
「自己愛」というテーマ(実はとても奥が深かった^^。なぜならへたすると一生かけても、また生まれ変わってもまたできないかもしれないくらいの壮大なテーマなので)をいただいてお作りした「自己愛」の石組み。
その補足です。
自己愛というと、どうしても「自分を愛せるか愛せないか」のところへ、マインド、思考はいきがちなのですが。
ホントウの自己愛というのは・・・・・・・・・
やはり、自分以外を愛する、つまり、究極的にはすべてへの愛ですね。これが創造主、宇宙を作った張本人のエネルギー。
ほんな・・・無理だよお!!!
ですよね?
と、表面の意識は叫びますが^^、残念ながら^^これがやはり宇宙の真実ですね。
そして、それができると・・・(カンタンに言うと、たとえば「いや、それは無理っしょ」な嫌いなタイプの他人、他存在を認められると。これがトリガーになります)はい、それは「自分を認めた」ということになるのです。。。。。。
自分以外の他存在を、常に、祝福モードでいること。
これが、自分への自己愛ですね。
なので、嫌い、避けたい苦手があるうちは・・・あんなやつが・・・あの人のああいうところが嫌い・・・って言ってるうちは。
100%、自分を愛していない・・・・・・・・ということになります。
なぜなら、「その人のその「嫌い」なところ、本当に、そのまま、自分の中にある」から、これは、「自分のこういうところが嫌い」って言っていることと、まったく違わないからなのですね。
ほうぼうで、これは言われていることですね^^。
あまりに「今さら」過ぎちゃって、そんなの知ってるよ、って。思いますよね?
私もそうでした。
そして、それであるうちは、「あなたはホントウのあなたを知らないまま」とも言えるのだ、ということも、知識として。
つまりまぁ、そのくらい、他存在は、大事な自分。と言えるのだということ。
これは、「自己愛」のテーマをいただいた、桃の葉さん(うちのブログリンク(右のバナー)「ももちゃんと、二人三脚。」のブログ主様です)から、教えていただきました。
テーマをいただいた時に、「うひゃ、どうして桃の葉さんが、今さら自己愛なん?」
そう思ったのなら、その場で「なんで自己愛ですの?」と質問すればいいものを^^、あたくしは、さらりと「そうですか~自己愛。はい、わかりました」的に^^余裕かましてお引き受けしまして^^。
で、作る段階になっても、あたしのマインドは、「自己愛、自己愛、自己愛かぁあ」とぶつぶつ、呪文のように繰り返すそれだけ。
なので、自己愛そのものについては、「それが何なのか?」考えてもわからないし、言葉にするのはとても難しいな、と感じつつ、不明瞭というか、とくに考えなしのままできあがってきたのが、「自己愛」の組み合わせ。
まぁ、うちの組み合わせは、もともと「あたしの考え」はほとんど入ることは、ないです。
(つまりまぁ、あたし自身の考えという余計なものがベースになっていることが少ないので^^安心してお買い求めいただけます。)
ただ、あたしの考えはあまり入りませんが、あたしのハイアーセルフさん次元、っていうのだろうか、いわゆる、ハート部分の主張のほうが入ってくる、そっちが決めてる・・・というところがありますので、まぁ、三次元ではないところの誰かが教えてくれていることを、さも私が考案した、思いついたかのような感じでお作りしているだけ、とも言えます。
(これは、ぜんぜん凄いことではなくて。みなさんが普段、何気なくなさっておられることの中にも、多々あることです)
今回は、説明文書くためのリーディングしていて、ちょっと支離滅裂になっているな~、というのは気づいていました。
「自己愛」という概念へのマインド感覚が^^思いっきり入ってきてしまっているため(やはり、「実際に、石を組み合わせる、作る」行為よりも、自分の思考を使うことになる文章制作のほうが、割合としては、私自身のフィルターとおした理解でしか表現できないことが多いので、「高次とのパイプ系石」に関しては^^そうなりがちかもしれませんね)あとで読んでいて、自分でも、なんか変な感じ、っていうか、伝わりづらいな~と思っていて。
「無条件に受け入れる」というのは、そうです、起こっていることはすべて起こらなきゃいけないから起こっていることを認めること、なんですが。これを日本語では「自分で巻いた種」「因果応報」とか言いますね。
自分が現実を創造していることを認めること、というのと、自己愛は、リンクするのですが、それだけじゃなく。
「自己愛」は、昨今で言う「引き寄せ」だとかそういう自分のなんらかの夢を叶えるためのツール的に^^されている風潮が一部であるため、「ああ好きになれない自分を好きにならなきゃ」だとか、「こうなりたい、ではなく、なったことを想像する」だとか、なんだかポジティブ路線を無理強いされてもいるような^^感じもあるのですが、自己愛マスターすることはそのようなチンケなものではありませんね☆
ほんと、そんな程度ではない。
すべてを、手に入れる^^奥義です。ひゃっは~、なのです。
しかしそれは、大変おっかない、そうです、できそうもない、「自分を手放す」と同義語なのでしたぁ。
これは、桃の葉さんがお伝えくださったのですが(桃の葉さんも^^高次に伝えられたわけですが)
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> 「自己愛を育むことは、物差しを捨てることだからだ。」
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自分を手放す、と言っても、それは自己犠牲のことではありません。
そうではなくて、「自分の、自分が作ってきた、モノサシ。それを、いったん捨てる。自分の基準を、勘定に入れない。」こと。
この目線だけで、俯瞰することです。いっさい、自身の固定観念は、使いません。
それは「無条件に、すべての存在を認める。感謝する。できれば^^愛する」と、同義語なのでしたぁ。
ていうか、自分のモノサシを、本気で捨てると・・・・・・・それしか^^見えてこないのです。
なにか特別なことをする必要はなく。
捨てるだけで、いいのです。(ただし「捨てたフリ」は駄目。本気で、一度捨ててください)
これができた時に。。。ようやく、自分を愛している自分、というものができあがり。
私達は、すべてが自分のものだった・・・と、気づけるのでしょう。
私も昨日・・・これ、試しに^^やってみました。
だから、「実践してみて」ようやく、体感できたのです。「ほんとうだ」ってわかったの。
やってみたら、あら不思議。
どうしても不可解だった、うちの人間とのあいだにあった、わだかまりの因が(ありますよ、みなさん。どんなに「おたくは仲がいいね~~~」カップルにだって^^ひとつやふたつ、必ずありますって)見事にほどけていきました。
そして、私にとって不可解というか正直なマインドでは、無駄、もしくは迷惑にさえ見えていた、そのことが、とても愛おしい、彼を救い、守ってくれている、彼が自身を癒すための行為であったことがわかり。
なんてかわいいんだろう。
もっともっと、本当に、気の済むまで、やりなさいよ~♪ あなたのやりたいことは、あたしも大好きだから。
今まで、認めてあげていなかったこと、ごめんなさい。
と、心から、思えました。
そして、私自身が、そう感じられている私自身を、とても幸福でありがたく、満ち足りたものに感じられたのです。
すごいぜ、自己愛。
自己愛、最高♪ そう感じます^^。

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カテゴリ : 私の体験(石系 & スピ系)
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