世にも奇妙な…平行世界

2016年03月06日 (日) 23 : 29
ようやく真名圭史さんの本も、三冊読み終えて。
「うまくいく人は必ずつながっている」「思い通りの現実を引き出す」「豊かさへの広い視野を開く」で、検索すれば、アマゾンで買えると思います。…って、先月ブログ記事でも宣伝させていただいてましたが、私はアマゾンのほうで予約してたんだけど、なんか発送が遅れていたみたいで、うちに届いたのはおとといでしたね。
(でも月末新作の仕事もあったから、私はそのタイミングでぜんぜん良かったわけなので)

これまた、あらたな展開が、三冊目にはありましたね。
過去世、未来世、どころか^^、「平行世界で今尚生きている自分」いわゆる、パラレルワールドの存在、ですね。
ここまでケアするとなると、もうどうすりゃいいのかな^^レベルになってきちゃうわけなんですが、これも「あるだろうな」というふうには感じますね。

それで思い出したのが、自分が10年以上前に書いた小説。
いえね、「もう作詞はあかんだろうから、自分も小説でも書いて見るか」と^^いうノリで、自分はいくつか小説らしきものは書いたんですよ。
その頃はまだ小説家も「食えない職業」の範疇じゃなかったから、小説家デビューでもすれば、なんとかなるかな、的もくろみもあって。ブログのどこかにもたぶんちろっと書いたかもしれませんが。

で、週間小説って雑誌だったかな、そこの当時知り合いだった編集者さんに読んでもらったりして、一応、絶賛、ではないけれど「イケる!!」っぽい褒められ方はしたんだけど、その方から戻ってきた原稿にですね…すんごい赤字添削が^^。
「日本語のてにおはが、変」という部分や、表現として伝わりづらい部分や、もろもろ。
ようするに、「え? これ書き直せ、っていうことなの???」みたいな。
そのままじゃ使えない、ということですね。

私って…そういう、コツコツとした努力が、過去、まるでできない人物^^だったんですよ。
それは、ご承知でしたよね? 長年の読者さんは。

本当に小説家になりたい人だったら、そんな細かく小説系の編集者さんが赤字添削してくれて(書き直したらもっと良くなるからそうされたのだろうと思いますが)アドバイスしてるんだから^^、書き直しますよね?
ですが私はですね。
「そんな面倒くさいこと、できないわ~」
…と。そのまま放置したんですよ。

つまり、「そんな面倒くさいことしてまで、小説家になんてならなくてもいいや」と^^いう結論。
私の場合…ちょっとでも「面倒だな」という^^凄い努力、労力、を課せられている的な展開がでてくると、どのようなチャンスめいたものでも、なんだかやる気がとたんに失せる、という性質が過去にあったんですよ。

あ、これは^^ちょう誤解を招く表現と気付きました。
「なんだかやる気がとたんに失せる」のは、「たいして好きでもない理由でやってみたこと」限定の話ですので。
好きなこと、自分がやりたいことに関しては、傍目から見て、たぶん苦労とか面倒そうとか^^そういう風にも見えなくもない場合もあると思いますが、本人がそれを、そう感じていないだけです。

「小説家デビューに繋がるかもしれないんだから、せっかくなんだから、書きなおすくらいやれよ」…というのは、いわば、マインドの声ですよね。
そもそもの当初目的が、「食い扶持がなんとかなるかな、小説家にでもなれば」という^^発端の目論見で書いただけなので。
あの頃の私にとってはですが、安定した企業の正社員になることよりも、小説家を職業にすること、という目的の方が、自分にとってずっと「これなら自分にできるだろうな」のハードルが低く感じられる選択だったんですよ^^。これは今も変わんないですね。

でも「これならできそう」っていうハードルが低いことと、「これがやりたい」・・・は別物です。
私の場合、やりたくなければ結局、めんどくさいという^^理由が出てくるので、自分がそれをやりたいかやりたくないか、が、とてもわかりやすいですね。

なので、もちろんですが、その小説は、どこにも未発表のまま。
(ていうか、うちのパソコンの中に、そもそも、そのデータって残ってるんだろうか? と、ふと。)

で。いったい何を思い出したのかというと、私が書いたその小説は、まさにその平行世界、パラレルワールドがテーマだったの。

書いている当時は、なんで自分がそれを書いているのか? わかっていませんでしたけれどね。
なぜかというと、「勝手に、筆が進む」感じで^^書けちゃったから。
だから、結末がどうなるのか、とか、自分がいったいなんの話を書いているのか、の意味が^^自分でもわかっていなかったし、先々どう展開するのかについても、書いている途中ではわからなかったんですよ。

正直、気味が悪い話ですけれどね^^。

その小説を読むと、どっちが自分なの? っていうくらい、自分が「リアル」だと思っている、「今の自分」という意識が、どこまで確かなものか…なんて、わかんないもんですよ~~~、みたいな内容…というか、ショッキングなんですよね、最後の最後に、それがわかるから。
…っていう内容でしたね。

昔、それを読ませたうちの人間は、登場人物の女子に「こんな女の子が実際にいたらいいなぁ…」って^^、理想の女子、みたいに言ってましたが。ヲイヲイ、感想はそれだけかよ、って^^話した記憶がありますけれど。
(だいたいその小説キャラを生み出している作者はあたしなんだから^^、その「あなたの理想の断片」くらいのものは、現実にあなたの目の前にいるじゃんかよ…って^^思った記憶もありますね)

…という、自分が過去に書いた小説のことを、思い出しました。

たしか、この主人公もね、小さな選択から、パラレルが分かれていくの。
小さな、と言ってもまぁ、「長年勤めたカイシャを、辞める、辞めない」的な話なんだけど。
私にとっては、カイシャ辞める、的な話はですね、今や、わりと「小さな」と言えてしまう、選択の類なんですよ。
ですが、ふつうの人にとっては、通常それは死活問題と認識されるくらい、人によっては、この世の終わり、くらいのハードルがありそうなことですよね。

で、主人公は、カイシャを辞めるわけなんだけど。
小説のストーリーは、そのカイシャを辞めた主人公のほうが主体で進んでいくんですが。
最後に、「辞めなかった方の自分」が、出てくるっていうか。
本人にとっては、どっちがリアルかわかんなくなっちゃうくらいに、パラレルはリアルなんですよ。

まぁ、どっちがいい、悪い、の話ではないんですけれど。

真名さんは、「世界線を越える」というような表現をされていましたけれど。
三冊目を読み終えて、そのうち、ワークショップにも申し込んでみようかな~、と思いましたね。
このへんは、自分でも不理解ながらも、メガラニカ同様「あるだろう、それも」と^^思えなくもない内容なので。

なんと言っても^^意味もわからず、自分で過去にそういう小説書いているわけだし。この小説…どっかのフォルダにまだ残っていたら、どっかに公開しようかな、ひっそりと。神崎詞音ネームじゃなく。内容がちょっとエロだったりするところもあるし^^。

あ、この当時にはね、もう、石に出会っていたから、小説の中にも、随所に石が登場するのよ。
自分で書いておいて、うろ憶えなんだけど^^。
ロードクロサイトやモルダバイトや。舞台は、渋谷、六本木…そこいらあたりで。まぁ、自分が多少知っている界隈が舞台設定じゃないと^^さすがに創作と言えど、そこまでは、にわか小説家の想像力だけでは無理でしたね。
(だからね、世の中にはいろんなジャンルの「創作」と言われる小説なんかがあって、「こんなのあるかよ」的な未来都市ですとか、凄いテクノロジーだったり、もしくはすごい荒廃した荒涼とした世界だったり。それを描く人の脳裏には、それは想像としてあるんだけど、実は「リアル」にもあるから^^想像、インスピレーションとして、湧いてくる…という話でもあると思うんですよね)


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カテゴリ :  私の体験(石系 & スピ系)
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