現在進行形のカルマ3

2014年04月05日 (土) 02 : 19
「インナーチャイルドの癒し」も複雑ですなぁ。
前回、そうそう、そういう幼少期だったわな~、っていうことに思い至り、そうやって「今のありようで満足しろよ」っていう感じを押し付けられて^^いたような子供時代のことが、「え~~~~」って感じで影響してんのか・・・と。


それはそれでいいんですけど、それでまた気づいたんですよね。
子供って、普遍の真実にはけっこう近いところにいるはずなので(まだ肉体がある三次元の世界になじんでいないぶん、勘がいいから見抜くというか、本音とは違う行動している大人たちに対して敏感)普遍の真実をもし、親ふたりが本当に満足して生きていたなら、たぶん、その幸福の空気ってわかるはずだから、言われなくてもそうなれたはず^^なんですよね。


でもなぜ反発を感じていたのか。
それは、「母がそうじゃなかったから」っていう^^ことなのね。
父の前では同調そぶりでも、実際には母はそういう人じゃなかった。
常に「足りない足りないお金がない」みたいな感じだった。
少なくとも・・・現状に満足して感謝しているようには見えなかったでしたよね、常に。(口では言うし、ご先祖様をちゃんと敬い、年中行事の神事とか色々は欠かさずちゃんとやる、それから、これは尊敬すべきところだけど、いわゆる三度三度の食事っていうんでしょうか、そういうのは手抜きがなかったっていうか、「ごはん作るのめんどくさい」って言葉聞いたことなかったから、きっと人にゴハン食べさせるのが好きなんでしょうね^^、もうそれしてもらうのがぜんぜん必要ないオトナになっても「ちゃんと食べてるか」って心配されるのも、あれ、どうにかならないものかと。)


で、「足りない」と言うわりには、へんなところで頑張るっていうのか。
常に、自分じゃなくて、自分以外をばっかり優先させる。だからいわゆるよそ様への「義理」は欠かさないタイプ。いわゆるお世話になった相手へお中元お歳暮はやめないタイプっていうんですかね。お金ない、っていうわりには、金銭でそういう「お礼を包む」みたいなことも、「そこまでしなくていいのでは?」と見えるんですが、やり続ける。
それは子供に対してもずっとそうで(家族のために自分を犠牲にする、もろ「日本の母親像」なので・・・一見は、いい母親っぽくはあるんですね。)なんかこう、小さいころはその姿が痛々しいというか、同情的ではあったんですよね。やっぱり、一応、子供ですし。でも自分は「なんとなく」ですが、心を開いてはいない・・・ちょっと苦手な存在、だったかな。。。そういうの見てると、「結婚」とか、「ヒトとの付き合い」とか、この世って、大人になると、おそろしく面倒くさそうな^^世界に見えますよね、子供としては。


実際まぁ、子供の頃、現実的に実情を聞くと(というか、そういうことを子供にぺらぺら母親が話す時点でNGだと思うけど)「え~~~~。うちってそんなビンボなんだ~。あれだよ、小学校の給食費免除の条件にじゅうぶん入ってるよ」っていうレベルなのに、見栄なのか商売やってた体裁なのかなんなのかはわかりませんけど、そういう手合いの「助け、施し」は絶対に受け取ろうとはしない。
私が提示した解決策^^だったんですけどね。だって、楽になりたそうだったから、そういう免除のコもガッコにはいるんだよ~、うちもそれ受けたら? って思いますよね。
まぁ・・・感覚としてはなんとなくわかりますけどね。「そんな恥ずかしいことできるか」と思ってしまう、そういうのは。
それとまぁ、親としては「子供に学校で肩身の狭い思いをさせちゃいけない」みたいなのもあったのかもしれませんけれど。(でも結局これは愛情でもあるけどある種の世間体ですね^^)
だから文句はものすごく言うんだけど、結局、我慢している・・・そういうパターンだった。


まぁ、昔の人って、多かれ少なかれ、そういうところあるんですよね。
「そんな恥ずかしいことはできない」っていう。
現状はやばいはずなのに、苦しいはずなのに、苦しい、苦しい、と言いながら、苦しくならないで済む「施し」は嫌がる、という。
(その日本人らしさ的なものが、実際には、けっこう権力側には利用されちゃってる世界を展開している一端・・・というのが現状でもあるわけなんですが。日本人は、傾向として謙虚なので「できない自分を責める」とか「できないから我慢する」人が多いよね。それと「決まりを守ること」とか、権利は主張しなくても「義務」のほうには敏感で。だから義務がちゃんとできていないと、それもなんだか自己卑下に繋がるっていうのか)


母はだからといって、じゃあどうしたら解決できるか、っていうところへは、あんまり思いが向かわないところが、昔からあって。最初から、無理って決めつけちゃってるし、「こうしたい」「これならやってみたい」っていう心からやりたいことみたいなものが見えていないというのか。
(この部分も、自分はだいぶ影響を受けていたと思いますね~^^。自分のことになると「目の前の現状しか見えていない」という感じ。だから、やりたいこととか、ココロの奥の声がふさがったまんまなんですよね)
この貧乏状態を解決したいけどどうすればいいのかな? っていう相談だったら^^、たぶんまた子供側の受け止め方もぜんぜん違っていたんだろうな、って今は感じるけれど。つまり、「同じ状況であっても、思い方ひとつで変わる世界」というのは、そういうことなんですよね。
不満を言い続ければ、不満を言い続ける状況だけが続いていく。
心穏やかに生きようとしなければ、心穏やかに生きられる世界は形成されない。
いつまでたっても感謝の状況には永遠にたどり着けない。


こういうふうに話すと、悪いのは母親、みたいになっちゃいそうだけど、夫婦というのは鏡ですからね~。
そういう母を、やっぱり父も認めてあげてなかったんでしょうね。
つまり、押し付けていたということ。で、「どうして感謝できないんだ?」って、いわばず~っと「上から目線」というのか。
そういう母のありようを父も受容し感謝してなかった^^わけです。
まぁ、年をとってからは、仲のいい夫婦でしたけれど。
だから父が亡くなってからの母は、生きがいを失った気の抜けた人、みたいになっているところもありましたね。
さんざん、苦労ばっかり、文句ばっかり、言い続けてきた相手がいなくなって「生きがいがなくなった」とか言われると^^、あれですよね~、「え~、じゃあおかんの生きがいって「苦労」と「文句垂れる」ことだったの?」って話になりますが。
でも、それでも父のことが大好きだったみたいですよね、不思議と。
そういう意味では、存在を失ってみて、残っていたのは「おとうさんへの感謝」ということだったようです。


子供の頃は、貧乏で苦労して母がかわいそう、って思っていたところもあるんですけれど、私はどちらかというと「父派」で、おとうさんてそんなにヒドイ人ではないし、表現はへただけど「無償の愛」という意味ではそのエネルギーを私は感じるほうだったんですよね。苦手ではなかった。
だからね・・・よく、父に言いにくいことは、私が「言わされる」担当^^みたいなところがあったんですよ。「おとうさんは、母の言うことは聞いてくれないけど、詞音ちゃんの言うことならなぜか素直に聞く」という印象が母にあったようなんです。
まぁ。。。最後、亡くなる時も^^結果的にそうなっちゃったのかな。。。父が入院してたぶんもううちには帰れないだろう、っていう感じになっていって。
どんなに死後世界のことを知っている人でも、いざ、自分がそうなる、っていうことになると、なかなか受け入れることは難しいもののようなのです。
だから最初はすごくワガママな入院患者っぷりを発揮していたらしく。
(これは臨死体験の研究の第一人者の精神科医の先生自身も、そうだったみたいです。自分は死ぬんだ、っていうことがわかると、人はまず「怒り」が起こる・・・そういう患者さんを何人も何人も見てきた自分がやっぱりそうなっている・・・という部分を克明に記録した本も最後に残されていますよね)
そういう話も聞いていて、往生際が悪いな~、って、私がお見舞いのつもりで送った石のリースが、彼を「意識転換」させちゃって、シックスセンスが開花して、自分の死ぬ日を予告できるまでに開眼して、受け入れて満足して感謝で此の世から去って行った・・・ということがありましたね。
生まれて初めて聞いた言葉、「向こうへ行ったら、おとうさんがおまえたち家族全員を全力で守ってやるからな」という、親らしい「守ってやる」という言葉を死ぬ前日に残していったそうですが。
「なんだよ、生きているうちに、そう言えなかったんかい」って^^シニカルにも私はそれ聞いて思いましたが、あれですね、この三次元をもう離れた感覚で話をしていた(お迎えも来てくださってたようだし、行くとこわかってたようなので)から、こんな気の大きなことが^^言えたんだろうな~、って感じました。
きっとすごい「万能感覚」なんだろうと思いますよ。
臨死体験者の方の話なんかにもあるように、肉体を離れて知覚が拡大すると、この世では不可能だと思っていたことが、実はふつうにできることっていうのがわかるんですよね。ホラじゃなくて。これから死のうか、って時に、自分を偽ってもしょうがないですしね。(この話が示唆することは、つまり、「あなたを全力で守るわ」っていうのは、綺麗ごとではなくて、やろうと思えば、思い一つでできることでもある、っていうことかなって気がします。100%曇りのない思い、見返りのない思いがあれば、っていうことかもしれませんが。だから、みなさんは、「生きているうちに」正直に^^そうしましょう。)
「石が仕事してくれた」すごい実例を残して、去って行ってくれました。何年か前のブログのどっかにも書きましたよね・・・。


まぁでもこうやって洗い出してみると、なんだ、「自分のやってきたことも、父や母にかなり近いな、結局」という^^悲しい姿が感じられます。
私も、「文句垂れまくり人生」の期間は、ほんんっとうに長かったでしたから。
こわいですね~。
ああいう人にはなっちゃいけない、と思っていても、身近な親の影響力は凄まじいものがある好例ですよね。
パターンは違っても、同じことしてたんですよ。
今思えば大真面目に、現実的にはものすごく恵まれていたそういう時期は、私の文句垂れまくり人生の花盛り^^でしたので、その後に転落人生が用意される種まきをせっせせっせとしていたんだと思いますね。。。


悪いところばっかり^^取り上げちゃうのはかわいそうだから、ここはいいところかな? みたいなものがあるとしたら・・・
あのふたりは・・・この世で、競争社会の中で生き残るには勉強しなきゃ、みたいな価値観はぜんぜん押し付けなかった、っていうことでしょうか。
というよりも、その価値観が、そもそも父母の中にないから、押し付けようもないんですよね。その部分は、立派ですね。
彼らの尺度は、外側世界のいわゆる地位名誉的なことでの優越、という部分にはないことはわかります。(これは子供心に、実に物足りないくらいでしたね・・・だから貧乏なんだよ^^とも思ってましたし)
その理由は、いわゆるスピリチュアルな知識ですが、「人間はそういうものを追い求めるために此の世に生を受けているわけではなく、精神の向上のため、人間社会で世のため人のために果たすお役目があって生かされて存在している」というような部分、これに関しては、無理やりにそう思おうとして思っているわけではなさそうでした。
あと、いわゆる「カルマ」ね。ご先祖様から引き継がれた、そういうものを解決できるのは、生きている人間がすること・・・みたいな部分。
(でも「わかっていてもなかなかできない」のも人の姿であることを^^教えてくれてもいましたね。あ~、だから・・・スピ系のいわゆる特殊能力らしきものがあるそういう世界の人がね、人間としておかしい、とか、ひどい性格だとか、なんだかそういうこと、時々お伺いすることがあるんですが、まぁ、「そういうスピ系の人が、人としてすばらしい人間でないと映ること」っていうのは、それこそ自身がすばらしい人間となるための受容のレッスンなんでしょうね。私なんかもみなさんから見るとその「スピ系の人間の部類」なわけなので(汗)、より気を付けなければいけない立場ですが、ニンゲンですからね~。お伝えしている程度の人間です。みんな同じ地球上のレッスン生なんですよ、ニンゲンであるうちは)
「だれだれに負けないように」みたいなこととか、他人様を押しのけての世界とは無縁で、そういう風に、どっかの人と比べてあんたはダメね、っていう類のことを言われたことも、思い起こす限りでは・・・一度もないですね。
でもまぁ残念ながら、だから、勉強がいくらできようと、とくにそれを褒めてももらってない^^というか、小中学生くらいまでは自分はいわば成績のいいコだったんですが、そのメリットは^^なんにも活かされなかったですよね。


いやはや、親って^^大変ですね~~~~~~~~~。
ジブンのみならず、子供なんていると、確実に、その「影響力」を有象無象の世界で強力に行使してしまう。
まぁ、だからこそ、この三次元世界は「家族単位」という、まずその構成で、いろいろ学ばされるんでしょうねぇ。
だからね、正直な話・・・「なんで結婚なんてものがあるの? なんで子供なんて作るの? 必要?」っていう思いは・・・小さな頃からずっとありましたよね。
まぁ、そういう人も多いから、今は結婚しない人も^^増えているのかもしれませんけどね。


ものすご~~~~~~~く、カンタンな表現で集約しちゃうと。
ジブンも含め、上記のどの人も。
「自分を愛してない」「自分を愛そうとしていない」「自分の愛し方がわからない」
まさに、これでしたね。
これをやらずに、崇高な真理へ近づこうとしても、足踏みになりますよね。
まぁ、大半のこの世の諸問題は、おそらくほとんどのことが、ここに端を発して起こっているような気がします。


外側世界の常識のモデルケースに沿う生き方をしようとすること、それがたとえ一見、「精神的な向上心を持ったはずの生き方の世界の常識」であっても^^、そこでもはまるドツボがあるんですね~。
とくに昔の人のは、そうですね。「利他精神」がモデルケース過ぎちゃって、そことかけ離れた自己を都度認識しながら理想像に向かって生きて行くから、いつまでも自他を足りない存在として固定しちゃうところがある。
そんなのぜんぜん知らなくても、「自他への愛たっぷりで大満足で生きてる」それだけで、じゅうぶん天国形成と魂の成長、そして宇宙に貢献していることになるわけなのですが。。。


私がふと感じたことは、どうせ父母の影響力というものを行使されるのであれば、やっぱり「グレイトセントラルサン」そして「グレイト・マザー・アース」の影響力を、私は思い切り行使されたいです。
直伝でいきたいです。
それにはね・・・「感謝のエネルギー」は^^必須項目なのですよ、まじです。
まずこちらがそれを持っていないと始まらないのです。


これが私のココロの奥の、本音。
(但し、エゴはまだ^^100%そこへ行こうとはしていないと思う。でももうそんなに時間はないので、そんなこと言ってる場合ではないのは知ってる。このココロの奥の声も、聞き逃そうとすれば聞き逃せそうな^^「気のせい」くらいの大きさの声)
だから私は、徹底してまだどこかにありそうな自分のインナーこどもを洗い出して、ちゃんと癒してあげて、よどみのないハートに戻って、こういう綿々と続く負のカルマを「締める」ことができる人間になりたいですね。
それがアセンションですね。
今まで・・・どうしてしてなかったの? って^^話なんですがね。
インナーチャイルドの癒しって、スピリチュアルの基本だろうが、って世界ですよね。
うん、きっとね、それだけ人は怖いのよ。それを認めることが。したくないの、痛いから。なるべくなら蓋しておきたいわけですよね。
恥ずかしいし、悲しいし、時として、惨めな気持ちにもなるし。
だけどこれをしないと、カルマの返上は、次回持越しになりそうだし。
その次回が地球人生とは限らないし。


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カテゴリ :  私の体験(石系 & スピ系)
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