まだまだ行くぞ、インナーチャイルド。

2014年04月11日 (金) 04 : 14
まぁ、わざわざブログに書かなくても^^いい話なんですが。
人の日記(しかも相当古すぎる過去の人間関係の恥みたいな話)なんて、そんなに面白いものでもないですよね、すみません。
ご興味のない方はスルーしてください。


幼少期のことというのは、思い出し始めると、わりと鮮明に迫ってくるものですね。
これじゃ・・・今月のモチベーションにも^^関わりかねないわ・・・と思って、そんな自分を励ます意味でのレシピを考案し、それを身に着けてみたら、なんとなく復活してきました。。。


名付けて、「これはこれ、それはそれ。今ここからよ☆」レシピでしょうか♪♪♪
ロードクロサイト、アイドクレース、ターコイス、ペリドット、ブルーカルサイト、2012クリスタル・・・というようなレシピなんですが、そうなの、アイドクレース。
この石は、その昔、「感謝の薄い」私の^^感謝波動発射装置になってくれていた石だったことを、思い切り忘れていましてね。


アイドクレース使ったレシピで乗り切った派遣営業マン時代・・・。(もちろん、それだけじゃないけど)この世的にはね、決して「ヒトが羨むような華やかなポジション」どころか^^、その対極と言ってもおかしくないような、不安定な身分。明日の保証くらいまでならあるけど、三か月先の保証はない派遣社員、かつ、暑い日も寒い日も雨の中も風の中も外回り営業だったしな。
昔のジブンのままでしたらおそらく、そんな我が身を悲観して、他人様と比較し放題で、他人様のことはきっとすごく良く見えて、自分だけがなんでこんなにつらいのか、って言いながら、世を恨む心境満載で生きていたであろうところをね、・・・助けてくれてたんですよね、石たちが。


何を助けてくれてたか、っていうと、まぁ、代わりに雨風しのいでくれていたわけではないけれど^^、「どのような環境、状況であっても、自分を不幸と感じないセンス」っていうんでしょうか。。。
そういう「内面の変容」を彼らはめっちゃサポートしてくれてたと思う。
だから本当に不思議なんだけど、「つらい」って言ったことなかったんじゃないかなぁ、あの頃。
ていうか^^おめでたいと言われるかもしれないけど、わりと幸福というか楽しかった^^んですよね。どちらかというと。得意先には苦手な人がいなかったわけではないけれど、それ以上に、好きな人たちのほうが多かったと感じるし。
人間、内側で感じるものが変われば、外側がどうであろうと、いくらでもそこに「多幸感のモト」を見つけられるものなんだ、ということを知りましたよね。
アイドクレースにしかり、きみどり石はね~、ほんと、凄いとしか言いようがないですね。


あの頃を思うと、今の方が確実に私は「ものすごい幸福」と言えるはず^^なんです。
たしかに幸福です。ほんっとうに幸福です。心からありがたいです。
ところが人間、幸福になると今度は、その幸福が変容してしまうんではないだろうか的な^^「恐れ」ってものが出てくる。
今、私をパーフェクトにしていない部分は、ソレだと感じます。



さて前回までのそんな幼少期でしたが、私は子供の頃から前回も書いたように、実はきょうだい間で、親の対応が微妙に違っていたんですね。
特に、父親ですかね。
で、父親が違っちゃうから、当然きっと母親も違ってたんでしょうね。
姉弟に対しては、ようするに父親の大変「厳しい」側面が際立っておりまして。
そこに比べると、確かに、私に対しては「甘い」のはなぜ? って^^私もその理由は知らなかったんです(それが、前回記事で、解明することに成功した点です)。


だからね、その「違い」に対して・・・小さいころからね、よく「詞音ちゃんはずるい」と^^言われ続けていたんですよ。
うまく立ち回ってこの野郎、っぽいニュアンスでしょうか。
そう見えていたんだと思いますね。
でも、同じことしても、なぜか私に関しては「怒られない」というケースが、確かに多すぎたので、他のきょうだいからすると、私を贔屓している・・・と見えてしまっていたんだろうと思います。


この「ずるい」ということを、よく言われてたことを思い出して。
本当はぜんぜんイイコでもなんでもなくて、自分と同じなのに、どうしてアンタだけ? っていうような。
つまり、子どもながらの大変よろしくない「不平等感覚」ですよね。。。「同じように親からヒドイ目に合わなきゃおかしい、同じことしてるんだから」という^^最悪の感情ですよ。あ~、だから、ここからたぶん、ちぐはぐな面倒な関係性は始まっていたのかもしれないな、って。


もちろん、今、いいオトナになってまでも^^、こういった幼少期の類の「ずるい」だのっていうことを言われることもなければ、また、そういった比較もしようもない環境にいますので(同じ仕事しているわけでもないし)今現在、私はなにかそういった優越感や劣等感を、彼らに感じることもないです。
ただ、もしかすると。。。向こうにはないわけでもない^^(無意識的に)かもしれませんね。


しかしこれは子供ながらに私には「ダメージ」だったんでしょうね~☆
よく今まで、ちゃんと解き明かさずに放置していたな・・・って感じますね。
私の子供時代の心の不自由さ加減は、このへんにもあったのかもしれません。
(なにしろ・・・ひとりっ子だった家人の、「あまりにも子供子供した^^子供らしさ満載の」子供時代感覚というか、思い出のようなものは、私にはナイ^^のです。彼のわくわく感に満ちていた冒険心いっぱいの子供の頃の話を聞いてると、「かわいいね~」って羨ましく感じていましたから)


身に覚えがないけれど、言われ続けていると、ニンゲン(特に子供は)は、自分はそういうずるくてイケナイ人間、駄目な人間なんだ・・・って刷り込まれていきますよね。
私の場合は、親にそういう「ダメ子供」扱いされたことはなかったけれど、こうやってちゃんと別の人から^^、しっかり「平等に」駄目扱いのダメージはもらってたんですね。

だからね、子供の頃から、価値感というか風習として家の中での決め事はあったけれど、私はとくに親の言うことは聞くとか聞かない以前に、「ああしろ、こうしろ」っていう直接的な攻撃はあんまり受けていない(他のきょうだいに比べると、っていうことで、ぜんぜん受けていないわけではないんですが)のですけれど、そのぶん、姉の命令にはなぜか逆らえない^^というのか、その彼女の価値感の世界の不文律に合わせて生きてなきゃいけなかった時代がね、けっこう長かったんですよね。


そういう状態でいる時は、そのことに対する憤りや抵抗感をあんまり感じてなかったんですけれど(だから彼らが幼少期に言っていた私への評価、「うまく立ち回っていた」としたら、子供の時というよりは^^もう少し成長してからですね)ただ、「言うこと聞かないと、メンドウだから」っていうだけで、心から楽しいと感じていないことにも当時はたぶん、気づいてなかったんです。
だから、そこから解放されたことに気が付いた時の「自由度」には^^もう計り知れないものがありましたよね。いやまぁ、物理的に、共に住んでいた家を出てからですが。
離れてようやく気づいたんですよ。
自分は、人の「決めつけ」にずっと縛られていたんだ、って。
こんなに、人から価値基準を強制されないということは、自由なものだったのか・・・としみじみ。
心からパラダイス感を^^感じました。
「自分が好きだと思うことに、ケチをつける人がいない。自分がたいして好きでもないことを強制されない」ことの幸福って^^すばらしいですよね。
だから、そのインナーチャイルドについては、放置してきてましたよね。
「幸福になったから、いいや」みたいな感じで。


でもまぁ、私は結局そのように、きょうだいからされたわけだけど、彼らは、親からされていた傷ついた幼少期があるわけなので・・・しょうがないですね。
ちょっと間違っちゃってはいたけれど、私から見ればまぁ、ああいうのも「親たちのエゴではあっても、愛の一面」ではあったわけで。
その影響がこんなねじれた形で表現されて私が影響を受けてしまっていた、というだけで、誰にも罪はないですね・・・。
許してやるか~、みたいな気持ちにはなりますかね。
もし今も彼らもそのインナーチャイルドを放置中なのだとしたら、かわいそうですね。
こういうのを「許し」だとか^^言うんでしょうか。
やっぱり、アイドクレース身に着けていると^^少し寛大な感覚になってきますね・・・(身に着けてる時だけ^^だったりして)。


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カテゴリ :  私の体験(石系 & スピ系)
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