で、話は自分のことに戻りますが。
私は先月の終わりに、実家の不要品倉庫と化していた自分の部屋に詰め込んでいた荷物を片っ端から捨てまくりしました、というお話をしていましたが。
まるで、「整理屋」のように、なんの感傷も挟まずに、それはもちろん無理してそうしていたというわけではなく、表面上の感情ではそうでしたが、実際にはわかっていたことがありました。
今まで生きてきた年月の中の「その時々の私」というのは、まだそこに立ち往生したまま存在していたのだということ。
モノは捨てればなくなっていきますが、過去の経験の中の、折々の感情を持った私は、その時に未解決だった負の感情を持ったまま、まだそこにいたままだったのだ…という認識が生まれてもおりました。
よく、スピ世界では、「時間という概念は本当はない」と言われます。
つまり、今ここに、過ぎてきたすべても、これからの未来も、同時存在している…という概念です。
私自身も、これは、わかっていたつもりというか、「今を書き換えると過去の意味が変わってくるし未来も創れる」感覚はもうわかっていたので、ある意味、過去はすっかり今のためのものとして、私的には「ほぼ」良い意味で変容はしていました。
ですが、「ほぼ」「ざっくり」から漏れていった、もしくは、本当に向き合うことが怖かったものは…やはり、そのままだった、というか、そういうものも癒やされていると思いたかったのだろうと思います。
ケオンを見に行くことになった昨日、本当に、前日まで秋葉原のショーの開催のことは忘れていて、前日になっていきなり、「あれもしかしたら? 秋葉原、9月って言ってたな」と思い出して、ネットで開催日を調べて、「明日からなんだ!!」とあらためて知り、初日にじゃあ行くか…ということで、ただその前に出かける用事がありましたので、早めに就寝。したのですが。
まったく眠れずで^^。
そして次々に生まれてきた思いが、実家の断捨離のあとに感じていた、「まだそのまま存在している過去の自分」を検証し、ひとつひとつ、そこにどのような自分の思いと葛藤があったのか、ということ。
私の無知さ、幼さ、傲慢さ、身勝手さ、そして、それは私だけのことではなく、まるごと過去の世界がそういうものに翻弄され、時にそれも、自分が傷つかないために美化され、しかしながら本当は絶望し、拒絶したかった思いを誤魔化していた自分や、疲れ果てていた時に、もちろん私だけが傷ついていたのではなく、人も傷つけて、その繰り返しをしていたことや。
結局ほぼ眠らない状態で、朝用事のために出かけて、ミネラルマルシェの開場時間までにはかなり時間があったので、ひとりお茶している時に、ノートにそれらを検証するために、ひとつひとつ、順を追って書き出していく作業をしていました。
途中、外のカフェだというのに、何度も何度も涙がこみあげてきて^^うわ、こりゃ困ったな、という^^気持ちもありましたが、やり始めてしまったことはもう止められません。
…気がついたら。
それを始めて3時間が経過していました。
ノートには20ページに及ぶ、「過去の自分の感情の観察者」となっている私自身が展開されており。
私は、今まで、それを一度もしていなかった自分、置き去りにしてきた10年、20年、30年に渡り、私自身が無視してきた傷つきながらそれを乗り越え違う意味に書き換えることができたつもりで頑張ってきた自分と、そういう自分だけではなく、関わってきた人への謝罪と畏怖と、そして、これからそれを少しずつでも愛に書き換えていく、これから愛を構築していくための必須の関門を超えたような気持ちになっていました。
はっと気づいたら、「あ~~~! 凄い時間あると思ってたのに、うっそ~」という時間になっていて。
それで、開場時間となっていたミネラルマルシェの場所に辿り着いたのです。

そして、ケオンを持ち帰り…気がつきました。
この石が、「持ち主を選ぶ」というのは、そういうことだったのかと。
いかなる感情に対しても、感情を観察する、俯瞰する眼を持つ人。
善悪や、表面的な三次元だけの価値観のものさしを、そこに持ち込まずに、広域にその意味を悟れる段階が訪れている人。
その境地を得るところに差し掛かっている人。
その境地を得て、自他を初めて癒せるのだということを、本当に知っている人。
それを…あますところなく、自己に対して、直視する、ごまかさずにできる人。
ケオンは、おそらくですが、この作業を九分九里終えた、本当の意味での愛と調和のエネルギーを本人が経由媒体となることを必要とする、「石を人に提供する仕事の人」を含むあらゆる癒し系の仕事の人もそうですが、そういう人だけに必要なのではなく、「人をケアする仕事の方」、広い意味では子を持つ母もまさにそうですし、結局のところ万人に、多大なる恩寵をもたらしてくれる石であると思います。
しかしながら、この内観の自他共に対する赦しの作業を心から終えることに対する覚悟ができた方であることが望ましいのかもしれません。
なぜそれが必要なのかと言えば、自分のためでもあり、他存在すべてのため…、と^^大風呂敷を拡げて考える以前に、「今、目の前に関わる人(自分自身ももちろんです)」を癒やすことが、どうしても今ここの現実で必要だからですね。
常に癒やされ調和されている存在は、黙っていても、存在しているだけで、その場所を調和の場所として変容させていきます。
そういう人が、ひとりいることの意味は、ものすごいものがあるし、ひとりでも多くの人がそうなることは必要は必要ですよね。
それが大きく拡大していく動力になるのですから。
ですが^^そういう大きな視点の人類皆平和、世界平和は、やっぱり、目の前を不調和にしたままで語ろうとしても、無理があります。
ケオンは、その調和の手助けをしてくれる、類まれなエネルギーの媒介役をしてくれるメタフィジカルストーンです。
ヒ―ラーさんや霊能者さんに実際に大好評^^なんだそうですが、そりゃそうだろうと思います。
それでもケオンの場合、その触れ込みが先で興味を示しても、やはり、持つべく人が持つことになる石…なのだろうと思います。
だから、そのために「準備を終えた人」であること、つまり、「持つ資格が必要だったんだ…」ということを、私は、持って帰ってきてから^^そのための一連の「超特急身支度作業」を知らず知らずにさせられていたのだ…と、気がつきました。
やはり、今回出会ったケオンもそうですし…手前味噌で恐縮ですが、シナジー10や、高次コンセント、ハイオクターブ・チーム…フェナカイトを中心とする、手がけてきた一連のメタフィジカル系ストーンたちの、この推進力は凄いです。
別の観方では、恐ろしいまでの^^後押し力だと思いました。
気がついてませんでしたけど(笑)。
そして、やはり、高次ガイドさんたちというのは……ちょっと怖いです^^。いや、やはり大感謝の「道を示す」その行き先を知っている存在ですね。こちらがまったくその意味がその時にはわからなくても、直感でしようと思ったことに逆らわず行動してみた結果…そこには、見事な花が咲いている感動的な様相が感じられます。
その道中、その時々だけを切り取ると、表面的に見てしまうと事態はより酷いことになっているのでは…と思われるような^^メンタルに陥るようなことも、なきにしもあらずであっても、やはり「上辺だけ」ではないところで…水面下で全力でモーター全開で仕事してくれてる石たちだったんだ…ということを、我が身を持って、知らされたような感じがします。
ケオンは、今日調べてみたら(私は、石は自分が入手する前には、あまりほうぼうリサーチしません^^)やはりインドネシア、神々の住む島バリ島でも、シャーマンでもなかなか手にすることができない希少な尊い石として、珍重されてきた石のようで、今でもそういったご職業の方が取り扱う特別な石のようです。
その名前の由来は、「観音(かんのん)」から来る、強力な調和のエネルギーの石。それがケオンです。
個人的に気づいたことなどを書いていると長くなるので^^、とりあえずのご紹介、とお伝えしておりましたが。

この石は、持つ人を選ぶ石と言われます。
石の中には、わりとそういう謂われのあるような石も多いので、「キタ~~~っ持つ人選び~~~」のような、いわゆる、「選民意識」的な不平等さが感じられもするそういった謂われには、石好きさんの中には、眉をひそめられる方もいらっしゃるかと思われます。
フェナカイトなども、実際、それに近いところがあり、そういうふうにも言われることもありますし、やはり万人がいつでも持てる石ではない、というような面もあることはあるんじゃないかなとは思われます。
いや、持ってもいいんですが^^、フェナカイトを持つに値するような人間になるように、最速で調整されるようなところもあります。
実際それが人によっては、大浄化の嵐の始まりになってしまう面もあるように感じますし、お恥ずかしながら^^私自身…フェナカイトビーズ大量仕入れ以降は…「積年の手付かずの過去に置き去りにしたままにしていた、自分でも気づいていなかった過去に由来する自分の中のブロック」というものが、徐々に徐々に…噴出することに^^なってしまった面もありました。
「もう乗り越えてきたんだからいいじゃないか。なぜに今さら」
と、普通は言いたくなるところですが。
でも、本当に、もし本当に、すべてにおいて決着をつけてきたのなら、今目の前にある現実…はなんなのだろうか…ということにはならないはずだ、ということはわかっていました。
自分が巻いてきた種が花を咲かせている、それが現実ですからね。
それには、その巻いてきた種、それが何であったかを知り、内省し、今咲かせている花を受け入れる、その自分の責任を追わなければなりません。
6月に、ケオンの話を柚井さんからお伺いして、「へぇえ。ま~たおもしろい石を見つけてきましたね~」と言いながら。
過去記事にもありますし、昨年お出しした石アクセの石、ユーフォラライトの記述などでも柚井さんのネイチャーラブさんのことは折々に触れていますが、この方は石の目利きです。そして、スピリチュアルな意味での多くの人へのサポートとしての石の運び屋としての使命感を自覚し、仕入れをされ販売されている方ですよ。
日本人はどこか外国人びいきな^^ところもあるので、なかなか同じ日本人のメタフィジカルストーンの目利きの方への関心も生まれない場合もありますが、そうおいそれとは誰もが探せないようなすばらしい希少石の運び屋として、大枚切って大量仕入れを太っ腹でしてきてくださる方です。
インドネシアへ行かれたのは、もともとは極真空手の指導者として来て欲しいとインドネシアに招かれたために得た機会だそうなのですが、それと同時に、ケオンという普通の石屋さんが手に入れることができない希少石がネシアにはある、ということを偶然他の石屋さんから聞かされ知る機会があったそうで、「ケオンを自分が日本に運ぶ必要があるんだろうな」ということを、その時にすでに確信していたそうですし、なんのつてもない段階から絶対に手に入れることができるだろうと思っていたそうです^^。
みなさん、「直感を信じる」というのは、こういう、なんの根拠もなくてもそうだと信じて行動に繋げていくことで、それがいわば「魂が実現しようとしていること」の顕れとなって、また、こちらの喜びという^^ご褒美にもなるわけなんですよ。

で、話は自分のことに戻りますが。
私は先月の終わりに、実家の不要品倉庫と化していた自分の部屋に詰め込んでいた荷物を片っ端から捨てまくりしました、というお話をしていましたが。
まるで、「整理屋」のように、なんの感傷も挟まずに、それはもちろん無理してそうしていたというわけではなく、表面上の感情ではそうでしたが、実際にはわかっていたことがありました。
今まで生きてきた年月の中の「その時々の私」というのは、まだそこに立ち往生したまま存在していたのだということ。
モノは捨てればなくなっていきますが、過去の経験の中の、折々の感情を持った私は、その時に未解決だった負の感情を持ったまま、まだそこにいたままだったのだ…という認識が生まれてもおりました。
よく、スピ世界では、「時間という概念は本当はない」と言われます。
つまり、今ここに、過ぎてきたすべても、これからの未来も、同時存在している…という概念です。
私自身も、これは、わかっていたつもりというか、「今を書き換えると過去の意味が変わってくるし未来も創れる」感覚はもうわかっていたので、ある意味、過去はすっかり今のためのものとして、私的には「ほぼ」良い意味で変容はしていました。
ですが、「ほぼ」「ざっくり」から漏れていった、もしくは、本当に向き合うことが怖かったものは…やはり、そのままだった、というか、そういうものも癒やされていると思いたかったのだろうと思います。
ケオンを見に行くことになった昨日、本当に、前日まで秋葉原のショーの開催のことは忘れていて、前日になっていきなり、「あれもしかしたら? 秋葉原、9月って言ってたな」と思い出して、ネットで開催日を調べて、「明日からなんだ!!」とあらためて知り、初日にじゃあ行くか…ということで、ただその前に出かける用事がありましたので、早めに就寝。したのですが。
まったく眠れずで^^。
そして次々に生まれてきた思いが、実家の断捨離のあとに感じていた、「まだそのまま存在している過去の自分」を検証し、ひとつひとつ、そこにどのような自分の思いと葛藤があったのか、ということ。
私の無知さ、幼さ、傲慢さ、身勝手さ、そして、それは私だけのことではなく、まるごと過去の世界がそういうものに翻弄され、時にそれも、自分が傷つかないために美化され、しかしながら本当は絶望し、拒絶したかった思いを誤魔化していた自分や、疲れ果てていた時に、もちろん私だけが傷ついていたのではなく、人も傷つけて、その繰り返しをしていたことや。
結局ほぼ眠らない状態で、朝用事のために出かけて、ミネラルマルシェの開場時間までにはかなり時間があったので、ひとりお茶している時に、ノートにそれらを検証するために、ひとつひとつ、順を追って書き出していく作業をしていました。
途中、外のカフェだというのに、何度も何度も涙がこみあげてきて^^うわ、こりゃ困ったな、という^^気持ちもありましたが、やり始めてしまったことはもう止められません。
…気がついたら。
それを始めて3時間が経過していました。
ノートには20ページに及ぶ、「過去の自分の感情の観察者」となっている私自身が展開されており。
私は、今まで、それを一度もしていなかった自分、置き去りにしてきた10年、20年、30年に渡り、私自身が無視してきた傷つきながらそれを乗り越え違う意味に書き換えることができたつもりで頑張ってきた自分と、そういう自分だけではなく、関わってきた人への謝罪と畏怖と、そして、これからそれを少しずつでも愛に書き換えていく、これから愛を構築していくための必須の関門を超えたような気持ちになっていました。
はっと気づいたら、「あ~~~! 凄い時間あると思ってたのに、うっそ~」という時間になっていて。
それで、開場時間となっていたミネラルマルシェの場所に辿り着いたのです。

そして、ケオンを持ち帰り…気がつきました。
この石が、「持ち主を選ぶ」というのは、そういうことだったのかと。
いかなる感情に対しても、感情を観察する、俯瞰する眼を持つ人。
善悪や、表面的な三次元だけの価値観のものさしを、そこに持ち込まずに、広域にその意味を悟れる段階が訪れている人。
その境地を得るところに差し掛かっている人。
その境地を得て、自他を初めて癒せるのだということを、本当に知っている人。
それを…あますところなく、自己に対して、直視する、ごまかさずにできる人。
ケオンは、おそらくですが、この作業を九分九里終えた、本当の意味での愛と調和のエネルギーを本人が経由媒体となることを必要とする、「石を人に提供する仕事の人」を含むあらゆる癒し系の仕事の人もそうですが、そういう人だけに必要なのではなく、「人をケアする仕事の方」、広い意味では子を持つ母もまさにそうですし、結局のところ万人に、多大なる恩寵をもたらしてくれる石であると思います。
しかしながら、この内観の自他共に対する赦しの作業を心から終えることに対する覚悟ができた方であることが望ましいのかもしれません。
なぜそれが必要なのかと言えば、自分のためでもあり、他存在すべてのため…、と^^大風呂敷を拡げて考える以前に、「今、目の前に関わる人(自分自身ももちろんです)」を癒やすことが、どうしても今ここの現実で必要だからですね。
常に癒やされ調和されている存在は、黙っていても、存在しているだけで、その場所を調和の場所として変容させていきます。
そういう人が、ひとりいることの意味は、ものすごいものがあるし、ひとりでも多くの人がそうなることは必要は必要ですよね。
それが大きく拡大していく動力になるのですから。
ですが^^そういう大きな視点の人類皆平和、世界平和は、やっぱり、目の前を不調和にしたままで語ろうとしても、無理があります。
ケオンは、その調和の手助けをしてくれる、類まれなエネルギーの媒介役をしてくれるメタフィジカルストーンです。
ヒ―ラーさんや霊能者さんに実際に大好評^^なんだそうですが、そりゃそうだろうと思います。
それでもケオンの場合、その触れ込みが先で興味を示しても、やはり、持つべく人が持つことになる石…なのだろうと思います。
だから、そのために「準備を終えた人」であること、つまり、「持つ資格が必要だったんだ…」ということを、私は、持って帰ってきてから^^そのための一連の「超特急身支度作業」を知らず知らずにさせられていたのだ…と、気がつきました。
やはり、今回出会ったケオンもそうですし…手前味噌で恐縮ですが、シナジー10や、高次コンセント、ハイオクターブ・チーム…フェナカイトを中心とする、手がけてきた一連のメタフィジカル系ストーンたちの、この推進力は凄いです。
別の観方では、恐ろしいまでの^^後押し力だと思いました。
気がついてませんでしたけど(笑)。
そして、やはり、高次ガイドさんたちというのは……ちょっと怖いです^^。いや、やはり大感謝の「道を示す」その行き先を知っている存在ですね。こちらがまったくその意味がその時にはわからなくても、直感でしようと思ったことに逆らわず行動してみた結果…そこには、見事な花が咲いている感動的な様相が感じられます。
その道中、その時々だけを切り取ると、表面的に見てしまうと事態はより酷いことになっているのでは…と思われるような^^メンタルに陥るようなことも、なきにしもあらずであっても、やはり「上辺だけ」ではないところで…水面下で全力でモーター全開で仕事してくれてる石たちだったんだ…ということを、我が身を持って、知らされたような感じがします。
ケオンは、今日調べてみたら(私は、石は自分が入手する前には、あまりほうぼうリサーチしません^^)やはりインドネシア、神々の住む島バリ島でも、シャーマンでもなかなか手にすることができない希少な尊い石として、珍重されてきた石のようで、今でもそういったご職業の方が取り扱う特別な石のようです。
その名前の由来は、「観音(かんのん)」から来る、強力な調和のエネルギーの石。それがケオンです。

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カテゴリ : 私の体験(石系 & スピ系)
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